1991.2012年10月25日(木) びっくりしたなぁ!石原都知事辞任へ

 昨日の本ブログで高校の先輩・根岸英一博士について触れたばかりだが、今日は同じく高校の先輩で、根岸博士にとっても1年先輩の石原慎太郎・東京都知事の突然の知事辞任と新党結成のニュースには正直びっくりした。

 高校2年生時の授業で担任教師が「今度芥川賞を受賞した石原慎太郎くんは君らの先輩だよ」と話されたことをよく憶えている。

 石原知事の新党結成は以前から度々噂に上がっていたが、昨年都知事選立候補に際して松沢・前神奈川県知事との間にしこりを残した曰くつきの4選からまだ2年足らずの任期途中で、しかも年齢的にも国会議員にまで踏み切ることはないだろうと考えていただけに、まさに知事辞任は青天の霹靂だった。新党の代表となって、衆議院に立候補するという。これで政界に新たな風を吹き込むことになるだろうか。しかし、すべて万々歳というわけにも行くまい。石原知事は、もう年を取り過ぎていると言っては先輩に失礼だが、4月にアメリカで尖閣諸島の都による購入計画を爆弾的に発言して、その後の日中間の対立を引き起こすきっかけを作ったり、とかく台風の目玉となってきた。このニュースは早速中国のテレビ局でも速報されている。

 石原知事の言動には、アイディア、発信力、行動力、説得力など、良い点もたくさんあるが、首を傾げざるを得ないことも数々ある。今日はあまりにも唐突な発表でとにかくびっくりした。号外も出た。これから賛否を含めていろいろな意見や論評が出てくることだろう。

 さて、昨日原子力規制委員会が公表した、全国にある原発16ヶ所の放射能拡散予測結果が大きな波紋を投じている。防災地域を原発8~10㎞から30㎞以内に拡大した。この対象市町村は45から135に増え、人口は480万人になる。一旦事故が発生したらこれらの人々をどうやって避難させるのか。交通機関の混乱は想像を絶する。これにより原発再稼動のハードルが一層高まった。すでに政府や民間の事故調のアンケートなどにより、国民の大多数が原発再開に否定的であるとの意思ははっきりしている。政府も煮え切らない態度であるが、先月には2030年代に原発ゼロを目指すとの革新的エネルギー・環境戦略の方針だけは発表された。他方で規制委員会が安全性を確認した原発は政治判断を挟まず再稼動させるとの矛盾するような方針も公表している。はっきり言って政府も迷っているのだ。

 ところが、その一方でこれに逆行する声も経済界を中心に根強くあり、更に火力発電に頼らざるを得ず、国際社会に約束した二酸化炭素の削減が困難であること、海外、特にフランスやアメリカから日本の原発中止に対する身勝手な反対意見も寄せられる有様である。

 これらのマイナス要因を考え、国民の過半数が反対していることを踏まえると、原発は長期的に国民生活の幸福度から見ても最早再稼動は難しいと判断すべきである。

 今朝の朝日新聞では、社説と論評ともに「放射能予測 防災が無理なら廃炉に」とか、「廃炉の原発 決める時」とピシャリ断じている。防災計画が広域化されたことも新たに大きな問題となった。これができないと稼動は困難との規制委員会田中委員長も言っている。これでは、問題丸抱えの原発再稼動より、国民生活にとって不自由は伴うが、安全な原発ゼロ社会理念を受け止め、電力の無駄な消費を止めてすべての原発を廃炉にした方が、よほど人間の智恵と理性を生かした人間らしい社会生活を送れることになるのではないだろうか。

 原発再稼動絶対反対!

2012年10月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1990.2012年10月24日(水) 若者は積極的に海外へ行こう!

 日経新聞朝刊の「私の履歴書」に、今月は高校の先輩であるノーベル化学賞受賞者の根岸英一博士が書いておられる。今日の文章では若者が研究活動に限らず、積極的に海外へ出ることを勧めておられる。昨年3月博士にお会いした際、旅行好きな点で大いに意気投合し、拙著「現代・海外武者修行のすすめ」を差し上げた時、「近藤さんはどんなところに行かれましたか?」と訊ねられ、ベトナム戦争中にベトナムへ行き、その翌年には第三次中東戦争直後で戒厳令下のアンマンでは、軍隊に身柄を拘束されたと申し上げたら、私にはそんな勇気はありませんがと笑いながら、とにかく何でも若いうちに海外へ行って外国を知り、外から日本を見てみることは自分を成長させるために大切なことであると仰った。その点で博士と大いに意気投合したものである。博士の言葉に勇気づけられ、若い人が多い大学の講演などではその点を説明して、できるだけ若者が海外へ出かけるよう、それもできるだけひとり旅を勧めている。

 実は心配されている日本の若者の現象のひとつに、遊びならともかく留学目的では外国へは行きたがらない傾向があるということである。アジアのインド人、中国人、韓国人らの留学生の数が増えているのに反して、アメリカで学んでいる日本人留学生の数が近年随分減少しているらしい。日本の若者の行動パターンには、チャレンジャー精神とか、積極性、行動力、向上心、国際性などが年々薄らいでいると言われている。若者が内向き志向になり、外部と言葉でコミュニケートしないで自分の世界、つまり内に篭る傾向がある。人と交わらず無機質な機器を介した交流まがいの会話で事足れりとしている若者が多いようだ。そんな会話は平面的で感情が篭らず、会話とも言えない会話に終わっている。人間関係の基本である、相手の目を見て相手の気持ちを考えながら話をし、相手の話を聞くことなどから逃避している。これでは相手の気持ちなんかわかる筈がない。こんなことを重ねていると人間の情緒や感情が判らないまま社会生活を送っていくことになり、それは自分が無感情な人間を演じていると同時に、接触する人々にも感情を伝えないロボット人間化を求めていることになる。こうなると人間として生まれながら人間としての使命を果たさずに朽ち果てるだけではないかと思う。ここ数日前から話題になっているパソコンによる遠隔操作が仮に蔓延ったりすると、人間は必要とされなくなるのではないかと考えてしまう。恐ろしいことである。

 機械化が進歩し便利になるなら、あくまでそれは機械に操られることなく、それを操る人間が幸せになることが前提でなければならない。今日のPCやら、IT文化の進歩はこのままで良い筈はない。それには自分の目で見て、自分の手で触れ、自分で行動して感じるという人間のベーシックな行動ができるよう行動しなければいけない。

 つい脱線してしまったが、若者だけに限らず、誰しも機会を捉えてどんどん海外へ出て直に自分の五感で異文化に触れるうちに、自ずから相手を慮る感情が培われるものである。

2012年10月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1989.2012年10月23日(火) 映画「恐怖の報酬」をテレビで60余年ぶりに鑑賞

 久しぶりに古いフランス映画をNHKで観た。サスペンス映画の「恐怖の報酬」で、カンヌ映画祭やベルリン国際映画祭でも、それぞれグラン・プリと金熊賞を受賞した秀作で、その当時まだ日本にこの種のスリルとサスペンスを描いたような映画は珍しかったために、大きな話題を提供した。シャンソン歌手イヴ・モンタンが主役で男優賞を獲ったことでも話題になった。日本で公開されたのは制作された翌年の昭和29年、高校1年生のころだったが、確かその翌年に藤沢市内の映画館でただ一人っきりで鑑賞した記憶がある。

 振動やショックに弱い危険なニトログリセリンを悪路の中、4人の男たちがトラックで輸送する仕事を請け負った、あらましのストーリーとどんでん返しのような結末ははっきり憶えていたが、その途中の息を呑むようなでき事と運転手仲間同士のやりとりはほとんど記憶にない。あれだけ話題作として楽しみに観たにも拘わらず60年余も経つと、こうも記憶力というものが頼りなくなるものかと些かがっかりしている。舞台がヴェネズエラの油田だったことも綺麗さっぱり忘れていた。モノクロ版だが、フランス映画にしては色恋沙汰もほとんどなく、今日の午後は息を詰めて2時間半ばかり魅入られてしまった。

 人間の記憶なんてこのように案外当てにならないものかも知れない。最近固有名詞が思うように口から出てこなくて往生することがある。これは年齢のせいもあり、同年輩の友人たちに尋ねてみても同じような回答が還ってくるが、やはり寂しいものである。

 さて、今日問題だらけの法務大臣・田中慶秋氏が辞職した。就任後僅か3週間でこのていたらくである。就任前からとかくの噂があり、大臣としての品性や力量が大分問題視されていたが、結局はそれが現実となった。野田首相の任命責任は重いと言わざるを得ない。北朝鮮拉致問題担当相としても、まったく任務を果たせなかった。与野党間の不信が募っている時だけに自民、公明党ら野党は政府に対して一気に攻勢を強めている。

 ところが、自民党でもおかしなことを考えている。正義は我にありと言わんばかりのポーズを取っているが、また「脱世襲」を取り止めようとしている。2009年の総選挙で、民主党から世襲批判を受けて次の総選挙から「引退議員の配偶者と3親等内の親族を同じ選挙区で公認・推薦しない」とマニフェストに盛り込み、一旦は世襲を原則禁じた。それが舌の根も乾かぬ内に、かなぐり捨てた。やはり過去に世襲制のおかげで政権を維持してきた自民党らしい姑息な考えである。改めて世襲の有り難味を再認識したのだろう。何とまあマニフェストの軽いことよ。実際今の自民党幹部にも世襲議員が多いが、新たに福田康夫・元首相や中川秀直・元幹事長の子息がほぼ公認されることは間違いないようだ。政治家業の世襲、たらい回しは止め処もない。

 これでは日本の政治家はとてもアメリカの政治家に敵わないと思った。2週間後に行われるアメリカ大統領選挙のオバマ、ロムニー両候補による最後のディベートが今日行われたが、彼らのすべてを佳しとするわけではないが、政治家としての理念、論点整理、論理構築、弁舌、などどれを取っても彼らにはとても太刀打ちできまい。率直に言って日本の政治家とは器と力量が違うという印象を受けた。

 日本の政治家にもう少しまともになってもらうためには、時間を置いた選挙だけではなく、政治家に対する国民による毎週の活動を採点する一定の通信簿が必要ではないかと考えている。選良であるべき議員数の大幅削減も必要だ。そんなことも真剣に考えるべきではないか。

2012年10月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1988.2012年10月22日(月) ドナルド・キーンさんの日本人観

 今朝の朝日新聞に先般日本国籍を取得された日本文学者で、コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさんへのインタビュー記事が掲載されている。キーンさんは文学者というばかりでなく、社会運動のサポーターで、多くの運動家とも交流がある。

 東日本大震災を機に日本への帰化を決断されただけに、90歳の高齢にも拘わらず、精力的に被災地を訪れたり、講演活動に東奔西走するほどの忙しさだという。そのキーンさんが日本文学の中に「日記文学」というジャンルがあることが極めて特徴的だと話されたことに感銘を受けた。

 「日本では『土佐日記』から始まり、『和泉式部日記』などの宮廷の女性たちの日記、そしてあらゆる戦争の間も人々は日記を書いていました。ほかの国では、日記はあくまでも資料という扱いですが、日本では『日記文学』というジャンルがあります。これは日本文学だけだと思います」

 そして、キーンさんは日本人の日記の中に日本人らしさが表れていると考えておられる。例えば、高見順の日記を参考にしながら、「母を疎開させようと訪れた上野駅は罹災民でいっぱいだったそうです。しかし、人々はおとなしく我慢強く謙虚でした。前年に高見順が見た中国人たちの騒がしい光景とは大きく違った。彼は『私はこうした人々と共に生き、共に死にたい』と書きます。私も同じです。今こそ、日本人とともに生きたいという気持ちです」とキーンさんは語っている。

 仏文学者で小中陽太郎さんの東大時代の恩師でもあった、渡辺一夫氏についても話している。「忘れられないのは、フランス文学者の渡辺一夫です。彼はこう書いていました。『もし竹槍を取ることを強要されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし、決してアメリカ人を殺さぬ。進んで捕虜になろう』。こういう発言をした人はほかにはいません」。

 また、こんなことも言っている。「日本の軍人は平気で命を捨てると聞いて、日本人は何を考えているのかわかりませんでした。米軍の日本語通訳となって、日本の軍人の日記を読みましたら、彼らは日記の中で家族のことを考えたり、戦争が終わったらこんなことがしたいと書いたりしていた。日記を読むことで私は日本人を知った、という感じがしたのを覚えています」。なるほどと思うと同時に、キーンさん独特の日本人観はこうして養われたのかと思うと心が温まるような気がした。

 偶々来月26日の「ペンの日」のゲスト・スピーカーは、キーンさんだ。どんな話をされるのか今から楽しみである。

2012年10月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1987.2012年10月21日(日) 丹羽宇一郎・駐中国大使の努力を無にしてはいないか。

 先日来ホームページの内容変更送信に不都合が生じて少々困っている。今のところブログの送信変更には問題ないが、すでに危険信号が表れている。もし、このブログの変更内容が送信できなくなると、毎日まったく同じ画面になってつまらないHPになってしまって読んでもらえなくなると気になっていた。文章だけのブログなら送信量は比較的軽くて済むが、実際に写真入の重い情報をHPへ送信すると画像アップが機能しなくなるので頭痛の種だった。そこでいつもお世話になっているITコンサルタントに昨日相談してみた。現在HPは自分のPCからリンククラブを経由して送信してもらっているが、そのリンククラブ所定の個人用容量がどうも限界に達しているらしい。そこで現在の容量を増やすか、それがダメならリンククラブのような別の組織で、もう少し容量に余裕のあるのを見つけて所属を変更するしかない。コンサルタントと相談しながら当方の意向をリンククラブへメール送信したので、明日以降に連絡があると思う。

 現状では新しい情報をアップしようにも、送信できないので、リンククラブの回答を待って対処するしか効率的にHPを機能させる術はないと考えている。

 さて、まもなく任務を解かれる駐中国大使・丹羽宇一郎氏が一時帰国中に、昨日母校の名古屋大学で講演し、尖閣諸島国有化を巡る中国側の反発について、過去の日中対立の局面とはまったく次元が違うと、強い危機感を述べた。同時に、丹羽大使は野田首相にどう事態を解決しようとしているのかと訊ねたが、現場の感覚(つまり中国側の空気のことではないか)は理解を得るのが難しいと応えられ、どういう考えなのか理解できないまま、野田政権の対応に苛立ちを隠しきれないでいる。

 丹羽氏は難しい中国外交の切り札として民主党政権発足とともに、中国を良く知る民間人としてその経歴(伊藤忠商事元会長)を買われ、日中外交の最前線で中国との友好関係促進に努めてきた。しかし、日本政府の尖閣諸島国有化は日中間に問題を投じると発言したことが、中国寄りと見られ政府の方針に相容れないとして、更迭的な処分を受け9月に帰国の予定だった。ところが後任大使西宮氏が急逝され、後任が決まるまで任地に留まるという中途半端な立場にあった。中国に残留し反日の圧力を現地でもろに受け、公用車が襲われる事態にも遭遇している気の毒な人である。

 民主党政権の丹羽氏ら中国駐在外交官に対する配慮があまりにも足りないのではないか。これでは丹羽大使の努力も水泡に帰してしまう。実は、外務省内では当初民間から大使を迎えることには否定的な声が強かった。そんな四面楚歌の中で丹羽大使は精一杯に日中友好のために努力を重ねてきた。しかし、それは突如澎湃として湧き上がった反日運動と、民主党の外交政策の犠牲によって功を奏することはなくなった。今後このような大役を引き受ける民間人が現れ出てくる可能性が消えてしまったような気がする。

 それより何より、これだけ行き詰まった日中間の対立を、今後どう解決へ導いていくのか。政府からは誰一人として建設的な提言を行う政治家がいない。まったく先が見えない。こんなことで日本の政治と外交は大丈夫だろうか。

2012年10月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1986.2012年10月20日(土) 橋下大阪市長に白旗を掲げた「週刊朝日」

 昨日取り上げた橋下徹・大阪市長と「週刊朝日」の対立は真っ向勝負となったが、昨日深夜になって朝日側がお詫びのコメントを発表し、次号にお詫び公告の掲載と以降の連載を打ち切ることで収束の見通しとなった。橋下市長も「ノーサイドにしてやる」と終戦宣言をした。

 実は昨晩インターネットで情報を探っていたところ、石原慎太郎・東京都知事や猪瀬直樹・副知事らが「週刊朝日」の記事について、出自や肉親の過去まで暴き出して批難するのは卑劣だと朝日側を批判していた。特に、猪瀬氏は主筆者である佐野真一氏の忌むべき過去の盗用履歴まで明かして佐野氏の行為を批難した。ともに作家である猪瀬氏と佐野氏は同年齢であるが、元々仲が悪かったらしい。猪瀬氏の言うとおり、実際に佐野氏は「月刊現代」85年11月号に池田大作に関するドキュメントを書き、そこには溝口敦氏の著作から十数か所盗用箇所があり、翌月号にお詫びと訂正を載せたことがある。この時から猪瀬氏は佐野氏の品性に疑問を持ち、付き合いを止めたと述べている。他の佐野氏の作品にも盗用が見られるという。

 佐野氏は「記事は『週刊朝日』との共同作品であり、すべての対応は『週刊朝日』に任せている。記事の中で同和地区を特定したことなど、配慮に欠ける部分があったことについては遺憾の意を表します」とのコメントを発表した。ここまで責められては逃げようもない。佐野氏も観念したのだろう。大朝日が白旗を揚げるのは珍しい。それだけにこの記事の内容について朝日としてもよほど不味いと考えたのだろう。佐野氏は記事の中で、「もし万々が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である」とまで語っている。ならば、周囲の出自だとか、環境など非民主的な手法で攻めるより、もう少し本筋を突いた橋下個人の言動を炙り出して橋下氏の実像を描き出すべきではなかったか。

 それにしても「日本維新の会」代表である橋下氏は、近づく解散・総選挙を念頭に、本業である市長職を放り出して早くも全国遊説へ飛び出していった。これから益々東奔西走の忙しさとなるであろう。とすれば、先日本欄で危惧したように、このままでは大阪市長としての責任ある職責を全うすることができるかどうか疑問である。他人事ながら些か気にかかる。

 良きにつけ悪しきにつけ、どこまでも人騒がせなお人である。

2012年10月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1985.2012年10月19日(金) 橋下徹・大阪市長vs.「週刊朝日」の対決

 「日本維新の会」を国政政党として立ち上げ、政界はおろか日本中の各方面に旋風を巻き起こしている橋下徹・大阪市長にまつわる特集を、「週刊朝日」10月26日号が緊急連載を始めた。表紙も橋下市長の顔を大きく扱い、そしてその表題がすごい。「ハシシタ 救世主か衆愚の王か」や、「橋下徹のDNAをあぶり出す」とか、「ハシシタ 奴の本性」とか、あまり好意的ではなく、とにかく凄まじい。やれ、橋下市長の父親は全身刺青のヤクザで、自殺をしたとか、やれ、従兄弟は殺人を犯したとか、知られたくも明かされたくないプライバシーの暴露には驚いた。一昨日駒沢大学の清田講師がここまでやるかと驚いて言われたほど一貫して橋下市長攻撃が徹底している。私も一読して、ここまでプライバシーを一般に暴かれたら橋下市長も黙ってはいられまいと感じた。各方面で脚光を浴び、その言動があらゆる面で注目されている橋下市長は権力の座に就いたが、ここまで大朝日に厳しく攻撃されるとは思ってもいなかったのではないか。見方によっては、それほど橋下氏はある面でメディアを敵に回してしまっていたとも言えるのではないだろうか。

 これに対して橋下市長は、直ちに反撃を開始した。言論の自由は尊重されるべきであるが、ここまでプライバシーを暴かれては我慢ならないとばかりに、今後朝日新聞と朝日放送の取材を拒否すると伝えた。だが、これは些かやり過ぎで公私を混同していると思う。アピールするなら私的な面だけに留めておくべきだろう。

 これに対して、「週刊朝日」編集長が今朝の朝日で橋下市長に謝罪をした。朝日記事によれば、同誌は同和地区問題で差別の是認や助長をする意思はなく、その点で表現が不適切だったと謝罪し、次号で「お詫び」を掲載するという。しかし、この謝罪文では、市長個人や縁戚に関するお詫びがなく、むしろ二次的な同和問題のお詫びだけになっている。案の定橋下市長はこの謝罪コメントに納得せず、「人格を否定する根拠として先祖、縁戚、DNAを挙げて過去を暴き出した」と批判している。特に、家族の出自や被差別部落の地名まで触れた点を強く非難している。今後どういう結末になるのか判らないが、次号の掲載内容を読んでみたい。ただ、この特集の中心執筆者は、ノンフィクション作家の佐野真一氏で、氏の面子もあり、そう簡単には白旗を掲げないだろう。佐野氏のコメントも楽しみに待ちたいと思っている。

 願わくば、言論の自由とプライバシーの保護を一緒くたにしないでもらいたい。

2012年10月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1984.2012年10月18日(木) 衆参両議院とも一票の格差は違憲状態

 品川ロータリークラブから初めて講演依頼を受け、会場の「グランドプリンスホテル高輪」へ出かけた。ここはかつて「高輪プリンスホテル」と呼ばれていて、戦後竹田宮家跡地に建てられ、広い庭園もあって雰囲気も高級で中々格式が高い。ホテル全体の建物は再建され、内庭もきれいに手入れされ豪華になったが、古い西洋館風の建物だけが、以前と同じ場所にそのまま残されている。何とそこが、44年前妻とお見合いをした場所だ。感慨深い場所のひとつだ。今日の講演会場演台からも真下に見えたので、話の中でもつい脱線してお見合いの話をしてしまった。恥ずかしながら猿でもできる反省のひとつである。

 実は、卓話と呼んでいる30分の講演をスタートさせようとしたところ、冒頭USBメモリーのパワーポント画像が中々PC画面上に現れず、些か慌てた。こんなこともあろうと、早めに会場へ来てテストをした時にはいつも通り何ら問題はなかったが、本番での失敗は取り返しがつかない。実際卓話はわずか30分なので、どうやって要点を圧縮してまとめたら良いか考えていただけに、最初に無駄にした10分近い時間がもったいない。結局卓話は時間切れになり、会員の方々にも惜しまれながら打ち切ることになってしまった。しかし、それが災い転じて福と成すの結果となり次回続編をお願いしたいとのお声をいただくことになった。

 しかし、なぜパワーポイント画面が直ぐに現れなかったのか、どうも原因がはっきりしないだけに悔いが残る。次回チャンスをいただけたら今度こそ名誉挽回を図りたい。皆さんには楽しんでいただいたようなので、慙愧に耐えないというほどのことはないが、それでも心残りはある。

 さて、昨日映画監督の若松孝二氏が交通事故で亡くなられた。ピンク映画で名を成したが、その後社会問題を風刺した問題作品をいくつも作り、その中で「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は2008年のベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞した。2009年3月に埼玉県所沢で行われた、その連合赤軍作品鑑賞会で、高校ラグビー部の先輩である元全学連書記長だった清水丈夫さんについて若松監督と話をしたことがある。実力派の監督だったので、これからも社会の歪みをえぐるような力作を期待していたが、残念ながらそれも夢となった。

 ところで、今朝の新聞で最も大きく取り上げられたのは、最高裁が参議院の一票の格差は違憲状態にあると判断を下したことである。これは一票の格差が最大の5倍となった一昨年の参院選をめぐり、弁護士らが「選挙区ごとの投票価値が不平等なのは違憲だ」として、各地の選挙管理委員会を相手に選挙無効、つまりやり直しを求めた訴訟に対する判決である。最高裁は違憲を認めながらも、選挙無効の請求は退けた。

 最高裁は、昨年3月にも最大格差が2.30倍となった、2009年衆院選でも違憲状態と判断しており、これで衆参両院ともに違憲状態という異常事態となった。

 今直ちに成すべきことは、国会で継続審議となっている参議院の「4増4減」案や、かねてより問題を投じていた衆議院の「一人別枠方式の廃止」法案の成立を図ることであり、その後に最高裁も強く求めているように、一日も早く抜本的な選挙区の見直しを行うべきであろう。

 しかし、これこそが問題である。自分たちに降りかかってくる問題に対して、いつも腰が引ける国会議員が最高裁判所から違憲状態だと判断されても直ぐ腰を上げるかどうか、あまり当てにできない。とにかく自分の都合でしか動かない国会議員を今やまったく信頼することができない寂しい状況にある。

 さぁ、どうする? 国会議員たちよ!

2012年10月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1983.2012年10月17日(水) 生活保護費の上昇と不正受給

 いま生活保護費の急激な上昇が問題になっている。その一因に不正受給がある。数ヶ月前にあるタレントの母親が息子に生活能力が充分あるにも関わらず、長年に亘って生活保護費を受給していたと指摘され話題になった。そのタレントは世間のブーイングを浴び、母親が受け取っていた生活保護費を返還した。これは生活受給の資格がない者が生活保護費の意味を都合の良いように解釈して、もらえるものならもらっておこうとのさもしい心根が批難されているのだ。同時にこれまであまり話題にもならなかった最低限の生活を維持していくための手当てが、あまり芳しくない原因から注目されるようになったわけでもある。前述した生活保護費の不正受給である。受給資格があるのかどうか公平な調査のうえ、法律に基づき、本当に生活できない弱い人々の生活を保証するなら、立法の精神が生かされる。その一方で、タレントの母親のような不届き者が現れると、折角善意で弱者を救済しようとの制度も悪用されるケースが増える。この1年間に違法に支出された生活保護費用は、全国で129億円に上ると言われている。

 今日偶々駒沢大学の清田義昭講師が、北海道放送(HBC)がラジオ放送した「凍えた部屋」、即ち今年1月札幌市内のアパートで姉妹が死亡しているのが発見された原因と、その防止対策を追及した番組を録音で聞かせてもらった。これは健康を害した42歳の姉と、知的障害者で40歳の妹が主人公である。健康保険の適用も受けられず、収入がなく身体が弱った姉が亡くなり、それから暫くして世話していた姉の死により自力で何もできない妹が亡くなった。妹の死因は餓死である。この事実をHBCはなぜ生活保護費支払いの救いの手が差し伸べられなかったのかと問題を提起したものである。

 不正受給を見抜くのは難しい。よほど慎重にして長い間身近にアプローチして監視しなければ、見抜けない。

 今夜NHK「ニュース・ウォッチ9」でも生活保護費不正受給について報道していた。生活保護費を正当に受けられるケースと、不正受給の問題がこれからまだまだ増えそうである。

2012年10月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1982.2012年10月16日(火) ビルマとの交流が歩み出した。

 民主化路線へ歩き出したビルマが今脚光を浴びている。アメリカを中心とする先進諸国による経済制裁を解除され、アジアで残された経済市場として、また自然資源供給国としてこれまで控えていた欧米先進国や、日本、韓国などが進出を考えている。軍事政権国家ビルマが経済制裁の合間に中国がビルマに広く進出し、その存在感は群を抜いている。かつては細々ではあるが、わが国も地道な分野で活動し、多くのビルマ国民に受け入れられていた。

 しかし、中国の自己本位の開発計画などで中国は政権内部ではともかく、必ずしもビルマ国民の心を掴んでいない。ビルマ国民は、早く日本がビルマの再建計画や国の発展に貢献してくれることを望んでいることは、かつて何度もビルマを訪れ、ビルマの人々と親しく付き合っていて彼らの心情をある程度理解している私には推察できることである。

 そのビルマへ昨日から12年ぶりで日本から直行定期便が就航した。漸く‘ANA Business Je’というビジネス客を対象にした特殊なフライトが飛び始めたところだ。ヤンゴン(ラングーン)空港は中国資本により新規建設され、かつて汚れて匂いの染み付いた時代物の懐かしい空港ビルに取って代わった。まだまだビジネスや観光のインフラは遅れて、ホテルなどは不足状態のようだ。私が訪れていたころは、外国人用のホテルは市内に僅か3軒しかなかった。それでも何とか需要に応えていた。現在日本航空も就航を考えているようだが、すでに韓国、台湾、シンガポールからも直行便が近々就航する予定で、そうなると市内のホテルが益々足りなくなることは明らかである。ビルマにとっては観光振興を図りたい反面、観光客に来てもらっては対応に苦慮するという笑えない一面もある。

 しかし、航空路の開設と拡大によって少しずつでも交流が深まれば、いずれビルマと諸外国との経済交流が強まり、ビルマの経済発展に寄与することにつながっていくのではないかと期待している。

2012年10月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com