3034.2015年9月3日(木) 今日はマヤ暦「地球滅亡の日」

 今日は陰陽道でいう「先負」であり、今年は訴訟とか、揉めごとに悪い日とされている。昭和20年の昨9月2日はミズーリー号艦上で日本の重光葵外相が降伏文書に署名して、日本の敗戦が諸外国から受け入れられた画期的な日である。爾来この3日を終戦記念日と捉えている国が多い。その中で中国は今日記念式典と、毎年10月1日の国慶節に行っていた抗日戦争勝利の軍事パレードを今年は過去最大規模で行った。

 記念式典には、欧米先進諸国の首脳が揃って欠席した中で、ロシア、韓国など23カ国の首脳が出席した。早くから今日のパレードのため厳重な警戒態勢が取られ、天安門広場周辺の企業は一時的に業務停止状態を余儀なくされた。かつての権力者で今や牙を抜かれた江沢民・元国家主席、胡錦濤・前国家主席を従えたような配置で演説した習近平・国家主席は、自信たっぷりに侵略を受けた歴史からの決別と、平和的な台頭を目指す中国の立場を強調し、兵力を30万人削減すると述べた。ただ昨今の中国は口で平和を叫ぶより、南シナ海の海洋進出を止めるべきだし、今日のパレードでも空母を目標とする弾道ミサイルや最新兵器などの軍事力をこれ見よがしに見せつけるようでは、どこまで信用出来るだろうか。兵力の削減にしても期限を公表すべきで現状では説得力がない。

 私も今年に限って今日9月3日に格別の拘りがある。実は「JAPAN NOW観光情報協会」定期機関誌5月号コラム蘭に古代マヤ文明の予言にあやかって9月3日を「地球滅亡の日」と書いたコラムを寄稿した。私が思いついた地球滅亡の日ではなく、あくまでマヤ暦に基づいたひとつの仮説である。マヤ暦によると、現代の第5太陽期は紀元前3113年に始まり、終末はその5135年後に訪れ、本年9月3日とされた。だが、当初は2012年12月21日が「地球滅亡の日」とされ、当時科学雑誌などでも話題となり、関心を呼んでいたが、何事も起こらなかった。そんな筈はないと意気込んだマヤ文明研究者が精査したところ、その5000年間の閏日が落ちていたことが判明し、改めて閏日を加えて計算し直した結果、地球滅亡は3年後の今日9月3日に修正されたのである。しかし、メディアでは3年前にあれほど熱気があった「地球滅亡の日」が今年はメディアでまるで話題になることもない。メディア側にはもう騙されないぞとの意趣返しのような気持ちがあるのだろうか。

 いずれにせよ世間は平静であるが、それでも今晩0時まではマヤ暦による地球滅亡の可能性を秘めている。明朝このまま地球が破壊され、私も目を覚ますことがなければマヤの神の予言通り終末を迎えたということになる。明日私はこの世に存在しているだろうか。

2015年9月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3033.2015年9月2日(水) 小学女児とヤモリを捕まえる。

 後期高齢者になって間もなく2年になるが、決してそのこと自体将来の夢と希望が薄まるわけではない。しかし、どうもこの「後期」という言葉があまり気に入らず、代わりに「光輝」という言葉を母校応援歌の「光輝充てるわれら、希望の明星~」に準えて愛用し、慶應病院の医師、看護師さんらにもPRして来た。そして、1年ほど経って「光輝」に代えて「高貴」を使い、意外にもそれが気に入り今では「高貴高齢者」を勝手に名乗っている。

 実は、今日微笑ましいことがあった。後期高齢者用に都営交通機関とバスを低廉価格(千円で1年間有効)で利用出来るシルバーパスを交付してもらうため、近くの深沢区民センターへ出かけた。20分程歩いて行ったが、その途中で近くの東深沢小学校から帰途途中の子どもから2度も声をかけられたのだ。

 最初に小3生ぐらいの男児から「こんにちは」と声をかけられた。この近辺に住んでいる子でしばらく他愛ない会話を交わして別れた。すると今度は道路傍にしゃがんだ同じ年くらいの女児に、この動物を捕まえたいと声をかけられた。よく見ると5㎝足らずの小さなヤモリがじっと動かないでいる。

 ヤモリと言えば、新婚旅行でタイ・アユタヤの安宿に宿泊した時、天井に這いつくばっていたヤモリが何度か床に落ちて妻が薄気味がったことがある。本来ヤモリは「家守」と書いて、ヤモリがいると家内安全だという言い伝えがあるが、漱石の「それから」では、「守宮」と書いてヤモリと読ませる。

 少女がヤモリを捕まえられないというので、ティッシュペーパーで捕捉してあげ、道々話をしながら女児の家の前で別れた。屈託のない子で、今時珍しい子だなぁと心が綻ぶような気になった。

 そして今度は「高貴高齢者」の女性である。交差点で自転車を停め、何やら道に迷っているようだったが、通り過ぎたところで、深沢区民センターへ行くのはどう行ったら良いでしょうかと尋ねられた。私もそこへ行く途中なので案内しましょうと言ったところ、それでは目的は同じでしょうと見事に当てられてしまった。そんな事情で「高貴」な女性と一緒に区民センターまで歩いて来た。少女とのやり取りを見ていたその女性は、最近の子どもは外で遊ぶことが少ないから、ヤモリも珍しいのでしょうが、あの女児はヤモリを怖がっていませんでしたねと言い、私たちの時代に比べて自然に触れる機会が減って今は子どもにとって可哀そうな時代だと言っていた。

 帰宅して、書斎でパソコンに夢中になってふっとお隣さんの庭先を見ると、大きな樹木にシジュウガラが数匹とオナガドリが番いで留っている。何だか短い時間に昔の自然を思い出させる寸景を見たような気がしてほのぼのとしてきた。

2015年9月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3032.2015年9月1日(火) 2020年東京オリンピックのエンブレムも白紙撤回

 2020年東京オリンピックにまたひとつ汚点がついた。新国立競技場建設計画を白紙に戻して経費の圧縮を図り、従来の計画とは違った新国立競技場を建てることで漸く展望が見えてきた矢先だった。

 新たな汚点は、今日大会組織委員会が公式エンブレムの使用を中止すると発表したことである。メイン会場の新国立競技場の仕切り直しに次いで大会のシンボルまで見直されることは、異例の事態であり、国際的信用を損なうことにも成りかねない。エンブレムは複雑な絵柄が描かれているわけではないので、デザインにひとつ似た点があると全体的に似ているようなイメージを与えかねない。インスピレーションとか、ヒントと言われると外部の一般人からは何とも言えない。しかし、ベルギーの劇場のロゴに似ていると言われて、そのオリジナル・デザイナーが使用禁止を訴える裁判を起こした。訴えられたのは、IOCというからイメージ・ダウンが著しい。エンブレムのデザイナー・佐野研二郎氏は、先日の記者会見では盗作疑惑をきっぱり否定していたが、後から後から盗作にからむ疑惑が発生してその都度かばっていた組織委員会もこれ以上かばいきれなくなったことと、イメージ・ダウンを避けようとの思惑があったと思われる。

 サントリーのトートバッグについては、佐野氏が盗用であることを認めた。その他にも2、3類似のデザインが疑われている。そこへ今日知らされたのは、羽田空港と渋谷交差点を取り入れたデザインに他人の写真を無断使用したことを認めたことにより、今後騒ぎが大きくなることを考え、佐野氏自ら公認エンブレムを取り下げると申し出て認められた。ことの真相はどうあれ、随分人騒がせの人である。

 当初エンブレムが発表された時、どうして富士山か、桜、五重塔のような日本的イメージを盛り込めなかったのかとの思いがあった。今更言っても始まらないが、出来れば新しいエンブレムにはそれが取り入れられれば嬉しい。今回の事件が国際的イメージの低下につながる以上しっかりしたコンセプトで傍から文句がつけられないデザインを作成してほしいものである。

 東京オリンピックについては、もうこれ以上騒ぎを起こさないで欲しいというのが多くの日本人の本音であろう。

 さて、大阪府高槻市の石原滝子さんから夭折された作家・中島敦に関する講義のレジュメを送っていただいた。先日京都市内の龍谷大学で話されたものだ。石原さんは2月に行われた日本ペンクラブ理事選挙で、私の当選のために献身的に支援活動をしてくれ、関西地区の友人らに声をかけて下さった。準備不足もあって結果的にはあと一歩及ばず次点に甘んじたが、随分お世話になった。その石原さんが実は内藤にぞっこんだとは知らなかった。レジュメを読むと拙著「南太平洋の剛腕投手」から短文をいくつか引用されている。まぁ少しはお役に立てて恩返しが出来たことを喜んでいる。

 ところで、毎週楽しみにしているテレビ番組にNHK・BS「世界のんびり街歩き」がある。今日はスペイン・バスク地方のビルバオだった。今から36年前の1979年に文部省教員海外派遣団で西ドイツのカイザースラウタン、ブルガリアのプロヴディフとともに学校訪問をした都市である。ほとんど当時の街の印象は記憶に残っていないが、バスク地方に滞在しているということをあちこちで思い知らされたことだけは強く印象に残っている。特にその年にバスク語がスペインの公用語のひとつとしてスペイン政府に認められ、ビルバオを始めバスク地方の住民は挙って喜んでいると聞かされた。

 近年世界遺産に登録された大きな吊り橋・ビルバオ橋とフランスのアルタミラ洞窟より古いと言われるサンテマミーネ洞窟を見学したことも懐かしい。バスでビルバオからピレネー山脈を越えてボルドーに泊まり、列車でパリへやって来たことが思い出される。1ヶ月に亘る長い研修旅行だったが、先生方にとっても私にとっても今でも忘れられない思い出である。そんなところを思い出させてくれるのが、この番組の良いところだと思う。

2015年9月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3031.2015年8月31日(月) 潘基文・国連事務総長とはいかなる人物なのか。

 早くも夏の終わりを迎えた。涼しい。ずっと短パンを履いていたが、昨日からデニムに履き換えた。8月上旬には猛暑日が8日間も続き記録的だったが、一転して下旬は概して冷え込み、冷夏と言える幕引きとなった。今年もあと残すところ1/3年となった。

さて、今年71歳の潘基文・国連事務総長が来月3日に北京で開かれる「抗日戦勝70周年記念式典」と軍事パレードに出席すると発表した。これに合せてフランスのファビウス外相も出席することを決断した。日本政府は事務総長に中立的な立場を取るよう抗議したが、事務総長は「これまでにも第2次世界大戦終結70周年を記念する行事には出席しており、歴史の教訓をくみ取って明るい未来を切り開くことは、国連事務総長としての義務だ」と反論している。

 中国の新華社通信は、潘事務総長の出席に抗議した日本に対して、「天下の笑いもの」と非難した。 同通信はまた「すでに今回の閲兵式は第三者を狙ったり(中国の)力自慢をしたりしようとするものではなく、中国と世界の人民が平和を守ろうとする決意と能力を示そうとするものだ」と強調し、「安倍首相は中国の招待に各種理由を挙げて応じず、日本メディアは世界の指導者の閲兵式出席に干渉している。これは歴史を正しく見ないであらゆる面で中国と力を競おうとする自己妄想と自己卑下の矛盾した心理」と酷評した。そのうえで「今回の閲兵式に日本指導者が来ないのは自由だが、他の指導者の出席まで関与するのはそれだけ苛立っているということで無駄なこと」とも指摘した。

 一方韓国の東亜日報は、日本政府が潘事務総長の軍事パレードへの参加に抗議したことについて、「国連加盟国が第三国で開催される行事への参加で事務総長に抗議するのは異例」などとして日本政府を非難する社説を掲載した。
 その中で日本が「中立性の問題がある」などと抗議したのに対し、潘事務総長は「過去を振り返って教訓を学び、その教訓をもとにより明るい未来にどうやって進むのかを知るのが(軍事パレード出席の)主な目的」と反論したと紹介し、反論は「日本が過去の歴史について退行していることに強い拒否感を示したものだ」と解説した。随分自分にとって都合の好いコメントで、自分の判断でどうにでもできると言っているように思えてならない。
 では、日本が抗議した事務総長の立場の中立性というのは、軍事パレード出席が許されるのだろうか。今回のケースでは、中立性という言葉自体が国家によって都合よく解釈されている。韓国のネットでは、日本のいう中立性という言葉尻を捉えて「参加しないことこそ中立性に欠ける」とか、「歪曲の天才。中立と言う言葉まで歪曲用に使うのか?」とまるで的外れである。「国連事務総長は自分の意思でどこにでも行ける。日本に言われて決めることではない」と身勝手な言いようである。

 そもそも潘基文・国連事務総長は国連内でもこれまでとかくの風評があった。ビルマ側と下交渉することなく電撃的に訪問し、アウン・サン・スー・チー氏と会談したい希望だったが、アポが取れず会えずじまいでビルマを離れ、知る人ぞ知るお笑いぐさとなったこともある。反日的な言動は数知れず、ニューズウィーク誌はぼろくそである。国連船の舵取りとしては、歴代最悪の船長と言われている。

 元NHKの木村太郎氏は、来年末2期10年の任期が明ける潘基文・国連事務総長には、その翌年任期の終わる朴槿恵・大統領の後釜として韓国大統領に挑戦する意欲が満々だという。歴代国連事務総長の中でも、最も無能とされる潘基文氏にとっては、ここで中国の支持を得て国際社会で名を売り、大統領選挙選に有利に立ち回ろうとの腹が透けて見えるける中国や韓国との間の理解と認識には大きなギャップが見て取れる。これでは日中関係、日韓関係の友好は未だ遠しとの印象がしてならない。

2015年8月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3030.2015年8月30日(日) 安保関連法案廃案国民集会に12万人

 早くも夏の終わりを迎えた。涼しい。ずっと短パンを履いていたが、昨日からデニムに履き換えた。8月上旬には猛暑日が8日間も続き記録的だったが、一転して下旬は概して冷え込み、冷夏と言える幕引きとなった。今年もあと残すところ1/3年となった。

 さて、今年71歳の潘基文・国連事務総長が来月3日に北京で開かれる「抗日戦勝70周年記念式典」と軍事パレードに出席すると発表した。これに合せてフランスのファビウス外相も出席することを決断した。日本政府は事務総長に中立的な立場を取るよう抗議したが、事務総長は「これまでにも第2次世界大戦終結70周年を記念する行事には出席しており、歴史の教訓をくみ取って明るい未来を切り開くことは、国連事務総長としての義務だ」と反論している。

 中国の新華社通信は、潘事務総長の出席に抗議した日本に対して、「天下の笑いもの」と非難した。 同通信はまた「すでに今回の閲兵式は第三者を狙ったり(中国の)力自慢をしたりしようとするものではなく、中国と世界の人民が平和を守ろうとする決意と能力を示そうとするものだ」と強調し、「安倍首相は中国の招待に各種理由を挙げて応じず、日本メディアは世界の指導者の閲兵式出席に干渉している。これは歴史を正しく見ないであらゆる面で中国と力を競おうとする自己妄想と自己卑下の矛盾した心理」と酷評した。そのうえで「今回の閲兵式に日本指導者が来ないのは自由だが、他の指導者の出席まで関与するのはそれだけ苛立っているということで無駄なこと」とも指摘した。

 一方韓国の東亜日報は、日本政府が潘事務総長の軍事パレードへの参加に抗議したことについて、「国連加盟国が第三国で開催される行事への参加で事務総長に抗議するのは異例」などとして日本政府を非難する社説を掲載した。
 その中で日本が「中立性の問題がある」などと抗議したのに対し、潘事務総長は「過去を振り返って教訓を学び、その教訓をもとにより明るい未来にどうやって進むのかを知るのが(軍事パレード出席の)主な目的」と反論したと紹介し、反論は「日本が過去の歴史について退行していることに強い拒否感を示したものだ」と解説した。随分自分にとって都合の好いコメントで、自分の判断でどうにでもできると言っているように思えてならない。
 では、日本が抗議した事務総長の立場の中立性というのは、軍事パレード出席が許されるのだろうか。今回のケースでは、中立性という言葉自体が国家によって都合よく解釈されている。韓国のネットでは、日本のいう中立性という言葉尻を捉えて「参加しないことこそ中立性に欠ける」とか、「歪曲の天才。中立と言う言葉まで歪曲用に使うのか?」とまるで的外れである。「国連事務総長は自分の意思でどこにでも行ける。日本に言われて決めることではない」と身勝手な言いようである。

 そもそも潘基文・国連事務総長は国連内でもこれまでとかくの風評があった。ビルマ側と下交渉することなく電撃的に訪問し、アウン・サン・スー・チー氏と会談したい希望だったが、アポが取れず会えずじまいでビルマを離れ、知る人ぞ知るお笑いぐさとなったこともある。反日的な言動は数知れず、ニューズウィーク誌はぼろくそである。国連船の舵取りとしては、歴代最悪の船長と言われている。

 元NHKの木村太郎氏は、来年末2期10年の任期が明ける潘基文・国連事務総長には、その翌年任期の終わる朴槿恵・大統領の後釜として韓国大統領に挑戦する意欲が満々だという。歴代国連事務総長の中でも、最も無能とされる潘基文氏にとっては、ここで中国の支持を得て国際社会で名を売り、大統領選挙選に有利に立ち回ろうとの腹が透けて見えるける中国や韓国との間の理解と認識には大きなギャップが見て取れる。これでは日中関係、日韓関係の友好は未だ遠しとの印象がしてならない。

2015年8月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3029.2015年8月29日(土) またやった。橋下徹大阪市長の大うそつき

 一昨日「維新の党」を離党した同党最高顧問の橋下徹大阪市長が、「党が割れるようなことはしない」とか、「自分と松井大阪府知事『維新の党』を離れて大阪、関西の地方政治に集中する」と言って党を去って行きながら、舌の根も乾かぬ内に早くも昨日離党談話を撤回した。代表を務める地域政党「大阪維新の会」全体会議で新党結成の方針を明らかにしたのだ。

 自分が中心となって結成した「維新の党」を党内抗争から身勝手に離れ、別に新党を結成する橋下市長という人物は、世間に話題を提供し自分が注目されることで気分を良くする人である。それが、このような無節操な言動となった。いくら何でも昨日国民に語った重要な事柄を、その翌日にいとも簡単に否定するとは軽薄を通り越して嘘つき常連人と言ってやりたくなる。まったく信用できない。市長の自己主張は傍の迷惑を顧みず、思い立ったら一方的に突っ走る点でタチが悪い。これまでも大阪府知事の座を簡単に捨てて大阪市長選に立候補して市長になったり、大阪都構想を掲げて大阪府民にアピールして、それが敗れるや政界からの引退を宣言したのはつい最近6月のことだった。それが性格的にすぐ考えが変わりやすいうえに、政治家としての旨味を知ってしまったが故に、国民への約束なんていとも簡単に発言を反故にするような男である。こういう不誠実で信用ならない人物を国、地域の代表である政治家として選ぶことは日本人全体の信用を失墜することにもならないだろうか。それより大阪の住民は、この噓つき男を自分たちの代弁者として議会へ送り出すことをどのように感じているだろうか。

 橋下氏は「大阪維新の会で国政政党をやる」とはっきり公言した。選挙民に対してこのような大それた嘘をつくことを平然とやってのける男なのである。一部の人間に受け入れられそうなアドバルーンを打ち上げては裏切っている。こういう無責任な悪党は、これまでどんな分野にもいなかったと思う。法律に触れることをやっているわけではないにせよ、もう少し節操、誠実さ、責任感を持って、一度口外したら簡単に自説を曲げないくらいの良識を持ってもらいたい。このような噓つき政治家の思考回路はどうしても理解できないし、とても応援する気分にはなれない。むしろ立候補して落選することを願う。こういう嘘つきが蔓延ることが日本をダメにするということを、弁護士でもある橋下氏は意識しているのだろうか。人間としてまったく信用できない。彼の存在自体が不愉快である。

2015年8月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3028.2015年8月28日(金) 難題山積の東京オリンピックと傲慢な朝日新聞

 2020年東京オリンピック・パラリンピック開催のメインスタジアム・新国立競技場建設工事が1550億円内に収めることが決まった。これを2020年春までに完成する予定でいたところ、一昨日IOCから同年1月までに完成させよとの厳しい注文がつけられた。それは簡単なことではないが、話としては5年後の予定を3カ月繰り上げろということであり、今からスケジュールを早めれば可能なのではないかと思うが、これで日本の関係者は慌てふためいている。それにしても新競技場建設計画の見直しを始め、問題続出の2020年東京オリンピックであるが、この他にも公認エンブレムに関して盗作疑惑が生まれ、ベルギーやアメリカから裁判沙汰になりつつある。

 そこへこれだけケチがついたオリンピックの新競技場建設工事の遅れの影響を受けて、前年のラグビー・ワールドカップが開催できなくなった。そこで日本ラグビー協会は開会式を味の素スタジアムで、閉会式と決勝戦を横浜日産スタジアムに変更して行う予定にしている。ところが昨日主催者側から会場変更によって生じる収入減を埋める収支報告予定書を新たに提出するよう要望が出された。これには、日本と開催地を争い敗れた南アフリカのラグビー・ボードが、南アで行われているスーパー・リーグへの日本チーム参加への準備不足もあり、日本の運営計画に不信感を抱き、開催権を改めて獲得しようとの下心があるようだ。

 しかし、これまで夏1度、冬2度のオリンピックを開催し、ユニバーシアード、サッカー・ワールドカップ開催など万全の運営を行ってきた日本スポーツ界が、どうしてこうもたつくのだろうか。どうも理解できない。

 さて、先日来引きずっている朝日新聞社との諍いの続きである。同社渡辺雅隆社長宛の3度目の親展に対して、また前回と同じようにお客様オフィス福島部長より「厄介だなぁ」という気持ちを滲ませた返書をもらった。社長の考えを聞きたいと3度に亘って社長に理解してもらえるよう、また代表者として社長自身が応えざるを得ないような問いを投げかけているつもりだが、またも朝日新聞社組織上代理人として部下に回答を任せるという非礼で傲慢な姿勢を示した。これでは社長は対外的、営業上何もやらないというに等しい。あれだけ丁重に説明を求めたのに、一読者の願いに対して一言も応えようとしない。やはり朝日公爵家はお高いところに鎮座して、顎を使い読者如き社外の人間を穢多非人扱いで退けているのだ。こんな対応でジャーナリストが世相や一般社会の底辺の様子が分かるものだろうか。世間の声を拾い集める真っ当なジャーナリズムの道を歩んでいるとはとても思えない。だが、それが朝日新聞社の本質である。世間知らずの似非紳士、朝日に舐められっぱなしで、朝日を一発ギャフンと言わせなければ腹の虫が納まらない。

2015年8月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3027.2015年8月27日(木) 中国の「抗日戦勝70周年記念式典」について

 9月3日中国が北京で開く「抗日戦勝70周年記念式典」に、安倍首相は欠席を、朴槿恵・韓国大統領は出席を決めた。この式典を中国は「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」と位置づけて重視し、3日に天安門広場で行われる軍事パレードを国威発揚の場として利用し、併せて習近平指導部の国民、並びに軍内の求心力を高めようとの狙いがある。

 反日派の朴韓国大統領がぎりぎりになって出席を決めたのは、そうせざるを得なかった事情がある。アメリカなど先進諸国の首脳らが欠席する中で、特にアメリカからは出席を辞退するよう遠まわしにアドバイスがあったにも拘わらず、これを敢えて振り切り、結局貿易、北朝鮮問題を考えて現在友好的な関係にある中国との関係を傷つけたくないという思惑の方が優先した。この式典には、国際社会で存在感を高めようとの中国の覇権主義的欲望とメンツもあり、できるだけ多くの国から首脳の出席を願って早くから外交筋へアプローチしていたようだ。だが、現状ではロシアのプーチン大統領以外に大物の出席がなく、韓国、南ア、モンゴル、カザフスタンほかの大統領が出席する程度で、この式典開催自体の意図と思惑に各国首脳の二の足を踏ませるものがあるようだ。

 そもそも我々日本人は、8月14日にポツダム宣言の無条件降伏を受け入れ、天皇の玉音放送が流された翌8月15日を終戦記念日と考えているが、諸外国では必ずしも統一された見解があるわけではない。韓国は光復節、北朝鮮は解放記念日として8月15日を終戦と定めている他には、イギリスが日本の終戦を8月15日に決めているくらいで、アメリカや、ロシアを始め他の国々はほとんどが、ミズーリ戦艦上で降伏文書に調印した9月2日の翌3日を日本の終戦と認めている。だから、終戦記念日8月15日以後9月3日までの間に北方領土に上陸し占拠して乱暴狼藉を働いた当時のソ連の言い分が、今でもロシア国内で正当性を持って語られているわけである。

 いずれにせよ戦後敗戦国日本を懲らしめるために考えられた中国のプロパガンダ工作によって、国際社会で反日親中のムードを煽りたて、そのうえ習体制への求心力を高めようとの宣伝に、安倍首相が出席する筈がないのは明らかであろう。戦争は70年前にすでに終わった。戦前の日本軍国主義の悪しき行状については、反省すべきは反省し、謝罪すべきは謝罪するのは当然としても、長きに亘って日本非難を単なる自国の宣伝のためだけに利用することだけは、好い加減に勘弁してもらいたいものである。

2015年8月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3026.2015年8月26日(水) 「積極的平和」外交の本来の意味は?

 22日以降43時間に亘って続けられていた韓国と北朝鮮の南北高官会談が漸く合意に達した。両国とも当初の要求から考えればとても受け入れられる合意内容ではなかったが、ひとまず一触即発の危機は回避された。

 北の地雷爆発による韓国軍兵士の負傷に対して、朴槿恵・韓国大統領は北側の謝罪と再発防止を強く要求した。同時にこれまで中止していた拡声器による大音響の北朝鮮向け宣伝放送を再開した。これに対して北は地雷事件は捏造であり、宣伝放送を停止するよう要求し、受け入れられなければ戦闘行動に突入するとの脅しをかけ、準戦時体制に入っていた。いつものことながら、双方ともメンツばかり剥きだしで退くに退けず、戦闘に火が点くことが心配された。しかし、最後の崖っぷちで双方とも歩み寄り、韓国が求めていた謝罪は北が「遺憾」の意を表明することで韓国が受け入れ何とか折り合いをつけた。韓国は宣伝放送を中止し、北は準戦時体制を緩和するということで、取り敢えず危機は避けられることになった。だが、南北ともに戦争は避けたいが、どうやって国民を納得させたうえで相手に得点を与えない解決策はないかと考えた末に出された結論が双方にとって玉虫色に見える今回の決着である。

 それにしても同じ民族同士が、意地の張り合いから国際社会に紛争の火種を生じさせ、無駄な時間を費やし、何とバカバカしい猿芝居を演じているのだろうと思う。ともかく戦争騒ぎにならなくてホッとしている。

 戦争とか、平和、安保法案についてふと考えていたが、昨晩テレビ朝日の「報道ステーション」で来日中のノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥンガ博士の考えについて紹介していた。特に安倍首相が力説している「積極的平和」外交と、博士が以前から唱えている同じ言葉の意味が、まったく反対に捉えられていることを簡単に解説していた。そして今朝の朝日新聞は「オピニオン」欄の約3分の2を割いてその違いを詳しく説明している。

 博士が訴えていたのは、本来戦争のない状態は消極的平和に過ぎず、そのうえで貧困や差別といった構造的な暴力のない「積極的平和」を目指すべきだと提唱した。それに引き比べて安倍政権がアピールする「積極的平和主義」は、一国平和主義から脱却し、「防衛」と同盟国への支援の名の下に軍事同盟を結び、後方支援と言いながら外地へ自衛隊を派遣して戦争へ突き進んで行くという点で内容はまったく異なると言っている。この他にも博士は解釈変更で憲法第9条1項の精神が破壊され、日本外交はアメリカ一辺倒で政策が硬直していると厳しく指摘している。

 安倍首相はテレビ画面で見ると最近精神的に酷く疲れているように感じられるが、肉体的にも「週刊文春」最新号が最近食事中に吐血したと暴露したように大分疲労を感じているように見える。国会答弁でも完璧な答弁が見られない。安保関連法案を成立させることだけに、全霊を注ぎ込んでいるように思えるが、果たして首相の願うようにうまくいくだろうか。

2015年8月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3025.2015年8月25日(火) 日米地位協定をなぜ改定しようとしないのか。

 昨日夜中に米陸軍相模総合補給廠の倉庫で火災爆発があった。相模原市消防局は米軍の要請を受けて出動し、米軍の指揮下で消火活動に当たった。出火当初は米軍も保管物の詳細が分からず、天津の爆発の二の舞を演じないよう化学反応による二次爆発などを警戒して放水を見合わせた。

 大事故につながらなかったのは不幸中の幸いであるが、ここでも日本の消防署が現場でリーダーシップを取って活動することはできず、鎮火後も火災の状況や原因の調査については米軍が行い、日本側はそれにタッチすることもできない。所謂日米安保条約の日米地位協定に基づき、日本の警察や消防は捜査権を持たず、日本は米軍から要請がなければ一切手出しすることができない。日本における米軍の治外法権とも言える協定である。その後米軍側は昨晩の火災は医療用、溶接用として保管していた酸素、窒素などが爆発したと相模原市に報告した。しかし、相模原市長は「ひとつ間違えば大災害となる極めて遺憾な事態で、強く抗議する」と在日米陸軍司令官に文書を手渡した。

 これに関して一言コメントするなら、一昨日の本項に書いたように米大統領候補者ドナルド・トランプ氏は日米安保条約がアメリカにとって公平ではないと述べているが、その安保条約も条文をよく読むと日本にとって必ずしも有利になってはいない。費用だって日本は相当額を負担している。2004年8月に沖縄国際大学内へ墜落した米軍ヘリの際も日本の民有地内の事故であるにも拘わらず、米軍は規制線を敷き日本の警察や公安当局の立ち入りを制約して大きな問題となった。その後米軍基地を抱える日本の自治体が、日本国内の外国の現状について日米地位協定の見直しを訴えたが、現状は一歩も前進していない。

 もっと深刻な問題は、そんな施設の管理的なことより、住宅地帯に存在する米軍基地の中に、危険物があるかどうかも自治体や住民には知らされていないことである。アメリカ政府に何も言えない日本政府は、地位協定の改定に向けて積極的な行動を起こそうとしない。それでいて集団的自衛権行使により、主に同盟国アメリカ軍を支援し、その一方で相も変わらず国内の米軍基地は秘密のヴェールで覆われ、いざ主体的に手助けしようとしても指揮権はアメリカが掌握し、残した灰の始末は日本がするというのでは些か片手落ちではないだろうか。安倍政権のアメリカ外交には、日本は常に一歩退いてアメリカに従うというふうにしか見えないのである。

 これが真の意味で同盟国同士の提携と言えるだろうか。

2015年8月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com