6567.2025年5月6日(火) 戦後80年、戦没者のご遺骨未だ帰らず

 先月26日から始まった長いゴールデン・ウィークも今日が最終日である。今日は朝から雨模様で、一昨日から長男が我が家に泊まっていたが、今朝雨の中を奈良へ帰って行った。昨日は横浜に住んでいる次男家族4人とともに近所の洒落たイタリアン・レストランでディナーをともにして、久しぶりにラグビーに熱中している中学3年生の孫ともラグビー話で打ち解けることが出来た。

 さて、今年は終戦後80年という節目の年でもあり、戦争に関する記念行事や、戦没者の慰霊、或いは未帰還のご遺骨収容などに関して、多くの情報が話題に上がる。今日の朝刊で中部太平洋のペリリュー島の遺骨収集の話が一歩進んだと知った。すでに集団埋葬地が見つかったとの情報は、昨年水落日本遺族会会長から聞いて承知していた。そこへこの連休に福岡資麿・厚生労働大臣がペリリュー島のあるパラオ共和国政府を訪れ、遺骨収集が出来るようパラオ政府担当大臣に協力を要請して受け入れてもらい、2027年度に実施されることに決まったようだ。

 パラオ共和国のペリリュー島へは新しい首都マルキョクのあるパラオ本島からかなりの距離があり、しかも海は平素からかなり高波があって収容したご遺骨を運ぶのは中々の苦労を強いられると思う。ペリリュー島の南のアンガウル島も玉砕の島として知られるが、この両島間が大分荒れ狂う。今度の遺骨収集団ではアンガウル島の遺骨収容は考えられていないようだ。半世紀ばかり以前にペリリュー島を訪れ、モーターボートでアンガウル島を目指した際に、随分荒波に悩まされ思うように前へ進めなかった。アンガウル島岸壁で当時のエンドー村長さんが、出迎えに来られながらも、これから海が大分荒れそうなので、直ぐ戻った方が安全だとジェスチャーで合図を送ってくれ、止むを得ず引き返したことがある。

 それにしても太平洋戦争激戦の地として知られるこのペリリュー島では、1万人以上の旧日本軍兵士が戦死されたとされている。他方、アメリカ兵も1,600~1,700人が命を落としたと言われている。海底に沈んだままで収容が難しいご遺骨は今回対象にはなっていないが、2,400人分のご遺骨が集団埋葬地に眠っている。

 私はサラリーマン時代にこの戦没者遺骨収集事業に長年関わっていたので、他の地域と合わせて随分実務に携わって来た。特に中部太平洋地区の遺骨収集団に関しては、当時の厚生省より一括取り扱いを任せられていたので、下見を含めて多くの戦没地を訪れた。

 太平洋戦争の海外における戦没者の数は、約240万人と言われている。最も犠牲者が多かったのは、中国大陸の71万1千人で、次いでフィリピンの51万8千人、それに次いでペリリュー島を含む中部太平洋と東部ニューギニアのそれぞれ24万7千人である。こればかりは相手国側の事情もあり、必ずしも犠牲者の数が多い国が、収骨数が多いかと言えばそうではない。事実未収骨数の多いのは、1番にフィリピンである。36.9万柱が未だに収骨されていない。戦没者の71%余のご遺骨が収容されていないことになる。それに次いで中部太平洋の70%の未収骨が多い。

 あの残酷な戦争があったことは日本人として決して忘れてはいけないことであるが、今の政治家らが、しばしば忘れてしまったような言動をとることを知って情けなくなり、絶望的になることもある。現地で遺骨収集作業に携わっていると焼骨の際に遺族が流す涙と立ち上る煙を見ていると涙腺が緩むのは如何ともしようがない。中部太平洋地域の遺骨収集事業では、各島で収骨されたご遺骨を最後に厚生省遺骨収集団本部のあるサイパン島で焼骨する焼骨式を行う。焼かれるご遺骨の周囲を取り巻いた団員やご遺族が静かに見守る中で、煙が立ち上がり蝶々が何匹か飛んで来て煙の中をかいくぐり煙とともに飛び去って行く蝶々を見てご遺族が、お父さんもやっと安心して冥界へ旅立ったというセリフを聞いて、涙がこぼれたことが思い出される。

 海外での戦没者240万人の内、戦後80年が経った今でも半数近い47%112万人のご遺骨がご遺族の元に帰ってきていない。すべてが収骨されることは難しいだろうが、おひとりでも多くのご遺骨が母国のご遺族の元へ帰還されるよう祈っている。

2025年5月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6566.2025年5月5日(月) 外国人に愛される日本人の国民性と風土

 「子どもの日」である。少子化現象で近年子どもの数が減りつつあり、その対応のひとつとして、子どもへの教育費支援などいろいろ施策を試みており、昔に比べて保護者は支出面で大分助かっていると思う。「子どもの日」の象徴的な習慣として伝統的な鯉のぼりがあり、今でも沢山の鯉が1本のロープに繋がれた鯉のぼりが、上空に飾られたりして五月の風物詩ともなっている。私たちの終戦直後の子どものころは「子どもの日」とは呼ばずに「端午の節句」と呼んで、目についた鯉のぼりは警察署や町役場などの敷地にはためいていたくらいの記憶しかない。

 総務省の発表によると、15歳未満の子どもは昨年より35万人も減って1,366万人となった。44年連続で減少し続け、初めて14百万人を割った。子どもの数は1950年には3千万人近い2,943万人だったが、それから46%にまで減った。人口4千万人以上の国で、子どもの割合が最も低いのは、韓国10.8%で、次いで日本の11.1%である。日本では子どもがいなくなりつつあるのである。将来の日本を考えると大変厳しいものがあると考えざるを得ない。

 「子どもの日」について今朝の朝日「天声人語」のエピソードに、日本では昔から子どもが愛されているという外国人の声があるという。「世界中で日本ほど子どもが親切にあつかわれ、子どものために多大な注意が払われる国はほかにない」と「日本は子どもたちの天国である」とまで述べている、明治の初めに日本を訪れ、大森の貝塚を発見したエドワード・モースである。それほど外国人には好意的にみられていたが、今では子どもの自殺が過去最多となるほどで、9人に1人の子が貧困に喘いでいるという。

 ところで、近年日本を訪れる観光客、いわゆるインバウンド業が急成長して日本の財政に大きく貢献していることは周知のことである。その中で格別注目されるようになったのは、何とロシア人の訪日客が増えたことである。ウクライナ侵攻後、ヨーロッパなどではロシア人に対して厳しい軽蔑的な視線が向けられ、あまり歓迎されなくなったが、戦争とは無関係に心から歓迎してくれる日本へ、異質な日本の文化への関心もあってロシア人が急激に増え始めた。日本へ観光し易くなったのは、ビザの申請要件が緩和されたことや、日ロ間の直行便が停止されたが、中国経由で安い航空券が入手できるようになったことが効果的なようだ。ロシア人の訪日客が急激に増え、今年3月は1か月間で過去最多の18,800人にまで増えた。仮にこの好調が1年間続いたとすると1年間で225,600人の訪日が予想されるが、2年前の2023年の各国からの訪日客数、韓国695万人、台湾420万人、中国245万人、香港211万人、アメリカ204万人に比べてもまだ遠く及ばない。これとは別に、実はこの単年度の数字では分らない意外な事実がある。それは、2019年、コロナ渦が急速に拡大した年である。その発生の地とも言われた中国では、厳しく海外渡航を制限した。その結果、19年には中国人訪日客数が959万人もいたが、翌20年には対前年▲88.9%の107万人に減少し、更に翌々年21年には、僅か4万2千人にまで激減した現実がある。観光はその時のいろいろな政治的、社会的現象によって大きく変わるものである。これまで日本への観光客が少なかったロシアから少しずつ訪日客が増えているのは歓迎すべき現象である。しかし、いつ好条件が一転するかも知れず、予断は許されない。精々好景気の時に、精一杯の努力でインバウンドに全力を尽くすことが大切であろう。

 果たして10年後の日本には、どのような外国人観光客分布図が描かれるだろうか。

2025年5月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6565.2025年5月4日(日) 世界中を悩ませる害虫・トランプ大統領

 先月末から再びウォーキングを始めた。昨年7月にコロナを発症して医師と相談のうえ、しばらくウォーキングを停止した。先日医師からまたウォーキングを再開した方が良いとのアドバイスをいただいた。そしてこのGWの間も自宅近辺の住宅街を歩いているが、ひょんなことに気づいた。所謂古くから固定の祭日となっている4月29日「昭和の日」と昨日「憲法記念日」に歩いてみて、国旗「日の丸」を竿に掲げている住宅がほとんど見当たらないことである。たった2軒だけだった。かく申す我が家でも、国旗を掲げていない。あまり国旗と国の祭日に関連性を気に留めない風潮になってしまったのだろう。

 ついては、このところトランプ大統領が就任してからのアメリカと日本の外交関係が、あまりスムーズではないような気がしている。日本側にも些か腰が引けて日の丸を掲げて毅然と正論を戦わせる気概が見られない。アメリカ側にも、常識人としてのトランプ大統領の言動に大きな疑問符がいくつも付きだしている。自分の利益、名誉のためには他人を誹謗中傷することはごく当たり前の人物が、自国アメリカは世界最大の資本主義国で、民主主義国だと自慢している。その煽りを受けて外交、経済面でとばっちりを受けている国が多い。つい最近は、大統領就任後100日にして、第2次世界大戦以降最低の支持率に落ち込んだ。しかし、ご本人はそれらはすべてフェイクであり、自分は最も実績を上げたと自画自賛している有様である。好き勝手に閣僚人事を決めたり、国内名門大学への嫌がらせのような助成金停止や、子どものようにローマ法王の服装を纏った写真を散布したり、閣僚人事をはじめ周囲の取り巻きをイエスマンで固めている。そのトランプ政権と話し合うのは中々難しいが、最近の関税問題で日米交渉をみていると相手国の立場を考えた正当な交渉をしないで、自分のためとアメリカの歪んだ国益のために派手に動き回っているだけである。

 2回目の日米関税交渉を済ませた赤澤経済再生相が帰国したが、予想通りアメリカには最初から日本の要求を取り込もうとの気持ちはまるでなかったようで、日本にとって何もプラスになるような結果とはならなかったようだ。赤澤大臣も日本の立場をきちんと主張する機会を与えてもらえなかったようで、交渉役としては荷が重かったような印象を受けている。

 会合から帰った赤澤大臣と石破首相が話し合ったが、アメリカが対日交渉では、関税25%の鉄鋼・アルミ・自動車については交渉対象外としているが、日本は自動車への追加関税を見直すよう求めている。互いに、引く気はないようで、このままでは交渉が暗礁に乗り上げるのは必至である。

 アメリカはトランプ大統領の実績を上げたとの功名心を満足させるために、これまで真面だった貿易にアメリカにとってハンデだと思う点を補い、ただ一方的にアメリカにとって有利な関税税率を押し付けようとしている。今日のアメリカは、大統領1人が身勝手に多くの国を悩ませる困った国になってしまった。

2025年5月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6564.2025年5月3日(土) 憲法記念日を機に、対米関係を考え直すべき時

 ゴールデン・ウィークも後半に入って、今日は後半最初の休日「憲法記念日」である。連休ともなるととかく話題はレジャー面に気持ちが傾きがちであるが、その中で今日「憲法記念日」のように、戦後国のあるべき姿や骨組みを規定した国法「憲法」が施行された厳粛な祭日であることは、つい忘れがちになる。しかし、日常生活ではあまり意識しない憲法について、「憲法記念日」としてメディアではかなり取り上げている。今日1日を憲法について考えてみることも必要ではないかと思う。

 具体的には、憲法が作られた背景には、三権分立に基づく政治の仕組みを定めて国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本としている。

 例年メディアでは憲法に関する世論調査を実施している。朝日新聞の調査では、民主主義が定着していると感じる国民は、48%で過半数に達しなくなっている。憲法の最も大事な条文「第9条-戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」が、国民にどう思われているのかとの問いに対しては、9条改正反対が56%である。戦後80年を経過した今では、憲法発布・施行からかなり時が経過したこともあり、憲法全般については今では実情にそぐわない点や、改定すべき箇所もあると思う。実際「憲法を変える必要がある」と応えた人が53%もいて、「変える必要がない」人の35%を上回る実情がある。この辺りを9条改正と信じて9条改正賛成者がかなり多いと都合よく解釈する人たちがいることに警戒しなければならない。それは、9条2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と書かれている点に注目しなければならない。現実には、今や自衛隊は軍隊と同じ戦力を有している。戦争にこそ参戦していないが、軍服を纏い、国内に自然災害などが発生すれば、地元自治体の要請を受けて救援活動に当たることが多い。自衛隊の存在と協力に感謝しつつ、これを非公認の自衛隊という軍隊から、実質的な軍隊に格上げしようと、憲法の精神を考えず、条文だけを書き換えようという憲法改正論者が、かなり現れて来た。危険な動きである。

 アメリカの要請もあり、自衛隊は予算を増額し、アメリカへの協力を迫られ、アメリカのお節介もエスカレートしている。日本は果たして独立国なのか疑問に思うことも多い。今では戦後ほとんど権力を握って来た自民党が、アメリカに対しては対等の立場、要求を行使出来ない有様である。我々が「60年安保条約」に反対したが、反対闘争は国民運動になりながらも報われず、今や日本は手足をアメリカに縛られている。この安保体制の不平等によって、経済面でもアメリカに不利益を押し付けられている。

 今トランプ政権による関税により、日本も例外なく理不尽な対応を迫られている。それは昨日の日米関税交渉で、日本が外したいと提示した自動車、鉄鋼、アルミニウムなどの関税について、アメリカは交渉の枠外だとの認識を示した。これまで自由貿易を行って結果的に優れた日本の商品は輸出でき、問題の多いアメリカ産製品が日本に輸入出来なかった結果、日米間の貿易はアメリカの赤字になった。それを一方的に相手国に圧力をかけて、重税を課そうとする非民主主義国・非自由主義国のアメリカの我が儘をこのまま許して良いものだろうか。

 今日の憲法記念日を機会に、アメリカとの外交、経済関係を見直して、対等な立場で付き合えるよう考え直すべき時に来たのではないかと考えている。

2025年5月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6563.2025年5月2日(金) メキシコ・アカプルコにある支倉常長像

 世界の国々と同様に日本の政治、経済も、今トランプ政権の関税問題に振り回されている感じで、昨日再び訪米した赤澤経済再生相が日本時間の今朝アメリカの財務長官と話し合いを持ったところである。

 しかし、国内に与える社会的な影響が大きいのはお隣の韓国で、昨日韓国大法院(最高裁)によって降された判決で大きな話題になっている。その韓国の最高裁判決とは、次期大統領選の最有力候補者である「共に民主党」の李在明前代表に対して公職選挙法違反の二審無罪判決を破棄し、高裁に差し戻した件である。大統領選は、来る6月3日に行われるが、現状で李在明氏が立候補出来るかどうか、微妙な判断となった。世論調査によれば李在明氏への支持は38%を獲得し、現与党の「国民の力」の韓東勲前代表の8%と金文洙前雇用労働相の6%を完全に圧倒している。李在明氏が大きくリードして李氏のほぼ独走状態だった。この他にも「国民の力」の韓悳洙前首相が出馬を検討しており、当分の間韓国の政界は穏やかならぬ政争が熱を帯びることだろう。大統領選まで残り1か月となったが、これから先の争いに注視したいと思っている。

 さて、あるところから依頼されて、他愛もないテーマであるが、今「銅像」について書いている。いろいろ調べてみると「人間の像」も興味深い。我々の小学生時代には、ほとんどの学校に本を読みながら、背に薪を背負って歩いている勤勉な二宮金次郎像が建てられていた。私が通った2つの小学校にも校門を入った正面と、教職員室の前にそれぞれ金次郎の立像があった。それが、最近どこの小学校の校庭にも見られない。金次郎の実像は、戦後の民主主義教育の方針に合わないという背景があるらしい。「子どもが働く姿は勧められない」とか、「歩きながら本を読むのは危険」というように戦前の軍国教育では、むしろ推奨された教育の一環であるが、今日でもケースによっては十分受け入れることは考えられると思う。しかし、現代では歩きスマホに似た行為は認められないというのは当然であるが、こうして小学校唱歌に唄われた♪~親を助け、弟を世話し、兄弟仲良く孝行をつくす、手本は二宮金次郎♪が、唄われなくなり、その像も消えていく運命となったのには、若干寂しさを感じる。

 仏教国日本では古来大きな大仏像などが多くの国民から崇められ、奈良や鎌倉の大仏座像が広く知られているが、近年になって大仏への視点が変わり、大きな大仏像が建設される事情には、宗教的に仏様に祈り教えを乞うような精神的なことよりも、外形的に大仏の大きさを競うような傾向が現れ、座像より立像が各地に建造されるようになった。世界的に見てもベスト10に入る大きな像の中には、120mの牛久大仏や、100mの仙台大観音の立像がある。ただ、これらは観光客を引き寄せる目的があるように思えて奈良や鎌倉大仏のように崇められる存在とは大分かけ離れているような気がする。

 日本人の石像で、私自身一番驚いたのは、メキシコのアカプルコ市の海岸に海を背に建てられた支倉常長の立像を目にした時だった。確かに支倉常長は、伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節団で太平洋を横断し、その最初の上陸地がアカプルコだった。

 その支倉常長像は、1973年に、常長生誕400年の翌年に仙台市がアカプルコ市に寄贈したものだったが、その後市内大通りに移転された。しかし、風化して、日系人がこれを心配して現地で運動して2010年再び海岸のPLAZA JAPON(日本広場)に、海を背に建てられた。

 初めて見た時は、海岸砂浜のPLAZA JAPONに建っていたが、こんなところに地味な支倉常長の立像があることに感動したことも事実である。出来るならば、今一度想いを噛みしめながら支倉常長像を訪れて見たいものである。

2025年5月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6562.2025年5月1日(木) 実兄がプロ入りした投手と対決した神宮大会

 今日はメーデーらしからぬメーデーで連休も真っただ中にあり、各地から悲喜こもごものニュースが伝えられてくる。観光の名所・古都京都には多くの外国人観光客が訪れている。その京都の中心街とも言える五条通り高倉の交差点で、昨日未明に水道管から大量の水が道路上に溢れ出し、道路が冠水し、地下に水が流れ込み地下駐車場の車が水浸しになる有様だった。夕方には周辺地域で水道は使用出来るようになった。京都市の言い分は、1959年に水道管敷設以来、交換の目安である60年を過ぎたので、今年中には撤去する予定だったとこじつけるような後追いの説明をしている。

 今年1月下旬には、埼玉県八潮市内で道路陥没事故によりトラックが転落して、今日まで運転士の行方が分からない。今日初めて消防員が下水道に入り運転士を探したが、それらしい姿が見えたと言い、明日から本格的に探索するようだ。ここでは事故周辺ばかりでなく、この機会に広く上下水道菅工事を行う計画のようだが、完成までに5~7年を要するというから今まで耐用年数を超えて使用してきた他の下水道工事も見直す必要がある。長年に亘って使用した上下水道管は、全国で延約75万㎞もあり、そう簡単に工事を終えられるわけではないが、計画性を持った総合的な対策を立てる必要があると思う。 

 さて、懐かしい野球の話題に切り替えてみよう。昨日プロ野球巨人軍の山崎伊織投手がシーズン開幕以来連続35イニングを無得点に抑えて、過去のセ・リーグ記録を更新した。過去の記録としては1963年の阪神・中井悦雄投手と昨年同じ阪神・村上頌樹投手の連続31イニングが残っていた。中井投手は、阪神では同じ関大先輩の村山実投手と並んで二枚看板として活躍した。これも何かの縁としか言いようがないが、実は、中井投手が61年秋に神宮球場で行われた全国大学野球選手権に関西地区代表・関西大学のエースとして出場した1回戦の相手チームが、私より1歳年長の兄が出場した東北地区代表・東北大学だった。

 今では国立大学の東北大が地区代表として全国大会に出場するなんてとても考えられないが、当時は地区に現在の東北福祉大学のような強豪大もなく、2年連続で出場することが出来た。兄は二塁手で九番打者だったが、期待に応えられず、その剛腕中井投手に対して3打席すべて内野ゴロに打ち取られた。試合も確か3-0で東北大が敗れたように記憶している。兄は子どものころから足こそ早かったが、高校で硬式野球部に所属していたわけではなく、中学時代まで私らとともに草野球をやっていた素人上がりだった。それでも全国的にはレベルの低い国立大野球部の選手としては、それなりに活躍していたようで、地元の新聞には試合中の兄のプレイが写真入りで取り上げられたこともある。図らずも兄と間接的につながりのある往年の剛球投手・阪神の中井投手と接点があったとは奇縁であろうか、名誉なことでもある。実は、幸運なニュースについ心が時めいたのも、その兄が最近あまり優れない健康状態があったからである。

 兄は残念ながら2年ほど前から認知症の入り口にたどり着き、幸い息子や、娘が近くに住んでいて常時見守ってくれているが、すでに妻を7年前に喪い、日常生活でも中々目が離せない状態である。この自慢できる話は彼らも知らない筈なので知らせてやれば、疲労気味の息子と娘の気休めにもなると思うので、少しは2人の慰めになるかも知れないと思っている。 

2025年5月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6561.2025年4月30日(金) ベトナム戦争終結50周年に想う。

 今から半世紀前の1975年の今日、10年以上に亘って南北ベトナムが争っていたベトナム戦争が、北ベトナム軍戦車部隊が南ベトナムの首都サイゴンへ進軍し、サイゴンが陥落して戦争は終結した。多少なりとも実戦の怖さを知っている者として、やれやれやっと和平が訪れたのかと待望していた終戦に心から良かったと感動したものである。ベトナム戦争については、当初欧米ではパレスチナ紛争ほど関心を抱かれてはいなかった。ベトナム戦争は、それまでの戦争とは少し趣が異なる戦争だったが、終戦により国際的に広く関心を持たれるようになった。

 私は「60年安保闘争」には、高校ラグビー部の1年先輩である当時の全学連清水丈夫書記長に誘われ参加したが、反対闘争に参加して都内デモ行進中の写真が新聞に掲載されるようになった。それが、後々就職運動の際マイナスとなったが、当時はそれほど熱中していた。しかし、安保は我々学生や、労働者らの希望通りにはならず、日本は終戦直後とまったく同じ米軍による被占領国家と変わらない状態のままだった。安保闘争で希望は成し得ず、当時並行的に進められていたベトナム反戦運動に参加するようになった。それには小田急町田駅で新人駅員として改札口に立っていて、何人かのアメリカ軍のベトナム帰休兵と知り合い、彼らから戦争は怖い、戦場にはもう戻りたくないと彼らの本心を聞き、同時に彼らから戦場に行ってみろと言われたことから、実際に戦場へ行ってみようと思ったのである。

 昭和20年太平洋戦争終戦の年に疎開先で国民学校(現小学校)に入学したが、ほとんど連日のように空襲があり、その都度近くのミカン山に掘られた横穴式の防空壕に逃げ込んで、「空襲警報解除!」の知らせを待ち望んでいたものである。学校の近くで米戦闘機編隊に襲われかかったこともある。その心臓に良くない恐怖感は、今以て忘れられない。

 ベトナム帰休兵のベトナムの戦地へ足を踏み入れてみよとの声に誘われるように、1967年1月南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)を訪れた。激しい戦時下だった。空港では観光客の姿を見ることはなく、軍服を着た米兵からは怖い目つきで睨まれる感じだった。空港でホテルを紹介してもらい、シャトルバスで市内のホテルに到着したが、カウンターで手渡されたのが部屋のキーの他に、マッチとロウソクだった。その理由を尋ねると、夜中に停電が多いので枕元に置いて必要の時に使うようにとのアドバイスだった。事実停電は頻繁に起きたし、郊外から大きな爆音が何度も聞こえた。これこそが戦時下の状態なのだと知った。翌日市内で米兵に銃を向けられるなど生身に危機感を感じる体験をいくつも味わった。ベトナムを去って間もなく外国人の入国は認められないほど双方の攻防は激しく、1年後にはテト攻勢が起きた。その戦場体験からつくづく知ったことは、戦場の怖い体験を実際に味わわないと戦争の怖さ、危険というものを本当に知ったことにはならないということだった。

 現在の国会議員にはすべて戦争体験がない。中でも二階俊博元自民党幹事長が最高齢であるが、その二階氏ですら、私より若い。太平洋戦争の実体験がなく、況してや海外の戦争に触れたことがない政治家が、無節操に再軍備とか、憲法改正、敵基地攻撃能力などと言う言葉を安易に口走るのは、戦没者やその遺族の気持ちをまったく考えていないからである。

 ベトナム戦争終結50周年記念に当たり、改めて想ったことはいっぱいある。

2025年4月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6560.2025年4月29日(火) 「昭和の日」、ベトナム戦争終結半世紀を前に

 今日は祭日、「昭和の日」である。今年、令和7年は、昭和100年でもある。昭和64(1989)年1月8日、昭和天皇が崩御され、和暦は昭和から平成に変わった。その年から昭和天皇の「天皇誕生日」が、「昭和の日」となった。世界的に見てもその年は、11月に東西冷戦の象徴とされていた「ベルリンの壁」が破壊され、その後一方のリーダー国だったソビエト連邦が崩壊し、グルジア、ウズベキスタン、モルドバ、ウクライナ等ソ連邦の連邦国が次々とソ連から離れ独立した。世界の勢力図は大きく変わった。

 2019年には、平成天皇が生前譲位されて上皇になられ、皇太子殿下浩宮様が天皇に即位なされ、和暦は平成から令和となって今年は令和7年である。日本では、幸いにもこのところそれほど大きな社会的事件などはないが、外国では戦争や、内戦、地震、戦争一歩手前の同国人同士の争いで多くの人命が危険に曝されている。

 ついては、明日はベトナム戦争が終結してちょうど半世紀、50年になる。実に早いものだ。ベトナム戦争終結の一報を耳にした時、社会人として働きながら、ベトナム反戦運動に関わっていたこともあり、漸く戦争が終わったのかというホッとする嬉しい気持ちで胸の内は感慨無量だった。10年前の戦後40周年の際には、昨年12月亡くなられた小中陽太郎氏らとともに港区芝公園で集会を開き、ジャパン・タイムズや、ベトナム・ニュースからインタビューを受け、それは新聞紙上に載り、テレビでもベトナム全土に放映された。それに比べると、国内では今年はベトナム戦争に関する情報が報じられて来ない。

 それは戦争の当事国であるアメリカについても言える。そもそもベトナム戦争が始まったのは、1954年のジュネーブ協定でベトナムが南北に分断されたことに端を発し、1960年ごろから南北の争いは激しくなった。65年には米空軍が北爆を開始して、世界中に大きな衝撃を与えた。私も67年に激しい戦時下のサイゴン(現ホーチミン)へ出かけ、怖い目にあったこともある。それが一方の旗頭だったアメリカ国内ではどう受け取られているのだろうか。ベトナム戦争終結記念の明日、首都ホーチミン市で開かれる終戦記念式典に、トランプ政権は駐ベトナム米大使を含むアメリカ外交官に出席しないよう指示したことが波紋を呼んでいる。アメリカ軍を退役した軍人らからも失望の声が上がっている。ベトナム戦争は、一般的にはアメリカの敗戦で決着が付いたと見られている。ベトナム戦争をアメリカの敗北の象徴とみる見方もある。当事国ではあるが、アメリカにとっては不名誉なことでもあり、あまり派手に取り上げてもらいたくない事件である。しかし、アメリカ国内では大学教授らが、この判断は大きな間違いだとして、「ベトナム、アメリカ両国の関係を後退させるだけでなく、新たな両国関係を歓迎してきた退役軍人を侮辱するものだ」と厳しく批判している。

 昨日の本ブログにも採りあげたように、今日就任100日を迎えたトランプ大統領の支持率が漸減傾向にあり、ワシントン・ポスト紙の世論調査では39%というルーズベルト大統領以来最低の支持率に低下したが、ニューヨーク・タイムズ紙の調査でも42%という低率に終わった。これには負けず嫌いのトランプ氏が黙ってはいないだろうと思っていたところ、案の定トランプ氏はSNSで「この国に自由で公正な報道機関はない。世論調査において、悪い記事を書き不正をする報道機関がある。悲しい」と、いつも通り自らは反省することなく、開き直るばかりである。自らの言動を反省することもなく、誹謗中傷を繰り返すようでは、今後支持率は限りなく0%に近づくことだろう。身から出た錆とは言え、こういう身勝手な大統領を選んだアメリカ人にとっても恥ずかしいことだと思うが、どうだろうか。

2025年4月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6559.2025年4月28日(月) 常識に欠けるトランプ氏の不評と不人気

 去る21日に亡くなったフランシスコ・ローマ教皇の葬儀が、昨日晴天の下にバチカンのサンピェトロ広場で行われた。160か国以上の国家元首や首脳らが出席された。沿道に詰めかけた市民らを合わせると約40万人が教皇に別れを告げたことになるようだ。

 この厳粛な場においても弔問外交が行われ、「吐乱夫」大統領とゼレンスキー大統領がサンピェトロ大聖堂内で向かい合って15分間の電撃的な会談を行った。何とこの2人は服装でも物議を醸したようだ。日本でもエチケットとして当然葬儀の服装についてドレスコードがあるが、ご両人は知ってか、知らずか、葬儀の際の喪服を着ていなかった。コードには、黒装束に、白いワイシャツ、黒ネクタイ着用と決められているが、「吐乱夫」は、青いコートに青いネクタイ、ゼレンスキー氏は黒一色だった。これには、メディアの間からも疑念を呈されている。

 「吐乱夫」は葬儀場の位置でも注文をつけていた。事前に最前列の目立つ位置でなければ、葬儀に出席しないと強硬に主張していた。フランス語のアルファベット順に並ぶ参列者の順序から考えて、アメリカ(les Etats-Unis)は本来3列目の筈だったが、関係者はその強引さに負け、「吐乱夫」は最前列に並ぶことが出来た。ルールとか、世話人の苦労を顧みず、いつでも非常識な自己主張を通して周囲を悩ませ困惑させる「吐乱夫」大統領らしいと言えば、そうも言える。この他人に迷惑をかけ我が物顔の図々しさに、昨日ワシントン・ポスト紙が報じた最新の世論調査では、明日トランプ政権が発足してから100日を迎える大統領の支持率が、39%に下落してフランクリン・ルーズベルト以降歴代で最も低い支持率となった。

 しかし、これほど自己主張で世間を煙に巻く人物も珍しいと思う。とてもまともに話し合える人ではないと思う。まだこの先3年9か月も大統領の座に留まっていると考えると、各国が我慢できるだろうか。 

 さて、今日からちょうど1か月前にミヤンマーに大地震が発生した。元々貧しい国で、そこへ2021年2月国軍の軍事クーデターにより民主派政府が崩壊させられ、国内は混乱の最中にある。地震発生直後から国軍のミンアウンフライン最高司令官は、国際社会の支援を要請したが、必ずしも全面的な支援の恩恵には浴していない。厳しい目を注がれている国際社会からの支援は、充分とは言えず、貧しい国民は援助物資を得られない中で貧窮生活を送っている。国軍と少数民族武装勢力との内戦も止む気配はなく、それが海外からの支援を充分受け入れられない原因のひとつにもなっている。国連開発計画が2024年に公表した世界の最貧困国30か国のうち、28か国がアフリカの国々であるが、残り2か国がアジアで、ミヤンマー23位、ネパール29位で、その前年2023年のミヤンマーの貧困率は、49.7%である。地震により貧困率は更に悪化しているのではないかと気がかりでならない。ミヤンマー近現代史を専攻されている長田紀之・九州大准教授は、震災は国軍にとって「棚からぼた餅だった」と穿った見方をしている。というのは、「国軍は自らの正当性を主張すると同時に、対立勢力が正当性を得る状況を防ぐ狙いがあった」、「国際社会がミヤンマーに手を差し伸べざるを得ない状況を、国軍は利用できる」と考えたとみている。しかし、国軍強奪した現在の国の現状を国際社会は、必ずしも支援に値する状況にはないとみているようだ。ミヤンマーの復興はまだ遥か遠い彼方にある。

2025年4月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6558.2025年4月27日(日) 観光業発展の陰で日本人と外国人の動態に違い

 昨日からゴールデン・ウィークに突入した。5月6日まで11日間の長いお休みである。長い旅行をするには打ってつけの休みだが、物価の高騰が影響して勢いの良かった旅行客もこれまでほどは伸びないようだ。インバウンドの外国人旅行客も、昨年までは増えていたが、昨年10月をピークに、その後は毎月伸び悩み傾向が見える。その中で、実数、及び伸び率が著しいトップ3はアジアの国々で、1位韓国、2位中国、3位台湾の順である。4位に漸くアメリカが入った。

 今観光地で心配されているのは、物価の高騰に合わせてホテル宿泊代がかなり高くなり、特に観光都市の京都では異変が起きている。それは、市内のホテルに宿泊する日本人が減って、その一方で外国人が増えたことである。京都市観光課が昨年11~12月に調査したところによると、市内の主要観光地を訪れる日本人の数は減少してはいないものの、市内で宿泊することを諦めている人の数が多いとみている。また、主要な観光場所である金閣寺では外国人が前年に比較して29%増えているのに反して、日本人は19%減少している現象も見られる。似たような傾向は、他の主要観光場所である北野天満宮、清水寺、渡月橋、伏見稲荷にも見られる。京都市内の歴史的な観光箇所が外国人に圧倒されるように日本人訪問客が減っているが、その一方で周辺観光地の山科、高雄、西京などを訪れる日本人は前年に比べて20%以上も増加している。

 全般的に円安市場の影響が大分影響して、外国人にとって価格はリーズナブルであるが、日本人にとっては高価な印象が強い。近年市内中心部に新設された一流外国系ホテルを例に挙げれば、客室がすべて1室40㎡以上の広さで、1泊1室5万円以上である。日本人観光客にとってはやや高価という印象が拭えない。土産物店などでも高価なお土産品は、主に外国人が買い求める。地域経済を成長させるためには、日本人、外国人を問わず観光客1人当たりの消費額を上げる必要があり、その点では地域経済にとっては日本人より外国人の方が貢献していると言える。

 前年に比べて京都市内では、日本人宿泊客が平均して15%減った一方で、外国人は約30%も増えた。混雑や、宿泊代、飲食代の高騰などを嫌い、日本人観光客が京都離れを示している可能性がある。このまま行けば、京都のみならず他の観光都市でも同じような現象が見られる可能性もあるであろう。オーバーツーリズムによる、観光都市への問題提起と同時に、円安による日本人と外国人への影響力を考えると、努力するだけでは解決が難しい問題でもある。

 今トランプ大統領の関税圧力の中で、ドル高・円安が問われている。観光という枠の中だけで考えてみるなら、円安は日本人観光客にとってマイナス面が強いが、日本のインバウンドによる観光業への影響面では、明らかに日本の観光業発展、財政の面で大いなるプラスである。この辺りを日本の財務当局は考えているだろうか。

2025年4月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com