1683.2011年12月22日(木) 高校同級生の文化功労者・中西準子さんのこと

 はっと気がついたら今日は「冬至」である。少々品格を欠いた言い方で表現するなら、私にとっては「糖痔」である。つまり糖尿病の「糖」と「痔」の2文字である。痔については、一昨日射ってもらったジオン注射は思っていた以上に効果が良好である。これほど効果が早く表れるとは思っていなかった。今日松本整形外科で、しばし痔談義である。序に肛門科の城クリニックからプレドニン5mgを毎朝服用している点について尋ねられたが、今日改めて松本医師に質して「リウマチ多発筋痛症」のために服用していると説明していただいた。

 さて、先日兄から読売新聞朝刊に連載中の「時代の証言者」の著者「中西準子」は、湘南高校出身で1938年生まれだから私の同級生ではないかと尋ねられた。確かに中西さんは高校の同級生で1年生時から卒業までクラスメートだった。今日の読売に目を通してみると、連載は回を重ねて23回目であるが、内容が専門的でレベルが高く理解するのが難しい。高校時代は少々小太りの元気の良い生徒で、成績も抜群に良かった。1クラス51人の中で女生徒は僅か3人だけだったが、いつもニコニコしていて優しく存在感は際立っていた。

 中西さんの父・故中西功氏は戦前上海の東亜同文書院で学び、日本共産党の幹部として活動した筋金入りの共産党員だった。われわれの高校生時代は確か日本共産党の参議院議員だった。高校入学直後の最初の授業で新人の「生物」担当教師が、教室内の空気を和らげようと考えたのか、何人かの生徒を指名して好きな歌を何でも良いから唄いなさいと言われ、私が最初にふざけて津村謙のヒット曲「上海帰りのリル」を歌ったのに対して、彼女が真剣な表情で真っ直ぐ正面を向き「第1インターナショナル」を唄ったのには驚いた。安保闘争当時仲間とよく唄った歌だったが、高校時代そんな歌は当時まったく知らなかった。とにかく他の同級生とはちょっと違うと思った。あの当時からすでに父親仕込みの左寄りの思想堅固な女性だった。

  卒業して半世紀以上経つが1度も会ったことはない。横浜国立大学工学部へ進学し、大学院へ進みその後横浜国大、東京工大、東大教授を歴任して、現在は国の研究機関の役員を務めているようだ。昨年同じ母校の先輩でノーベル賞受賞者の根岸英一博士や、後輩のオーケストラ指揮者・大野和士氏とともに文化功労者に推薦され、今や地球環境問題の専門家として八面六臂の活躍ぶりである。同級生が頑張って活躍してくれるのには大いに元気づけられる。

  湘南高創立90周年に当たる今年、校内に建設中の「湘南歴史館」に展示されるオブジェ「湘南大樹」の一葉に、現役の生徒に対して目標と勇気を与えられる250名の先輩のひとりとして、私でも推薦されたくらいだから、私より遥かに優秀だった彼女は当然推薦されることだろう。中西さんに久しぶりに会ってみたいと思うと同時に、中西さんの益々の活躍を祈って止まない。

 夕方「飯田ゼミ」の有志による恒例の忘年会を下北沢のイタリアン・レストラン‘JACK POT’で開き、ワインと牡蠣を肴に1年の語り収めをした。恩師は亡くなられたが、気の合うゼミ仲間と会って他愛ない話に夢中になるのは実に楽しい。来年も、再来年も、いつまでもこのままでありたい。

2011年12月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com