昨晩のクリスマス・イブは底冷えのする陽気で、日本海側ではかなり積雪が多かったようだ。心配した妻が新潟の二男に電話してみると、「親の心子知らず」と言っても二男は38歳にもなるが、新潟市内の自宅にはおらず、妻子を連れて会津でのんびり温泉に浸かっているとの返信に気楽なものだなぁとつい笑ってしまった。
さて、今日25日はソヴィエト社会主義共和国連邦が崩壊して丁度20年になる。また、70年前は太平洋戦争開戦まもなくの頃で、進軍ラッパを吹き鳴らし怒涛の進軍をした日本軍がイギリス軍を破り香港を占領した日だった。
ソ連の崩壊は、その2年前のベルリンの壁と東欧社会主義国家崩壊の雪崩現象からある程度予想されていた。実はソ連崩壊の5ヶ月前の1991年7月にシベリア・サハリン方面へ出張してサハリンの首都ユジノサハリンスクの漁港で、偶々広島県出身の日本名福原さんと名乗る朝鮮人のおばさんから、ペレストロイカになってから生活が苦しくなって今までなら年金生活で楽な生活を送れたのに、夫婦で共稼ぎしなければやっていけないとぼやいていた姿を思い出す。その時早晩ペレストロイカも破綻するだろうと秘かに思ったものである。そしてまもなくソ連の社会主義体制は崩壊した。
そのロシアも紆余曲折を重ねながら、今でも何とか大国としての地位を守り続けている。しかし、しばらく安定していたかに見えたプーチン支配体制が、先日の下院議員選挙で不正があったと告発の声が上がり、ロシアでは珍しく再選挙の声が強まり、プーチン首相が否定すれども反対の声は高まるばかりである。ロシア国内もざわついてきた。数日前モスクワ市内のデモには3万人が集まったという。過去の実績に胡坐をかいて国民を見くびっていると足元を掬われることがよくあるものである。
来年首相の地位を辞して大統領へ復活した後、憲法を改正までして、それから更に12年もの長期間に亘って大国ロシアの最高権力を握り続けようというのだから、まともな国民からは嫌われるわけである。トップに上りつめ、おだてられるとつい思い上がって自制心を失いがちになるものだ。
一方、香港には今もなお日本軍が襲撃したトーチカが残っているようだ。その歴史を後世に残そうと地味な活動を続けている人たちが香港にもいる。開戦直後に日本軍が一気呵成にイギリス軍を打ち破り、あの高級ホテル「ザ・ペニンシュラ」で降伏文書に調印させた。香港には何度も行っているが、同地で日英両軍の戦いについてはこれまで話を聞いたことがなかった。
戦争について言えば、今日はNHKテレビで足掛け3年に亘って断片的に放映された連続ドラマ「坂の上の雲」の最終回・日露戦争勝利を楽しんだ。時代背景と秋山好古・真之兄弟と正岡子規ら3人の人物像を上手にからませて列強の権益争いに巻き込まれる明治期の日本の姿をよく描いている。戦争場面なぞは中々スケールが大きく、観ていても楽しいが、子規が亡くなってから人情話が少なくなり、物語としては竜頭蛇尾の感がある。やはりテレビではどう逆立ちしても小説の魅力には及ばない。司馬遼太郎の原作6巻は、30年前勤務先の元社長に薦められて読み感銘を深くした。2人の息子たちにとっても愛読書のようだ。
2000年に産経新聞に連載されたが、同社の特別取材班が書いた「『坂の上の雲』をゆく」と題する挿絵と文章からなる上・下2巻が産経の関係会社から発行された。ところが、2冊とも読んでいるのにあまり記憶に残っていない。情けないことこの上ない。この機会に改めて精読してみようと思う。