1858.2012年6月14日(木) 危険に鈍感になった日本人

 国会では今会期中に消費増税法案を通すため、与野党入り乱れて手練手管の猿知恵を出し合っている。政府提出案に同意してもらうため、政府・民主党は自民党と公明党に対して度重なる妥協を受け入れ、実際どの政党が起案した法律案か分からなくなっている有様である。これが民主党内では、野党に譲歩し過ぎとの別の声も上がって、不満が渦巻いている。

 さて、今日の朝日夕刊「窓」欄に、沖縄に布教に来て半世紀以上になるラサール・パーソンズ神父が紹介されている。沖縄の米軍普天間基地へ4月にモロッコで墜落事故を起こしたばかりの新型輸送機MV22オスプレイが配備されることについて、「沖縄の人たちにはもっと怒ってほしい。それは暴力の怒りでなく、非暴力の怒りです」と言っている。そのオスプレイは、沖縄配備の前に一時的に航空自衛隊岩国基地に配備されることが予定されており、先日森本敏・新防衛相がアメリカから絶対安全の保証を得たと述べた。沖縄と岩国住民を安心させるための気休めのメッセージである。

 ところがどうだ。その朝日夕刊の1面に「オスプレイ、米で墜落」と大々的に報じられているではないか。フロリダ州で訓練中に事故を起こしたらしい。アメリカが安全だと確約した安全が、安全ではなかったのである。

 「安全」とは一体何だ? 「安全」と相手から言われたまま信じることが国のトップ層が考える「安全」なのか。

 今朝のテレビ番組でも大飯原発の安全について、不安だらけの実態が報告され話題になっていた。原子力保安・安全院の示す「安全」報告により、野田首相が安全であると受け止めて大飯原発の安全を宣言した。それを西川福井県知事が安全と考え、自ら大飯原発を訪れるパフォーマンスを行って安全をアピールして、時岡大飯町長の安全信用の過程へ導いていく。これにより一応大飯原発は「安全」と容認された。原子力保安・安全院以外は原子力に関してすべて素人である。その素人の判断によって「安全」が一人歩きを始めたのである。あな、恐ろしや!

 その大飯原発の2号機と3号機の間に、大きな活断層が走っていて、極めて危険だという。もっと精密な調査を続ければ、更に他の原発にも危険が潜んでいることが明らかになるだろうというのが、むしろ原発を容認する学者の意見である。

 いつの頃から日本人は危険を危険と思わなくなったのだろうか。これでは、いずれ首都東京近郊にも原子力発電所を作り、オスプレイを配備するのではないだろうか。

2012年6月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1857.2012年6月13日(水) 福井県のしたたかな政治力

 今朝の朝日「天声人語」にこんなことが書いてある。「大相撲の八百長問題で忘れがたい怪文がある。<立ち合いは強く当たって流れでお願いします>」。同コラムは更に「大飯原発が『流れ』で動き出そうとしている。福井県知事の求めで野田首相が地元に感謝し、再稼動の決意を表明、それではと地元が同意に動く」と一昨日の本ブログに書いたのと同じような指摘である。

 この福井県知事・西川一誠氏なる人物は、その風貌と話の姑息な進め方から推して何となく役人上がりではないかと調べてみたら、やはり地方行政を管轄する自治省のお役人だった。そつなくことを運ぶ作業にはうってつけの人物なのだと思う。だが、果たして県と県民のためを考えて行動する人物かとなると少々疑問である。

 今度の大飯原発再稼動に当たり、昨日の現地視察で安全宣言を述べるにしても自分は極力責任を取らないように、事前に原子力保安・安全委員会から安全との担保を得たうえで動き、安全宣言をしている。大飯原発の現地を視察したにせよ、京都大法学部出で原子力の専門家でもない元自治官僚に原発の安全性なぞ正しくチェックできるはずがないではないか。とにかくこういうように巧妙に動く狡賢い輩が多くなった。

 日曜日にヨルダンから帰ってきたら「三田評論」の及川健治編集長から同誌6月号が送られてきていた。早速ベオグラードの友人・山崎洋氏のエッセイに目を通す。今年3月にベオグラードで演奏された慶應塾歌のエピソードが心に訴えるように書かれていた。彼は中々の文筆家であるが、本エッセイも中々秀逸で、読者に好評だった現場の臨場感を温かく伝えてくれる。文中にはその橋渡しをやってくれたとして私や、ゼミの後輩らの名前までヨイショして紹介してくれる心配りぶりである。12月に作曲した信時潔の名曲演奏会が信時所縁の国分寺で開かれ、以前は演奏されなかった塾歌を♪海ゆかば♪などとともに、セルビア在住のバイオリニスト豊嶋めぐみさんが演奏してくれるのが楽しみである。

 さて、シリアの治安混乱はいよいよ内戦状態になってきた。国連停戦監視団ははっきり内戦状態と述べている。にも拘わらず治安維持のためシリアへ国連軍を投入することができない。ロシアと中国が国連安保理で他国の介入は内政干渉であると強く反対しているからである。その中国が国連安保理決議で禁止されている武器を北朝鮮へ輸出した情報を日米韓が得ていたことが明らかになった。証拠が明らかなのに、中国はその疑惑を真っ向から否定している。最近の中国は一体どうなってしまったのか。世界の嫌われ者となって地球上の孤児にならなければいいが・・・。

2012年6月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1856.2012年6月12日(火) 特別自治体、広域連合とは?

 今月21日に国会会期が終わる。今国会でも相変わらず与野党の茶番が行われているが、時間をかけているにも拘わらず、与野党の番外ショーによって重要法案は何一つ通らず、今や国会は機能不全の体たらくである。

 最大の狙いだった野田政権の消費増税が、「税と社会保障の一体改革」の名の下に消費税値上げとセットにした社会保障制度改革が野党の合意を得られないからである。ましてや、消費税値上げに関しては、野党ばかりでなく民主党内に反対派がぞろぞろいるようでは政治家最大の仕事である法律を作り、実行するという理念は望むべくもない。

 ライバル政党の粗探しばかりにうつつを抜かす野党の自民党と、お互いの足の引っ張り合いに終始して前向きな政策の実行に何らの関与もできない与党民主党の次元の低い政争には呆れるばかりである。これでは海外諸国のわが国を見つめる目は一層厳しいものとなるだろう。政治家がダメなら誰に頼ったら良いのか。

 さて、「関西広域連合」という言葉をメディアが言うなりに、曖昧なまま理解してきた。特に、大飯原発再稼動問題が話題になるようになってから、「関西広域連合」という組織が大きく取り上げられるようになった。今朝の朝日新聞にこの言葉の解説が出ていた。

 一つ一つの自治体では対応が難しい課題に複数の自治体が取り組むため、17年前に設置が認められた特別な自治体だそうだ。面白いのはこの関西広域連合には奈良県を除く近畿5府県と鳥取、徳島県が加わり、大阪市と堺市が参加している。更に8月には神戸市と京都市が加盟するという。横の連絡や指揮命令系統にはそれなりの難しさがあるだろう。実務はどう行うのだろうか。でも、新たな面白い試みだと思う。

 この広域連合という自治体の実態を知らずして、生半可な理解をしていたのは軽率だった。そう言えば、東日本大震災で未曾有の被害を蒙った陸前高田市で、4年前に陸前高田市、大船渡市、住田町からなる「気仙広域連合」の仕事を請け負ったことがあったが、その時は自分が講師を務めたにも拘わらず、広域連合の実態がよく分かっていなかった。お恥ずかしい限りである。

2012年6月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1855.2012年6月11日(月) 大飯原発再稼動の政治的プロセス

 今日最初にやるべきことは肛門科で痔の症状を診てもらい、治療してもらうことだ。早いに越したことはないと妻に定例のコーラスの練習をキャンセルしてもらい、新幹線・新横浜駅前のクリニックまで車で送ってもらった。医師の診断は、患部が腫れているので薬で試してその後様子を診て再検査をしようということだった。医師の強烈なアドバイスは、極力座らないということだが、それが中々難しい。普段座って仕事をすることが多いので、これではパソコンも使えず生活のペースも乱される。PCは立ったまま打ち、後は寝ころびながら溜まった新聞をむさぼり読むしかない。当分こんな生活を送るのかと思うとぞっとする。

 新聞を開くとどうだ!心配していた大飯原発再稼動について野田政権はすでにGOサインを発し、近々地元福井県議会の承認が得られれば、正式にスイッチが入る。この再稼動までのプロセスがどうもすっきりしない。旅行出発前から懸念していたように、関係者はみんな責任を取りたくない気持ちがミエミエである。西川一誠・福井県知事は再開に関しては、地元の同意を得ることが条件と公言し、自らが地元福井県民の同意を得ようということではなく、政府のバックアップを得て世論を盛り上げて再稼動しやすい環境づくりを考えている。つまり政府の再稼動容認により再稼動の空気を作ったところで、議会の再稼動同意の議決を勝ち取り、「福井県民再稼動に同意」のムードへ持ち込もうとする。

 結局大飯原発再稼動について、住民の理解を得るとの建前は、自治体トップが再稼動したいとの希望を他人の手を借りてまんまと思惑通りにことを運ぶ、いやらしい手法によって実現される。

 どうもこの世の中に直球勝負が少なくなってきた。

2012年6月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1854.2012年6月10日(日) 無事帰って参りました。

 ほぼ予定通り成田空港へ帰ってきた。痔の具合が捗々しくないので座ったままの長距離便は堪える。運よく機内は比較的空席が多かったので、横になることができて救われた。幸い日曜日のため居候中の長男が車で空港へ迎えに来てくれたので助かった。

 隣席に若い外国人女性が座った。欧米系の女性と思いきや、何とヨルダン人だった。これから東海村へ研修に行くと言う。率直に訊ねたら原子力発電の研修だという。20日間の研修期間中に福島にも、その他の古都にも訪ねたいと言っていたが、あまり細かいことを聞くのは憚られたので通り一遍の話しかできなかった。ただ、我々が知らないところで、原子力に関する研究とか、研修はどんどん進められているのだと感じた。ヨルダンの発電能力を考えるとやはり一番手っ取り早いのは、原子力発電になるのだろう。それだけに安易に原発開発、稼動へ国が向かっていくことに不安もある。彼女との短い会話を通して発展途上国の資源エネルギーについてしばし考えさせられた。

 さて、やっと念願のヨルダン参りを終えてすっきりした。45年前は若さだけで、怖いもの知らずのまま危険の中へ入っていった。今それほどの勇気はない。それだけに当時自分だけの考えで海外武者修行をやって、破天荒な体験をしたことが、その後の自分の人生に大きな財産になったと考えている。今回臨場感溢れる現場を改めて踏むことができて、印象深い旅となった。これをまた今後に生かしたいと思っている。

2012年6月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1853.2012年6月9日(土) 45年前の鮮烈体験の丘に立つ。

 朝起きて窓の下を見ると昨日あれだけ賑やかだった市場がテントごときれいさっぱり撤去されていた。安息日だった昨日一日だけの青空市場だそうだ。

 10時にホテルロビーで待っているとムハマッドさんが車で迎えに来てくれた。早速ダウンタウンの中心街にある古代ローマ劇場を見学する。忘れもしない懐かしい劇場である。あの時はこの前で写真を撮った。通りを隔てて建っていた「ホテル・アルカサール」は完全になくなっていた。ムハマッドさんに聞くと、この通りに面した古い建物はほとんど壊され建て直されているという。実際残っている小さなホテルは建物自体が今にも崩壊しそうなくらい危ない建物だ。

 身柄拘束された現場の正確な場所は新しい住居も建設されてとうとう分からなかったが、その周辺をぶらついて丘のスポットを見当つけて登った。とても正確とは言えないが、当時の状況を完全には思い出せない以上大体の場所で納得するより仕方ない。街の全体的な感じとしては戦争当時の面影があったので、まあそんなところで我慢するしかない。

 当時は怖そうな十数名の兵士にあっという間に銃を突きつけられたが、今日は平和な中であどけない子どもたちに囲まれた。やはり現場に来て青春の一駒を思い出し、本当に良かったと思っている。ガイドを含めて知り合ったヨルダンの人々はお世辞もあるだろうが、私が当時の体験談を話すと強い興味を示してくれ、細かいことまで聞いてきた。彼らにとって第三次中東戦争は歴史上大きなでき事であるが、現実にそれを知っている人はヨルダンでも少なくなっている。やはり歩いてみると当時とは異なった臨場感を感じる。感慨深かったし来てみて、環境はがらりと変わったが、気にかかっていた45年間の空白を埋めてくれるものだった。

 ダウンタウンで衣料洋品店を営んでいるムハマッドさんの従兄弟の店を訪ねて、周辺の様子を聞いた際、彼の机の上に置かれた新聞が気になった。文字はアラビア語だが、大きな写真は大飯原発再稼動反対のデモの光景である。出発前にそうなるのではないかと悪い予感がしていたが、結局野田内閣は再稼動へ踏み切ったようだ。原発問題は今では日本だけの問題ではなくなっているのだとの認識が少し足りないように思う。ヨルダンと日本のサッカーのワールドカップ最終予選で、6-0の一方的な負け方をしたヨルダン・チームのだらしなさを大げさに嘆いていたのも、面白かった。

 ムハマッドさんが展望の良く効くシタデルへ車を走らせてくれ、アンマンの市街をパノラマ形式で楽しむことができて、45年ぶりに青春時代の危なかったシーンを改めて感じて感慨無量である。今日一日の印象は多分一生忘れないだろう。

 ベドウィン族の食事を提供するレストランで昼食を終えてから、空港へ向かったが、ここも出国のセキュリティ・チェックは厳しい。漸くアブダビ行のフライトに乗って帰国の途へ就く。

2012年6月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1852.2012年6月8日(金) 再びヨルダンへ入国する。

 今日はイスラム教の安息日である。市内はいつもより車が少ないように見える。いよいよツアー帰国の当日となった。尤も私はツアーから離れて個人行動に移るので、ツアー同行者とは感慨は違う。ホテルをチェックアウトの際電話代を支払い、絵葉書の切手を購入しようとしたら、ホテルでは郵便切手は取り扱わないという。売店で買えというわけだが、その売店が店開きをしていない。24時間サービスを建前としているホテルとしては、少々顧客サービスの面で問題があるのではないかと思う。結局ガイドの朋子さんに切手代を添えて投函をお願いすることにした。

 ホテルから国境へ向かう。国境検問所へ向かう途中で、‘SEA LEVEL’地点で停車する。ヨルダンと同様にどうも山中に0mというのがあまり日本人にはぴんとこない。そのほかに砂漠の中に遊牧民族ベドウィン族のテントをところどころ見ることができる。アラビアの遊牧民は、その昔朝日新聞に連載された本多勝一氏のルポが懐かしい。

 さて、検問所では相変わらずイスラエル出国手続きとヨルダン入国手続きでごった返して随分時間がかかる。こればかりは国の仕事であるから、外の人間がとやかく言うのは憚られるが、それにしても「無駄」に近い時間の浪費である。それにイスラエルの出国税が一人46$とはべらぼうな金額ではないだろうか。こんな高い出国税は聞いたことがない。流石ユダヤ商人と言っては言い過ぎだろうか。

 ここでガイドの朋子さんとはお別れである。僅か2日間だったが、分かりやすいガイドをしてもらって大変助かった。特に感心したのは、ご自分のアイディアで作成されたであろう、年表と図解だった。20年もイスラエルに生活し、ヘブライ語を学ばれたので言葉には不自由ないのだろうが、イスラエルという国と3つの宗教について、日本人にわかってもらおうとする気持ちが感じられた。暑い国での生活は大変だと思うが、一層の活躍を祈念して止まない。

 ヨルダン側では一昨日別れたガイドのRa’edさんとドライバーが出迎えてくれた。一昨日と同じようにすべての手続きが完了するまでに2時間近い時間を要した。

 アンマン市内に入り昼食を取ってから、ツアーは空港へ向かったが、その途中で今晩の宿でRa’edさんに手配してもらった「トレド・ホテル」で降ろしてもらい、ツアーの皆さんとはお別れだ。中にはちょっと変わり者のおっさんもいたが、他の同行者のほとんどは良い人たちだった。古今東西「旅は道ずれ、世は情け」と言われるように、一緒に旅していてそれなりに楽しい人たちだった。

 トレド・ホテルは決して高級なホテルではないが、窓下を見下ろすとオレンジ色のテント張りの大きな市場が見える。外観は悪くないが、ウォッシュタオルの備えがなく、バス回りがあまり衛生的ではなく、バスタブにストッパーがなくスペアを持って来させたり、部屋の電灯も暗い。たった1泊だから良いが、あまり長く滞在する気にはなれないホテルだ。

 外へ散策に出る。興味本位に市場の売り子から質問を受けるが、みんな笑顔がいい。どこの国もトップは申し合わせたように気難しい顔をしているが、このヨルダンの普通の人たちはみな素朴で明るい人々である。

 夕食の折ビールを頼んだところノン・アルコール・ビールだった。うっかりしたが、アルコールはイスラム圏ではご法度なのだ。失敗!失敗!

 明日はRa’edさんが手配してくれたガイドのムハマッドさんの車で、午後のアンマン出発までの時間を有効に過ごす。行ってみたいところは、何と言っても前回身柄拘束された現場である。そして、今はなくなってしまった、前回宿泊のホテル・アルカサール周辺と古代ローマ劇場にもう一度ぜひ行ってみたいと思っている。

 外からイスラム教特有のお祈りの言葉、アザーンが流れてくる。ヨルダン最後の夜の帳が下りてきた。

 残念だが、痔の具合はあまり良くない。

2012年6月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1851.201年6月7日(木) エルサレムの観光を終える。

 今朝は少々早い時間に神殿の丘へ向かう。ガイドのシュタイン朋子さんの話によると相当混雑して時間前に並んで待っていないと入るのに2~3時間はかかるという。ここにはエルサレム中から見通せる黄金ドーム(別称「岩のドーム」)がある。今日一日暑い中を歩いて見学することになった。この神殿の丘はほぼ市内の中心にあって、周囲を谷間で取り囲まれているような立地のため、遠方からでも燦然と輝くドームが眩しく映る。その後ぜひ見学したいと考えていた「嘆きの壁」に行く。ここで面白いと思ったのは、ヨシズのようなもので仕切られ、男女別々に壁に向かってお祈りをすることである。

 日本の治安安全神話に比べて、自分たちの生活は何としても自分たちの力で守り抜くとの気概のあるイスラエル人は、面倒で厳しいセキュリティ・チェックを甘んじて受ける。それが、外国人にとっては嫌で堪らない。神殿の丘へ入るのに時間がかかったのは、このセキュリ・ティチェックのせいであるし、嘆きの壁の手前でも腕時計から、ベルトまで取り外すチェックには少々閉口である。まぁ、これもお国事情と言ってしまえば、そうなのかも知れない。

 さて、思い出すのは、1967年の第三次中東戦争でイスラエルがヨルダンからヨルダン川以西を占領し、真っ先に嘆きの壁へ駆けつけたイスラエル軍兵士が嘆きの壁へ向かって涙を流していた光景が忘れられない。

 その後、処刑されたイェス・キリストがゴルゴダの丘へ向かった道「ヴィア・ドロローサ」を歩きながら聖墳墓教会を見学した。明日が安息日ということもあって、信者が教会内部にいっぱいである。教会内ではカトリック正教の式典が行われていて厳かなオルガンの伴奏に合わせて♪ハレルヤ♪を歌いながら多くの神父さんが教会内で御練りをしていた。国立博物館では「死海文書」展示品の解説を聞く。

 午後パレスチナ自治区ベツレヘムにある聖誕教会の見学である。エルサレム市内でもベツレヘムは特殊な地域で、いわば外国のような立場にある。武装兵士が詰める検問所はあるし、エルサレムの車でベツレヘムでは営業できない。従ってバスとドライバーを交代させる。随分無駄なことをしていると思うが、イスラエルとエルサレムの歴史を考えれば現状では止むを得ない措置なのだろう。

 この聖誕教会は、イェス・キリストが生まれた場所として普く知られている。外壁からすれば、いかにも古い建物との印象があるが、内部の天井は木造で、聞けば何度か再建されたという。内部はギリシャ正教様式である。地下にはキリストが生まれた場所と産湯を浸かったスペースが煌びやかに飾られている。今日はキリスト教の誕生と歴史を現場で学んだ一日だった。これでツアーは明日ヨルダンへ入り、帰国の段取りだが、私はツアーを別れてあと2日日程を延長している。

 そこへ今日困ったことが起こった。昨日辺りから具合が良くなかった「いぼ痔」が早朝になってとうとう突出したのである。一昨年10月と同じ症状である。どうも具合が良くない。残りの旅行をこのままの状態で続けるのは良くないだろうし、旅行するのも辛い。そこで日ごろかかりつけで、前回処置してもらった内科の森先生に直接国際電話をして症状をお話して、ある程度悪化を食い止める治療法を教えてもらった。

 早く治療を受けるに越したことはない。この旅の最大の目的であるアンマン滞在をカットするわけにはいかないが、旅程を一日短縮することを考え、帰路アブダビで一泊する予定をキャンセルすることに決めた。フライト・チェンジについては添乗員の保坂さんに手配をお願いし、観光中にフライト変更ができたとの返事をもらった。これまで再三日程を変更したが、今またアブダビ滞在を取り消し、フライト・チェンジすることによって余計な出費が出た。アブダビでは払い戻しなしの条件でホテルも手配済みだし、変更による手配料を3度支払わされる羽目になった。でも、こればかりは健康問題でもあり、止むを得ないと思っている。

 願うことは、現状より症状が悪化しないことである。

2012年6月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1850.2012年6月6日(水) 「死海」で浮遊体験を楽しむ。

 2日間かなりハードな行動だったので、やや疲労気味だ。夜になってこのブログを書き終えるとぐったりとなってすぐ床に就いてしまう。

 今朝はホテルを発つ前にコテージを下りて目の前の「死海」海岸で浮遊体験を楽しんだ。身体が浮くということ自体は、この湖の塩分が30%と極めて高いことから理論的には理解できるが、浮遊が実際にどういう感覚なのか、今までどうもぴんとこなかった。

 ところが、身体を水に浸からせると当たり前だが本当に身体が浮いてしまう。特に両足が浮いて寝たままの状態でいつまでもじっとしていることができる。浮いたままの状態で手足を上げても大丈夫なのだ。やっと理論的にも感覚的にも納得することができた。しかし、それにしても不思議な国のアリスの気持ちである。まあ、他人には中々体験できないことを試すことができて満足している。今日久しぶりに身につけた赤い海水パンツは、1983年にアマゾン川で泳いだ時に地元で買ったものだ。物持ちが良いのか、普段泳がなくなったせいだろうか。

 今日はいよいよ陸路でイスラエルへ入国する。近くにある辺鄙なところに国境検問所がある。ヨルダン側の出国手続きはごった返す出国者に巻き込まれて疲れたが、あまり問題はなかった。問題はイスラエルの入国手続きである。イスラエルでは散々待たされた結果漸く全員無事に入国することができた。国境を越えたとは言え、それほど環境に違いがあるわけでない。ただし、ヨルダンを離れるに際して、ヨルダンのバスとガイド役目は終わり、バスとガイドは替わった。Ra’edさんたちとは明後日再び待ち合わせることを約束して別れた。

 イスラエルのガイドはシュタイン・朋子さん。早速国境から首都エルサレム市内へ向かい、オリーブ山からパレスチナ自治区と旧市街全貌を眺める。岩のドームがとりわけ目立つ。ガイドさんのパネルを使用した、イスラエルの歴史と現状の説明が分かりやすく、大変参考になった。

 エルサレムというと、やはり私自身どうしてもたった6日間で決着がついた第3次中東戦争を思い出す。あの時、イスラエルは勝利者の倣いとして①ヨルダン川以西、②ゴラン高原、③シナイ半島、を戦果として占領し、今も①と②についてはイスラエルの占領下にある。まだ、分からないがガイドさんの話では①については、ヨルダン政府にそれほど取り戻す気持ちがないようだとの話には何だか割り切れない気持ちである。占領地区に住むアラブ人の本音を探り出して聞いてみたいものだ。

 イスラエルと言えば、何となく先入観として持っているのが、発達した先進国家のイメージである。それが市内の交通インフラがまるでダメで、車の渋滞というより、低い交通モラルには少々呆気にとられるほどである。そして想像していなかったことだが、坂が多い。狭い道路とアップダウン、そして駐車スペースが不足しているせいだろうか、あちこちでクラクションを鳴らす音がけたたましい。

 何となく慌しい中に1日が終わったような印象である。

2012年6月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1849.2012年6月5日(火) ペトラ遺跡観光は疲れるが、素晴らしい。

 夕べオプショナル・ツアーでペトラ遺跡でも最も知られた宝物殿エル・カズネを見学したが、真っ暗闇の中を幽かに写真で知るエル・カズネを見ただけだった。今日は期待感に胸を膨らませて朝8時にホテルを歩いて出た。まずそのエル・カズネを目指す。本物を間近に見てみると、何とも言えない厳かな気持ちに捉われる。更にその奥先へ向かう。岩山の階段が990段もあることから、昨日来やや疲れ気味でもあったので、ロバに乗ることにした。ロバの背で振り落とされまいと必死になってしがみついていたが、細い岩山を登り下を見れば谷底も見え、少々怖い感じもした。帰りもロバに乗っても良かったのだが、岩山の下りには流石に恐れをなし危険を避け止めることにした。

 ペトラ遺跡というと決まってエル・カズネの絵が紹介されるが、周辺渓谷跡に残された数々のお墓、神殿、その他の古代ナバテア人の遺跡と環境が素晴らしい。中には排水溝や彫刻の残滓もある。まだまだ考古学上貴重な遺跡が発掘される可能性を秘めているが、予算的に苦しくて思うように手が回らないようだ。

 エル・カズネから奥入った岩山は登るに従って景色が良くなってくる。アメリカのグランド・キャニオンと比較してもスケールでこそとても太刀打ちできないが、歴史と文化の遺産が数多く残され、総合的に見て決してひけを取るものではないと思う。ホテルへ戻ってきたら午後3時前で、昼食を挟んで歩きっ放しだったので疲れた。流石に疲れたその哀れな歩き方が一目で分かるのか、馬車、ロバ、馬の業者から利用しないかとの呼びかけの声を散々かけられた。今日は万歩計で2万歩を越えていた。

 ペトラ遺跡の素晴らしさはとても口には言い表せない。あまり日本人観光客の姿は見かけなかったが、欧米人がかなり押し寄せているようだ。とにかくこれで私自身世界遺産見学も160箇所になったし、「新世界7不思議」の7箇所もすべて征服した。世界遺産関係の講義を引き受けることが多くなったが、今後はこれに新世界7不思議も取り混ぜて幅広い内容で話せるのではないかと考えている。

 ペトラの地を去って今日の宿泊予定地「死海」へ向かう。相変わらずの炎天下をバスは砂礫の砂漠の中をひた走りに走る。アンマンから死海へ向かう道すがら大峡谷の一方の土手を約900mも下り出す。何でもこの広く深い谷は、南下すればアフリカ大地溝帯につながるという。随分スケールの大きな谷間で途中に珍しい標識が見られた。何と海抜0mとある。これから更にバスは下る。結局海抜-400mの死海に辿り着いた。我々は海面より深い場所に一夜の宿を取ることになった。

 中々立派なリゾートホテルで昨日と同じMOVENPICKである。各部屋が特殊な配列になっていて、ガーデンを横切り、海岸近くに部屋がある。このコテージの部屋のベランダから真正面に死海とその遥か向こうにイスラエルのパレスチナ地区の影を捉えることができる。明日はいよいよ念願のイスラエルに初めて入国する。期待はいやがうえにも高まってくる。

2012年6月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com