バンクーバー・オリンピックも今やたけなわで、どのテレビ局もオリンピック競技をわれ先がちに放送している。一昨日女子フィギュア・スケート・シングルが始まるや、そのフィーバーぶりは頂点に達し、一億国民が浅田真央選手の金メダルを希う有様である。朝から晩まで浅田とライバルの優勝候補、キム・ヨナ選手をあの手この手で取り上げ、そのエスカレートぶりは、国会論戦や沖縄米軍基地問題などそっちのけで、まったく眼中にない感じである。女子フィギュアのように、これまでにこれほど「一時的に」熱の入ったスポーツ種目は近年ないのではないかと思わせられる。結果はSPで1位に立ちリードしていたキム・ヨナ選手が、今日のフリー競技でも浅田選手を圧倒して金メダルを獲得し、浅田は銀メダルだった。それでも2人の好勝負は大きな感動を呼んだようである。実力伯仲の2人の勝負は、まだこれからも続くのではないだろうか。
それにしても、フィギュアのように伝統のある競技は見応えがあるが、近年急速にスポットライトを浴びるようになった競技にはどうもあまり興味が湧いてこない。夏季オリンピックには、新しい種目はそれほど増えていないようだが、改めてバンクーバー大会を見てみると、知らないような競技が多い。特に近年になって新たに冬季大会に加わった競技は、一般人が楽しめるようなものが少ない。高価な用具を使うことと、競技場が特殊な場所に限定され、誰で出来るというものではないようだ。これではオリンピックの精神に悖るのではないか。
かつてはなかったパラレル大回転、モーグル、エアリアル、スノーボード・クロス、スキークロス、リュージュ、ハーフ・パイプ、スケルトン、カーリング等々は、用具にお金がかかるうえに設備や施設にもお金がかかりそうで、誰でも気軽にプレイ出来るスポーツとは言えない。こういう競技種目をメジャースポーツ化するのは、長い時間がかかるし相当な資金を必要とすると思う。それに一番頭を悩まされるのは、これらのスポーツが進化すれば、概して危険性がより増してくるということである。用具とか機械を使用するようになれば、当然極限まで追及するようになる。それはスポーツというより危険な曲芸への転換を意味する。世紀の祭典で危険と背中合わせの競技を開催して、果たしてどれだけの意味があるのだろうか。
今度の大会でも開幕前に練習中の事故で1人の選手が亡くなった。ほどほどなら良いが、最近の傾向は物珍しさとか、新し好きばかりが目立って、極端に走り見境がないような気がする。
何でもかんでも土地の名物競技なら取り入れようとするのを1度検証して、オリンピック精神に則っているのかどうかをじっくり精査して、整理することを考えてみることも大切ではないだろうか。そんなことが頭をよぎった。