3009.2015年8月9日(日) サンフランシスコ最後の1日を欲張って

 サンフランシスコで孫に見せてやりたい場所は今日で最後なので、自由な中でも精力的に行動するつもりだったが、出鼻を挫かれてしまった。

 その最初のしくじりは、サンフランシスコ湾海底を通る地下鉄で、通勤・通学の足となっているBART(BAY AREA RAPID TRANSIT)に乗って、オークランド・サイドにあるカリフォルニア大学バークレイ校(U.C.Berkeley)を見学するつもりだったが、無駄な時間を費やしてしまったことである。パウエル駅プラットホームでリッチモンド行列車を待てど暮らせどホームに到着せず、30分以上経っても来なかったので、駅員に尋ねたところ、日曜日にはリッチモンド行直通列車は運行しないので、途中駅で他の路線に乗り替えてダウンタウン・バークレイ駅へ行って欲しいという説明があった。

 ともかくその案内に従い目的駅へ着いてから、かつて訪れたことがある懐かしいU.C.Berkeleyキャンパスを見学することができた。第1次大戦が勃発した1914年に建設されたという時計塔・セーザータワーへ昇ったが、その昔昇った時にはフリーだったエレベーターに3$支払った(シニア・シチズンは2$、孫は成人として3$)のには時代を感じた。夏休み中で、しかも日曜日とあって幸か不幸かキャンパス内は閑散として落ち着いた雰囲気で見学者のほとんどが中国人団体だった。名門大学の素敵なキャンパスを孫に見せてやることができて自己満足ではあるが、良かったと思っている。残念ながら学生生協と学食も休みで、昔ここの生協で購入した住所録の代わりを買うことができなかった。しばらく現在使用中のおんぼろ住所録を使うより仕方ないと思っている。

 キャンパスを出てバークレイの街を見学傍々ペルシャ料理店であまりうまくないランチを取って、BARTで再び半島の北・エンバカデーロへ向かい、そこから歩いてPIER39の水族館を見学した。これは海底トンネルを歩きながら海中の魚類を見学できるという珍しい水族館で今話題になっている。近くの海には野生アザラシが何匹も見られて観光客の人気を呼んでいた。そして、最後の夕食をフィッシャーマンズ・ワーフの中心「ライトハウス」という魚介料理店で、たらふく食べたいと思っていた蟹の茹で上げと、エビのサンドウィッチ、クラム・チャウダーを残すほど食べて最後の晩餐とした。孫も食欲旺盛で美味しかったと言っていたので、まあ上々の打ち上げだったのではないかと思っている。

 帰りはフィッシャーマンズ・ワーフから一昨日と同じように再びケーブルカーに乗って帰って来たが、日曜日というせいもあって一昨日より大分長く待たされ、何と1時間40分も並んで待たされてしまった。そのうえ寒く待っている人たちはほとんどスペアの重ね着をして寒さを凌いでいた。孫ともども震えっぱなしで、お盆も近い猛暑日の続く日本の気候を考えると想像もできない寒さを最後になってこの地の土産としてもらってしまった。

 いよいよ明日は日本へ帰ることになるが、孫が今回の旅行でどれほど成長してくれたかは定かではない。毎日少しずつ気がついたら注意したり、実行させたりしたので、それなりに感じてはくれただろうが、性格的な面をより積極的にと望んだのは、やはり中々難しかったかも知れない。でも、聞いてみると案外旅を楽しんだようだし、ヨセミテの素晴らしさを知ったし、ケーブルカーにも乗って、サンフランシスコで多くの有意義な体験をしたことは間違いない。これをどう今後生かしてくれるかは孫次第ということではないだろうか。爺ちゃんもやや張り切り過ぎて疲れてしまった。

2015年8月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com