3755.2017年8月24日(木) 椎名誠著「家族のあしあと」を読んで

 椎名誠の「家族のあしあと」(集英社刊)を読んだ。椎名は幕張小時代のクラスメートの実弟である。6歳年長の兄研二くんは数年前に亡くなったが、彼とは5年生時に同クラスに相前後して転入した。彼は千葉市郊外の酒々井小から、私は同じ千葉県房州の勝山小から転校生同士として直ぐ親しい友だちになった。一緒に後楽園に巨人戦を観に行ったこともあるほど、お互いに野球好きだった。彼の家に何度も遊びに行ったので、弟である誠にも会っている筈だ。彼に弟がいたことは何となく覚えている。漠然とではあるが、家庭の雰囲気や周辺の環境も覚えている。

 椎名誠は最近ペンクラブの会合に姿を見せないので、話すことはなくなったが、私の処女作品「現代海外武者修行のすすめ」について、

 「さっそく読みました。いやはや面白い!!ものすごい冒険家ですね。映画を見ているようですっかり没入しました。いまの日本の若者すべてに読ませたいと思いました。私もハップンしています」と随分好意的な感想を送ってくれたこともある。

 事務所を移転してから連絡を取り合うことはなくなったが、お互いの故郷である幕張が懐かしく思えて、私は毎年開かれる幕張小のクラス会には必ず参加するようにしている。

 椎名誠は幕張に随分拘りと関心を持って多くの書物に幕張について書いている。最初に「犬の系譜」に書かれた情景描写に興味を惹かれ、その後「岳物語」を通読し、先月上記「家族のあしあと」が発刊され、懐かしい幕張描写が今度はどのように描かれているか興味を抱いて手に取ってみた。

 あちらこちらに「幕張」のシーンが現れる。ただ、どうしても分からないのは、彼の自宅の所在地が、私の理解とは方角違いであることだ。当時の椎名家は、千葉郡幕張町(その後千葉市に編入された)の北西部で国電の北側にあったと記憶しているが、椎名誠の著作では東部の花見川に近い場所のようなイメージなので、本書に従って外出した気分になると方向を見失ってしまう。

 椎名誠の作品で最も面白かったのは「さらば国分寺書店のオババ」と「哀愁の町に霧が降るのだ」(上)(下)だったが、ここにも兄研二が電車内で酔っ払って喧嘩するシーンが書かれている。その兄は酒の飲み過ぎで亡くなったので悔いはないと思うと諦めたようなことを言っていた。

 幕張小卒業後、兄研二くんとは進学した中学が分かれたので、その後はクラス会以外で彼と会うことはなくなってしまった。残念ながら椎名研二くんが彼岸へ旅立ったので、彼と幕張について話すことはなくなった。小学校時代は、子どもがあまり勉強をしない時代だったので、彼とも放課後暗くなるまで遊びまわっていたことをノスタルジックに思い出す。その点では、「家族のあしあと」は、野球をやったり、アサリを取ったり、遊び回った砂浜の埋立地のことなどもよく描かれている。懐古的にあのころはのびのびした佳き時代だったのだと思う。

 さて、またかと思うほど名代の嘘つき代議士が恥ずかしげもなく自らの主張を翻した。来月1日に行われる民進党代表選に立候補している前原誠司元外相が、ここへ来て従来の主張とは反対の主張をしたのである。これまでにも鉄面皮前原氏の裏切り行為については厳しい見方を取ってきたが、この期に及んでまたかという不信感が拭えない。

 彼は、これまで集団的自衛権行使を認めた安全保障関連法を容認していたが、今後は廃止を求めていくとこれまでの発言を翻したのだ。これに対して前原氏を支援するグループはどう思うのか。これで安保法については当初から反対していた枝野元官房長官と同じ立場を取ることになった。こんなのありかというのが、普通の人の感じではないだろうか。ひどい代表選になりそうだ。

2017年8月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3754.2017年8月23日(水) 日系ボリビア人・フレディ前村の革命映画

 元日本テレビ政治部長の菱山郁朗氏から、キューバ革命で活躍された日系人「エルネスト前村」を主人公に映画化された日本とキューバ合作「エルネスト」の試写会にお誘いを受け、期待しながら日比谷の日本プレスセンターへ出かけた。試写会が始まる前に監督を務めた阪本順治氏が挨拶され、制作に取り掛かった2014年から3年かけて完成したが、その間登場人物のひとりであるカストロが亡くなったことに驚かれたという。日本国内におけるロケを除いてキューバにおける撮影では出演者は主役のオダギリ・ジョー以外は全員キューバ人だったという。監督はキューバ人にはキューバならではのイメージがあるので、躊躇する面もあったようだが、監督の考えるように演出したら好いとキューバの人たちに励まされたと語っていた。

 タイトルの「エルネスト」とは、残念ながら日本ではあまり知られていないが、フレディ前村という日系ボリビア人のことである。フレディは、ハバナ大学医学部にボリビア人留学生のリーダー役としてハバナに滞在中チェ・ゲバラに出会い、ゲバラに共鳴しボリビアの革命戦争でゲリラ活動をして「エルネスト・チェ・ゲバラ」のファースト・ネームをいただいた経歴がある。ゲバラと同じように山中で政府軍に捕えられ殺害された。私もそういう人物がいたことは薄々承知していたが、改めてフレディの人間性と存在を知り日本人として心強く誇りに思った。そのフレディは生存していれば、今年75歳になる筈であるが、日系人の中に親が移民した国で誇り高い人生を全うした潔い男がいたことに爽快感を憶える。

 ほとんどロケはキューバでされ、ハバナ市内やその他の土地の風景が昨年訪れた時に感じたまま映されていて懐かしく思った。やはり道路にゴミ、チリは一切落ちていないくらい掃除が行き届いていて清潔であること、そして雨に恵まれているため殊の外グリーンが目に入って来る。ストーリーも中々面白く力作であると思った。

 映画は10月に一般公開される予定である。今年2017年は、ゲバラが亡くなってから丁度半世紀に当たり、先日鑑賞した「写真家チェ・ゲバラが見た世界」写真展のように、何かとゲバラに因んだプロジェクトが企画されるようだ。キューバでは革命を成功させたゲバラだったが、ボリビアでは捕らえられ無念にも殺害されたため、ボリビア革命は成功しなかった。それだけがゲバラにとっても、またフレディにとっても無念だったであろう。

 鑑賞してみて久しぶりに爽快感を味わう映画だったと感じた。

2017年8月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3753.2017年8月22日(火) ピューリッツァー賞受賞の沢田教一写真展に思う。

 16日からベトナム戦時下の「安全への逃避」でピューリッツァー賞を受賞した、戦場カメラマン・沢田教一写真展が日本橋高島屋で開かれている。

 6月に小田急トラベル新社長に就任された佐々木文信新社長にお祝いの挨拶がてら出かけたが、その後日本橋へ出て何とか写真展を鑑賞することが出来た。佐々木新社長は大学の後輩でもあり、以前からよく存じ上げている。大変明るく気さくで話しやすい人なので、今後も出来るだけOBとして外から協力することをお約束したところである。

 写真展にはどのくらい見学者が来られるのかと些か気になっていたところ、かなり大勢の男女客が鑑賞していた。ウィークデーということもあり、若い人の姿はあまり見られなかったが、年配の男女が多かったのは想定外だった。沢田は主にベトナムとカンボジアで活動されたが、結局1970年10月プノンペン郊外でクメール・ルージュに銃撃されて享年34歳で亡くなった。その時代にある種のノスタルジアを感じる世代の人々が見学者の主たる人たちではないかと思う。

 冒頭の「安全への逃避」が撮られた時は、私自身ちょうどサイゴンを訪れたころだった。その3カ月後沢田がケサンへ向かう米軍輸送機内で兵士たちを撮った写真がある。そこにはこんなことが書いてある。「鋭い目つきがカメラをにらむ若い米兵。顔つきに余裕はない」とあるが、私が同じような気持ちになったことがある。サイゴンのタンソンニュット空港に着いた直後に、傍にいたアメリカ兵のひとりに、軽い気持ちでトイレの場所を訪ねたところ、すごく怖い目つきで睨まれ、ドキッとしたことがある。米軍兵士は興奮し殺気立っていて精神的に落ち込んで、沢田が写真でコメントしているように普通の顔ではなかった。熾烈な戦火がベトナム全土に広がり、アメリカは破れかぶれになっていたように思う。彼は親しい友人に「ベトナム戦争は米国の負けだ。写真を撮り歩いているからわかる」と言っていた。臨場感を身体に感じていたのだ。私自身初めての武者修行で感じた臨場感は、その後行動面でひとつの規範となった。

 その翌年ベトナム戦争で最も激しかった戦い「テト攻勢」によって、米軍と南ベトナム軍は守勢に回るようになった。

 私が戦火のベトナムを訪れてから早くも半世紀が経過した。今日は臨場感こそ伴わないが、懐かしいベトナムの想い出にしばし浸れることが出来た。いずれも臨場感のある写真を集成したアルバム「戦場カメラマン沢田教一の眼」を買い求めた。これも時々目を通すのが楽しみである。

 番外であるが、沢田は三沢基地で働いていた当時11歳年長の写真屋の娘・サタさんと結婚した。沢田20歳、サタ夫人31歳だった。サタ夫人は92歳の今もご健在のようだが、サワダサタさんの旧姓は、沢田を逆にした田沢だったとは!

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3752.2017年8月21日(月) 高浜虚子、母校湘南高の甲子園初優勝を祝福

 今や昔日の面影がなくなった民進党の党代表選挙が9月1日に行われる。その日は選りによって台風が襲来する「二百十日」に当たる。代表選も台風並みの波乱含みだろう。蓮舫代表がすっきりしない能書きを述べて無責任にも辞任を表明した後を引き継ぐ跡目争いである。

 告示に際して立候補したのは、予想通り前原誠司・元外相と枝野幸男・元官房長官である。前原氏の人間性、行動など無責任な政治責任については、言いたいことが山ほどある。人間的にまったく信用出来ない。まず朝鮮国籍の女性から資金提供を受けたという選挙違反の前科があることと、2009年民主党政権成立に伴って国土交通相に就任した時、選挙公約で約束したとして自民党が建設を決めた八ッ場ダムに反対を唱えたが、大臣を辞めるやダム建設の動きが再燃しても一向に取り合おうとしなかった不誠実な態度、そして観光庁長官に同級生を任命したことなど公私混同も甚だしかった。いくら表面的に納得させるようなことを言っても人間的にとても信用出来ない。こういう人物が野党第1党の代表選に立候補しようとしているのだから、今以って民進党の浄化作用は信用出来るものではない。

 前原、枝野両氏の主張は大分隔たりがある。野党共闘、原発、憲法改正などでは意見が対立しているようだ。どちらが代表になるにせよ、その後の民進党の歩む道は党内分裂の危機を孕んでいて険しい。自民党が地盤沈下している時でもあり、民進党にとっては盛り返す絶好の機会であるが、以前のようなフレッシュさと実行力が感じられない。これではまだ当分の間自民党をのさばらせることになるようだ。偶々世論調査を見ていて自民党が支持率を回復したことが書かれていた。現状は確かに自民党に大きなミステークがなければ、自民党には順風が吹いているようだ。いつになったら真剣に国民のことを考えてくれる政治家、政党が現れるのだろうか。前途は明るくない。

 さて、今日の朝日夕刊に5段に亘って母校湘南高校の昭和24年甲子園初優勝に因んだ記事が掲載されていた。

 「虚子から球児へ短冊がつなぐ縁」、「31回大会Vの湘南 プラカード係の女性と交流」との見出しの下に当時鎌倉市内に住んでいた俳人高浜虚子が、湘南の優勝を殊の外喜ばれお祝いに野球部の田中孝一主将に句を詠んで贈ったことに纏わるエピソードを採り上げている。その後湘南のプラカードを掲げて行進された女性と湘南との交流が続けられ、今甲子園で開催中の高校野球大会の間開かれている「高校野球特別展」でエピソードが復活したことを紹介している。

 実は偶然にもこの記事と同じストーリーを私も3年前に上梓した拙著「南太平洋の剛腕投手」に採り上げ書いている。執筆していた時、これほどまでに母校の優勝を地元の多くの人々が喜んでくれたことを感慨深く思ったものである。こういう形でパンチの効いたエピソードをさりげなく紹介していただいたことを改めて嬉しく、また有難く思っている。

 その高浜虚子が贈ってくれた名句とは、「秋風や 最美の力 唯盡す」というものである。

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3751.2017年8月20日(日) トランプ政権内のゴタコタ

 東京に太陽が顔を出すことが少なく、8月に入って今日まで20日間長雨続きである。昨日も午後には雷雨が激しいとの予報があったが、傘を持参して補聴器の調整に行って帰っても雨が降る様子が見られなかったので、漸く晴れ間が現れると思っていた。ところが、夕刻5時ごろになって一転掻き曇った空から突然雨粒が落ちて来たと思う間もなく、ガラス戸を激しく叩く物音に外を見ると雹が落ちて来た。雨戸を閉めても雹は激しく雨戸を叩きつけて来る。テレビ・ニュースでは、世田谷区に激しい雷雨が襲来したと伝えていた。多摩川の花火大会が開催される日だったが、結局中止になった。東京と同じように雷雨が襲来した横浜の花火大会も途中で取り止められたという。

 あまり長い時間ではなかったが、これほど激しく雷鳴が轟いたのは実に久しぶりである。

 さて、相変わらずアメリカ・トランプ政権がガタガタしている。白人至上主義を晒して批判を浴びているトランプ大統領が、18日昨年の選挙戦以来トランプ政権誕生のため選挙参謀となってトランプ氏を支えてきたバノン首席戦略官の更迭を発表した。保護主義のバノン氏の戦略に乗って、大統領選以前から「アメリカ・ファースト」を打ち出し、保護貿易や移民排斥を始めとしてイスラム民族の入国禁止や、メキシコとの国境に壁を建設するなどの差別政策を打ち出し、そのうえ地球環境保護のパリ協定からの離脱、TPPからの脱退など、国際世論から厳しく非難されている。その戦略を打ち出したバノン氏を解任したのは、政権内に意見の対立があったからに他ならない。だからと言って保護主義者のバノン氏を追放してもトランプ大統領自身が同じ保護主義者であり、多少リベラル派の評価が上がるにせよ、政権外から依然厳しい見方は変わらないだろう。

 政権内の幹部を2月にフリン大統領補佐官、7月にプリーパス大統領首席補佐官とスパイサー大統領報道官、そして今月バノン首席戦略官と立て続けに更迭することによってトランプ政権存立の基盤はかなり弱体化したと見るべきだろう。節操のないホワイト・ハウス内人事の迷走が国民の間に不安を感じさせ、一部にはトランプ大統領が弾劾によって罷免される可能性まで示唆されている有様である。

 北朝鮮のミサイル発射問題などで緊張感を強いられる時期に、アメリカはいつまでも政権内で揉めている場合ではないと思う。差別問題は別にしても、大統領は毅然として自分なりの信念を貫けば「アメリカ・ファースト」の下にそれはそれで国が割れるような対立が生じる問題ではないと思う。いずれにせよアメリカ政府の言動から当分の間目が離せない。

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3750.2017年8月19日(土) 本土無差別爆撃の無慈悲なビデオ

 録画したビデオの内、今日も戦争・終戦関連番組50分物をじっくり観た。去る12日にNHKが放映した「本土空襲全記録~無差別爆撃へ~」という終戦間近い時期の日本本土への米軍機空襲の画像である。日本人にとっては心が痛む画面ばかりである。アメリカの公文書館秘蔵の画像を初めて外部に公開したものだそうだが、爆撃機にセットされたガン・カメラというもので本土を攻撃する際に無慈悲にも空からカメラで日本の地上を徹底して撮りまくった動画である。米空軍は当初拠点爆撃を目標にしていたが、次第に日本のすべてを破壊するべく出撃した攻撃的な姿勢が表れている。工場、駅、街、飛行場、街の風景など日本の空中写真がすべてカメラに収まっている。日本の手の内を読まれているとも言えよう。とても当時の日本が太刀打ち出来るものではなかった。

 取材班はこの貴重な資料を基に米軍の「本土空襲マップ」を再生してみた。結局1944年7月のサイパン陥落後、米空軍がサイパンをB29爆撃機の基地に使用してから日本本土への空襲が激しくなった。同年11月東京郊外の中島飛行機製作所に対して爆撃が開始され、以降全国各地へ空襲が行われた。本土で空襲を実体験した人たちが体験談を話されていたが、私自身にも似たような実体験がある。この番組でも列車や駅は次第に攻撃の大きなターゲットになっていったと説明されたが、戦時中房総に住んでいた頃度々裏山の防空壕へ避難した。忘れられない強烈な印象は、自宅2階から目の前で見たアメリカ空軍機による房総西線(現内房線)列車銃撃シーンである。実際走行中の列車が低空飛行した戦闘機に射撃されたシーンは衝撃的だった。しかもこの銃撃シーンを同じ房州の勝山小学校に通学し、今なお親しくしているたった1人の同級生、笹生嵩夫くん(安房高~一橋大~住友商事)も見ていたと聞いてびっくりした。

 日本軍はサイパン陥落後制空権を失い、敗戦へ向けて一直線で突き進んだ。1945年3月10日の東京空襲を含めて全国で46万人もの方々が落命された。全国に落とされた焼夷弾の数は、実に2040万発で、銃弾は850万発だったそうである。

 冷静に分析すると竹槍作戦の日本にはとても勝ち目はなく、アメリカ軍は‘There are no civilians in Japan’との考えの下に軍人だけでなく、非情にも女性、年寄り、子どもを含めた全日本人を攻撃ターゲットにしていた資料まであった。

 終戦記念日だけではなく、日本人としては戦争の歴史と勃発の原因、原発投下と被災者、侵略し戦禍を与えた国々の国民、戦没者などにもっと関心を抱かなければならない。それこそが、今後平和の誓いとなって戦争をなくすための運動に繋がって行くと思う。

2017年8月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3749.2017年8月18日(金) ポーランドで揺れる英雄ワレサ氏の評価

 今日スペイン・バルセロナ市内の繁華街ランブラス通りを1台の車が人込みの中へ突っ込み13人が亡くなった。ランブラス通りは中々洒落た通りで市内でも多くの観光客が立ち寄る場所でもある。その人の中へ車が飛び込むとは、嫌でも数日前の白人至上主義のデモ騒ぎがあったアメリカのシャーロッツビルや、ロンドン橋事件、ニースなどを想い出す。意外にもこれまでスペインではこの種のテロ騒ぎはなかった。これからヨーロッパではもっと広域的にテロを警戒しなければならなくなるのだろうか。このバルセロナ事件とイスラム国(IS)との関係はまだはっきりしないようだが、ISが力を失ったと言われていただけに、彼らが再び勢力を盛り返したとしたらまた厄介なことになる。テレビで映し出されるバルセロナ市内の街頭風景を観ていると大分前のこととは言え、そこここに馴染みのある風情を漂わせていて懐かしい。いつになったらこういう狂信的なテロがなくなるのだろうか。

 さて、来月ポーランドを旅行するので、同国の最新情報があれば出来る限り目を通すようにしている。その中で少々気になったニュースがある。去る7日付朝日朝刊に同社ウィーン支局長のワルシャワ通信「東欧民主化 根拠なき陰謀論」という気になる記事を読んだからである。

 同記事によれば、7月にアメリカのトランプ大統領がヨーロッパ初訪問の際、ノーベル平和賞受賞者でもあるポーランドのレフ・ワレサ元大統領がゲストとしてアメリカ側から紹介された時、テレビ放映でその様子を知ったワルシャワ市内には大ブーイングが起きたそうである。なぜだろうかというのが、率直な疑問である。ワレサ元議長と言えば、自主労組「連帯」のリーダーであり、東欧社会主義世界に風穴を開け、世界を震撼させた革命を指揮したポーランドの現代の英雄である。そのワレサ元議長の行動によってポーランド民主化の扉は開いた。そのワレサ元議長が、今では現政権から敵視されているというのだから、俄かには信じがたい。

 1980年代社会主義政権と民主派の対話により体制転換を実現した。だが、ワレサ氏主導のリベラルな政権は、対立した民族主義的な勢力から「過去が清算されず、旧体制のエリートが生き残った」と疑われた。そこにはどうも陰謀論が見え隠れするようで、ポーランド国内にはワレサ氏は秘密警察の協力者だったとのスパイ説まで囁かれているというから恨みは根深い。真実はどこにあるのか、世界平和に貢献したと見做されたからこそノーベル平和賞を授与されたのではないか。ワレサ元議長の行動と実績はそんなに薄っぺらなものだったのだろうか。私情としてはあくまで噂であって欲しい。ポーランドへ行ったらガイドさんにその辺りの噂の真偽について尋ねてみたいと思っている。

2017年8月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3748.2017年8月17日(木) チェ・ゲバラ50回忌記念写真展を鑑賞

 キューバの英雄チェ・ゲバラ没後50年を記念して「写真家チェ・ゲバラが見た世界」という写真展が、9日から恵比寿ガーデンプレイスで開かれている。開催前夜の8日にプレ・ビューがあり、キューバ観光情報局の池上和徳氏よりお招きいただいていたが、急用で出られなくなってしまった。後で聞くとその場にはゲバラの子息でチェ・ゲバラ研究センター所長のカミーロ・ゲバラ氏も出席されたという。惜しいことに氏とお話する千載一遇のチャンスを逸してしまった。

 写真展にはゲバラが撮影した写真が約240点展示されると聞いていたので、何とか見てみたいと思い、今日会場へ出かけた。確かにたくさんの写真が展示されていたが、あまりサイズが拡大された写真がないので、少々見にくかったというのが実感である。ゲバラは写真撮影に興味があり、趣味として撮影していたので、彼らしい興味に基づいて撮られた工場や遺跡、建設現場の写真などが随分多かった。革命後広島を訪れた時の写真もあるが、革命前に訪れたメキシコで撮った写真の中に、世界遺産チェチェン・イッツァや旧文部省教員海外視察団で近くを訪れたメキシコ市郊外のポポカペトロ山の風景が懐かしく感じられた。

 今なおキューバ人の心に敬愛の念を呼び起こし、逝ってなお彼らから慕われるゲバラの存在感の強さに改めて敬服した次第である。

 さて、このところアメリカと北朝鮮のお互いに相手国を罵る舌戦がヒートアップしていたが、金正恩委員長がしばらく愚かなアメリカの出方を見ると一歩退いた発言をしたことを受けて衝突のリスクはやや遠のいた。

 ところが、アメリカ国内では別の問題が火花を散らしている。最近バージニア州シャーロッツビルで起きた衝突事件を巡って、人種差別を容認するかのようなトランプ大統領の発言が再び行われ、それをアメリカ軍幹部までが非難する異例の事態になっている。オバマ前大統領が非難し、同じ共和党のブッシュ親子元大統領も厳しい見方を示している。

 このトランプ大統領の白人優位説的考え方では、どこまで行っても結局原点、つまり異民族排斥主義に立ち戻るように思う。他民族国家アメリカの矛盾が表面化し、白人至上主義に突き進むのか、或いは良識的に人種差別を容認しない平等の道を辿るのか、アメリカ国民の良識と将来像が見えて来る。ここはアメリカ国民の良識を期待したい。

2017年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3747.2017年8月16日(水) インパール作戦司令官・牟田口中将が戦犯ではない?

 昨日の終戦記念日の前後にテレビで中々秀逸な戦争関連番組が放送された。そのひとつに昨夕NHKからスペシャル番組「戦慄のインパール」が放映された。副題として「最も無謀な作戦はなぜ」として3万人もの戦死者を出した作戦が、第15軍方面軍内に反対意見もあった中で、なぜ計画、実行されたのかという点に焦点を当てていた。インパール作戦については、不十分な兵站の作戦自体の失敗、退却計画の失敗など数多くのミスが指摘されている。ビルマ慰霊団でビルマへ戦友会の方々と訪れていた頃、しばしば牟田口廉也第15軍司令官の悪口を耳にしていた。彼が総指揮を取っていた中部高原の避暑地メイミョーも度々訪れた。新聞の番組紹介文に牟田口中将に仕えた少尉の回想メモについて、証言は深く重いものだと書かれていた。

 昔を知るビルマの人々の様子も良く描かれて、中々味のある深刻なドキュメンタリーになっていたと思う。

 ただ、どうしても日本人にとって理解し難いのは、3万人もの兵士を死に至らしめ、白骨街道と呼ばれたようにその内の6割が退却時に亡くなった。にも拘わらず、責任を負うべき作戦の総大将・牟田口廉也中将が戦後戦犯に問われることもなく、戦後も自己弁護に終始してのうのうと生き、1966年77歳で亡くなったことである。今日でも責任者の地位にありながら、言い訳三昧で他に責任を被せる不誠実な人物を見るが、牟田口の戦中、戦後の所業は、インパール作戦で亡くなった兵士にとってあまりにも極悪な裏切り行為ではないだろうか。

 さて、去る12日アメリカ東部バージニア州シャーロッツビルで、南北戦争時に奴隷制存続を主張して敗れた南部のロバート・リー将軍像撤去に反対する白人至上主義者らが、黒人の権利擁護や差別撤廃を訴えるグループと衝突したところへ白人主義者が車で突っ込み死傷者を出す騒ぎとなった。これを巡りトランプ大統領が非難したが、当初人種差別を容認するかのような発言をしたことに非難が高まっていた。

 そして事件から2日後の一昨日14日になって、余りにも批判が集中したこともあって、KKK(クー・クラックス・クラン)やネオナチズムら白人至上主義者の団体に対して、暴力を引き起こした団体は犯罪者で残忍な悪漢だと名指しで非難した。ところが、この発言が遅すぎるとメディアから指摘され、これに対して産業界にも抗議の声が広がり、トランプ政権と良好な関係を保っていた経済人らからもトランプ大統領を非難する声が上がっている。

 トランプ大統領は大統領選中から異民族や移民に対して排外主義的な発言を繰り返し、意図的に露骨な差別を口外していた。今度の発言は思わず本音を口に出したということだろう。

 14日の取り繕い発言で事態が収束したわけではない。今後も同じような発言が繰り返されることを憂慮している。

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3746.2017年8月15日(火) 72年目の終戦記念日

 今日は72年目の終戦記念日である。韓国では「光復節(独立記念日)」、北朝鮮では「祖国解放記念日」と呼ばれ、国の祝日とされているが、日本ではどういうわけだか、今以ってこの日は祝日に制定されていない。敗戦は祝うべきではないとでも考えているのだろうか。

 戦争が終結したのは、疎開先・房州の国民学校初等科1年生の時だった。戦争の記憶ははっきり残っているが、72年前の今日の玉音放送についてその当時は記憶になく、幼かったせいもあり戦前と戦後の境目がどうもはっきりしない。

 今日天皇・皇后両陛下ご臨席の下に日本武道館で行われた全国戦没者追悼式をテレビで観ていた。厳かに式典は執り行われ天皇も、安倍首相も平和への誓いをされたが、天皇の願いと首相の願いはやや方向が異なるのではないかと気になっている。天皇は「反省」という言葉を今年も述べておられた。一方、首相はアジアへの侵略、加害という言葉を今年も加えることはなかった。

 折も折元共同通信社の知り合いから昨晩メールで、天皇陛下のご学友とされる橋本明氏が一昨日亡くなられたと知らせてもらった。天皇に関する著書もあり、専らそのことでいろいろ話題になられる方である。2度ほどお会いしてお話したことがあるが、印象としては、ご自分の経歴をひけらかすような方ではなかったが、従弟の橋本龍太郎元首相については饒舌だった。昨年8月天皇はご自分の年齢を考えて肉体的に負担の重い天皇職を譲りたいとのお気持ちを表明されたが、同年齢の橋本氏のご逝去を知り、さぞ落胆されるのではないかと思う。

 終戦記念日に当たり今年も保守政治家らの靖国神社参拝の流れは衰えることはなかった。日報紛失問題で物議を醸しながら閉会中審査にも出なかった極右の稲田朋美・元防衛相も今日ばかりは意気揚々と参拝していた。

 一方で、アメリカと北朝鮮のグアム島射程云々のミサイル発射に関する舌戦が相変わらず激しい。グアム島ではそれなりの備えは怠りないようだが、観光にも影響しかねない。この行方は、一体どうなるのだろうか。

 さて、わが家の庭にも朝から蝉の鳴き声が聞かれるようになった。しばらく聞いていると何となく情緒が感じられ、ひたすら懐かしく、子どものころ随分蝉を捕まえた記憶が蘇ってくる。1週間の儚い命だが、夏の風物詩として蝉は格好の話題を提供してくれる。

 偶々昨日の朝日朝刊「天声人語」に、芭蕉の名句「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」が採り上げられている。この蝉はどういう種類の蝉だろうかとの疑問を抱いて斎藤茂吉や小宮豊隆らもこの時期に現地を訪ねて推察している。結局素人には分からず、昆虫学者が時期や標高からするとアブラゼミ説よりニイニイゼミ説に理があるという話に落ち着いている。蝉がこれから減る兆しがあるのは、成長に欠かせない軟らかくて湿った土壌が細った場合のようだ。今後蝉が生き残れる自然環境が残されるだろうか少々気になる。その点で蝉が鳴く環境にあるという点では、有難いことにわが家の周囲にもまだ自然が残されているということでもある。

2017年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com