1020.2010年2月27日(土) 日本にもデフォルトの危機が襲うか?

 昨日沖縄で地震があったが、あまり気にも留めないでいたところ、今日夕方になって南米のチリでマグニチュード8を超える大きな地震があったという驚くべきニュースが入ってきた。詳しい情報はまだ得られていないが、津波が太平洋を横切り、南半球から北半球へやってきて日本には明日午後1時頃に到達するというから、そのスピードが速いのか遅いのかは分からないが、油断はできない。60年安保闘争の年にチリで地震が発生したことがある。太平洋を越えて日本にも津波が押し寄せ、三陸地方を中心に日本でも100人以上の死者が出るという大きな被害があったことを思い出す。

 先月ハイチで大地震があったばかりだが、このところ天災地変が各地に大きな被害を及ぼしている。どのくらい予防出来るか分からないが、警戒するに越したことはない。これから明らかになるであろうチリの地震被害が心配である。

 さて、このところギリシャの財政状況が危ういとの報道が目立っている。ギリシャ政府はEUの支援を受けつつ、再建策を模索しているが、その中で国民に厳しい忍耐を要求した。公務員の賃金カットや、年金支給額の削減、等々が国民を怒らせて大きなデモ騒ぎになっている。世界的な不景気は、ギリシャだけに留まらず、ヨーロッパ諸国を襲っている。今ギリシャ以外にも、ポルトガル、スペイン、イタリアが危機的状況に近づいているらしい。これらの国々のイニシアルを並べて、「PIGS」と呼ぶそうだが、何と「豚」ではないか。豚扱いされたこれらの国々は、今必死になって財政破綻から逃れようとしている。

 外国の財政破綻をこれまで対岸の火災視していたわが国だが、昨日の日経夕刊によると下手をすれば日本もデフォルトに落ち込む危険性があると警告している。日本の国債発行額が異常に多いことがその根拠である。昨年末国の借金が871兆円で国民1人当たりに換算しても7百万円を超えるというのだから空恐ろしい。仮に消費税の引き上げだけで財政健全化を目指すには、消費税率を35%に上げる必要があるとの試算がある。とてもじゃないが、非現実的である。

 しかし、こんな財政悪化が進捗する中で割合のんびりしていられるのは、日本の経常収支が黒字であることと、国債の90%以上を日本人が買っているからだと言われている。それにしても毎年毎年国債発行を繰り返しながら、一向に財政立て直しを論議しようともしていない。まだ、新聞で報道している程度で政治家や財務省の官僚たちは、まだ目覚めてはいないらしい。

 いつまでも国債を発行し続けて、挙句の果てに国を破綻の方向へ向かわせようというのだろうか。

2010年2月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1019.2010年2月26日(金) バンクーバー・オリンピックに思う。

 バンクーバー・オリンピックも今やたけなわで、どのテレビ局もオリンピック競技をわれ先がちに放送している。一昨日女子フィギュア・スケート・シングルが始まるや、そのフィーバーぶりは頂点に達し、一億国民が浅田真央選手の金メダルを希う有様である。朝から晩まで浅田とライバルの優勝候補、キム・ヨナ選手をあの手この手で取り上げ、そのエスカレートぶりは、国会論戦や沖縄米軍基地問題などそっちのけで、まったく眼中にない感じである。女子フィギュアのように、これまでにこれほど「一時的に」熱の入ったスポーツ種目は近年ないのではないかと思わせられる。結果はSPで1位に立ちリードしていたキム・ヨナ選手が、今日のフリー競技でも浅田選手を圧倒して金メダルを獲得し、浅田は銀メダルだった。それでも2人の好勝負は大きな感動を呼んだようである。実力伯仲の2人の勝負は、まだこれからも続くのではないだろうか。

 それにしても、フィギュアのように伝統のある競技は見応えがあるが、近年急速にスポットライトを浴びるようになった競技にはどうもあまり興味が湧いてこない。夏季オリンピックには、新しい種目はそれほど増えていないようだが、改めてバンクーバー大会を見てみると、知らないような競技が多い。特に近年になって新たに冬季大会に加わった競技は、一般人が楽しめるようなものが少ない。高価な用具を使うことと、競技場が特殊な場所に限定され、誰で出来るというものではないようだ。これではオリンピックの精神に悖るのではないか。

 かつてはなかったパラレル大回転、モーグル、エアリアル、スノーボード・クロス、スキークロス、リュージュ、ハーフ・パイプ、スケルトン、カーリング等々は、用具にお金がかかるうえに設備や施設にもお金がかかりそうで、誰でも気軽にプレイ出来るスポーツとは言えない。こういう競技種目をメジャースポーツ化するのは、長い時間がかかるし相当な資金を必要とすると思う。それに一番頭を悩まされるのは、これらのスポーツが進化すれば、概して危険性がより増してくるということである。用具とか機械を使用するようになれば、当然極限まで追及するようになる。それはスポーツというより危険な曲芸への転換を意味する。世紀の祭典で危険と背中合わせの競技を開催して、果たしてどれだけの意味があるのだろうか。

 今度の大会でも開幕前に練習中の事故で1人の選手が亡くなった。ほどほどなら良いが、最近の傾向は物珍しさとか、新し好きばかりが目立って、極端に走り見境がないような気がする。

 何でもかんでも土地の名物競技なら取り入れようとするのを1度検証して、オリンピック精神に則っているのかどうかをじっくり精査して、整理することを考えてみることも大切ではないだろうか。そんなことが頭をよぎった。

2010年2月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1018.2010年2月25日(木) これが公正か? 意地悪なアメリカの公聴会

 日本時間の明け方近くに続けられていたアメリカ議会の公聴会2日目は、トヨタの豊田章男社長を参考人に召還して、トヨタ批判の急先鋒の議員を筆頭に豊田社長にあらゆる質問をぶつけた。一見してこういう場が得意ではなさそうな豊田氏の顔にはスマイルが見られず、終始暗い表情でうるさ型の議員の質問に応えた。

 しかし、これではまるでつるし上げである。公開処刑である。豊田社長はアメリカ中のさらし者になっている。この公聴会というシステムは、果たしてその名に叶った公聴会の公聴会になり得ているのか疑問でさえある。こういう魔女狩りを利用して不正を暴くとか、国民の安全のためと詭弁を弄して今後も続けていくとするなら、これは最早自由主義ではなく、一種の経済統制ファッショではないかとこの公聴会という制度そのものに疑問を呈せざるを得ない。

 今日の豊田社長は昨日のレンツ社長ひとりの時とは違って、別の北米統括会社の稲葉社長と同席し、自分の考えを述べた。しかし、出席した12人の議員の質問に対して応えたトヨタの考えが、彼らに必ずしも納得されてはいないとの印象を受けた。3時間半の公聴会を終えて豊田社長は、アメリカのトヨタ関係者の討論集会で励まされたことに感激したのか、つい涙ぐんだが、このあたりは正直なところもっと我慢して、涙を見せないで欲しいと思った。

 こういう公衆の面前では、ディベートの経験が足りないような応答ぶりの豊田社長は、今後アメリカにおける出番が増える事態に備えて、これからでも良いから質疑応答のトレーニングを積んだ方が良いと感じた。

 それにしても、アメリカ側議員の「日本とアメリカの文化の風土が違う」とか、「アメリカの顧客を軽視しているのではないか」や「苦情を社内に伝えないような内規でもあるのか」のような無礼な質問に至っては、日本最高の国際企業を何とかへこませてやろうとの底意地の悪い気持ちが見え隠れしているような気がしてならない。これこそジャパン・バッシング以外の何物でもない。

 しかし、ともかくこの危機を切り抜けるのはトヨタ自身に他ならない。一日も早くこの苦境を脱して立ち直って欲しいと願うばかりである。それはそれとしてどうもアメリカ人の手法が理解できない。

2010年2月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1017.2010年2月24日(水) トヨタ・リコール公聴会開催される。

 銀座4丁目の一等地、鳩居堂画廊で日中水墨研究会作品展が開かれている。酒のペンクラブの勝野定典(雅号白山)さんからご案内状をいただいたので、根を詰めて納税申告書類を作成していた束の間にちょっと覗いてみた。勝野さんの「山寺景勝」がとても良い。話に聞くと山寺の長い石段を登っていた時は、霧がかかっていたが、上に到達したらガスが消え失せたそうで、その感じを描いたと言っておられた。その研究会の代表者で中国人の史志輝氏の作品がすごい。案内状に氏の絵が印刷されているが、その写真だけを見ていてもその凄さは分からないが、原画を見るとまさに驚きである。顔を近づけて食い入るように細かいところまで観察すると、虎の毛皮がまるで本物に見えるし、虎の目が光っていて生きているようだ。ここまで写実を極めると写真も顔負けである。恐れ入った。作品展は水墨画ということだったが、かなりカラーを使っている作品もある。何でも墨彩画というらしい。

 こういう高尚な趣味を持っている人を羨ましく思う。

 さて、トヨタのリコールを巡るアメリカ議会の公聴会が開かれた。今日はアメリカ・トヨタ販売ジム・レンツ社長が呼ばれた。

 予めマス・メディア報道でラフな情報は承知しているが、これまでのアメリカのトヨタ批判のやり方も少しやり過ぎだと感じていた。確かに当初のトヨタの対応は遅く、稚拙だった。そこにアメリカ国民によって厳しく追求されるそもそもの原因があった。しかし、それにしてもトヨタは反省の言葉を述べ、謝罪し、販売下落というお灸もすえられている。しかも、リコールに応じて車の改良も約束している。それでもアメリカのやり方は容赦しない。少々えげつない。どこまでトヨタをやっつければ気が済むのだろうか。アメリカ人の行動には、少々子どもの苛めめいたところがある。

 公聴会をテレビで観た限りで言えば、これはもう中世ヨーロッパの魔女狩りと変わらないのではないかと思う。公聴会の雰囲気もとても民主的と呼べるようなものではない。こういうスタイルが引き継がれてきたこと自体、むしろアメリカ社会の特異性と異常性を現していると思う。レンツ社長は中央の高い席から多くの質問者に取り囲まれ、矢継ぎ早に鋭い質問を浴びせられる。徹底して「悪者」を追い詰める構図である。トヨタ車に乗っていて事故を起こした被害者が参考人証言を行ったが、トヨタの酷さを涙ながらに訴える。お涙頂戴の芝居がかったパフォーマンスで全米の視聴者の同情を買おうとしているようにも見える。そこには、アメリカが声高に叫ぶ「公平」「公正」など微塵も感じられない。

 アメリカ社会とアメリカ人は、自他ともに表面的には民主主義を具現しているように見える。しかし、それは自分たちにマイナス効果が及ばない場合に限られる。これまでアメリカ社会の象徴だった自動車会社、GMやフォードが、トヨタを始めとする日本車の後塵を拝するようになると、一点たりとも日本車のミスを許さない。もはや日本という国を許せないかの如きムードが忽ちの内に燃え上がる。実はこれこそがアメリカ社会、アメリカ人のクレージーな本音なのではないだろうか。公聴会は延々8時間にも及んだ。

 明日はトヨタ本社の豊田章男社長が出席する。豊田社長へどんな辛らつな質問が浴びせられだろうか観察してみようと思う。いかに正義の味方を装っていても、所詮アメリカ人も自分本位であることが分かるのではないか。

2010年2月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1016.2010年2月23日(火) あさま山荘事件を取り扱った2つの映画作品

 一昨日ベルリン国際映画祭で寺島しのぶが女優主演賞を贈られた。若松孝二監督作品「キャタピラー」で日中戦争中に手足を失った軍人の妻を熱演した演技が、外国人記者から高く評価された模様だ。若松監督作品としては、昨年3月に映画祭を開催中の所沢まで出向いて「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を観たが、その時監督と60年安保の話をしたことを思い出す。あさま山荘事件も今から38年前のちょうど今頃、雪の中で起きた凶悪事件だった。

 あさま山荘事件を取り扱った映画作品としては、他に2002年に原田真人監督が制作した「突入せよ!あさま山荘事件」があり、シンポジウムに出席した若松監督は、原田作品は権力サイドから制作されたもので、赤軍派の行動が何も描かれていないと語っていた。この事件の主役は赤軍派であり、彼らについて一切描かれていないのは不自然だし、真実ではない。自分は反権力の立場から描きたいと思っていたと話していた。

 赤軍派内の抗争、リンチ、殺人、挙句の果てに山荘侵入人質事件となって暴発した。原田作品の5年後にその凄惨な過程を赤軍派側から描いたのが昨年観た若松作品だった。機会があれば、原田作品も観て2つの作品を比べてみたいと考えていた矢先に、タイミングよく昨晩原田作品がテレビ放映された。

 先日全共闘運動を取り上げたミュージカルを観たばかりで、何かもやもやと60年安保や全共闘時代の学生運動のイメージが駆け巡っている。

 原田作品は確かに若松監督が指摘していたように、権力側からのアングルで撮ったものである。まったく赤軍派内部の様子は映していない。確かにこれでは、社会派の若松監督ならずとも、消化不良を起こしそうだ。警察庁、長野県警、現場の警察車両内など、ほとんど警察サイドの物語に終始している。その点から言えば、作品としての質、描き方、アプローチの仕方等、どれをとっても若松作品の「あさま山荘」に軍配を上げる。

 実は、この原田作品がテレビ放映されたのは、数日前に亡くなった俳優・藤田まことさんの追悼番組としてである。藤田まことは、実在の人物、後藤田正晴・警察庁長官役で出演している。

 回りくどくなってしまったが、寺島しのぶの「銀熊賞」受賞は、日本人として田中絹代以来35年ぶり3人目(最初は「日本こんちゅう記」の左幸子)だそうである。父親の尾上菊五郎、母親の富司純子も大喜びであるが、彼女の才能を見事に引き出した若松孝二監督はやはり非凡な人である。

2010年2月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1015.2010年2月22日(月) 就活学生に人気のある観光業

 昨日長崎県知事選挙が行われ、3期で勇退した金子原二郎・前知事に代わって立候補した自民党系の元副知事が民主党が推した元官僚ら6人の対立候補を破って初当選した。

 金子前知事の1期目の頃に、毎年恒例の大きな請負団体の旅行シリーズで壱岐・対馬を企画し、金子前知事からパンフレット上に歓迎の言葉をいただいたことがあるが、種明かしをすれば、実はあの文章は私が代筆したもので、それを長崎県観光課から承認していただいたことを懐かしく思い出す。

 折りしも鳩山首相と小沢幹事長の「政治と金」問題のせいで、民主党及び鳩山政権に対する支持率は下降気味で、小沢氏の求心力も低下している。民主党にとってはその最中の知事選敗北である。昨年の衆議院選挙では長崎県全小選挙区で民主が完勝した。夏の参議院選挙の前哨戦といわれた矢先の選挙に負けたことは、民主党内に衝撃を与えている。

 首相も幹事長も国民を甘く見ている節がある。検察から起訴されなかったことを以って疑いは晴れたような口ぶりでは、とても反省しているようには思えないし、本当の意味で国民への説明責任を果たしているとは言えない。民主党内にも肝を冷やすような地震があった方がよい。政治資金の不透明さについて説明責任を果たし、真摯に反省しなければ、夏の参議院選挙だってどうなるか分からない。

 さて、日経朝刊の就職特集広告を見てみると大学生に人気のある企業が100社ばかり挙がっている。ここにも最近の学生の好みが表れているが、個性発揮の時代と言いながら、相変わらず安定志向、つまり寄らば大樹の陰と享楽傾向が窺える。

 ベスト10は銀行、保険、商社、観光業の大手企業で占められている。食品会社やマス・メディア、製造業がないのはどういう理由からだろうか。志望理由の中で目立つのは、国際性と規模の大きさである。その国際性と規模を満たし、そのうえ面白そうだというのが、ご存知「JTB」志望者の声である。これを見ていると心配な面もある。観光業は確かに面白い。だが、学生たちに果たして観光業の実態と裏がどのくらい分かっているだろうかという心配である。むしろ、厳しく、辛い仕事の方が多いのだということを知っておいて欲しい。

 旅行業を目指す人に案外多いのは、仕事は自分が楽しむのではなく、お客を楽しませることだということをよく分かっていないことである。

 ともあれ旅行業も昔に比べれば日の目を見るようになってきた。旅行業を見る世間の目も割合好意的になってきた。その中で仕事をするのは、張り合いもあるし、仕事もし易い。その点でわれわれの時代よりずっと恵まれている。

 今日観光立国が叫ばれるようになった。難しい問題もあるが、やはり観光は楽しい。国の政策に沿って仕事が出来ることも幸せなことであり、今のエージェントマンが何とも羨ましい。そんなことをふっと思った。

2010年2月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1014.2010年2月21日(日) 今朝の産経新聞に注目!

 今朝の産経新聞に「知の現場」の書評が掲載されていると連絡をもらったので、近くのコンビニで産経朝刊を買い求めた。18日の河北新報と同じようにカラー写真の表紙と好意的な書評が載っている。これだけ宣伝してもらえれば、これからも販売は伸びるのではないかと期待出来る。その書評をスキャンしてメル友に送信したところ、早速小中陽太郎さんからメールをいただき喜んでいただいた。

 さて、久しぶりに手にした産経朝刊フロント・ページに右寄りの産経らしからぬ大きな記事が二つも載っている。

 ひとつは、4月から実施予定の民主党マニフェストの目玉「子育て・教育」の中に盛り込んだ、高校生授業料無償化に関して、朝鮮学校生徒を対象から除外するよう中井洽・拉致問題担当相が川端達夫文科相に要請した問題である。日本人拉致問題で進展が見られず、北朝鮮に対して強い姿勢を示すために申し出たものである。現段階では高校と同等とみなされる各種学校の生徒には、私立高校生と同様に支給すると先月の閣議で決定されている。朝鮮学校は各種学校の認可を受けているので、当然支給対象となる。文科省内でも「北朝鮮への制裁強化と子どもの教育問題は分けて考えるべき」との慎重な意見が強いらしい。それは当然そうだと思う。確かに北朝鮮政府のやり方は陰湿であくどいと思うが、文科省が日本の学校と同じように各種学校として認めている以上、教育的見地からも差別すべきではないと思う。産経はどちらとも意見は述べていないが、取りようによっては中井大臣の要請はおかしいと言っているように思える。今まで右翼的色彩が強かった産経にしては「あれ?」という感じである。

 もうひとつは、中国共産党の独裁体制を批判して収監され、刑期を終えて出獄後も体制批判を止めず、2年前に民主主義体制への移行を訴えた「08憲章」の起草に関わったとして逮捕された劉暁波氏に対して、11年の刑が確定したニュースである。

 54歳の劉氏にとっては、敢えて厳しい戦いに臨むわけである。劉氏への有罪判決は、中国政府が憲法で規定している「言論の自由」や「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に反しているとの批判が湧き起こっている。劉氏は政府に挑戦して、中国の不条理を世界へ訴えようとしている。今後劉氏へ対する国際的な支援運動が巻き起こってくることを期待したいと思う。

 それにしてもこれらの問題を産経が大きく取り上げるとは意外な気がする。

 注目していきたいと思う。

2010年2月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1013.2010年2月20日(土) 学生運動のミュージカルを観る。

 知り合いの国友よしひろさんからミュージカルに出演する度に案内をいただく。国友さんの所属する「ミュージカル座」結成15周年記念公演「TIME FLIES」が、北千住駅前の「THEATRE 1010」で行われている。1968年の全共闘の運動をテーマに取り上げているようなので、どんなショー構成になるのか興味を持って出かけた。生憎妻は高校時代の友人と姫路城、倉敷、安芸へ旅行中なので、ひとりで出かけた。

 リーマン・ショック以来厳しい就職戦線に見舞われている2人の大学生が、就職活動をやっているが中々思うように行かない。その彼らが幼稚園でウルトラマンになって煙の中に入っていったら、タイムスリップして1968年の大学闘争現場に現れるという設定になっていて、時代的に1968年と現代を往復するストーリーとなっている。最後は大学構内に立てこもった学生が、機動隊によって検挙され、闘争をリードした中心人物が現代になってアフガニスタンでNGO活動に従事し、学生の1人は大学を休学してボランティアでアフガンへ行き、もう1人は父親の建設業を継ぐというシナリオである。

 あの時代について考えさせられたが、それでも68年の全共闘時代、所謂70年安保世代とわれわれが闘った60年安保世代とは一味違う。68年頃から始まった全共闘の闘いは、東大・日大などの学園紛争に、成田空港建設反対闘争、あさま山荘事件、ベトナム反戦運動など拡大させていく過程で昂揚していったが、一方で活動は内ゲバもあって内部分裂しセクトに分かれていった。60年に安保闘争で敗れて安保条約が改定され、条約期限の1970年に第2次安保闘争が盛り上がるものと期待された。しかし、全共闘による70年安保闘争は成熟せず、腰砕けのような格好で終わり、われわれ60年安保を闘ったものとしては、些か拍子抜けだった思い出がある。

 今の若者にはこの時代にあれほどまでに日本の将来を見据えて、目先の利に捉われず、ひたすら平和を希求して真剣に闘った学生たちの気持ちは分からないだろう。確かに時代は大きく変わった。だが、それだけではない。当時の学生たちは、生きることの意味、世界平和、人間の理念等々を真剣に考えていたように思う。

 久しぶりにあの全共闘時代の少し前、60年安保時代を懐かしく思い出した。

 ミュージカルとしては、ミュージカルらしからぬ構成で恋愛もないストーリーだったが、私は充分満足した。しかし、観客の半分以上を占めていた若い女性ファンにとって、恋愛のない舞台は果たして満足のいくものだっただろうか。聞いてみたいような気もする。

2010年2月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1012.2010年2月19日(金) 「知の現場」、仙台地区でビジネス書販売第8位

 昨夕TEI社の図解塾で「時事問題」の2回目「子ども手当て」について講義をした。1回目の雰囲気が分かっていたので、もう少しグループ分けした場合の同じグループ受講生同士が話し合って、共同作業をした方が良いと感じていた。

 「子ども手当て」について2010年度予算承認案と11年度以降の予算実行に関して、ポイントをいくつかに絞り、果たして毎年5.3兆円もかかる子ども手当てが来年度以降継続実行出来るのかどうか、という点に的を絞ったイメージを図解化するという考えを説明した。前回は個人的に図を作成するだけだったが、昨日は個人で作成し、その後グループで作り、それを発表するという2ステップ・スタイルを採ったので、同じグループ内の交流と話し合いが活発となり、図解も良いものができ上がったと思う。

 受講生も図を描くことを楽しんでいるように感じたので、これこそ本来の図解を描く目的が達せられたのではないかと感じた。

 3月にもう一度同じ形で講義を行うので、今回の講義体験を活かしてより分かり易い講義をしたいと思っている。

 さて、「知の現場」が昨日の河北新報夕刊に書評が載っているとプロジェクトのスタッフが送ってくれた。表紙のカラー写真がそのまま載っている。それより嬉しいのは、数々あるビジネス書の中で、「知の現場」が堂々「ビジネス書ランキング」の第8位にランクアップされていることだ(丸善仙台アエル店調べ)。すべてが順風満帆というわけではない。重版を目前にして、いくつか問題も抱えている。その中で私が書いた野村正樹氏取材原稿に、野村氏が「作家・最相葉月さんから聞いた話ですが、鉄道には『‘f分の1’ゆらぎ』があり、鉄道の揺れは脳によい」と発言した記事について、最相氏自身からそのような非科学的な発言をした覚えはないとクレームがあったことである。野村氏からは先日自分の勘違いと電話で言ってこられたので、知研HPにその旨お詫びをして重版で訂正すると告知したが、まだ最終的な決着はついていない。そんな中でビジネス書販売高8位とはともかく明るいニュースである。

 ところで、今日バンクーバー・オリンピックの男子フィギュア・スケートで高橋大輔選手が銅メダルを獲得した。この種目で日本人初のメダルであり、めでたい限りである。他に織田信成が7位、小塚崇彦が8位となり出場した3人全員が入賞した。高橋のメダル獲得では各地で号外も出ているようだ。服装問題で物議を醸したハーフ・パイプの国母和宏は昨日決勝へ進んだが、メダルには手が届かなかった。

 所詮スポーツの世界は、「勝てば官軍負ければ賊軍」である。素行についてとやかく非難された国母選手も恐らく昨日勝っていれば賊軍とはならなかっただろう。このままでは、帰国してから思いやられる。

 それにしても社会人としての最低限のマナーと嗜みは欠いてはならないだろう。

2010年2月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1011.2010年2月18日(木) こじれるトヨタ・リコール問題

 昨日もトヨタ自動車の豊田章男社長が記者会見を行った。これで今月に入ってから3度目である。会見の様子を見ていると、社長はどうもこういう場が得意ではないように思える。それが、リコール問題が表面化しても社長自ら中々公の場へ出てこなかった本当の理由だろう。難しい問題は傍にいる副社長が代わって答えるという質疑では、記者が納得する筈もなく、社長のコメントを求められてやっと応じるというあまりすっきりしない会見となった。

 しかし、アメリカの「トヨタ包囲網」を狭める追及は容赦ない。アメリカ運輸省高速道路交通安全局(NHTSA)は、トヨタに15億円近い制裁金を課することを視野に入れているようだし、アメリカ議会も公聴会を開催してトヨタ側責任者の出席を要求することになるかも知れない。

 今回このリコール事件で知ったことが2つある。ひとつは、車の動力装置はすべてマシーンによるものだとばっかり思っていたが、必ずしもそうではなく部品のほかにコンピューターソフトによるオペレーションがあるらしい。2つ目は、ブレーキとアクセルの相関関係である。ブレーキをかけてもすぐ作動するわけではなく、アクセルがそのまま作動するケースがあるそうだ。後者の場合は、特にドライバーの感覚が左右して、一概にブレーキが効かないと断定も出来ないらしい。だが、これは車に熟達した人の場合であって、アマチュア・ドライバーにとっては命にかかわる問題である。この疑問をぶつけられた時、トヨタ役員はドライバーの感覚の問題と退けたが、冗談じゃない。こんな「トヨタ感覚」でいるから問題がこじれるのだ。

 だが、ほかの日本車だって同じようなオペレーション・システムになっているとするなら、ここは謙虚に利用者の安全のためにはどうしたら良いかという根本的な問題に的を絞って事故の起こらない車を生産して欲しい。

 それにしてもアメリカの執拗さには驚くばかりである。かつて1980年代に対米輸出が引き金となった貿易摩擦問題とは背景は違うとは言え、いささかアメリカも異常である。いやアメリカ国内で長年商売をやっていて、その異常さに気がつかないトヨタはもっと異常かも知れない。

 一昨日ツタン・カーメンに関してエジプトで驚くべき発表があった。世界的に有名なエジプト考古学庁長官のザヒ博士が世界中から集まったジャーナリストを前に、DNA検査の結果ツタン・カーメンの死因は、これまで噂のあった暗殺などではなく、マラリアに罹った可能性があることを示唆した。また、3体のミイラを公開してそれらはツタン・カーメンの祖母と両親のものだと明かした。ツタン・カーメンと言えば、若くして亡くなった最も神秘的な国王のひとりである。死亡年齢も19歳と発表された。

 ロマンとして静かに空想していたことが分かるのも悪くはないが、3300年以上も昔の傷んだミイラを前に、科学的なDNA検査により何でもかんでも明かしてしまうやり方には、あまり賛成出来ない。

 ツタン・カーメンのマスクが展示されているカイロ市内のエジプト考古学博物館にも、ツタン・カーメンのマスクが発掘されたルクソールの王家の谷にも訪れたことがあるが、発掘して研究するだけで充分で、1つ1つのミイラの素性まで明かす必要があるのかと考えるのは、来世生まれ変わったら考古学者になろうと夢見ている人間としては探究心不足だろうか。

2010年2月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com