264.2008年2月2日(土) 小田実を追想する。

 いま小田実さんについてエッセイを書いている。小田さんには、著書「何でも見てやろう」の通読以来、考え方、行動、文章表現等々の面で大きな影響を受けた。特に、ついぞ参加しなかったが、べ平連を結成し、中心的存在となった活動で周囲をぐんぐん引っ張っていく、あの情熱と行動力には脱帽だった。あれだけ、利他的なパフォーマンスをやれるということは、能力もさりながら精神的、宗教的に一途なものがないと難しいのではないかとさえ考えてしまう。敬服するのは、自らの行動が利己的な目的のために実行するのではなく、社会のため、一般市民のためという広い度量から生まれている純粋さである。それにしても実に惜しい人を失ったものである。

 先日玄順恵夫人からDVDを送っていただいたが、その1時間もののDVDを見ても、誠実な人柄が滲み出ている。若かったころ、そしてベトナム反戦運動をやっておられたころは、当時の政治家ともかなりやりあっていたが、近年表面的には、かつてのように政治的な運動面で目立つような活動はしていなかった。多分政治家と話し合っても時間の無駄以外の何物でもないということをしっかり悟ったのであろう。

 小田さんの文はいくつも読んだが、やはり「何でも見てやろう」が一番面白い。その中で、こういう文言がある。

 「ギリシャで、いやヨーロッパで、私がもっとも感動したものと言えば、私はためらわずにアテネのアクロポリスの丘をあげるだろう。私にとって、それがギリシャであり、またヨーロッパの、もっと大きく言えば『西洋』というものの、すくなくとも一つの根源であった・・・」

 この言葉に魅了され、私にとってもアクロポリスは憧れの地となった。初めてアクロポリスの丘を仰ぎ見た時は、小田さんに負けず劣らず感動した。その印象をエッセイにも書いた。以来、私はベトナム反戦運動ではいつも「ベ平連」の後ろを追うような活動だったが、その中心には常に小田さんがいた。

 いま憲法が改正されようという流れの中で小田さんのように、身を賭して「九条の会」を立ち上げ活動するような人はもう出てこないのではないか。惜しみても余りある、小田さんの死である。

2008年2月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com