3007.2015年8月7日(金) サンフランシスコ市内観光を楽しむ。

 事前に手配したサンフランシスコ半日市内観光は、森脇信さんと仰るドライバーガイドがホテルへ8人乗りバンで迎えに来てくれた。京都府福知山市出身のベテラン・ガイドさんで陽に焼けて白髪頭だったので、私と同年輩ぐらいだろうと思っていたところ70年安保世代と仰ったので、10歳ぐらい私よりお若い。

 同乗のお客さんは、東京葛飾の若いご夫婦と栃木県から参加された30代と思しき女性3人を合せて計7人だった。バンは大型バスと異なり、やや運転制限が緩やかで割合狭い場所でも自由に観光できる。市内全景とゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)を眺望するために、かつてバスで観光したツィン・ピークスを最初に訪れたが、聞けば今ではここには大型バスは入れなくなったと言われた。

 金門橋を通ってオークランド側に渡らないということだったので、橋の手前の駐車場から橋の最初のゲートまで孫と歩いて行ってみた。時間があればそのままオークランド側に渡ってみたかった。幸い橋上から市内の全景と監獄島・アルカトラス島の眺望を楽しむことができた。森脇さんが70年安保世代だったので、やはり日米安保条約に関心があるようで、サンフランシスコ海洋国立歴史公園内にある記念的館へ案内してくれた。そこは1951年安保条約締結の際、吉田茂首相がアメリカのアチソン国務長官やダレス特使らと会談し、条約に調印した場所だった。私はここを初めて訪れたことになるが、素晴らしいロケーションの洒落た造りの館内で条約調印が成されたことが、その後60年安保、70年安保の際日本国内に大きな反対運動が起きたこと、更に現在安保関連法案が成立しようとしていることと併せ考えると感慨無量の思いがする。

 フィッシャーマンズ・ワーフで森脇さんらと別れ、孫とぶらぶらしながらランチを取り、昨日から念願だったケーブル・カーに乗ってホテルへ帰って来た。話には聞いていたが、ベイ・エリアの始発駅で並んで待つこと1時間、そして乗って30分の時間を要した。大分以前に乗車したことはあったが、その時の感覚はほとんど忘れていた。やはり急坂の上り下りには時代がかったケーブルカーの馬力を流石に凄いと感嘆するしかなかった。

 夕食はホテル近くで賑わっている和食レストラン「堂島庵」で天麩羅そばと寿司を食べ、明日ヨセミテ公園行き出発時間が早いので、おにぎりをテークアウトして来た。

 夜は孫に航空便ハガキの書き方を伝授する。

2015年8月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com