日米首脳会談を終えた高市首相に対する評価は、読売新聞の世論調査によると国民の評価は69%だったそうだから、自民党としてはホッとしていることだろう。
ところが、昨日の東京新聞「本音のコラム」欄に前川喜平・元文部科学事務次官が、厳しく批判している。前川氏は、通常日本人がどんなことをやっても日本人として恥ずかしいと思うことはないと言いながらも、日米首脳会談の高市首相の言動には久し振りに「日本人として恥ずかしいと思った」と書いている。そして、何より恥ずかしく思ったのは、戦争を始めた張本人に向かって「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだ」とお追従を言ったことに対してである。その挙句に愚鈍で下品で卑屈な首相を何とか早く辞めさせなければいけないと述べている。
確かにこのお追従的発言は、一部では顰蹙を買っているが、日本のみならず海外でも好意的に受け取られていない。何故にトランプ氏にここまで気遣いをしなければならないのか分からない。
ついてはどうしても気になっている政治評論の問題がある。政治評論は中々気難しい点があり、あまり政府自民党に楯突くと干されやすいということである。例えば、かつて毎週のようにテレビのレギュラー・コメンテーターとして報道番組TBS系「サンデーモーニング」に出演していた元共同通信社記者でフリージャーナリストの青木理氏の姿が、このところ見られなくなった。青木氏の場合は、2024年9月よりテレビ出演を自粛していることが理由である。しかし、そもそもその前に「自民党支持者は劣等民族」と語ったことが、物議を醸して自粛するようになったということである。日本のメディアには、残念ながら言論の自由が充分許されているように思えない。尤もそれは政治家が彼らから批判されるのを恐れ、言いたいことを抑えたり、誇大な発言を控えるようになった腹いせもあるだろう。ジャーナリストらは政権に物申すと安倍首相時代に官邸から敵視され、「政治的公平?」を求められてうやむやにTV局が政権に折れ、物申すジャーナリストは排除されるようになった。同様に、佐高信氏についても言える。青山葬祭場で行われた小田実の葬儀の折に、目にしただけで直接話し合ったことはないが、論客佐高氏も残念ながら、近年ほとんど政治番組には出演することはなくなった。佐高氏は、「反骨の評論家」として経済、憲法、社会問題等々幅広い分野で活動を続けてきた。格調高い解説を何とか聴いてみたいものである。
前記の前川氏のケースは、自由に活動できる総務省からの権限の及ばない立場にいるので、いかに首相の排除をけしかけようとも公筋から排除される心配はない。
それにしても民主的、言論の自由を謳いながらも権力者は権力を握るとそれに歯止めを掛けようとし勝ちである。今や自民党が単独過半数を獲得して、報道管制をし得る立場にはある。だが、反対意見を一方的に抑圧するやり方では、民主主義とは言えない。民主的眼力でこの動きを監視し続けなければ、権力者の思いのままだろう。