楽しみにしていた世界遺産・ヨセミテ国立公園への1日観光に参加した。隣のホテル・ニッコーの滞在客11人とヒルトン滞在の我々7人を鹿児島出身のドライバー・ガイド柳鶴利則さんが案内してくれた。柳鶴さんは昨日のガイド森脇さんと似たような雰囲気の人だが、平均時速125㎞で運転するというから相当なスピード狂だ。私と孫はマイクロバスのような小さいバスの最前席に座ったが、怖いと思うくらいスピードは出すし、路線変更はするし、で慣れるまではハラハラだった。
市内からオークランドへ渡る時通過したサンフランシスコ・オークランド・ベイ・ブリッジは旧ブリッジが取り壊され、旧ブリッジに沿って新ブリッジが建造されたことは知らなかった。古い橋は今解体工事中だった。柳鶴さんがそっと教えてくれたところによると、新ブリッジは中国業者によって設計、建造されたが、安い事業費と粗い工事のため、早くも随所に欠陥が表れている一部で噂になっているという。
スピード狂の柳鶴さんだが観光に関する知識は広く深く、その情報通ぶりには感心した。おかげで世界遺産・ヨセミテについて単なる観光知識を与えてくれただけでなく、立体的にヨセミテを教えてくれた。これまでヨセミテには1976年以来数回訪れているが、訪れたのはいずれも秋で最繁忙期の夏の様子は人伝てに聞くしかなかった。最も驚いたのは交通渋滞というわけでもなかったが、レジャー客の車が週末というせいもあり目立って多かったことと、途中の山道で崖崩れのため交通整理をしていたことだった。
期待していたハーフ・ドーム、エル・キャピタン、ヨセミテ滝、グレーシャー・ポイントなどを忙しなく見て回った。ハーフ・ドームを目の前に、孫に彼の父親の家庭教師を務めてくれた谷口龍二くんがロック・クライミング中に誤って落っこち宙ぶらりんで吊り下がった状態の時にアメリカ人クライマーに救助されたエピソードを話してやった。根っからの登山好きだった好漢谷口くんは、大学アルペンクラブの後輩で、その後富士山で遭難者の人命救助に当たって表彰されるなど登山で幅広く活躍し、尖鋭的なロック・クライミングにとりつかれるようになったが、今から30年近く前ヒマラヤ山系パキスタン領内のシプトン・スパイアー(標高5850m)で哀れ転落死してしまった。葬儀にはわが家族4人は揃って参列した。この旅行の前にも高齢のご両親から暑中御見舞いのお便りをいただいたばかりである。
ついハーフ・ドームを目の当たりにしてセンチメンタルな気持ちになってしまった。好青年だっただけに、彼のあまりにも早い死が惜しまれてならない。
ヨセミテはその広大な面積とともに、今更ながらその人気に驚く。アメリカでもグランド・キャニオン、イェローストーンと並ぶ世界自然遺産として、また最も行ってみたい観光地として自然遺産ではトップスリーにランクアップされるという。孫も口数は少ないが、大分感銘を受けたようだった。
朝7時半にホテルを出て、ホテルへ帰って来たのは夜の7時半になり、文字通り1日がかりの忙しいツアーになったが、心から楽しませてもらい、併せて考えさせてもらったツアーだった。サンフランシスコ市内を隈なく見て回るのも良いが、郊外へ足を伸ばして世界的観光地に足を踏み入れ、のんびり自然の中に心身ともに浸すことができたことは、きっと孫にとってもいつまでも忘れられないメモリーとして心に残ることだろう。