昨日駒沢大学公開講座で菱山郁朗講師から講義の途中で、45年ぶりのヨルダン再訪について話してくれるよう突然話を振られたので、僭越と思ったが1967年の危機一髪のひとり旅と、この6月のノスタルジックな旅について受講者にさらっとお話した。
菱山講師は、今の政治について日本テレビ元政治部長としての視点から、停滞した現在の国会や、まもなく交代するだろう日本のトップリーダーについて中国、韓国、更に北朝鮮ですら、次の日本のリーダーは誰になるかを見据えて、現時点では日本と真剣に大きな問題を話そうとは考えていないだろうと述べられた。
臨時国会も開かれず、与野党党首会談も行われず、弛緩した空気の立法府の政治家が政治家なら、官僚も官僚で狡賢く、国民に対する背信的なことばかり考えている。かねがね気になっていた東日本大震災の復興予算が、本当に震災復興のために使われているのかどうか疑問視されていたが、案の定一昨日の朝日朝刊に「復興予算 何でもあり」と批判的に大きく取り上げられた。同予算には5年間に19兆円を投じるが、その財源の内10.5兆円は復興増税として所得税と住民税で賄う国民の新たな負担であるのに関係当局は、そんなことはお構いなしだ。
実際復興予算と言いながら、「アジア太平洋、北米地域との青少年交流」(外務省)に72億円、「調査捕鯨の支援、反捕鯨団体‘シー・シェパード’の妨害に対応する監視船チャーターなど」(農水省)に補助金として18億円、「霞ヶ関の中央合同庁舎の耐震改修工事」(国交省)に14億円強も当てられているのが論より証拠ではないか。所管官庁に言わせると復興予算に復興と関連の薄い事業があるのは、復興予算に上限が決まっていないからだと国民不在で都合の良いことをいう。政府の一般会計予算は、公共事業などに上限があり、新しい事業を盛り込みにくい。このため、各省庁は復興予算に群がり多くの事業を紛れ込ませているらしい。随分虫のいい話ではないか。これでは朝日の言うとおり、何でもありだ。
復興予算とは言いながら、その実省庁がその予算を食い物にしていることははっきりしている。政治家と官僚のあくどさはあまりにも目に余る。