3449.2016年10月22日(土) 印象深い山一証券倒産劇と「山びこ学校」

 昨深夜NHKプレミアム「アナザーストーリーズ 運命の分岐点・・・山一破たん たった一つの記事から始まった」を観た。バブル崩壊時の1997年11月、山一証券自主廃業に至るまでの経緯をリポートしたドキュメントである。山一にとって創立100年目の悪夢だった。山一は一時証券業界でもトップを走っていた時期もあったが、最終的には損失隠しによって経営が破たんした。これにより大手証券会社4社のうち、山一だけが悲惨な経緯を辿り証券業界から姿を消した。自ら撒いた種というべきか、それとも身から出た錆というべきだろうか。

 私にはそれより30年以上も前に山一証券が受けた日銀特融に忘れられない思い出がある。山一破たん前の前哨戦ともいうべきもので、再建のために日銀から3兆円に上がる特別融資を受けたころである。1964年東京オリンピックの年だった。現場から上がって経理部財務課資金係に配属され投融資業務に関わっていた当時のことである。まだ新米経理マン時代に、上司から言われるままに証券や株券を取り管理していた。会社が社債を発行していたために、各証券会社のセールスマンが入れ代わり立ち代わり毎日のように経理部にやって来ては近くの椅子に座り、上司との面会時間までのつなぎに新米だった私によく話かけてくれた。山一証券のあるセールスマンの如きは、大学相撲部の出身という大きな体に背広を着こんで証券1枚が入った角封筒だけを持って来られた。ある日突然山一証券が倒産したという話が耳に入り、社名も山一証券㈱から㈱山一に変わり、資産を山一証券㈱から㈱山一に移し、その後㈱山一が新しい山一証券㈱に商号変更して以後は冒頭の山一証券㈱となり、それが最終的に自主廃業したわけである。私は言われるまま、㈱山一が取り扱った証券証書の名義を移し替えていた。はっきりは覚えていないが、株券をあっちへ移したり、名義の書き換えをやったり、慌ただしかった。番組を観ていると東洋経済新報社記者に内部のタレこみがあったことから取材していく中で山一社内に不正があると確信して追い詰めたというストーリーになっている。

 私自身はあくまで外部者であり、証券会社の何たるかも分からない新米社員時代にわが国の経済、証券業界を揺るがせた事件の近くにいたことを今更ながら不思議な感じで受け止めている。

 それにしても中々興味深い番組だった。

 さて、今夕の日経紙に懐かしい人へのインタビュー記事が載っていた。誰あろう、一世を風靡したあの無着成恭先生である。生徒の綴り方を「山びこ学校」に編集して、出版した山形県山元中学校の国語教師だった人である。中学1年時に夢中で読んだ。木村功が無着を演じた映画「山びこ学校」も観た。「~外では雪がコンコン降っている~」というような文節があったような覚えがする。「山びこ学校」は、素朴な山奥の雰囲気と貧しい生徒たちの生活ぶりをよく焙りだしていたと思う。その山元中学校も2009年に閉校になったという。無著先生は現在別府市内に居住しておられるようだ。

 無着先生は、いつも「なぜ?」と疑問を持ち考え、質問しないようでは国が亡びるとまで言っている。僧侶としても綴り方教室を指導した。こういう先生に習った生徒は、きっといつまでも先生のことを忘れないだろう。幸せなことだ。先日出席したクラス会の幕張小学校の恩師・湯浅和先生をつい想い出した。

2016年10月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3448.2016年10月21日(金) 鳥取地方で震度6弱の地震

 JAPAN NOW観光情報協会主催による毎月定例の観光立国セミナーで外務大臣政務官・山田美樹衆議院議員の講演を伺った。「海外で学ぶ 海外で働く 海外と交渉する」とのテーマで話されたが、斬新なテーマと内容で中々面白いと感じた。東大法学部卒業後旧通産省に勤めて、コロンビア大学へ留学され、その後役所を辞め複数の外資系企業で働いた後に、4年前自民党議員立候補者公募に応募して東京第1区から立候補し、見事当選して代議士になった経歴の持ち主である。この華やかな経歴から察すると上から目線で見下すような女性議員ではないかとの先入観があったが、そのような嫌味な態度はまったく見られなかった。ひとつひとつパワー・ポイントを使いながら丁寧に説明された、その謙虚な話しぶりは好感が持てるものだった。「海外と交渉する」という点では、日本を代表して外国の高官と交渉することは、隣席に専門家がいようとも自分以外の他人は交渉に関与することはなく、1対1で交渉するので孤独感があると仰っていたが、案外そういうものではないかと思った。

 高校時代の友人の元通産事務次官・牧野力くんについても当然よくご存じだった。

 かつて旅行業者として感じた印象と考えを話し、質問してみた。今でこそ外国人のインバウンド観光客が増加して国の財政を潤しているが、政府、国交省役人はインバウンドについてはこれまで公的に何もやらず、反ってそれまでアウトバウンド旅行を扱う旅行業者を外貨の無駄遣いとけなしては、旅行業者を見下したような態度ばかり取っていた。今日のインバウンド観光客の増加は彼らの功績ではなく、観光業者が地道に努力して今日花開いた成果であり、現実にインバウンド実務を行うことができない彼らは、旅行業者では中々できない、もっと日本の正しい文化の啓蒙と普及に取り組み、その正しい紹介に資金を投資し、活動して欲しいと要望した。山田議員には好意的に受け取っていただいたように思う。

 さて、帰宅したところ鳥取地方で大きな地震があったとのニュースに接して、4月の熊本地震に続き、またかと驚いた。震度6弱とのことだが、不幸中の幸いだったのは雨が降らず、そのためがけ崩れ、洪水、津波などが派生的に起きなかったことだろう。余震も続いているようだ。これからいつ東京にも地震が起きるか分からない。地震列島に住んでいる宿命と言ってばかりもいられない。

 ついては、16日付ブログでノーベル文学賞受賞者ボブ・ディランの♪風に吹かれて♪の訳詞者中川五郎氏について私の知るペンクラブの中川五郎氏ではないかと触れたが、この訳詞者中川氏とはフォークソング・シンガーであるらしいことが分かった。10月23日付「しんぶん赤旗」(日曜版)に載った中川氏のギター演奏の写真で分かった。あのお堅い「赤旗」も漫画や映画の記事も掲載するようになって、ひと昔前を知る我々60年安保世代にとっては随分変わったなぁという印象だ。

2016年10月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3447.2016年10月20日(木) 秋の1日を鎌倉古刹巡り

 ゼミで親しかった池田、長谷川、須藤の3君と鎌倉古都巡りを楽しんだ。大雑把な予定は前以て彼らに知らせていたが、年齢的な面もあり、ハードスケジュールは避けたいとの陰の声があった。今年2月にセルビアの山崎さんと円覚寺、極楽寺を訪れたが、今日も横須賀線車内と北鎌倉駅で待ち合わせて古刹円覚寺から、駆け込み寺として知られる東慶寺を参拝した。ここには鈴木大拙、西田幾太郎、岩波茂雄、和辻哲郎、谷川徹三、小林秀雄ら多くの哲学者、文学者の墓地があるが、意外だったのはオリンピック・ゴールドメダリストの織田幹雄さんとバレーボールの大松博文監督の墓地が並んでいたことだ。

 一昨年亡くなった竹内謙・元鎌倉市長の墓地があるとご子息から聞いていたので、受付で調べてもらい大凡の場所の見当はついた。だが、結局のところどうしても見つけることができず、次回に回さざるを得なくなった。竹内氏の菩提寺まで来ていながら目指すお墓を探すことができず、ご焼香もできず残念である。東慶寺には明確な墓地の配置図がなく、係員の地図による口頭案内では複雑な地形のため、思うように探し当てることができない。心残りではあったが、友人らを待たせるわけにも行かず、鎌倉街道を歩いて次の目的地・建長寺へ向かった。

 建長寺は久しぶりである。交通の便があまり良くないので、今まで1度しか訪れたことがない。今日は、座禅の部屋を見せてもらった。その後再び鎌倉街道を通り鶴岡八幡宮から改装成った若宮大路の「段葛ら」と小町通りを通ってJR鎌倉駅までやってきた。時すでに3時半になり、それぞれ疲れていたので、名残惜しかったが、江ノ電沿線観光は諦めて帰ることにした。

 最近1日1万歩をクリアできない日が多くなっていたが、久しぶりに今日は1万7千歩を超えることができた。それにしてもいずこのお寺も遠足で訪れた元気な小学生たちで溢れていた。多くの子どもたちがカメラを手に走り回っていたが、時代が変わったなぁと感じた。

 それでも秋晴れの暖かい1日を古都鎌倉の古刹巡りを楽しむことができた。

 さて、今日不意に降って湧いたような訃報には驚いた。ラグビー界の至宝、平尾誠二氏が53歳の若さで亡くなったのである。若い頃の洗練されたプレイを何度も見て、その都度唸らされたものだ。我が家の息子たちも憧れていた元日本代表選手はその実績もさることながら、3年後に日本で開催されるラグビー・ワールドカップを見据えて大きな役割を期待されていただけにラグビー界にとって大きな損失である。NHK夜の「ニュースウォッチ9」でも、その死を惜しんでトップニュースで紹介された。心からご冥福をお祈り致したい。

2016年10月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3446.2016年10月19日(水) 岡本太郎記念館事務局長と話し合う。

 先日南青山にある岡本太郎記念館を見学したが、今日は事前にアポを取って高橋善雄・事務局長とお会いした。事務局長とお会いしたのは、岡本さんの慶応幼稚舎卒業記念写真のコピーを差し上げるためと、他にも記念館スタッフも知らないような岡本さんに関するプライベートなお話をするためだ。

 岡本さんはご自分の作品が多くの人の手に渡り、散逸されることを心配されていたという。そのためかつて住んでいた川崎市に多くの作品をまとめて寄贈することになり、それが現在岡本太郎美術館として存在している。絵を額縁に飾ることも潔しとしないご性格だったそうで、仮に痛んだらご自分が修正に伺うと仰っていたという。

 他でもないが、偶々義父が幼稚舎で岡本さんと同じクラスメートで、大正13年卒業の岡本さん、同じくクラスメートだった歌手の藤山一郎さん、作家の野口富士男さんと一緒で竹馬の友として終生交流を続けていた。今日高橋さんにお話したのは、いまリニューアルで話題となっている大阪万博の折建設された「太陽の塔」の建築素材に、当時日本軽金属㈱会長を務めていた義父が、日軽金のアルミを使用してくれるよう岡本さんにお願いして快く承諾してもらったことである。流石にこの話は高橋さんもご存じなかった。その他にも藤山さんや、野口さん絡みのエピソードをお話して大変楽しいひとときを過ごすことができた。

 エッセイ「岡本さん、藤山さん、野口さん、そして岳父」を掲載した小冊子と、4人組に若干触れた拙著「南太平洋の剛腕投手」を差し上げたところ、有難いことに立派な写真集を2冊お返しにいただいた。

 今後催し物を企画される場合はご連絡いただけると仰っていただいた。

 次は、川崎市にある岡本太郎美術館を見学してみたいと思っている。

 さて、駒沢大学講座で講師の山田克・共同通信東京支局長が、あまり知らない新聞記者の業務のいろいろな面について講義してくれるので興味深い。今日は講義の最後に次の2点について質問した。①舛添要一・前東京都知事が在職中私的な美術品を公費で購入したことに関して、前知事も反省して自費で支払った後にすべて結果を説明すると大見得を切っていたが、小池知事が豊洲市場、東京オリンピック会場選定問題などに忙殺され、都議会の追及も尻切れトンボのまま約束が果たされていない。また、②稲田朋美・防衛相と菅義偉・官房長官が政治資金報告書に、金額が記入されていない白紙の領収証を受け取り、それにすべて同じ金額を書き込んで報告書に記載していたことが判明し批判された。だが、両閣僚は法に触れないと開き直っている。これらの点について、メディアがもっと厳しく追及すべきだと思うが、メディアとしてどう考えているのか山田講師に質問したところ、現状は各メディアともスタッフが足りず、ひとつの限られた問題にほとんどの記者がアプローチする状態になっており、その現象を由々しい問題であると認識していた。講師はこのような質問をぶつけられたことを会社内で話してみるということだった。それまで舛添問題に積極的に取り組もうとしないように感じていたので、やはりそうかと不承不承納得する形になったが、約束を守ることや、もらった白紙の領収証に相手にお構いなく勝手に金額を書き込む行為なぞは不条理で到底許されざることである。徹底的に追求して欲しいと思う。

2016年10月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3445.2016年10月18日(火) 2020年オリンピック・ボート会場はどうなるのか。

 今日バッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長が来日され、早速都庁で小池百合子知事と会談された。このところオリンピックの競技会場問題で東奔西走の知事だが、知事はバッハ会長に経費削減と会場変更について理解をお願いした。会長の感想は、すでに決まった会場でオリンピック開催をアピールし開催権を獲得し承認されたので、その後の変更はあまり歓迎しないと述べた。

 オリンピック開催の総元締めはIOCで、開催国の組織委員会が開催を主催し実施管理する。2020年東京大会の3つの会場は一度決まっていたが、費用が嵩み過ぎて変更を検討中である。その点で主催都市の東京都知事が動くのはよいとしても、ちょっとその動きが激しく組織委員会を無視したような印象を与えて、組織委員会と東京都との間に溝ができてぎくしゃくしているようだ。小池知事もあまりこういうイベントのルールをご存知ないようだ。どうもあまりうまくない。いま問題になっているボート・カヌー会場については、当初の海の森会場から宮城県長沼ボート場を復興五輪と銘打って、移転させ経費を削る作戦で小池知事と村井嘉浩宮城県知事が話し合って、現場視察まで走ってしまったが、物事の決め方として問題を残すのではないかと思う。今回のオリンピックについては、全般的に随分手順が悪いような感じを抱いている。この様子ではまだまだ問題が噴出しそうだ。

 さて、先日来今年のノーベル文学賞受賞者ボブ・ディランの行動が話題になっている。ノーベル・アカデミーがディランと連絡が取れなくて困っているようだ。彼から賞に関してまったくコメントがなく、世界でも最も栄誉ある賞の価値を損ないかねないほど賞を無視しているかのような音無し行動である。堪りかねてアカデミーは今後ディランへの直接の受賞連絡を断念したと語った。同時に彼の受賞を祝い、授賞式には出席してくれるだろうと期待し、欠席の場合は別のプログラムを組んで授与すると明かした。いつ姿を現し、コメントを述べるのか、人騒がせもそろそろストップして欲しいものだ。

 ところで今夜突然プロ野球広島カープの黒田博樹投手が今年の日本シリーズを最後に現役引退を表明した。昨年ヤンキースから誘いを断って古巣へ帰ってきたばかりである。日米で通算200勝をあげた。今シーズンも10勝を上げ広島25年ぶりの優勝に貢献したばかりである。黒田は22日から始まる日本シリーズで優勝を置き土産に舞台を去るか。日本シリーズで勝ったら伝説の投手となるだろう。男気というか、中々舞台作りがうまい選手だと思う。

2016年10月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3444.2016年10月17日(月) 原発再稼働反対派が新潟知事選でも勝った。

 昨日投開票が行われた新潟県知事選挙は、厳しい戦いを強いられていた医師で弁護士の米山隆一氏が、手強い保守派の森民夫氏を破って初当選した。当初4選出馬を表明していた東電柏崎刈羽原発再稼働反対を主張していた泉田裕彦現知事が、新潟日報社の掲載記事に伴う泥仕合であまりすっきりしないまま撤退したことにより、選挙戦は序盤から混迷を深めていた。自民・公明党推薦の森氏は、長岡市長時代に全国市長会会長まで務めた実力者で、中央政界との強い結びつきをアピールしてかなり有利と見られていた。立候補を表明するや、原発再稼働に向けて積極的な発言を行った。一方の米山氏は泉田知事の原発再稼働反対路線を引き継ぎ、再稼働に慎重な態度を示していた。県民の再稼働に対する意識調査では、賛成2に対して反対が6だったようだから、県民の再稼働反対の意識が米山氏を当選させたと言えそうだ。この結果を受けて東電の今日の終値は400円近い下落である。

 先日の鹿児島県知事選挙でも原発反対派の三反園知事が当選し、九州電力に対して川内原発の稼働を停止するよう求めているが、現状では稼働されたままである。残念ながら民意を得た知事にも原発を止めるまでの権限はない。当初米山氏は、原発再稼働反対を唱えるよりむしろ地域医療や、介護、子育て支援の充実、TPP対策として農家への個別所得補償制度の復活などを訴えていた。選挙戦途中から自らの信念に加えて、県民意識が強い原発再稼働反対を唱えるようになった。今後民意である「原発反対」をどこまで貫き、他の課題とどう調和させて行くのか問われることになりそうだ。

 さて、1週間前朝鮮共産党創立記念日に合わせて、北朝鮮がミサイルを発射するのではないかと国際社会が警戒していた中で、何事もなく打ち過ぎホッとしていたところ、昨日になって北朝鮮は新型中距離ミサイル「ムスダン」1発を発射した。だが、失敗に終わった。性懲りもないお国柄だけに、いくら関係諸国に国連の場で国連安保理事会決議に違反していると非難されても、まるで柳に風の無神経ぶりである。いつまで経っても駄々っ子そのもので、まったく困った国である。

 その北朝鮮の友好国である中国では、今朝有人宇宙船が打ち上げられた。早速習近平・国家主席が宇宙強国をつくるために貢献するよう祝福のメッセージを送ったという。科学技術の発展のために貢献するようにというわけではなく、このメッセージを読み解くと軍事に転用される恐れがあることが心配である。この辺りが大国意識過剰の中国らしいところだ。結局軍事目的で宇宙開発を進めていると考えざるを得ない。日本の宇宙科学開発の目的とは大きく異なる。 

2016年10月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3443.2016年10月16日(日) 「ら抜き言葉」もいろいろ

 ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したにも拘らず、それに対して何の反応もなく、受賞の感想も述べず、ノーベル委員会に対してコンタクトもしないことに対して、少々奇妙な話題を提供している。著名な作家の間でも憤慨や、非難するような声が聴かれる。ノーベル文学賞をそれほど有難いと思っていないのかも知れないが、ディランももう少し素直に受賞の感想などを述べれば良さそうなものだが、これでは一般人はもとより、反戦、反体制派の人たちからもあまり良く思われないのではないだろうか。それにしても少し変わっている。

 ついては、昨日の本ブログでディランの♪風に吹かれて♪の歌詞に「ら抜き言葉=見れるのだろう」があると書いたが、今日テレビで別の訳詞者中川五郎氏による歌詞が紹介された。それによれば、同じ個所が「見られるだろう」と翻訳され、この限りにおいては「ら抜き言葉」になっておらず、このヒット曲と「ら抜き言葉」とは無関係であることが明確になった。

 これを翻訳された中川五郎さんは、ひょっとすると日本ペンクラブ会員で以前からよく存じ上げている中川さんではないだろうかと考えている。生憎年齢的なこともあり、最近は例会でもお目にかかることがなくなった。もし近い内にお会いする機会があれば、この点について是非お尋ねしてみたいと思っている。

 今年創立145年を迎える千葉市立幕張小学校時代のクラス会が、今夕同級生のひとりが経営する千葉市内の中華「珊珊」で開かれ、いつも通り常連メンバー11人が集まった。いつもながら他愛のない話に終始するが、お互いに元気なのは頼もしい。私のキューバ旅行中に亡くなった大学アルペンクラブの友人・伊藤嘉信くんの訃報を伝えたところ、私を除く10人のうち、5人が彼を知っていたのは意外だった。尤もそのうち4人は千葉一高(現千葉高)の同級生で、あと1人は商売上のお付き合いと言っていたが、顔の広かった彼らしいと感じた。同時に、世間は狭いものだと思った。

 さて、今日行われたプロ野球パ・リーグのクライマックス・シリーズ最終戦で北海道日本ハム・ファイターズが福岡ソフトバンク・ホークスに逆転勝ちして、日本シリーズへの出場権を獲得した。セ・リーグの日本シリーズ進出チームは昨日広島カープに決まったので、今年の日本シリーズはセ、パ両リーグともにペナント・レース優勝チーム同士で戦うことになった。これなら文句はない。どうして素直に最初から優勝チーム同士で戦わせないのか。プロ野球機構にお金は入っただろうが、とんだ回り道をしてゴールへたどり着いたものである。

 易しいことを難しくするのか今流なんだろうか。優勝チームが決まっているのに、まだ戦わなければならない選手こそ好い面の皮である。

2016年10月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3442.2016年10月15日(土) ♪風に吹かれて♪日本語訳の「ら抜き言葉」

 ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞することになってから、巷では詩人ではなく歌手ではないかと恰もディランはノーベル賞に値しないとやっかんだような声も聞かれるようだ。

 そこでディランの最大のヒット曲 ♪Blowin’In The Wind(風に吹かれて)♪ の歌詞を取り上げてみよう。

 

 どれほど道を歩めば 人として認められるのだろう?

 

 どのくらい白い鳩は飛び続ければ 砂浜で安らげるのだろうか?

 

 どれだけの砲弾が飛び交えば 殺戮をやめさせることができるのだろう?

  その答えは 風に吹かれて 誰にもわからない

 

 山は海に流されるまで 何年在り続けられるのだろう?

 人々はどれほどの時間を過ごせば 自由の身になれるのだろう?

 人はどのくらいの時間を 見過ごし続けられるのだろう?

  その答えは 風に吹かれて 誰にもつかめない

 

 人はどのくらい見上げれば ほんとの空を見れるのだろう?

 人にどれだけ多くの耳があれば 悲しみの声が聴こえるのだろう?

 どれだけ数多くの命を失えば 死が無益だと分かるのだろうか?

  その答えは 風に吹かれて 誰にもつかめない

  答えは風に吹かれている 

 

 これがノーベル賞受賞に値する詩である。中々アピール性がある素晴らしい詩だと思う。我々とはちょっと感性が違う。1960年代に反体制運動に力を与えた歌詞である。上記の訳詞は、誰によって訳されたのか分からないが、その中に最近しばしば話題になる「ら抜き言葉」が見られる。最終文節に「人はどのくらい見上げれば ほんとの空を見れるのだろう?」の訳文があるが、原文では‘Yes, how many times must a man look up  Before he can see the sky ? ’となっているので、「見れる」はノーベル文学賞受賞者の作詞ではなく、翻訳者の考えである。

 それについて偶然にも今朝の日経新聞「親子スクール」に「ら抜き言葉 ダメなの?」で「ら抜き言葉」が取り上げられていた。原則的には「ら抜き言葉」は国語の教科書では間違いとされているが、世間にはかなり出回って使われている。その例として「ら抜きの表現は昭和のころからあった」として、太宰治に「看護婦は男の顔を見ぬように努めた。気の毒で見れなかった」(「道化の華」より)や、獅子文六の随筆「食味歳時記」に「フランスでイチゴは5月でしか食べれない」の表現があるという。

 教育のように檻のような中ではその表現は絶対許されないが、自由に書くことができる私的な文章ではあまり深刻に考えるなということであろうか。

2016年10月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3441.2016年10月14日(金) 自動車免許証を更新する。

 昨日の2つのビッグニュースの続報である。タイのプミポン国王の死去はタイ国民に深い悲しみをもたらし、弔意を表すためであろうか、一般に人々は黒い衣装を身に付け、国は1カ月間の喪に服す。これほど親愛の気持ちを表される国王はそうはいないだろう。日本企業もタイ人従業員がどういう勤務をするか様子見のようだ。

 もう1つのボブ・ディランが受賞したノーベル文学賞のニュースは、各界に改めて歌手ディランの作詞家としての高い価値と評価を認めさせ、同時に、ノーベル文学賞の在り方まで話題を提供している。そのディランが一向に受賞についてコメントを発表せず、今日ラスベガスで行われたライブでも一切語らなかったそうだ。更にノーベル文学賞委員会では、受賞発表後ディランからまったく連絡がなく、早く一報をと待ち焦がれているという。ちょっと風変わりな人という印象である。

 さて、先日電通勤務の女性東大卒新入社員が、昨年過労勤務の末に自殺した。労災認定されたことで今日電通本社と支社に東京労働局と三田労働基準監督署が立ち入り調査に入った。25年前にも入社2年目の男性社員が長時間労働に悩み自殺し、最高裁が会社側の責任を認定した。また繰り返された同じような悲惨な自殺事件に、役所も会社の体質に問題があると呆れているのではないだろうか。件の女性社員の1ヶ月の時間外労働は何と100時間を超えるという。

 今日の立ち入り調査で電通の労働時間の把握が杜撰で長時間労働が野放しになっていたらしいことが分かった。オリンピックの宣伝関係業務をIOCから一括して請け負い、受けにいっているが、営業はともかく人事管理が追いついていないのではないだろうか。攻め一辺倒のこの会社には、社員を守るべきディフェンス体制が整備されていないようだ。

 かつて同じように立ち入り検査を受けたABCマートや、ドンキ・ホーテのようなブラック企業と同じレベルの会社ということになる。当局は違法な長時間労働が全社的に常態化していた疑いがあるとみて、刑事事件として立件を視野に調査を進めるようだ。

 ついては、今日自動車免許証の書き換えに出かけた。もう何度目になるだろうか。3年に1度の免許更新で、3年前に引き続き世田谷警察署免許更新所で手続きを済ませた。70歳を過ぎてからは高齢者講習を受けなければならず、今回は事前に2度目の高齢者講習を済ませた。このために暑い盛りの8月に、まる1日を費やして自動車講習所で高齢者講習の受講(認知症テストを含む)と実技(見学しているだけでも可)を済ませて修了証明書を受領し、今日一般の人と同じ手続き書類にこの高齢者講習修了証明書を添付して提出した。更新手続きは簡単で、視力検査に合格してその場で写真を撮りほんの5分も待っていれば、新しい免許証を交付してくれる。流石にこの辺りはIT化されているのか一連の作業は早いものだ。これで向こう3年間有効の免許証を手にすることができた。

 想えば、大学1年終了時に免許証を取得して以来56年になる。あの60年安保闘争の年である。爾来それほど長い距離を運転してはいないが、この間ブルーバード、オペル、ヴァイオレット、カローラ、カムリ、そして現在のVW、更に一時ニューヨークに友人と共有していた真っ赤なスポーツカー、コルベット・スティグレイにも乗った。国際免許証を発行してもらい海外でも結構運転する機会があった。ニューヨークでは当時在住していた、亡くなった友人の曽田順吉さんと共同所有の前記の車に乗って、ハイウェイをスピード感を楽しんでひとりでボストン郊外まで出かけたり、ベルギーではレンタカーで動き回ったことがある。

 車の運転では旧厚生省から随分喜ばれ感謝もされた。毎年のように1カ月間も中部太平洋戦没者遺骨収集事業でサイパン島に常駐しては、本部が置かれたホテルで団長だった厚生省課長の秘書役として運転手役を仰せつかったからである。

 反省すべきは、半世紀以上にわたって運転して1度だが事故を起こしたことである。交通ルールは順守して安全運転を心がけて来たが、1966年12月同期入社の友人たちと箱根へ旅行して、宿泊の翌朝箱根で道路表面が氷結しているのに気付かず、車が氷結した道路上を走る状態になり滑ってそのまま土壁にぶつけてしまった。幸い対向車がなくくて頭にけがをした程度で済んだが、車は中破してレッカー車のご厄介になる無様なことになってしまった。2台の車に分乗して移動中で、もう1台の車も滑ってぶつかった。幸い友人たちにけが人はおらず、崖下に転落するような惨事にもならず、胸をなでおろしたことも昨日のことのように思い出される。

 これからいつまで車を運転することができるだろうか、まだ漠然としているが、次回の書き換えは81歳になっているので、そろそろ引き際ではないかと思っている。高校時代の友人の中にも免許証を返還して運転しないという友人が何人かいる。実際最近は人通りの多い地区をドライブしたりすると、人一倍神経を使うようになり以前より慎重にハンドルを握るようになった。これも運転上の老化現象かも知れない。そろそろ車の運転から身を引く時が近づいているのかも知れない。

2016年10月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3440.2016年10月13日(木) タイ国王崩御、ボブ・ディランにノーベル文学賞

 昨日妻と南青山にある岡本太郎記念館見学中に、妻が二男の嫁から東京で停電が発生しているニュースを目にしたが、影響はないですかと心配そうにスマホで尋ねられた。停電自体をあまり気にしていなかったところ、記念館を出てゼミの先輩と同期生夫婦らとイタリアン・レストランに集まっていた時、ある先輩から山手線が停電で動かなくなってしまったので、食事に遅れると連絡があった。それでもそれほどの大事とも思っていなかったところ、帰宅してテレビで大騒ぎになっているのを知った。

 今朝の新聞のトップ記事に「東京 大規模停電」とあり、埼玉県新座市内の地下に設置された電力ケーブルが漏電から火災が発生したことが原因で、約1時間に亘り58万所帯以上が停電となり、交通機関にも乱れが出たと書かれていた。一時霞が関の中央官庁街のビルからも電気が消えて真っ暗になったというから、こんなことが度々起きては困る。今までこのような大停電事故は知らないが、国家的事業でも開催中だったら大変なことになっていたかも知れない。

 ついては、岡本太郎記念館には一度行ってみたいと思っていたので、昨日偶々近くのイタリアン・レストランへ行く機会があったので、その前に初めて覗いてみた。旧私邸を改造して私的に公開の場所にしたため、それほど広いスペースではないが、いかにも太郎作品と思われる彫刻品が館内と庭園に置かれていた。喫茶店も経営されていたので、コーヒーをいただきながら館員の方と太郎さんに関わる話をしてみた。妻の父が、慶応幼稚舎から普通部まで竹馬の友として終生懇意にしていただいた。大阪万博の太陽の塔の制作に当たって、岳父が会長を務めていた日本軽金属㈱のアルミ製品を使用してもらったと岳父から聞いていた。同期生仲間には、歌手の藤山一郎さん、作家の野口富士男さんもいて、岳父は幼稚舎仲良し4人組としてメディアでも紹介された。面白いことに、この4人でそのまま大学まで進んだのは岳父1人だけだった。

 幸い大正13年幼稚舎を卒業した時の記念アルバムが義兄の手元にあり、そのコピー写真があるので、これを近い内にお届けしましょうと係員に約束したら随分恐縮しておられた。多分岡本家には卒業アルバムは残されていないと思うので、ご覧になれば喜ばれるのではないかと思う。出来るだけ早い機会にお届けしようと思っている。

 さて、夜になって電撃的に2つのニュースが入った。ひとつは、タイのプミポン国王が亡くなられたというニュースだった。その1時間前のニュースで容体が大分悪く入院先の病院内でご回復をお祈りする国民の姿をうつしていたばかりだった。在位70年という在位期間が世界で最も長い国王だった。タイに行けばどこかで必ず国王の写真を目にしたものだ。タイ国民もきっと深い悲しみに包まれ喪に服すことだろう。享年88歳だった。

 2つ目は、今年のノーベル文学賞受賞者は、期待された村上春樹ではなく、アメリカのシンガーソングライターのボブ・ディランだった。私より3歳若いが、まさか歌手が文学賞、それも最高峰のノーベル文学賞を受賞するとは驚きである。風に吹かれて♪がよく知られているが、歌はベトナム戦争、公民権運動を背景にして唄われ、訴求力と大きな影響力を持っていたので、歌詞もそれなりに文学性があり格調も高いのだろう。村上ファンにとっては今年も期待を裏切られたが、村上氏の表現方がディランのそれと似ている節もあるようなので、来年に期待したいと言っていたファンもいた。来年こそはそうあってほしいものである。

2016年10月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com