1978.2012年10月12日(金) ノーベル文学賞にまつわるお話

 今年のノーベル賞受賞者が、医学・生理賞に続き、物理学賞、そして昨日文学賞が決まった。毎年話題に挙がる村上春樹氏が、今年もロンドンのオッズ相場で最有力候補者に推されていたが、結果的には中国人の莫言氏に決まった。中国人作家としては初の受賞者で、中国国内では前回劉暁波氏受賞の際のかなり抑圧的な報道に比べて、大々的に、且つ誇らしげに報じられている。

 2年前ノーベル平和賞が反体制派の獄中作家・劉暁波氏に授与された時は、中国政府は国家の反体制分子である劉暁波氏に栄誉を与えたとして、ノルウェイ政府を一方的に非難し、今も両国間は中国の一方的な敵対的対立関係にある。数ヶ月前にはノルウェイ前首相が中国を訪れようとしたところ、前首相への入国ビザ発給が拒否されている。その劉氏は依然として身柄を解放されず、今も収監されたままである。

 今度の莫氏受賞の背景には、ノルウェイ政府が前回の劉氏授与で中国政府から反発を受けたことを斟酌したスウェーデン・アカデミーが、村上氏有利の世評を覆し莫氏に賞を授与することで中国政府のご機嫌を取ったのではないかとの穿った見方もある。

 一方で、莫氏に対して中国政府が厳しい対応をせず、高く評価している背景には、莫氏が作家としての優れた才能はともかく、政府を批判せず、一党独裁国家中国政府の宣伝塔として利用価値があると受け取られたからであるとも言われている。実際莫言氏の名前は本名ではなく「言う莫(なか)れ」である。つまり政府批判をしない「体制内作家」ということで、政府に飼いならされた番犬と思わないわけにはいかない。どこまで真実か判らないが、仮に莫言氏が民主的な言動や、政府批判を行わず、政府と蜜月関係にあり、それを承知のうえでこういう人物を選考したとするならスウェーデン・アカデミーにも問題があると考えざるを得ない。

 トバッチリを受けたのは、案外村上春樹氏であるかも知れない。まだ村上氏の小説は読んだことはないが、世評では村上氏の作品は国内のみならず、海外にも多くの読者が多く、それ故にオッズ順位でもトップだったことを考えれば、来年こそ文学賞を授与されるのではないだろうか。来年を楽しみにしたい。

 1日経って今日今年度のノーベル平和賞はヨーロッパ連合(EU)に決まった。随分大きな組織が対象になったものだ。EUの全人口、5億人が受賞者ということになるのだろうか。どうもあまりピンと来ない。

 さて、今開会しているIMF年次総会の全体会合で、新興国の関与を拡大する改革案について、来年中に実現を目指すことを確認した。その中で最大の眼目は、IMFへの出資比率の変更である。これまでダントツに多かったアメリカは変わらず、日本も変わらず2番目の出資国であるが、中国が6番目から日本に次ぐ3番目となったことが大きな変化である。中国の存在感が増し、その態度が益々傲慢になるわけである。その他には新興国のインドが8番目、ブラジルが10番目に入ったことである。これによって新興国の発言力が増すことになる。ただ、出資金額が増えたとしても、その効果は効率的な経済政策を実行できるかどうかに掛かっているのではないだろうか。IMF の力量が問われるところである。

2012年10月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1977.2012年10月11日(木) IMFと世界銀行年次総会、東京で開催される。

 一昨日から東京で48年ぶりに大きな国際会議が開かれている。国際通貨基金(IMF)と世界銀行の年次総会である。世界的に景気が減速し、その中でもギリシャ、ポルトガル、スペイン、イタリアなど南ヨーロッパの経済が大分落ち込んでいる。その景気浮揚策をどうするかということが総会の大きな課題である。この国際会議には世界188カ国から財務大臣と中央銀行総裁が出席している。それらの関係者はメディアを含め1万5千人を超えるというから経済効果も相当なものである。昨日は仙台で開かれた会議の一環「防災と開発に関する会合」にラガルドIMF専務理事らが出席し、その後震災被災地を訪れた。

 以前にも本ブログに紹介したことがあるが、会議の渦中にあって今や世界経済の牽引車的役割を担っている中国が2人のトップ、謝旭人・財務相と周小川・中国人民銀行総裁を派遣しなかった。明らかに経済とは別に政治的な理由から欠席したのであり、尖閣諸島国有化に反対する露骨なパフォーマンスである。流石にかつては共産国家中国に同情的な立場を取っていた朝日でさえ、今朝の「天声人語」全スペースに、「あらゆる機をとらえての意趣返しは、体ばかり大きい子どもを思わせる」と呆れたコメントを書いている。ラガルド専務理事も中国の総会欠席を批判し、「彼らは大事な会議を逃すことになる」と大国の幼児的行為ににべもない。中国の思惑は中国が参加しないことによって東京会議を失敗させ、主催国・日本に恥をかかせるのだと何とも子どものようなたわごとを言っている。こんな幼児的言動によって国際的な信用を失い、損害を蒙るのは中国自身であるという事が中国人には判らないのだろうか。

 中国国内では共産党一党独裁国家の方針に対して、公には国民の誰一人として反対意見を述べる様子もなく、唯々諾々とその方針に従い他国へ嫌がらせを行う行為は、あまりにも非民主的であり、とどのつまり自分たちを隘路に追い込むこむことに思いが至らないのだろうか。駄々っ子中国の狭量ぶりには手を焼くばかりだ。

 さて、一昨日本ブログにPCの遠隔操作‘Team viewer’について書いたが、いつもPCについてアドバイスを受けているITコンサルタントから私が考えているPCの遠隔操作と、悪用された他人が勝手に侵入して操作する方法とはまったく違うと指摘された。よくよく考えてみると確かに‘Team viewer’とは、考え方や方法からして異なるようだ。素人には似ているように思えたが、似て非なるものだと判った。よく判りもしないことを中途半端に公言するには、繊細に注意を払うことが必要だと痛感した。

2012年10月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1976.2012年10月10日(水) 復興予算の使い方はこれで良いのか。

 昨日駒沢大学公開講座で菱山郁朗講師から講義の途中で、45年ぶりのヨルダン再訪について話してくれるよう突然話を振られたので、僭越と思ったが1967年の危機一髪のひとり旅と、この6月のノスタルジックな旅について受講者にさらっとお話した。

 菱山講師は、今の政治について日本テレビ元政治部長としての視点から、停滞した現在の国会や、まもなく交代するだろう日本のトップリーダーについて中国、韓国、更に北朝鮮ですら、次の日本のリーダーは誰になるかを見据えて、現時点では日本と真剣に大きな問題を話そうとは考えていないだろうと述べられた。

 臨時国会も開かれず、与野党党首会談も行われず、弛緩した空気の立法府の政治家が政治家なら、官僚も官僚で狡賢く、国民に対する背信的なことばかり考えている。かねがね気になっていた東日本大震災の復興予算が、本当に震災復興のために使われているのかどうか疑問視されていたが、案の定一昨日の朝日朝刊に「復興予算 何でもあり」と批判的に大きく取り上げられた。同予算には5年間に19兆円を投じるが、その財源の内10.5兆円は復興増税として所得税と住民税で賄う国民の新たな負担であるのに関係当局は、そんなことはお構いなしだ。

 実際復興予算と言いながら、「アジア太平洋、北米地域との青少年交流」(外務省)に72億円、「調査捕鯨の支援、反捕鯨団体‘シー・シェパード’の妨害に対応する監視船チャーターなど」(農水省)に補助金として18億円、「霞ヶ関の中央合同庁舎の耐震改修工事」(国交省)に14億円強も当てられているのが論より証拠ではないか。所管官庁に言わせると復興予算に復興と関連の薄い事業があるのは、復興予算に上限が決まっていないからだと国民不在で都合の良いことをいう。政府の一般会計予算は、公共事業などに上限があり、新しい事業を盛り込みにくい。このため、各省庁は復興予算に群がり多くの事業を紛れ込ませているらしい。随分虫のいい話ではないか。これでは朝日の言うとおり、何でもありだ。

 復興予算とは言いながら、その実省庁がその予算を食い物にしていることははっきりしている。政治家と官僚のあくどさはあまりにも目に余る。

2012年10月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1975.2012年10月9日(火) ニュース悲喜こもごも

 昨日山中伸弥・京大教授が今年度ノーベル医学生理学賞受賞者に決定したとのニュースは、瞬時にして日本全国に伝えられ、夜遅くまでテレビでそのiPS細胞に関する研究成果の内容が報道された。教授は各テレビ局の取材を深夜まで順次受けていたので、さぞお疲れになったことであろう。山中教授はこの受賞に対して、「支えてくれた人たちへの『感謝』」と「『責任』の重さ」をひとしきり強調されていたが、その中でこの受章は自分の研究が取り敢えず終わったとの実績に対する評価ではなく、これから研究の成果を実際に再生医療に生かしていくことが自分に課せられた責任であり、ゴールはまだ何年先になるか判らないと今後のあくなき研究生活を誓った言葉が強く印象に残っている。

 何十年先になるか判らないが、現実に人体の局部的な細胞を再生させることができるということは、医学的に見れば画期的な進歩であり、不治の病を治療する切り札となり、人類にとっても明けの明星である。だが、山中教授にとっては周囲から期待される医学上の成果が現実のものとなるまで、これからも心が休まることはないのではないか。いずれにせよ山中教授の努力に対して栄誉を与えられたことは、国民のとっても嬉しいことである。

 それはそれとして、いつも外国から大きな栄誉を授けられると、後追いで国が賞を授けるということがありがちだが、きっとこの後山中教授には文化勲章が授けられることであろう。

 さて、こんな明るい話題と前後して、昨日歓迎されないニュースとして大きく伝えられたのは、自分のPCからホームページやネット掲示板に、物騒な殺人や爆破予告を行ったとして一時警察に逮捕されたが、その後そのPCを他人が遠隔操作させたものと判り、釈放されたとのニュースである。自分のPCを見ず知らずの他人が勝手に操作するという恐ろしい行為により、犯罪に加担させられるというネット社会の怖さを知らされた。

 一般的にはこの事実にあまり馴染めないと思うが、私自身あるITコンサルタントの方にPC操作の指導を受けることがしばしばあり、そのひとつが‘Team viewer’という遠隔操作方法で私のIPアドレスとパスワードを伝えてコンサルタントが自分のPCにそれらを打ち込むと、コンサルタントと私の二人が私のPCを操作できる仕組みである。基本的にこういう形を何も知らない内に他人がやってしまうのではないかと考えた。警察は出し抜かれた感じに捉われて捜査を進めているようだが、中々難しい問題をはらんでいる。今では通常のPCばかりでなく、流行のスマホでもこの可能性が指摘されている。ネット社会の恐ろしいところだ。医学の進歩は患者を救うことにつながるが、ITの進歩は必ずしも利用者の利益につながらない。悩ましいところだ。

2012年10月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1974.2012年10月8日(月) 山中伸弥・京大教授にノーベル賞授与

 孫の怪我が心配したほどのことはなかったことに安心したのか、息子は午後近くの駒沢公園にジョギングに出かけて帰ってくるや、体育の日らしく公園内では多くのイベントが行われていて大勢の人出があったと話してくれた。

 その後夕方近くなって妻と自由が丘へぶらぶら歩いてお祭り見物に出かけた。自由が丘駅周辺に近年若い人を中心に多くの人が訪れるようになった。前々週のテレビ東京の土曜番組「出没!アド街ック天国」で自由が丘を特集し、その中で人気一番として紹介された「自由が丘女神まつり」の影響もあるのだろうか、番組で紹介された店に多くの人が群がっていた。一昨日から今日まで駅前の女神像にあやかった、その「自由が丘女神まつり」が自由が丘駅前を中心に開かれている。

 以前は駅前の即製ステージで気の置けない音楽を聞かせてくれていた。横須賀米海軍基地所属のブラスバンドによるマーチなぞを楽しんだ。それが最近は飲料水の会社経営者がくそ面白くもないトークショーなんかで宣伝して、見ている人たちをしらけさせている。商店街振興・活性化を目的に祭りの地域を広げて、車の進入禁止区域も広がり、多くの人を呼び込もうとする意欲は判らないでもないが、狭い通りには屋台やワゴンカーがすし詰めで歩くのも難しい。それでも大勢の人々が歩いて楽しむのは良いが、狭くて歩きにくいうえに、ワインを振舞ったりするものだからワインカップを手にした若者がすれ違う際にワインをこぼされるのではないかと余計な気を遣う。

 近年各地で気軽に小規模なフェスティバルや、イベントが開かれるようになったこと自体は、大変結構なことだと思う。だが、どうも騒いで楽しむことばかりに気持ちが傾いて、どっと繰り出す地元外の人たちの対応に手を焼いているのではないだろうか。駅周辺の車進入禁止区域の拡大は、近くでかなり交通障害を起こしていたように思う。商店会と警察は打ち合わせを充分行ったのだろうが、このまま野放図に規模の拡大ばかりに追われていると、人が溢れて街はいずれ機能不全に陥るのではないかと、あまりの人出に圧倒されるあまり心配になってきた。

 今度目黒区議の須藤甚一郎さんに会ったら、その辺りのことを話してみようと思っている。

 さて、夕方臨時ニュースが山中伸弥・京都大学教授にノーベル医学生理学賞が授与されることに決定したと伝えた。暗いニュースが多い中で噂には挙がっていたが、やっとノーベル賞が授与されたのかと嬉しい気持ちになる。夜のテレビニュースはどれもイの一番にこの嬉しい受章を伝えている。マウスからiPS細胞というものを造り出したもので、これから人間の臓器を補完的に再生するという研究成果が受章の対象になったようで、我々素人には中々理解しにくいが、世界でも初めての成果が評価されたということのようである。ご本人が言っていたが、自分は大学時代は医学部ではなく、ラグビー部で活動していたと言っていたのが、同じラグビーをプレイしていた者にとって心強い。

 とにかくおめでたいニュースであり、日本人に勇気を与えてくれる快挙である。

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1973.2012年10月7日(日) 孫の怪我にドキッ!

 明日の体育の日を含めて昨日から3連休となり、各地で体育関連のイベントが催され賑わっているようで、今日もいつも通り駒沢オリンピック公園にウォーキングに出かけたら中央広場には沢山の店舗やテントが軒を並べ、沢山の人が出入りしていた。いろいろ珍しい行事があって、それはNHKの夜のニュースでも華々しく報道されていた。

 休みになるといつもジョギングに出かける居候中の長男が、心配そうな顔つきをして今日は止めるという。奈良に別居している孫の1人が遊戯台から落っこちて頭を怪我して病院にいるので、連絡しているところだと言う。これはただ事ではない。家族と離れていると何事もなくても気になるものだが、怪我をしたとなると多少取り乱すのも致し方ない。長男は今秋大阪転勤を予定して子どもたちの学校の関係で先に家族を奈良へ引っ越しさせてしまったが、案に相違して予想が外れ当分家族離れ離れの生活か続くので、心配していた。どうやら12月に予定の大阪転勤があるような話になったので、取り敢えずほっとしていたところ今日の孫の事故になってしまった。

 夜になって詳しい様子が分かった。X線検査の結果、どうやら大事には至らないようでほっとした。しかし、後頭部を打撲したので、今日1日はずっと注意深く診ていることが必要ということだった。取り敢えず胸をなでおろした次第である。

 さて、今日1日中封筒の宛名書きと冊子の袋詰めに費やした。エッセイ「45年ぶりにアンマンを再訪して」を寄稿した「知研フォーラム」百余冊を知人に郵送する準備をした。明日玉川郵便局本局から郵送するつもりだ。

 秋冷の候であるにも拘わらず、どうも秋らしい気候とは縁遠かったが、今日は大分冷え込んで漸く秋本番となった。これから少しずつ寒気が強まってくるのではないだろうか。懐だけは寒くならないよう気をつけたい。

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1972.2012年10月6日(土) 北朝鮮の非人間的なパフォーマンス

 今日1人の北朝鮮兵士が国内で上官2人を射殺し境界線を越えて韓国へ亡命してきた。詳細は明らかになっていないが、また南北両国間に新たな紛争の火種が生まれるに違いない。

 わが国と北朝鮮の外交関係は、拉致問題がこじれてから膠着状態のままである。国家指導体制を世襲して間もない金正雲総書記は、祖父、父が君臨したように、国のカリスマ的なリーダーに祭り上げられたが、父と同じように外交的に配慮することもなく国際的な鼻つまみ者となる可能性があり、国内では貧しい農民ら大多数の国民を無視して彼らを困窮生活に追い込んで何も反省するところがない。こういう指導者を戴いた物言わぬ国民こそ気の毒である 拉致問題は一向に解決の兆しすらなく、時間が経過するばかりである。

 最近になって北朝鮮が終戦前後に亡くなった日本人の遺族を受け入れ、遺骨の発掘作業に立ちあわせたり、慰霊祭を行ったり、その映像をテレビで公開して、日本に対して多少門戸を開きそうな素振りを見せた。だが、これとて単なるジェスチャーで、思わせぶりのパフォーマンスにしか過ぎなかった。拉致問題でも日本に対してすでに解決済みとして取り合わず依然先が見えない。北朝鮮で亡くなった多くの日本人の遺骨収集作業を今後どのように進めるのか、日本人を受け入れて日本人が望むような作業をさせてもらえるのか、まったく見通しが立たない有様である。北朝鮮のやり方は、ちょっと期待を持たせては実を与えない意地悪ジジィがよくやる手法である。

 北朝鮮の非情なやり方は拉致事件にしても、遺骨収集にしても、家族を始め周囲の人々が悲しんでいる心の隙間にずうずうしく割り込んできて、被害者の落ち込んだ心情につけ入り被害者の気持ちを翻弄し弄ぶ非人間的な非道さである。まともな人間の行為として、とても許されないことに良心の呵責のひと欠片も感じない人間性では、今後何を言っても誠意を持って話し合いに乗ってくれそうもない。拉致問題さえ解決していれば、北朝鮮を相手に話合いすることもないし、今後国交を結ぶ必要もないくらいである。

 厚生労働省の調査によれば、先の大東亜戦争時に海外や、沖縄、硫黄島で亡くなった戦没者は240万人で、その半数近くの戦没者の遺骨がまだ日本に帰っていない。戦後67年が経ち、遺族は高齢化しているが、外国における難しい作業故、このうえ遺骨返還作業のピッチが上がるとも思えない。遺族にとっては大変お気の毒ではあるが、今後これまで以上に収骨作業が効果を上げても遺族の気持ちを納得させるようなことは難しいだろう。

 私自身20年近くに亘り厚労省の遺骨収集事業に関わってきたが、私が担当した中部太平洋地域では地域性や島民感情、気候などから考えて比較的収骨の成果が上がっているように感じていたが、国の資料によれば、中国本土に比べるとまだ少ない。一方で、フィリピン方面ではまだかなりの遺骨が現地で苔むしている。高齢の遺族にとってはもう時間がない。このまま遺骨収集事業は永遠に未解決の課題のままとなってしまうのだろうか。微力ながら協力したつもりでいるので、残念な気持ちがしている。

2012年10月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1971.2012年10月5日(金) 追悼文集最後の編集会議

 「知的生産の技術研究会」の定期機関紙「知研フォーラム」10月発行号に「45年ぶりにアンマンを再訪して」と題して拙稿を寄稿した。これには2つの副題が付いている。主題前に「第3次中東戦争後」、後には「戒厳令下で身柄拘束された現場を検証」を付した。あまり穏やかな内容でないことはテーマから察することができるのではないかと思う。写真を含めて8頁に及ぶものだ。

 これは今年6月ツアーに参加してヨルダンとイスラエルを訪れた後に、ツアーから別れてひとりアンマンに滞在した時の旅行記を綴ったものである。1967年暮れにアンマンでヨルダン軍兵士に身柄を拘束された現場を何とかもう一度訪ねて、捕まった現場を当時の情景を思い出しながら確認してみたかった。結果的にその捕まったスポットは特定できなかったが、周辺の空気と雰囲気を知り、大体この辺りと思われる地点で、昔日を偲ぶことにした。そんな印象を軽く綴ったものである。若く元気溢れる時代の些か無軌道ぶりを、楽しんで読んでもらえればありがたい。

 何冊かを別途購入したので、親しい知人、友人に送って読んでもらおうと思っている。

 さて、今日は恩師の追悼文集の最後の編集会議を恒例により日本プレスセンターで行い、最終的に収支、配布方法、仕上がり等と、今月27日に予定しているゼミの最終例会について打ち合わせをした。電話で印刷会社に最終的な費用を確認したが、ゼミ会員から寄せられたカンパで大分余裕のある決算になりそうでほっとしている。費用が膨らむのを抑えることができたのは、全編集委員がPCを活用して印字、割付、組版まで編集作業のほとんどを自分たちの手で処理できたからだと思う。追悼文集も今月10日前後にはでき上がる予定で、体裁も多くの写真・イラストを挿入したので見栄えが良く、内容的にも充実したものに仕上がりつつある。編集委員長としてはまずまず責任を果たせたように思っている。印刷された文集を手に取るのが楽しみである。

2012年10月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1970.2012年10月4日(木) ビルマ民主化への道のり

 最も好きな国のひとつであるビルマが、従来の頑なな軍部独裁体制から徐々にではあるが民主化への道を歩き始めた。先月民主化のリーダーであるアウン・サン・スー・チーさんが訪米してオバマ大統領と会談し、ビルマの経済制裁解除について話し合った。アメリカの現職大統領が一国のリーダーと対抗する反対派のトップと面会することは極めて異例で、米国内でも驚きの目で見られているが、それは明らかにスー・チーさんとビルマの民主化をアメリカが支援するシグナルでもある。そして、その2日後にアメリカを公式訪問したティン・セイン大統領は、国連総会の一般演説で制裁解除に理解と支援を求めた。

 現在ビルマ国内で経済投資に一番深く関わっているのは、友好関係にある中国で、国内のインフラ整備にも中国資本の影響が大きい。ビルマは中国の影響を受けながらも、ここで制裁解除により欧米資本を受け入れて経済成長の足がかりを築くとともに、中国資本と欧米資本の投資バランスを上手に保って行こうとの腹の内が見える。

 今や日本のビルマへの投資額と貿易総額は、これまで欧米の経済制裁に同調していたせいで大きく後退し、ビルマにおける日本の存在感は極めて薄くなった。しかし、先月13日付本ブログでも取り上げたように、日本の鈴木敬司大佐がビルマの独立に貢献したことがビルマの高校生の教科書に紹介され、彼らの間では日本人の名を忘れがたいものにしている。

 ところが、先月28日の民放テレビ番組「小さな希望たちの賛歌」の中で、元陸上オリンピック選手の為末大選手がビルマの小学校を訪れ、日本について訊ねたところ日本について全員が知らなかったことに衝撃を受けた。かつては、ビルマ中どこへ行っても大人も子どもも日本を知らないなんてことはなかった。これは日本とビルマの間に経済交流が激減したと同時に、文化面でも交流が途絶えたことを意味している。高校生はともかくとして、もっと下の年代層に国際交流を通して日本をPRすることを考えなければいけない。

 年配のビルマ人に対する最近のテレビ・インタビューでも、日本が懐かしい、もっと多くの日本人がビルマを訪れてほしいと語っていたが、これは間違いなく本音である。どういうわけか、ビルマの人々は日本への憧れをしきりに話してくれる。もっとビルマを訪れてほしいと率直に語ってくれる。

 民政移管のスピードが遅いと指摘されたビルマが、ここへ来て大きく民政へ舵を切った。政治犯の釈放、公正な補欠選挙の実施、新聞・雑誌の事前検閲の廃止、労働組合の誕生等々は、これまで軍政が頑として妥協しなかった非民主化の癌細胞だった。それらが民政化の過程で認められ、現政権も国民的支持のあるスー・チーさんと和解して、ともども国際社会へ改革を進めていることをアピールした。

 まだまだビルマ民主化の道は遠いが、元々勤勉で真面目な国民だけに、きっと民主国家として立派に独り立ちしてくれることを1ビルマ・ファンとして期待している。

2012年10月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1969.2012年10月3日(水) 中国の反日運動、益々エスカレート

 ラガルド国際通貨基金(IMF)専務理事が日中関係の悪化に懸念を示し、日中両国に混乱回避を求めた。だが、残念ながら当分その気配は見られない。こともあろうに9日から東京で開催される、そのIMF年次総会に中国の大手銀行が揃って欠席することになった。東京で開催される会議だから出席しないということのようだが、まるで幼児のずる休みの発想と変わりない。この決定も中国政府の意向を受けたと見られている。

 今日も天津で開催される国際モーターショーに日本のメーカーではトヨタ、日産以外はブース出展を取りやめることを決めた。こんなことは初めてである。昨日は日本から郵送された日本の日刊新聞が中国の税関でストップをかけられ輸入を止められた。日本からの輸入品も中国港で厳しい審査を受け、許可されるまでかなりの時間がかかるようになった。書店で日本関係の書物が店頭から姿を消した。これは少し緩和されてきたようだが、ほかにもとても日本では考えられないような嫌がらせが頻発している。数日前にはワシントン・ポスト紙に、その翌日にはパキスタンの著名日刊紙に尖閣諸島は日清戦争の戦果として日本が中国から奪い取ったものだと広告を掲載したり、とにかくやり方が陰湿で質が悪い。

 スポーツ、文化面の交流事業も中止されることが増えてきた。観光面でも両国に顕著な影響が現れてきたようだが、日本人は自主的に判断して中国へ旅行したり、中止しているが、中国では日本に行くと反中国デモで身に危険が及ぶから中止した方がよいとアドバイスされるそうだから、とても話にならない。相手国を陥れる悪質なデマを造成しているのだ。

 世界は先日の中国国内の無軌道な反日デモで、破壊、略奪、狼藉を繰り返した中国人の野蛮な行動を冷静に見ているので、そのツケはいずれ中国に跳ね返ってくるであろう。双方にとって何のプラスにもならない中傷、誹謗の繰り返しは、益々両国の和解への道のりを遠ざけるものである。中国政府には国民の暴力的な反日運動を容認し、側面的に支援している空気さえある。元へ戻るまでに相当時間がかかると思われるが、政治的な面はともかく、その他の分野では今後相手国に対する嫌がらせ行為を自粛するだけでも対立解消に貢献するのではないかと思う。両国の思いやりと知恵が問われていると思う。

 あまり良いニュースが聞かれない中で、珍しく日本でシェールオイルが採掘された。シェールオイル(shale oil)とは深い地層に埋もれた頁岩油(けつがんゆ)のことである。その埋蔵量の多いアメリカではすでにシェールオイルはかなり産出され、利用されている。石炭採掘をほぼ止めてから、日本では天然資源が採掘され利用されることはほとんどなくなり、必要なエネルギー源はすべて外国から輸入されるようになった。そんな折僅少とは言え秋田県内でシェールオイル鉱脈が見つかり、今日初めて国内で掘り出された。量的にはまだ少なく採算ベースに乗るものではないが、採算性さえクリアできれば他にも鉱脈の可能性があると見られているので、今後新エネルギー源として大いに期待できそうだ。数少ない明るいニュースのひとつである。

2012年10月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com