ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したにも拘らず、それに対して何の反応もなく、受賞の感想も述べず、ノーベル委員会に対してコンタクトもしないことに対して、少々奇妙な話題を提供している。著名な作家の間でも憤慨や、非難するような声が聴かれる。ノーベル文学賞をそれほど有難いと思っていないのかも知れないが、ディランももう少し素直に受賞の感想などを述べれば良さそうなものだが、これでは一般人はもとより、反戦、反体制派の人たちからもあまり良く思われないのではないだろうか。それにしても少し変わっている。
ついては、昨日の本ブログでディランの♪風に吹かれて♪の歌詞に「ら抜き言葉=見れるのだろう」があると書いたが、今日テレビで別の訳詞者中川五郎氏による歌詞が紹介された。それによれば、同じ個所が「見られるだろう」と翻訳され、この限りにおいては「ら抜き言葉」になっておらず、このヒット曲と「ら抜き言葉」とは無関係であることが明確になった。
これを翻訳された中川五郎さんは、ひょっとすると日本ペンクラブ会員で以前からよく存じ上げている中川さんではないだろうかと考えている。生憎年齢的なこともあり、最近は例会でもお目にかかることがなくなった。もし近い内にお会いする機会があれば、この点について是非お尋ねしてみたいと思っている。
今年創立145年を迎える千葉市立幕張小学校時代のクラス会が、今夕同級生のひとりが経営する千葉市内の中華「珊珊」で開かれ、いつも通り常連メンバー11人が集まった。いつもながら他愛のない話に終始するが、お互いに元気なのは頼もしい。私のキューバ旅行中に亡くなった大学アルペンクラブの友人・伊藤嘉信くんの訃報を伝えたところ、私を除く10人のうち、5人が彼を知っていたのは意外だった。尤もそのうち4人は千葉一高(現千葉高)の同級生で、あと1人は商売上のお付き合いと言っていたが、顔の広かった彼らしいと感じた。同時に、世間は狭いものだと思った。
さて、今日行われたプロ野球パ・リーグのクライマックス・シリーズ最終戦で北海道日本ハム・ファイターズが福岡ソフトバンク・ホークスに逆転勝ちして、日本シリーズへの出場権を獲得した。セ・リーグの日本シリーズ進出チームは昨日広島カープに決まったので、今年の日本シリーズはセ、パ両リーグともにペナント・レース優勝チーム同士で戦うことになった。これなら文句はない。どうして素直に最初から優勝チーム同士で戦わせないのか。プロ野球機構にお金は入っただろうが、とんだ回り道をしてゴールへたどり着いたものである。
易しいことを難しくするのか今流なんだろうか。優勝チームが決まっているのに、まだ戦わなければならない選手こそ好い面の皮である。