昨日の朝刊訃報欄を見ていて、また1人印象深く、お世話になった方が亡くなられたことを知った。前日本遺族会会長・中井澄子さんである。享年90歳だった。
1970年代の半ば、太平洋戦争戦没者遺骨収集事業に関して、日本政府が中部太平洋地区でお世話になっていた、当時の国連信託統治領マリアナ諸島の高等弁務官アダ・ギルバート夫妻を当時の厚生省が日本に招待した時、日本遺族会の婦人部長を務めておられた方で、その後日本遺族会初の女性会長を務められた。なかなか頭脳明晰な方で一際目立って存在感のある女性だった。
その当時、たびたび厚生省や、日本遺族会へ伺っては多くの幹部の方に懇意にしていただいたが、中部太平洋地区の遺骨収集事業を毎年ご下命いただいていた関係で、ギルバート夫妻の羽田到着から見送りまでの間、ずっとつきっきりで行動を共にすることになった。当時の厚生省援護局丸山課長ともども都内観光から、1泊2日の箱根観光までずっとお供した。帰国前日になって九段会館で晩餐会が開かれ、その折始めて当時の日本遺族会・村上会長、中井婦人部長に紹介され、その席で通訳まがいのお手伝いをしたことを懐かしく思い出す。中井さんからは、その場で「ご苦労さまです」と慰労の言葉をかけていただいた。その後、サイパン出張の折に高等弁務官事務所を訪れ、ギルバート高等弁務官に直接記念写真を手渡しして喜ばれたことも懐かしい想い出である。
財団法人日本遺族会のネットワークは全国の隅々まで行き渡り、政治的、且つ社会的に強固な組織は九段会館内にある事務局を中心にして、その組織は中央集権制になっており、幹部、並びに職員はほぼ男性中心に構成されている。奈良県の中井さんのような地方出身の女性が、会長職まで務められるのは空前絶後で極めて異例である。それだけ中井さんのお人柄、能力と活躍ぶりは際立っていたのではないかと思う。言うべきことは毅然として主張される、大変芯の強い立派な方だった。お会いしたのはほんの数回であるが、いつも和服をお召しになっておられる素敵な女性だった。今でも印象に残っている女性のお一人である。心よりご冥福をお祈りしたい。 合掌