後期高齢者になって間もなく2年になるが、決してそのこと自体将来の夢と希望が薄まるわけではない。しかし、どうもこの「後期」という言葉があまり気に入らず、代わりに「光輝」という言葉を母校応援歌の「光輝充てるわれら、希望の明星~」に準えて愛用し、慶應病院の医師、看護師さんらにもPRして来た。そして、1年ほど経って「光輝」に代えて「高貴」を使い、意外にもそれが気に入り今では「高貴高齢者」を勝手に名乗っている。
実は、今日微笑ましいことがあった。後期高齢者用に都営交通機関とバスを低廉価格(千円で1年間有効)で利用出来るシルバーパスを交付してもらうため、近くの深沢区民センターへ出かけた。20分程歩いて行ったが、その途中で近くの東深沢小学校から帰途途中の子どもから2度も声をかけられたのだ。
最初に小3生ぐらいの男児から「こんにちは」と声をかけられた。この近辺に住んでいる子でしばらく他愛ない会話を交わして別れた。すると今度は道路傍にしゃがんだ同じ年くらいの女児に、この動物を捕まえたいと声をかけられた。よく見ると5㎝足らずの小さなヤモリがじっと動かないでいる。
ヤモリと言えば、新婚旅行でタイ・アユタヤの安宿に宿泊した時、天井に這いつくばっていたヤモリが何度か床に落ちて妻が薄気味がったことがある。本来ヤモリは「家守」と書いて、ヤモリがいると家内安全だという言い伝えがあるが、漱石の「それから」では、「守宮」と書いてヤモリと読ませる。
少女がヤモリを捕まえられないというので、ティッシュペーパーで捕捉してあげ、道々話をしながら女児の家の前で別れた。屈託のない子で、今時珍しい子だなぁと心が綻ぶような気になった。
そして今度は「高貴高齢者」の女性である。交差点で自転車を停め、何やら道に迷っているようだったが、通り過ぎたところで、深沢区民センターへ行くのはどう行ったら良いでしょうかと尋ねられた。私もそこへ行く途中なので案内しましょうと言ったところ、それでは目的は同じでしょうと見事に当てられてしまった。そんな事情で「高貴」な女性と一緒に区民センターまで歩いて来た。少女とのやり取りを見ていたその女性は、最近の子どもは外で遊ぶことが少ないから、ヤモリも珍しいのでしょうが、あの女児はヤモリを怖がっていませんでしたねと言い、私たちの時代に比べて自然に触れる機会が減って今は子どもにとって可哀そうな時代だと言っていた。
帰宅して、書斎でパソコンに夢中になってふっとお隣さんの庭先を見ると、大きな樹木にシジュウガラが数匹とオナガドリが番いで留っている。何だか短い時間に昔の自然を思い出させる寸景を見たような気がしてほのぼのとしてきた。