3011.2015年8月11日(火) 九電川内原発、再稼働に踏み出す。

 飛行は順調で予定より少し遅れたが、全日空機で無事成田へ帰って来ることができた。奇しくも明日は今から30年前、日本航空ジャンボ機が御巣鷹山へ墜落して520人の尊い命が奪われた日である。

孫は成田到着後すぐに、伊丹へ向かったのでゲートまで見送ってわが家へ帰って来たのは8時前だった。夜分になって奈良へ帰った孫からも楽しかったと電話があったので、あまり多くを期待せずにまずまず旅自体は結果として佳しと捉えるべきであろうか。

 昨日まで滞在していた20℃以下のサンフランシスコに比べると、流石に日本は暑い。この暑い日本で、また熱い論争が始まりそうな雲行きになりそうである。

 論点は今日九州電力川内原発が再稼働したことに対する賛否両論である。一昨日長崎原爆投下70周年の日が過ぎた途端、この無慈悲な原子力発電再稼働の判断と行動がなされた。過去2年間は原発ゼロが続いていたにも拘わらず、反対の声を押し切って原発GOとやってしまった。地元の住民投票では賛成が多く、それはそれで生活面での厳しさを考えれば、理解できないこともない。ただ、安全神話が崩れた以上いくら万全の態勢を取っても事故が絶対起きないという保証はない。そして稼働によって排出される使用済み核燃料の処分の問題である。これは世界的にも解決されたわけではない。ましてやわが国では処分する場所すら決まっていない。これらの重要な問題を先送り、というより未解決のままして原発再稼働だけを決定し、実際に稼働することは地元住民以外の人はどう考えるだろうか。アンケート調査によると、原発再稼働について、賛成が23%、反対が56%の数値をどう判断したら良いのか。数のうえでは、完全に反対派が圧倒している。それを検査結果が世界で最も安全だからという安倍政権の政治的判断だけで突っ走って決めて、後顧に憂いを残すことはないだろうか。帰った早々難しい問題を突きつけられたような気分になってしまった。

2015年8月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3010.2015年8月10日(月) サンフランシスコに想いを残し離れる。

 いよいよサンフランシスコを去る日が来た。いろいろ考えた末昨日乗ったBARTでサンフランシスコ国際空港駅へ向かうことにした。到着した時は、営業用バン車で$17だったが、BARTは$8.75で値段も手ごろでかなり大きなバッグを持った多くの旅行者の姿が見られた。因みにタクシーだと$33~50が相場だそうである。今日は昨日とは異なりどのラインも運行していた。

 この空港は1988年に旧空港を改築して開業された。従ってどうも使い勝手が依然度々利用した時とは違う。空港駅に辿りついたが、ここから全日空が利用するターミナル1へは胡座式モノレールのような山手線に乗って目的のチェックイン・カウンターへ行くことになる。しばらくサンフランシスコを訪ねなかったので、その点でちょっと戸惑った。

 今回の旅行は、孫の精神的な成長を期待するとともに、積極性を身につけてもらいたいの一念で私の一方的なやり方でサンフランシスコ市内を孫とともに歩き回ることだった。その目論見は計画としてはまずまずだったが、今後孫の成長にどんな形で成果がどう表れるだろうか。

 機内は往路と同じように旅行シーズン真盛りとあって満席状態のままフライトは揺れもなく成田へ向かった。太平洋上で日付変更線を越え、時計は16時間の時差をクリアして日時を1日進める。

2015年8月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3009.2015年8月9日(日) サンフランシスコ最後の1日を欲張って

 サンフランシスコで孫に見せてやりたい場所は今日で最後なので、自由な中でも精力的に行動するつもりだったが、出鼻を挫かれてしまった。

 その最初のしくじりは、サンフランシスコ湾海底を通る地下鉄で、通勤・通学の足となっているBART(BAY AREA RAPID TRANSIT)に乗って、オークランド・サイドにあるカリフォルニア大学バークレイ校(U.C.Berkeley)を見学するつもりだったが、無駄な時間を費やしてしまったことである。パウエル駅プラットホームでリッチモンド行列車を待てど暮らせどホームに到着せず、30分以上経っても来なかったので、駅員に尋ねたところ、日曜日にはリッチモンド行直通列車は運行しないので、途中駅で他の路線に乗り替えてダウンタウン・バークレイ駅へ行って欲しいという説明があった。

 ともかくその案内に従い目的駅へ着いてから、かつて訪れたことがある懐かしいU.C.Berkeleyキャンパスを見学することができた。第1次大戦が勃発した1914年に建設されたという時計塔・セーザータワーへ昇ったが、その昔昇った時にはフリーだったエレベーターに3$支払った(シニア・シチズンは2$、孫は成人として3$)のには時代を感じた。夏休み中で、しかも日曜日とあって幸か不幸かキャンパス内は閑散として落ち着いた雰囲気で見学者のほとんどが中国人団体だった。名門大学の素敵なキャンパスを孫に見せてやることができて自己満足ではあるが、良かったと思っている。残念ながら学生生協と学食も休みで、昔ここの生協で購入した住所録の代わりを買うことができなかった。しばらく現在使用中のおんぼろ住所録を使うより仕方ないと思っている。

 キャンパスを出てバークレイの街を見学傍々ペルシャ料理店であまりうまくないランチを取って、BARTで再び半島の北・エンバカデーロへ向かい、そこから歩いてPIER39の水族館を見学した。これは海底トンネルを歩きながら海中の魚類を見学できるという珍しい水族館で今話題になっている。近くの海には野生アザラシが何匹も見られて観光客の人気を呼んでいた。そして、最後の夕食をフィッシャーマンズ・ワーフの中心「ライトハウス」という魚介料理店で、たらふく食べたいと思っていた蟹の茹で上げと、エビのサンドウィッチ、クラム・チャウダーを残すほど食べて最後の晩餐とした。孫も食欲旺盛で美味しかったと言っていたので、まあ上々の打ち上げだったのではないかと思っている。

 帰りはフィッシャーマンズ・ワーフから一昨日と同じように再びケーブルカーに乗って帰って来たが、日曜日というせいもあって一昨日より大分長く待たされ、何と1時間40分も並んで待たされてしまった。そのうえ寒く待っている人たちはほとんどスペアの重ね着をして寒さを凌いでいた。孫ともども震えっぱなしで、お盆も近い猛暑日の続く日本の気候を考えると想像もできない寒さを最後になってこの地の土産としてもらってしまった。

 いよいよ明日は日本へ帰ることになるが、孫が今回の旅行でどれほど成長してくれたかは定かではない。毎日少しずつ気がついたら注意したり、実行させたりしたので、それなりに感じてはくれただろうが、性格的な面をより積極的にと望んだのは、やはり中々難しかったかも知れない。でも、聞いてみると案外旅を楽しんだようだし、ヨセミテの素晴らしさを知ったし、ケーブルカーにも乗って、サンフランシスコで多くの有意義な体験をしたことは間違いない。これをどう今後生かしてくれるかは孫次第ということではないだろうか。爺ちゃんもやや張り切り過ぎて疲れてしまった。

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3008.2015年8月8日(土) 世界遺産・ヨセミテ国立公園巡りをエンジョイ

 楽しみにしていた世界遺産・ヨセミテ国立公園への1日観光に参加した。隣のホテル・ニッコーの滞在客11人とヒルトン滞在の我々7人を鹿児島出身のドライバー・ガイド柳鶴利則さんが案内してくれた。柳鶴さんは昨日のガイド森脇さんと似たような雰囲気の人だが、平均時速125㎞で運転するというから相当なスピード狂だ。私と孫はマイクロバスのような小さいバスの最前席に座ったが、怖いと思うくらいスピードは出すし、路線変更はするし、で慣れるまではハラハラだった。

 市内からオークランドへ渡る時通過したサンフランシスコ・オークランド・ベイ・ブリッジは旧ブリッジが取り壊され、旧ブリッジに沿って新ブリッジが建造されたことは知らなかった。古い橋は今解体工事中だった。柳鶴さんがそっと教えてくれたところによると、新ブリッジは中国業者によって設計、建造されたが、安い事業費と粗い工事のため、早くも随所に欠陥が表れている一部で噂になっているという。

 スピード狂の柳鶴さんだが観光に関する知識は広く深く、その情報通ぶりには感心した。おかげで世界遺産・ヨセミテについて単なる観光知識を与えてくれただけでなく、立体的にヨセミテを教えてくれた。これまでヨセミテには1976年以来数回訪れているが、訪れたのはいずれも秋で最繁忙期の夏の様子は人伝てに聞くしかなかった。最も驚いたのは交通渋滞というわけでもなかったが、レジャー客の車が週末というせいもあり目立って多かったことと、途中の山道で崖崩れのため交通整理をしていたことだった。

 期待していたハーフ・ドーム、エル・キャピタン、ヨセミテ滝、グレーシャー・ポイントなどを忙しなく見て回った。ハーフ・ドームを目の前に、孫に彼の父親の家庭教師を務めてくれた谷口龍二くんがロック・クライミング中に誤って落っこち宙ぶらりんで吊り下がった状態の時にアメリカ人クライマーに救助されたエピソードを話してやった。根っからの登山好きだった好漢谷口くんは、大学アルペンクラブの後輩で、その後富士山で遭難者の人命救助に当たって表彰されるなど登山で幅広く活躍し、尖鋭的なロック・クライミングにとりつかれるようになったが、今から30年近く前ヒマラヤ山系パキスタン領内のシプトン・スパイアー(標高5850m)で哀れ転落死してしまった。葬儀にはわが家族4人は揃って参列した。この旅行の前にも高齢のご両親から暑中御見舞いのお便りをいただいたばかりである。

 ついハーフ・ドームを目の当たりにしてセンチメンタルな気持ちになってしまった。好青年だっただけに、彼のあまりにも早い死が惜しまれてならない。

 ヨセミテはその広大な面積とともに、今更ながらその人気に驚く。アメリカでもグランド・キャニオン、イェローストーンと並ぶ世界自然遺産として、また最も行ってみたい観光地として自然遺産ではトップスリーにランクアップされるという。孫も口数は少ないが、大分感銘を受けたようだった。

 朝7時半にホテルを出て、ホテルへ帰って来たのは夜の7時半になり、文字通り1日がかりの忙しいツアーになったが、心から楽しませてもらい、併せて考えさせてもらったツアーだった。サンフランシスコ市内を隈なく見て回るのも良いが、郊外へ足を伸ばして世界的観光地に足を踏み入れ、のんびり自然の中に心身ともに浸すことができたことは、きっと孫にとってもいつまでも忘れられないメモリーとして心に残ることだろう。

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3007.2015年8月7日(金) サンフランシスコ市内観光を楽しむ。

 事前に手配したサンフランシスコ半日市内観光は、森脇信さんと仰るドライバーガイドがホテルへ8人乗りバンで迎えに来てくれた。京都府福知山市出身のベテラン・ガイドさんで陽に焼けて白髪頭だったので、私と同年輩ぐらいだろうと思っていたところ70年安保世代と仰ったので、10歳ぐらい私よりお若い。

 同乗のお客さんは、東京葛飾の若いご夫婦と栃木県から参加された30代と思しき女性3人を合せて計7人だった。バンは大型バスと異なり、やや運転制限が緩やかで割合狭い場所でも自由に観光できる。市内全景とゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)を眺望するために、かつてバスで観光したツィン・ピークスを最初に訪れたが、聞けば今ではここには大型バスは入れなくなったと言われた。

 金門橋を通ってオークランド側に渡らないということだったので、橋の手前の駐車場から橋の最初のゲートまで孫と歩いて行ってみた。時間があればそのままオークランド側に渡ってみたかった。幸い橋上から市内の全景と監獄島・アルカトラス島の眺望を楽しむことができた。森脇さんが70年安保世代だったので、やはり日米安保条約に関心があるようで、サンフランシスコ海洋国立歴史公園内にある記念的館へ案内してくれた。そこは1951年安保条約締結の際、吉田茂首相がアメリカのアチソン国務長官やダレス特使らと会談し、条約に調印した場所だった。私はここを初めて訪れたことになるが、素晴らしいロケーションの洒落た造りの館内で条約調印が成されたことが、その後60年安保、70年安保の際日本国内に大きな反対運動が起きたこと、更に現在安保関連法案が成立しようとしていることと併せ考えると感慨無量の思いがする。

 フィッシャーマンズ・ワーフで森脇さんらと別れ、孫とぶらぶらしながらランチを取り、昨日から念願だったケーブル・カーに乗ってホテルへ帰って来た。話には聞いていたが、ベイ・エリアの始発駅で並んで待つこと1時間、そして乗って30分の時間を要した。大分以前に乗車したことはあったが、その時の感覚はほとんど忘れていた。やはり急坂の上り下りには時代がかったケーブルカーの馬力を流石に凄いと感嘆するしかなかった。

 夕食はホテル近くで賑わっている和食レストラン「堂島庵」で天麩羅そばと寿司を食べ、明日ヨセミテ公園行き出発時間が早いので、おにぎりをテークアウトして来た。

 夜は孫に航空便ハガキの書き方を伝授する。

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3006-2. 8月6日(木)②(サンフランシスコにて)ケーブルカーの接触事故で乗車できず

 昨夜の機内はやや肌寒かった。軽いシャツに夏ズボンだったが、用意していたスェーターを重ね着して久しぶりにサンフランシスコの地にやって来た。空港は私の記憶からすっかり変わっていた。孫にはこれがアメリカの大地だということを言い聞かせた。私にとって初めてアメリカ大陸の土を踏んだのも、このサンフランシスコである。ヒルトンホテル・ユニオン・スクエアに行くにはいくつかの方法を考えていたが、取り敢えずインフォメーションで聞いてみたら‘SHARED-RIDE VANS’という相乗りバスのようなシステムがあることを知り、孫にとっても空港から市内までの道のりを知るためにも良いのではないかと考え、ひとり17$で客は結局我々2人だけだったが、これに決めて良かったと思う。広い空港ビル群を順次第1、第2、第3ターミナルと回ったうえで、市内へ向けてスタートした。ドライバーと和やかな会話を交わしながら順調にホテルへ辿りついた。

 早速ジーンズに着替えて孫を連れ出し、ケーブルカーで観光客に人気のあるフィッシャーマンズ・ワーフへ出かけたところが、最寄りの停車場近くで何の偶然だろうか、ケーブルカーと車が接触するという珍しい事故を起こして動かなくなって、ケーブルカーが何台も立ち往生している事態に遭遇した。これでは、埒があかないと急遽予定を変更してケーブルカーの走る坂道に沿って北上し、ケーブルカー博物館を訪れ、その歴史的遺産を見学することにした。その後時間的にはやや早かったが、中華街で夕食を摂ることにした。坂道を上ったり下ったり歩き回り、ケーブルカー乗車はともかく明日に回して、これも名代のサンフランシスコのチャイナタウンで、偶々入った面白いおやじの店で中華食をたらふく味わった。注文をザラ紙に鉛筆で書いて、単純な足し算をしてその場で会計をしろという風変わりなオヤジで庶民的だ。かつて団体で入ったやや高級感のある中華料理店とはえらい違いの気さくな店で、うまい中華を存分に口に入れることができた。予定は変わってしまったが、元々きちっと決まっていたわけでもないので、明日はすでに予約してある半日バス市内観光を終えた後フィッシャーマンズ・ワーフ周辺をぶらつくことによって孫にもアメリカの雰囲気とか感覚を掴んで欲しいと思っている。

 昨日から煩いジジイが傍で細かい注意をしたり、ホテル部屋内では設備の使い方やアメリカ人との交渉についてあれこれアドバイスをするので、孫はさぞ辟易しているだろうが、これも「教育的指導」のつもりなので多少は我慢して欲しいところ。

2015年8月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3006-1.2015年8月6日(木)① 猛暑の日本を脱出、サンフランシスコへ

 今日は孫を連れ意気揚々と成田空港からサンフランシスコへ向け飛び立つ予定だったので、孫ともどもJR品川駅から終点の成田空港第1ターミナル駅まで成田エキスプレスに乗車した。ところが空港ビルの全日空カウンター前辺りまで来てはっとした。肩に掛けていたルックザックがない。指定座席上の網棚に置き忘れたまま他のトランクとショルダーバッグを持ってチェックイン寸前まで来てしまっていた。慌てて終点駅まで取って返し、難なくルックザックを取り戻すことができた。幸いにして駅では遺失物として扱い保管したばかりだったので直ぐに分かった。しかし、もし一つ手前の第2空港ビル駅で航空機のチェックインを済ませるようだったら、ザックはこれだけ素早く手元に取り戻せたかどうか分からない。それだけに思わず胸を撫で下ろした。空港で時間的に余裕があったことも比較的落ち着いて処理することができた原因である。孫も最初から私がこんな失態をやらかすとは思ってもみなかったに違いない。

 空港内の様子は2年前取材のためミクロネシアへ行った時とは随分変わったような感じだった。その時はパッケージツアーを買って行ったのでそれほど当惑することはなかったが、今日はチケットとホテルを別々に手配したせいであろうか、航空会社のチェックイン・システムが随分進化していたのに戸惑うことが多かった。それに旅行最盛期という時節柄空港ウィング内はごった返していた。

 ロビーが人人ひとの波なら機内はもちろん満席だった。幸い定刻に離陸した。夏休みとあって家族連れが多いように思えた。孫の学校の関係もあり、敢えてこの時期から外すことは考えにくかったが、それにしても①混んでいる、②価格も高い、ことを考え併せるとプライベート旅行でこの時期に出かけるのは考えものだと思った次第である。

 昨日に続いて東京都内は1週間連続の猛暑日の中を逃げ出すように東京を脱出して来たが、36℃からサンフランシスコに近づいて機内アナウンスで耳にするここの気温は半分にも満たない17℃だ。これから避暑気分も味わえそうである。

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3005.2015年8月5日(水) アメリカ、日本政府と日本企業に対する盗聴疑惑

 今日もご多聞に漏れず暑い。東京は連続6日間も猛暑日が続き、またまた記録更新である。

 午後は奈良の孫が新幹線でやって来たので、妻と新横浜駅まで出迎える。明日サンフランシスコへ出発する準備は整えているようなので一安心であるが、どうも性格的に大人しくやや社交性に欠けるところがある。今日わが家に滞在している様子を見ても子どもっぽいヤンチャなところがないのが寂しい感じがする。1週間足らずのアメリカ旅行で殻を破ることができるかどうか。できるだけ社交性を身につけさせてやりたい。

 今度もパソコンを持参してサンフランシスコでもこのブログを書き続けるつもりではあるが、現地のヒルトン・ユニオン・スクエアでインターネットを使えれば助かる。もし、使用できなければ、帰って来てからまとめて1週間分をアップすることになる。

 昨夕はJR京浜東北線桜木町駅近くで線路上の架線が垂れ下がるトラブルが発生し、電車は運行を停止したために駅構内は、花火見物の人々や通勤客で溢れかえった。復旧したのは今朝午前5時半過ぎで約35万人に影響が及んだという。

 桜木町の架線事故というと、中学校2年生時の昭和26年の桜木町事件を思い出す。あの頃は総武線で同じ63型車両で通学していたので、同じ事故に遭遇する可能性もあった。あの事件で当時走行中の電車が垂れ下がった架線に突っ込み、一瞬のうちに火に包まれた。そして、その後走っていた63型車両は廃止が決まった。他の車両との間に連結幌がなく、乗客が車両間を移動することができなかった。また、窓ガラスが横に3つに分れていたため、狭すぎて身体を外へ逃げ出すことができず、結局多くの死者を出してしまい、以後63型車両が使われなくなった。60年以上も昔の事故だったが、トラブルが起きた場所といい、高架上といい、酷似したケースで一時は第2の桜木町事件発生かと思ったが、死傷者がひとりもいなくてホッとしている。

 さて、アメリカの国家安全保障局(NSA)が日本政府や日本企業などの電話を盗聴していたことを内部告発サイトのウィキリークスが公表した。安倍首相は同盟国の信頼関係に傷がつくと遺憾の意を表明し、同時に早速バイデン副大統領に電話で懸念を伝えた。

 これに関する専門家の話を聞いていると、国家間の情報は盗聴が、今では当たり前となっているようだ。フランスの最近の大統領、シラク元大統領、サルコジ前大統領、オランド現大統領を始め、ドイツのメルケル首相も電話を盗聴されていた。彼らはオバマ大統領に直接抗議したようだが、安倍首相はアメリカに気を遣いバイデン副大統領に同盟国間の信頼関係の点で懸念していることを伝えたに留まっている。所謂「壁に耳あり」で、こうなると国家のトップはうっかり世間話もできない。これでは、とかく女性問題が噂に上がるフランスやイタリアの首脳らは、外で羽根を伸ばすわけにもいかないのではないだろうか。尤もこれは国家機密とは関係ないことであるが・・・・・。

2015年8月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3004.2015年8月4日(火) 東京オリンピック、暑い盛りに開催の理由

 正午現在都心で35℃を上回り、東京都内では連続5日間猛暑日を記録した。これは明治8年気象庁が観測を始めて以来140年間で初めだてそうである。こんな酷暑の下で5年後には、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されると思うと本当に大丈夫かなと考えてしまう。

 前回の東京大会は、秋晴れの下で青空を臨んで行われた。確か前日までの雨がからりと晴れ、開会式を実況放送したアナの声も生き生きとしてこの日を待っていましたと言わんばかりに感激と溌剌として気持ちが乗り移っていたようだった。国民も晴れ晴れしい気持ちで開会式の朝を迎えたと思う。そのくらいあの時の秋空の開会式が強い印象を残した。それが時移ると、真夏の最中に大会を実施しようという、キチガイじみた舞台を演出しようとする人たちがいるようだ。この酷暑という最悪の真夏に開催する理由としては、2つばかり考えられる。

 まず、サッカーの盛んなヨーロッパ各国で、恒例の国内リーグ戦が始まることから、各国ともスケジュールを変更できないという事情があるようだ。そんなことは不可能とも思えないが・・・。 

 もうひとつの理由は、全世界のオリンピック・テレビ国際放映権を有するアメリカの業者が、オリンピックのためだけにその他既定のスケジュールを変更することに首を縦に振らないかららしい。いくら世界の祭典と言われるオリンピックでも、商業ベースが絡むと既定のスケジュールを動かすことができないということなのである。こうして現状では、燦々と太陽が降り注ぐ酷暑の7月下旬から、東京オリンピック・パラリンピックは開催されることになる。

 今では東京の夏もインド人がびっくりするほどの暑さとなった。カレーライスが日本人に好まれるわけである。地球温暖化のせいとは言え、このまま年々猛暑が進むと地球全体に自然界のみならず、冷房設備の進化、普及により電力の消費が進み、つまるところ原発稼働という人類にとっても解決できない難しい問題を発生させる。人類の進歩がいびつな現象を生むのではないかとちょっぴり心配になる。こういう炎暑の中でスポーツを始め、いろいろなイベントが行われるが、こういうスポーツのあり方はこれで良いのだろうか。

 さて、ネットで思いあがって発言した若い自民党衆議院議員・武藤貴也氏が批判に晒されている。安保関連法案に反対している学生団体SEALDsに対して「戦争に行きたくないからと言って反対するのは自己中心、極端な利己的な考えだ」などととんでもないことをツィッターで発信したことが物議を醸している。この36歳の若い代議士は、戦争へ喜んで行くような若者がいると思っているのだろうか。自分自身は果たして戦地へ赴く気持ちがあるのだろうか。戦争に行くことに反対するのは、自分自身のためだけではなく、誰ひとりとして戦争には行かせたくないという信念を述べているので、これが自己中心と考えるようでは、論理的に物事を考えられる人物ではない。こういう人物が国会議員に選ばれること自体がおかしい。

 昨日自らの発言を撤回し陳謝はしたが、未だすっきり解決したとは思えない礒崎陽輔首相補佐官の「法的安定性」発言があったばかりで、いままた武藤議員の不穏当なメッセージが発言されたが、国会議員もこれ以上低次元の発言を行うのではなく、もう少し事実をよく考えて、まともな発言をしてもらいたいものである。

2015年8月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3003.2015年8月3日(月) 人間ドック受診で安心と不安

 毎年恒例の人間ドック検査を今日慶應病院予防医療センターで受けた。設備が充実しているだけに、お値段はやや高いが、それだけの見返りはあると思っている。予防医療センターの清潔で静かな環境とスタッフの親切な対応、そして新しい医療機器と医師の診断結果に基づいた分かりやすい説明など充分理解し得るもので、毎年8月に受診できることはラッキーだと思っている。年々自分の健康が体力的に落ちてくるのは止むを得ないが、それに合わせて身体が小さくなっていることと、五感の素である聴力が大分悪くなっていることがちょっと残念である。

 考えたくはないが、身長がついに160㎝を割って159.8㎝になったことは少々ショックである。大学生の頃に比べて7㎝も小さくなっている。中学3年の腕白時代に先祖返りしてしまった。もうひとつは、最近聞き取りにくくなってきた聴覚の衰えである。基準値に比べると大分衰えていて、担当医師から補聴器の使用を考えた方が良いとアドバイスされた。確かに日ごろからやや人の話が聞き取りづらくなり、好い加減な相槌を打ったり、何度も聞き返して、息子たちからは大分耳が遠くなったから補聴器を使ってはどうかと度々言われている。この他に2点ほど気になったのは、前立腺の腫瘍マーカーPSAが、過去2年前から5.17、5.54、そして今日は6.60と基準値4から大分上がってしまったことで、できるだけ専門医に診てもらった方がよいと言われてしまった。少々気にはなっていたので、アメリカから帰ったら4年前に診てもらった泌尿器科医を訪ねてみようと思っている。

 加齢による影響を考えれば、致命的な病状や、その恐れは特別見られないが、やはり糖尿の数値を考えても運動を欠かさないことと、食事療法が大切だと決定的なことをアドバイスされた。後期高齢者ともなれば、やはり身体は弱って来る。それをどう長く生活に支障ないように持ちこたえさせるかということが、これから充実した余生を生き抜いていくための絶対条件である。

 その意味でやはり近所のかかりつけの医師の他に、根本的に身体の構造について危険信号とそのための対処法を教示してくれる人間ドック受診は欠かせないと思っている。あと何年生きられるかは神のみぞ知るであるが、悔いを残さない健康管理だけは今後も続けて行きたい。

2015年8月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com