273.2008年2月11日(月) 新岩国市長に米機動部隊受け入れ容認派

 昨日気になっていたビルマの民主化路線のポーズが、なぜこの時期に発表されたのかとの疑問に対して、早速今朝の朝日紙面に上智大学根本敬教授が「五輪を意識した中国の圧力」と説明している。北京五輪をスムーズに開催したい中国が、ビルマ軍政を支援しているとの国際的な非難の声を和らげる目的で、ビルマ軍事政権を説得し、譲歩を迫ったのではないかとの解説である。なるほどと頷ける。では、中国はもうひとつ批判を浴びている、スーダンのダルフールにおける虐殺事件はどう解決しようとしているのか。これには相変わらずだんまりを決め込んでいる。いま中国は、世界中で問題を起している。困ったことだ。

 昨日山口県岩国市長選挙が行われ、戦前の予想に反して岩国基地に米空母艦載機部隊を受け入れることを容認する新人、福田良彦・前代議士が、現職で反対派の井原勝介・現市長を破って当選した。これまで基地の街、岩国市は度々受け入れ容認か、反対かで揉めて、今回も移転問題の民意を問う、実に3回目の選挙である。選挙結果により、早晩機動部隊は受け入れられるだろう。

 しかし、この選挙の結果から今後の市政の難しさが予想される。全国的に高い関心を呼び、投票率も前回選挙(65.09%)を大幅に上回って76.26%に達したので、結果は民意に近いと思う。しかし、問題は獲得票が容認派(47,081票)、反対派(45,299票)、どちらへ転ぶか分からなかったくらい接近しており、市民の圧倒的な支持を得たわけではない。しかも、出口調査によれば新市長に投票した有権者のうち、移転容認は僅か3割だったようだ。市財政の困窮が補助金なしには、切り抜けられないことを知った市民が、已むに已まれず選択した苦しい決断だったのではないか。市民の意見は二分されたわけであり、今後市政運営は爆弾を抱えながら進めていくことになる。

 問題の根は深い。これまで圧倒的な勝利を治めてきた前市長としては、市民の支持を得られると多少楽観視していたかも知れない。だが、断は下された。「容認」と引き換えに新市長は、政府から止められていた補助金を受け取ることが出来るだろう。しかし、市を真っ二つに割った選挙結果により、市民から全面的な協力を得られるのか。今後新たに起こるであろう騒音問題は大丈夫か。また、どうやって市政を抜本的に建て直していくのか。着任早々重大な決断を迫られる。

 それより、今回のよろめき市政を仕掛けた張本人は、言うことを聞かない前市長に対して露骨に汚い術を使った日本政府である。アメとムチを目の前に見せて反対派を揺さぶる、政府の兵糧攻め手法である。補助金を機動部隊容認のご褒美に見せかけるなど、人の気持ちを秤にかける人非人的やり方である。是は是、非は非として、国家は一地方都市に対して、もう少し血の通った対応が考えられなかったものだろうか。

2008年2月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

272.2008年2月10日(日) 軍政ビルマがまた変なポーズを取っている。

 またまた始まったビルマ軍事政権のアドバルーンである。今年5月に国民投票を実施して憲法を制定し、2010年に複数政党による総選挙を実施すると国営テレビを通じて発表した。

 昨年秋の僧侶を含む一般市民の反政府デモで日本人ジャーナリストが殺害され、世間を大いに騒がせたが、デモを武力鎮圧した軍政は、その後まったく音なしの構えだった。強権政府が民主化運動を次々に弾圧してきたこれまでのやり方から推して、今回の思わせぶりのポーズは額面通りには受け取れない。実際1990年5月に行われた総選挙では、アウン・サン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)が選挙で勝ったにも関わらず、言いがかりをつけ政権を民主化勢力に渡さず、逆に指導者のスー・チー女史を自宅に軟禁してしまったくらいである。

 海外のメディアも軍政のステートメントを懐疑的に見ている。基本的に民主化は一向に進められていないからである。それはニュース取材の方法でも分かる。ニュース・ソースは朝日、日経ともに現地特派員による取材であるが、いずれもラングーン(ヤンゴン)からではなく、バンコック駐在員からである。依然として軍政は、マス・メディアに入国査証を許可していない。そこにはどうしても政治的時差が生まれる。

 昨年暮れにニューヨーク在住でビルマ出身のマ・テン・チーさんから綿々と綴った手紙を受け取ったが、30年ぶりに帰国してがっかりしたと書いてあった。

 われわれビルマ・ファンにとっては、一刻も早く民主的な総選挙を実施して、民主国家・ビルマとして独り立ちして欲しい。

 一昨日左膝の痛みがひどくなり、かかりつけの整形外科で診てもらい一時的な痛みではないかということから、患部を湿布して温めないようにして2日間風呂にも入らなかった。実に不思議なことに昨日になって少し痛みが和らいできた。階段も片足で一歩一歩ゆっくり上っていたが、それも少しずつ回復し、片足を引きずりながらも左右を交互に上下出来るようになった。それが今日になってさらに具合が良くなり、大分痛みも消えて嬉しいことではあるが、なんだか変な感じである。随分単純だなとも思う。夕方になって痛みがほとんど消えた。しかし、どうもよく分からない。なぜこの一週間ばかり急に痛みが出て、先生に診てもらったとはいえ、患部に特別な処置を施したわけではない。湿布をしただけである。先生のお見立てでは、一時的な痛みというものがあるので、それかも知れないとは仰っていたが不思議だなあという感じである。でも、回復してきたのでほっとした。今夜は3日ぶりに風呂にも入った。年は取りたくないとつくづく思う。やれやれである。

2008年2月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

271.2008年2月9日(土)  前日本遺族会会長・中井澄子さんご逝去

 昨日の朝刊訃報欄を見ていて、また1人印象深く、お世話になった方が亡くなられたことを知った。前日本遺族会会長・中井澄子さんである。享年90歳だった。

 1970年代の半ば、太平洋戦争戦没者遺骨収集事業に関して、日本政府が中部太平洋地区でお世話になっていた、当時の国連信託統治領マリアナ諸島の高等弁務官アダ・ギルバート夫妻を当時の厚生省が日本に招待した時、日本遺族会の婦人部長を務めておられた方で、その後日本遺族会初の女性会長を務められた。なかなか頭脳明晰な方で一際目立って存在感のある女性だった。

 その当時、たびたび厚生省や、日本遺族会へ伺っては多くの幹部の方に懇意にしていただいたが、中部太平洋地区の遺骨収集事業を毎年ご下命いただいていた関係で、ギルバート夫妻の羽田到着から見送りまでの間、ずっとつきっきりで行動を共にすることになった。当時の厚生省援護局丸山課長ともども都内観光から、1泊2日の箱根観光までずっとお供した。帰国前日になって九段会館で晩餐会が開かれ、その折始めて当時の日本遺族会・村上会長、中井婦人部長に紹介され、その席で通訳まがいのお手伝いをしたことを懐かしく思い出す。中井さんからは、その場で「ご苦労さまです」と慰労の言葉をかけていただいた。その後、サイパン出張の折に高等弁務官事務所を訪れ、ギルバート高等弁務官に直接記念写真を手渡しして喜ばれたことも懐かしい想い出である。

 財団法人日本遺族会のネットワークは全国の隅々まで行き渡り、政治的、且つ社会的に強固な組織は九段会館内にある事務局を中心にして、その組織は中央集権制になっており、幹部、並びに職員はほぼ男性中心に構成されている。奈良県の中井さんのような地方出身の女性が、会長職まで務められるのは空前絶後で極めて異例である。それだけ中井さんのお人柄、能力と活躍ぶりは際立っていたのではないかと思う。言うべきことは毅然として主張される、大変芯の強い立派な方だった。お会いしたのはほんの数回であるが、いつも和服をお召しになっておられる素敵な女性だった。今でも印象に残っている女性のお一人である。心よりご冥福をお祈りしたい。        合掌

                                       

2008年2月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

270.2008年2月8日(金) 何と言っても健康が一番

 今日は健康に関する話題を3つ。

 両膝の炎症が回復途上で何とか良くなりつつあり、あと一息のところまできていながら先月の血液検査の結果は、炎症度数が再び悪化して松本先生ともどもがっくりして頭を痛めていた。

 しかし、自覚症状としては大分良くなり、一時は階段の昇降に往生していたのが、今ではほとんど心配がなくなっていた。ところが、2~3日前から左膝だけ痛み出し、昨日から大分きつくなり、今朝になって階段の上り下りにも不自由するようになった。これはまずいと通院中の松本整形外科へ駆け込んだ。X線で診てもらったが、骨には異常がないとのことで、多分一時的な痛みだろうと湿布することになり、しばらく様子を見ることになった。

 それにしても少々情けない。かつては健康優良児だったムッシュ・コンドーはどこへ行った?

 偶々今朝NHK番組でプロスキーヤー・三浦雄一郎さんが75歳にして、今年再び最高齢でエベレストに挑戦する話を再放送していたが、両足に鉛の錘をつけリュックにも錘を入れて毎日30分から2時間、町を歩いて歩行訓練しているという。三浦さんほどではないにしろ、もっと鍛えないと体力、健康面でどんどん後退、老化していくのではないかと心配になってくる。それにしても三浦さんのチャレンジャー精神には脱帽だ。

 夜のNHK「プレミアム10」では、甲状腺癌により手術を受けた韓国人テノール歌手ゼー・チェンチョルさんの歌手としての復活を賭ける苦闘を紹介していたが、歌手にとって致命的な喉の手術を再三に亘って受け、リハビリで再起を期す様子を、力づける日本人音楽プロデューサーの美談を織り交ぜながら、ドイツと日本を舞台にドラマ風に構成していた。何年に1人というくらいのテノール歌手の美声に魅せられた、日本人プロデューサーの涙ぐましいほどのバックアップぶりと、挫けそうになる歌手に対する家族ぐるみの愛情で前向きに進もうとする歌手の努力、そしてその2人の誠実な友情も興味をそそる。

 結局人生で一番大事なことは、何と言っても「健康」であるということを改めて思い知らされる。

2008年2月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

269.2008年2月7日(木) 寺島実郎氏出版記念講演会

 マス・メディアでもてもての寺島実郎・出版記念講演会の案内状をいただいたので、出かけた。会場の日本工業倶楽部ビルも、東京駅丸の内口前に建つ中々由緒のあるものらしく、鹿鳴館風で重厚な感じだ。こういう明治、大正期の建物はどんどん姿を消していく。銀座にある交詢社ビルだって、古めかしかったが中々趣のある雰囲気が気に入っていたが、いまは高層ビルに建て直されて単なるビルに変身してしまった。

 寺島氏は、単独で17冊目、共著も入れると25冊目というのだが、これだけ多忙を極めながら、いつも斬新な知識と資料を背に、新しい切り口でずばりと解説するところが小気味よく、それがマス・メディアに大受けするところだろう。私もいつも論理的に筋が通り、分析力に裏打ちされた寺島理論には感銘を受けているところである。講演に先立ち、3人のゲストがお祝いの挨拶をされた。最初は新著「脳力レッスンⅡ」の発行元・岩波書店山口社長、次いで朝日新聞社・箱島元社長、3人目がアジア開発銀行等で活躍されたアーサー・ミッチェル氏だった。それぞれ個性的な挨拶の中で、寺島氏の類稀な調査力に感心しておられた。山口社長が解説された「脳力とは、物事の本質を考える力」になるほどと思った。前著「脳力レッスン」は、情けないことに購入しておきながらまだ読んでいないが、寺島氏の話を聞くと、充分な資料を集め、分析し、現地を調査して、寺島流理論を生み出していることに頷ける。

 寺島氏の講義で、事前に配られたレジュメと実際の話を併せ考えても、新聞やテレビでは教えてくれない数字がいくらでも出てくる。その中でも「大ロシア主義」とか、中国本土だけではなく、香港、台湾、シンガポールを含めて中国人社会全体を構成する「大中華圏」の捉え方と分析には、目から鱗である。そして、氏が強調したのは、「現場主義・現場感覚」と「国内の知的基盤の劣化」だった。寺島氏は自ら産官学を実践しているという。産は三井物産で、学は早大客員教授として、官は日本総合研究所会長としてやっているが、元気な時にやらなければならないと思っているのは、この知的基盤の強化であり、それは官的な財団のシンクタンクではなく、さりとて野村総合研究所のような民のシンクタンクでもない。それらは限界があるという。氏の狙いは、本来目指すべき制約のない、成果が上がる中立のシンクタンクである。ひもつきではない、ブルッキングス研究所のような組織を立ち上げたいとつい本音を漏らした。

 終わって会場を変え懇親会に移ったが、顔見知りの人もいて、知研関係者では久恒理事長、さがみ信金の石川均氏、エーザイの浅尾悦子氏、それにふるさとTVの角広志氏にもお会いした。多摩大学名誉学長・野田一夫先生には以前にもお会いしているが、寛いだところで冗談半分に、寺島氏の理論と弁舌は素晴らしいがお話する時の態度が少々お行儀が悪いですねと話したところ、なるほどと言って直接本人に話してみたらと仰った。感想を率直に話したまででそんな気はないので、それでおしまいにしたが、野田先生もとても洒脱で愉快な人である。

 帰り際に軍事評論家・アナリストの小川和久氏にお会いして立ち話をした。小川氏は1月にトラベル懇話会で旅行業界のお歴々を相手にお話をしたということだった。私も現役のころ2度ほど講演をした会である。小川氏は旅行が好きで、出張でもすべて自分で旅程を組むと言っておられた。テレビで見る通り、とても感じのよい方だった。

2008年2月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

268.2008年2月6日(水) アメリカ大統領選の行方が気になる。

 国内では1週間前に発覚した中国冷凍食品の餃子中毒事件で、両国捜査当局も現場立ち入り調査やら対応で大童の様子である。

 一方アメリカでは大統領選へ向けて各州の民主・共和両党の予備選やら、党員集会が重なる昨日が、スーパー・チューズデイとして日米のマス・メディアの注目もヒートアップしている。時差の関係で日本時間では今朝辺りから少しずつ情報が入って、出だしは民主党ではオバマ候補が勢いづいていた。夜のニュースでは、22州のうち21州が決定してオバマ氏が13州、ヒラリー・クリントン氏が8州を抑えた。普通に考えるとオバマ氏が優勢と見られるところだが、如何せむ、このアメリカの大統領選出方法は、すっきりとは理解できない。代議員と称する本番で投票権を有する人の獲得数が決め手になる。代議員の獲得数だとヒラリー氏が若干リードしている。いつもならこのスーパー・チューズデイの結果で、ある程度勝敗の帰趨が決まるのだが、民主党の場合はまだ予断を許さない。日米の評論家諸氏がみんなそう言っているから、当分決着はつかないだろう。共和党は、マケイン氏が他の2人の有力候補者を圧倒してこのまま優位を保って8月の党大会までには決定しそうだが、まだ当分目を話せない。

 それにしても今日も株価が大幅に下がった。NY株式市場の下落の影響が大きいようだが、日経平均が700円近くも下がった。今日の終値はまたも13,000円割れ直前である。日経平均で5,000円分の下げは、政治と行政の責任だというのが、日経誌の意見である。にもかかわらず日本政府の首脳は何と暢気なことだろう。質問されてもいつも通りはぐらかし、福田首相に至っては、記者に逆質問して憂さを晴らしているありさまだ。説明もなく、対策もない。無能無策の政治家が、道路特定財源を死守する時だけ元気を出す。世界経済は荒れ模様であるが、皮肉を言えば、日本は静かで本当に平和な国である。

2008年2月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

267.2008年2月5日(火) 冬山遭難の他愛ない原因

 一昨日から冬山で遭難騒ぎが連続している。もう7人全員が遭難だろうと悲観的に見られていた広島のケースは、今日になって全員無事だったことが確認された。まずは、ほっとしたところだが、全員が厳しい冬山の気象を舐めていたことは明らかで、相当きついお灸をすえる必要がありそうだ。だが、2日間雪山を食料なし、装備不十分、避難箇所なしで彷徨えば、まず遭難するだろうと考えるのが普通である。幸い彼らが助かったのは、山中にある廃屋に避難したおかげだった。しかし、マス・メディアはそんな決定的なアイテムを見逃していた。調べれば分かりそうなものを、廃屋の存在すら知らなかったのか報道していなかった。マス・メディアの調査力もこんな程度でお粗末に過ぎる。

 ところが、この遭難騒ぎより程度の低い事故があった。愛知大学生の体育実習で二人の女子学生が雪崩により栂池スキー場で遭難死したことである。大学当局もあまり深刻に捉えている様子が見えないが、非常任講師の引率者が禁止された地域へ、禁止を承知のうえで無謀にも入って行ったというのだから呆れた。地元の人たちもこの「掟破り」には一部では憤慨し、とても理解できないようだ。これが大学の授業の一環だというのだから、いまの大学というのは何を教えているのだろうか。授業以前にルールとか法の精神を教えた方がよい。学生のレベルも相当落ちているが、教授や講師陣の思考停止ぶりも似たり寄ったりだ。

 この愛知大学というのは、冬山遭難に関しては前科がある。私が学生時代の昭和38年1月、北アルプス・薬師岳で同大山岳部パーティ13名が集団遭難して世間を騒がせたことがある。頂上付近の太郎小屋に避難しているのではないかと、生存に一縷の望みを賭けていたが、捜索隊が辿り着いた時、小屋には誰もいなかった。朝日新聞社・藤木高嶺カメラマンが「太郎小屋には誰もいなかった」というノンフィクション小説を出版した。当時も大騒ぎだったが、いままた半世紀ぶりに大学の悪しき体質を露呈した。同じ過ちを繰り返すというのは、自分たちの行為を反省していないことと、ルールを犯しても他人の目にさえ触れなければかまわないと考える体質が学内に巣食っているからである。こういう体質を「救いようがない」という。

 この愛知大学というのは、戦前上海にあった東亜同文書院の流れと伝統を継承する大学で、中国関係ではなかなか良い資料を保管している点で一目置かれていた名門校だった。さぞや先駆者や大先輩はがっかりしていることだろう。 

 それにしても今冬、性懲りもなく同じような無反省な事故が他の大学でも起きなければ良いが・・・。

2008年2月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

266.2008年2月4日(月) 地球温暖化は雲のせい?

 月刊「選択」2月号の巻頭インタビューで、地球変動や惑星科学の分野で業績を挙げ60歳前であるが、紫綬褒章も受章されている、東京工業大学教授・丸山茂徳博士が「二酸化炭素温暖化主犯説に物申す」と突然これまでの世の通説や常識を覆すような反論を展開している。いまになって基本的に二酸化炭素と温暖化は切り離して考えるべきだというのが博士の言い分だ。

 この百年間は温暖化傾向にあったが、これは0.5℃に過ぎず、歴史上異常とは言えないという。1940年から80年に気温は下降しており二酸化炭素主犯説は間違っていると言う。数字の根拠は部外者には分からないが、博士はこうも言っている。「大気の気温を決める最大の要因は雲にあり、雲が1%多ければ気温は1℃下がる」。つまり雲の量を調整できればよいと考えている。あとは専門的な言葉の羅列になり、素人には理解出来ない。

 しかし、こんな大発想を突然しゃべられても困る。二酸化炭素の排出による地球温暖化はすでに国際的にも定着したテーマであり、科学的にも証明されていたのではなかったか。気がかりなのは、こんな大事な学説をいとも簡単に個人的に主張されて、それが正当であるかのごとく丸山説が一人歩きをしてしまわないかということだ。それでも丸山説が正しいならまだ良い。だが、それにしても学者の中で議論を発展させたうえで、大方の意見がそうだと納得したのなら受け入れることは出来るが、「選択」誌編集長のインタビューに応える形で、これまで耳にしたこともない異論を発表されることは、これまでの地球温暖化説に異を唱えるもので、ただ世間を混乱させるだけではないだろうか。丸山教授はその辺りをどうお考えになっておられるのだろうか。

 われわれは、これまで地球温暖化は二酸化炭素の排出量が増えたせいだと思い込まされてきた。それが、突如一雑誌のインタビューに応える形て従来の定説に反する持論を発表することは、一般人を当惑させるだけであり、今後の地球環境行政にも多大な影響を及ぼすものと思う。

 まずは、学会内で意見を一本化したうえで、改めて世間に正しい説を発表していただきたいものである。

2008年2月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

265.2008年2月3日(日) 千の風になって

 天気予報通り今朝からしんしんと雪が降っている。昼ごろには雨になるとの予報だったが、ついに降りやまず一日中降り続いていた。都内の積雪は3㎝だという。一昨年にこんな大量の積雪があったかなあと思うが、とにかく最近では珍しい。幸い日曜日というせいもあり、外を歩く人もあまり見かけないし、車もあまり通らない。我が家の庭に降り積もった雪景色も中々風情がある。やはり、日本庭園の引き立て役は松ノ木と灯篭、そして築地だろうか。

 さて、毎日曜朝に放映されるテレビ朝日の「題名のない音楽会」を機会があれば結構楽しんで見ている。昨年司会者だった羽田健太郎氏が亡くなってから、臨時にいろいろな著名人が司会進行役を務めている。この番組は中々良い企画で内容自体も素晴らしいが、毎回司会者が代わっていて、視聴者常連としてはどうも気持ちが落ち着かず安定感がないような気がする。それが漸く4月から指揮者の佐渡裕氏が正司会者を務めることに決まりほっとしている。やはりこういうムード番組は、ある面で視聴者が聞きやすい番組構成と演出にはめることが大切で、それに視聴者が合わせて楽しむというスタイルを作り上げ、踏襲した方がよいように思う。佐渡裕も時折派出なパフォーマンスをやるので、今度はレギュラーとしてどういうショーを見せてくれるか、4月から楽しみにしている。

 今日の企画は「千の風になって」バージョンで、ミリオンセラーとなった「千の風になって」を、日本語作詞並びに作曲、そして最初の吹込みをやった作家・新井満、この曲を歌い一躍ブレークしたクラシック歌手・秋川雅史、ギタリストでギター曲に編曲した渡辺香津美、そして作曲家で千住式編曲をした臨時司会者・千住明がそれぞれ持ち味を出して名曲を披露した。

 作詞作曲された新井満氏が言っていたが、死とか墓とか、とかくタブーとされる言葉を取り入れて歌っているので、イメージが暗くなりがちであるが、この曲にはいろんな歌い方があっていい、秋川の歌は、日本晴れの歌だと言っていた。なるほどと思っていると、確かに秋川の歌はテノール歌手らしく声量たっぷりに高音で歌っている。新井本人はと言うと、一番と二番を朗読して、それからじっくり落ち着いて歌っていた。3年前のペンクラブ総会だったと記憶しているが、その前座で新井氏がこの曲を披露され、歌ったときあまりにも上手なので驚いたことがある。それがこの名曲を生で聴いた最初である。その場でCDを購入し署名してもらったとき、新井氏に上手ですねと言ったら笑っておられた。中々聞かせる。個人的には、秋川より新井氏の方が歌い方としては曲に合っているし、上手なような気がする。

 あまり知られていない話だが、その時の新井満氏の説明によると、新潟の親しかった友人が奥さんを亡くされて、友人と子どもを励ますために作った曲だと言っておられた。歌には、ひとつひとつ歴史とか秘話があるものである。

2008年2月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

264.2008年2月2日(土) 小田実を追想する。

 いま小田実さんについてエッセイを書いている。小田さんには、著書「何でも見てやろう」の通読以来、考え方、行動、文章表現等々の面で大きな影響を受けた。特に、ついぞ参加しなかったが、べ平連を結成し、中心的存在となった活動で周囲をぐんぐん引っ張っていく、あの情熱と行動力には脱帽だった。あれだけ、利他的なパフォーマンスをやれるということは、能力もさりながら精神的、宗教的に一途なものがないと難しいのではないかとさえ考えてしまう。敬服するのは、自らの行動が利己的な目的のために実行するのではなく、社会のため、一般市民のためという広い度量から生まれている純粋さである。それにしても実に惜しい人を失ったものである。

 先日玄順恵夫人からDVDを送っていただいたが、その1時間もののDVDを見ても、誠実な人柄が滲み出ている。若かったころ、そしてベトナム反戦運動をやっておられたころは、当時の政治家ともかなりやりあっていたが、近年表面的には、かつてのように政治的な運動面で目立つような活動はしていなかった。多分政治家と話し合っても時間の無駄以外の何物でもないということをしっかり悟ったのであろう。

 小田さんの文はいくつも読んだが、やはり「何でも見てやろう」が一番面白い。その中で、こういう文言がある。

 「ギリシャで、いやヨーロッパで、私がもっとも感動したものと言えば、私はためらわずにアテネのアクロポリスの丘をあげるだろう。私にとって、それがギリシャであり、またヨーロッパの、もっと大きく言えば『西洋』というものの、すくなくとも一つの根源であった・・・」

 この言葉に魅了され、私にとってもアクロポリスは憧れの地となった。初めてアクロポリスの丘を仰ぎ見た時は、小田さんに負けず劣らず感動した。その印象をエッセイにも書いた。以来、私はベトナム反戦運動ではいつも「ベ平連」の後ろを追うような活動だったが、その中心には常に小田さんがいた。

 いま憲法が改正されようという流れの中で小田さんのように、身を賭して「九条の会」を立ち上げ活動するような人はもう出てこないのではないか。惜しみても余りある、小田さんの死である。

2008年2月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com