1048.2010年3月27日(土) 鳩山内閣は本当に大丈夫なのか。

 鳩山内閣の支持率低下とともに、今問題視されているのは、首相の求心力欠如と閣内不統一である。元々鳩山首相には自信のなさそうな話し方から推して、何事にも思い切った決断と指示が出来そうもない印象を与えるが、最近の首相の言動を見ていると、これが1国の総理大臣かと当惑させられたり、情けなく思うことがある。

 この数日話題を提供しているのは、郵政民営化の変更案を担当大臣である亀井静香氏が閣議で了承されないうちに、外部に対して変更するがごとき発言を繰り返したことである。当然他の大臣から異論噴出である。首相の了解を取った、取らないの低次元の話になっている。特に、亀井大臣の目指すのは、①郵貯の預金上限額を1千万円から2千万円に引き上げること、②郵政事業者同士の取引に消費税を課さない、との2点である。①は民間銀行から民業を圧迫するとの抗議が出ているし、②に関しては、郵政事業だけに特別に税制優遇措置を行ってもよいものかという至極当然の疑問がある。

 いずれにせよ、こんな非常識なトラブルをしょっちゅう起こしているようでは、内閣と言えないのではないか。それにしても国民新党の亀井代表が、連立内閣の一員として加わり、勝手気ままに暴れまわっている印象を与えるのは、政府としても、民主党にとっても大きなマイナスだと思うのだが、それを誰も抑えきれない。

 他にも相変わらず普天間基地移設問題が迷走を続けている。漸く腹案がまとまり、アメリカと沖縄県へ提示したような様子だが、単純に解決というわけにはいくまい。しばらく迷走して、沖縄県民を怒らせて何らかのお土産をつけて解決というお定まりの結果になるのではないか。

 所詮鳩山政権というのは、この程度のものだったのだろうか。

 さて、2008年1月に発生した冷凍ギョーザ中毒事件の容疑者が中国捜査当局により拘束された。随分時間がかかった。幸い死者は出なかったが、千葉県と兵庫県で中毒症状を訴えた人が10人もいた。日中両国の捜査当局同士が、お互いに原因は相手国側にあると主張し対立したまま、決定的な証拠も発見されず、今日に至った。容疑者を捕まえてみれば、やっぱりそうかという感じであるが、この間日本では中国食品に対する信用はガタ落ちで、今も不信感は消えない。容疑者は、待遇に対する不満があったそうだが、こんなことで輸出食品に毒を盛られたのでは堪らない。封詰めされた食品に輸出先国で意図的に毒盛りされたと強気一辺倒な発言を繰り返してきた中国捜査当局に疑問を呈したい。それにしても誰もが納得するように、すっきりと全面解決して欲しいものである。

 昨日の新聞記事で知ったが、シベリア鉄道の車窓風景がグーグル「You tube」で観られるというので、バーチャル旅行サイト(http://www.google.ru/transsib)をPCで観てみた。確かに同じポジションから車窓風景を捉えていたが、正直に言って本物の列車から見ても変化の乏しい風景なので、画像もそれほど面白いとも思えない。むしろ150時間分も観られるということに驚いた。150時間と言えば、6日分なのでモスクワからウラジオストックまでの全線9,300kmを写し出しているものと思うが、部分的に拾い出して観るようにしないととても忍耐が続かない。しかし、初めてシベリア鉄道を乗る旅行者にとってはガイダンスとして参考になると思う。

2010年3月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1047.2010年3月26日(金) 印象深い人の死

 1960年代日本のジャーナリズムに大きな影響を与えた元毎日新聞外信部長の大森実氏がアメリカ・カリフォルニア州で亡くなられた。88歳という高齢だった。1960年にボーン国際記念賞を授与され、65年ベトナム戦争中に戦場特派員としてベトナムへ派遣され、戦況や惨状のリアルな報道によって、日本新聞協会賞も受賞した。同時に、米軍による民間施設爆破を批判的に報道して、当時のライシャワー駐日大使から、北の宣伝に乗った不公正な報道と非難されてその翌年毎日新聞社を退社した。その後自前の「東京オブザーバー」という新聞を発行し、学生アルバイトを使って街頭で立ち売りさせるユニークな商法が鮮烈な印象として残っている。

 同紙の売り上げは必ずしも芳しくなかったようで、残念ながら間もなく廃刊して表舞台からその姿を消した。その後活動の拠点をアメリカに移して地道に報道を続け、最終的にアメリカのベトナム戦争を非難した、その地で生涯を終えたのは、いかにも暗示的である。同じ毎日の西山太吉氏と並んで記憶に残るジャーナリストのひとりである。

 それにしても毎日新聞社は、西山氏といい、大森氏といい、どうしてこうも優秀なジャーナリストを退社へ追い込んでしまうのだろうか。2人とも高く評価される記事を書き、政府の隠蔽を暴き、毎日魂というものを存分に発揮した功績があるにも拘わらず、彼らの存在が次第に政治に擦り寄っていった毎日の姿勢にはマイナスと判断されたからだろう。こんなことを続けると読者も信用しなくなるのではないかと考えていたが、現在の毎日新聞社の凋落ぶりを見ていると、さもありなむという気がしてくる。

 もうひとり別の意味で世間を騒がせた人物が韓国で亡くなった。自分の犯した殺人という悪質な行為を、日本人による朝鮮人差別問題に論理をすり替え、当時のメディアに対して、自分の幼少時代から大人になるまで周囲の日本人に理不尽にいじめつづけられた差別という持論を滔々と述べ、日本政府、日本の官憲を非難した殺人犯・金嬉老である。南アルプス山麓の寸又峡の旅館で宿泊客を人質に立てこもった凶悪事件の犯人である。この事件は一世を風靡した。無期懲役の刑に服していたが、仮釈放されて韓国へ帰った。10年前には韓国でも事件を起して逮捕された。所詮ろくな人物ではなかったが、一時は英雄気取りで振る舞い、とにかく当時は大変な騒ぎだった。

  同じ韓国人でも、ハルビン駅で初代朝鮮統監・伊藤博文枢密院議長を暗殺した犯人・安重根が処刑されて今日でちょうど100年になる。今年日本が朝鮮を併合して100年目を迎え、韓国はこの期に日本に対して植民地時代のツケの支払い、教科書歴史教育記述訂正などの要求をしている。日韓関係は年々友好的になっているが、双方の認識のズレは大きく、古いキズは簡単には修復することは出来ない。お互いが納得するまでには、まだ相当時間がかかりそうだ。

2010年3月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1046.2010年3月25日(木) 中国の独裁跳ね上がり国家ぶり

 一昨日インターネット検索最大手のグーグルが、中国本土における検索事業の撤退を表明した。アメリカ政府も中国政府に対して言論の自由を損ないかねない干渉について、今月初以来不満を述べていたが、グーグル側の要望を中国当局が受け入れず、結局グーグルは最大の市場である中国から手を引くことになった。

 この動きの中に強気1点張りで自説を押し通す、最近の強圧的な中国的手法が、またもや世界に晒け出され物議を醸すことになった。かつての共産主義とは異なった、中華思想に裏づけされた独善的共産主義思想が暴発した感じである。自国の利益を擁護するために手段を選ばない最近のやり口には、些か辟易するほどだ。近年の凄まじいばかりの経済成長に後押しされて、世界の舞台に踊り出てきた中国の存在感は圧倒的な迫力がある。アフリカ諸国への中国の影響力は恐るべしで、ごく最近ワシントン条約締約国会議において、西大西洋・地中海におけるクロマグロ捕獲禁止を提案したモナコ案を阻止出来たのは、アフリカ諸国を取り込んだ中国の影響力と実績である。アフリカ諸国へ資金貸付と技術援助を与えて発展の土台作りに貢献し、信頼感を勝ち取って資源採掘権等を有利に手に入れている。その注ぎ込んだ資金原資は、元々日本がODA援助として発展途上国扱いだった中国へ供与したものだ。それをアフリカ諸国へ還流させて巧みに利用し自国の存在感を際立たせる、つまり他人の褌で相撲を取ってきた経緯がある。

 その中国は世界の覇権を獲得するために、本当の経済力以上に発展途上国支援に熱心で、1月ハイチ地震発生の際は、一番乗りで駆けつけた。だが、功を焦ったのか、直後に事故により救援隊員を2名も死亡させて全員母国へ引き上げさせてしまった。何のための支援活動だったのか。何のことはない。救援活動は2の次で、中米ハイチに橋頭堡を築いてアメリカを牽制するのが当初の狙いだったのだ。中国の目的はミエミエだったのである。他国の危機に乗じて自らの基盤作りに血眼になっている。他国への支援を自国のために利用して行っているのだ。果たしてチリ地震では知る限り、まだただの1人も救援隊員として送られていない。

 最近の中国の国際的な活動はあまりにもパフォーマンスのあくが強すぎて、その背後にある隠された魂胆をよく探らないと正確にはその意図が判断出来ない。

 グーグル撤退報道に続いて、今朝の朝日では1面に5段記事、9面に4段記事が掲載されたが、新たに中国政府はメディアに対して18分野の報道禁止命令を出したとある。ここまでやるかという思いである。報道規制の対象として、人民元切り上げ、官僚の腐敗、高額な医療費、新彊ウィグルとチベットの騒乱、貧富の格差、警察と暴力団の癒着、大学の自治権拡大、食品安全問題、地価高騰を煽る不動産関係者、等々の好ましからざるアイテムばかりである。中国政府は、こういう国家・国民にとって悪質で悪影響のある事件・事案の外部への報道を許さず、徹底的に国民の目から隠蔽しろと共産党中央宣伝部が公言したのである。国家が国の恥部の報道を禁止しようというのである。中国の正体見たりというのが率直な感想である。これでは何を報道して良いのか分からないと大手新聞関係者も途方に暮れている。

 それにしてもいつの間に、中国は国民の発言も自由な情報も許さない独裁、秘密、恐怖国家となってしまったのか。あぁ~胡錦涛はスターリンになったのだろうか。

2010年3月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1045.2010年3月24日(水) 民主党内のごたごた

 このところ民主党内にごたごたが次々と発生し、各メディアの世論調査でも民主党に対する支持率が急激に低下している。今や鳩山政権に対する支持率は、30%前後で危険水域に入ってきた。一方、自民党内でも鳩山元総務相の離党騒ぎがあり、執行部に対する言いたい放題の批判もあって、党内の結束が乱れ、本来なら民主党を追い上げる絶好のチャンスにも拘わらず、支持率が一向に回復しない。そのお陰で民主党は当分このまま危ない綱渡りを続けながら生き延びていくことになりそうだ。

 民主党の現時点における支持率低下の最大の原因は、鳩山首相と小沢幹事長の政治とカネの問題のケジメ、小沢千代美衆議院議員が北海道教職員組合から受け取った違法献金の対応、そして生方幸夫副幹事長解任問題である。

 その中で昨日小沢千代美議員は世論の厳しい非難の中で、強気にも離党も議員辞職も考えていないと語った。他方、最近小沢幹事長批判発言が問題となり、党副幹事長を解任させられた生方氏の如きは、地元へ帰り自らの行動の正当性を訴えたり、解任は小沢幹事長独裁によるものだとのメディアの同情的な声に支えられて、自分にまったく非がなく、自分は正しいとの主張を各地、各メディアで展開している。

 確かに小沢幹事長の隠然たる力は、今では絶対的な権力となり誰も抗弁出来ないほど恐怖政治的との声も聞く。実際最近の様子をよく見てみると、これでは民主政治とは言え小沢独裁の一面も感じられる。反小沢の声、世論が生方擁護へ走ったと言えなくもない。

 ただ、それにしても小沢憎しのあまり、生方氏の一連の行動、すなわち意見発表の方法や手順を素直に認めることが出来るだろうか。同じ党内で自分の主張を述べるのではなく、発言の機会がないからといって歯止めのない外の世界で党にとってマイナス発言(幹事長批判)を繰り返しているのである。これでは民主党に籍を置いている節度も意味もない。党内で堂々意見を開陳し、それでも通らないなら他の反小沢の仲間と話し合って主張を訴える手段を考えるべきではないか。さもなければ離党して堂々小沢批判をぶてば良いではないかと考える。

 その一方で、あまりにも世論の抵抗が強くなり、流石に小沢幹事長も生方問題を元の鞘に納めて、再び生方氏を副幹事長に復職させることにしたが、こんな一時凌ぎがいつまでも通用する筈がない。その生方氏の言うことがふるっている。「自分の主張が認められた。これからも言論の自由を今まで通り貫き通していきたい」という。この御仁は、自分が民主党という組織の一員で、誤った言論の自由の発言をこれまで通り続けるらしい。常識とか社会通念が何も分かっていない。自分の立場を考えず、明らかに政治家としての節操を欠いた、幼稚な行動である。こういう短絡思考と軽薄な行動では、民主党としても他の党員に対しても示しがつかないのではないかと気にかかる。どうも政治家にも薄っぺらな人間が多くなってきた。

2010年3月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1044.2010年3月23日(火) 見応えのあった映画「アイガー北壁」

 高校時代の友人・吉水淑浩くんから、カメラ仲間と銀座でフォト展を開催するとの案内をもらったので、今日観賞に出かけた。中々印象的な写真が展示されていた。彼の2作品も良い出来栄えだと感じた。

 その帰り道にJR有楽町駅前の「ヒューマン・トラスト・シネマ有楽町」で、観てみたかったドイツの山岳映画「アイガー北壁」が上映されていたので、思い切って鑑賞することにした。ナチ・ドイツ時代を背景に、アイガー北壁1番乗りを目指すクライマーと新聞社の報道内幕、それに初登攀を国威発揚に利用しようとするナチの遠まわしの圧力を取り上げたドキュメンタリー映画で、中々迫力のあるクライミングと吹雪の中の遭難救助シーンを見せてくれた。

 舞台として、クライネ・シャイデック、アイガー登山電車、そして雄大なスイス・アルプス山岳風景が空撮も含めて実写で紹介され、私にとっては何度か訪れた場所でもあり、訪れた時のイメージを思い起しながら固唾を呑んで観賞した。登山経験のある身としても中々見応えのある映画で、久しぶりに本格的な山岳映画らしきものを観た気分になった。最後は北壁登攀1番乗りを目指すドイツとオーストリアの2パーティ、それぞれ2人のアルピニストが、全員遭難するという悲劇に終る結末だ。

 実話としては、この遭難事故の翌年、実は私の生まれた1938年にアイガー北壁はドイツ・オーストリア合同登山隊によって初登攀された。この初登攀をナチは、オーストリアをドイツに併合する、ひとつのチャンスとして利用したと云われている。

 拙著「停年オヤジの海外武者修行」に推薦文を書いていただいた登山家の芳野満彦さんも、何度かこの北壁をトライしたが、相性があまり良くなかったのか成功せず、マッターホルンに狙いを替えて、1965年日本人として初めてマッターホルン北壁を征服した。嬉しさも束の間に芳野さんとザイルを結んでマッターホルン初登攀に成功した、渡部恒明さんはその1週間後悲運にもアイガー北壁で転落し非業の死を遂げた。周囲の素晴らしい風景とそういう悲しい人間模様が織り成す綾が、後から後から脳裏に浮かんできて少々辛いが、実に感慨深い映画だった。

 さて、昨日ブログに最近の若者について、些かモラルに欠けると書いたが、今日購入したあのドイツの哲学者・フリードリッヒ・ニーチェの言葉を集めたベスト・セラー書「超訳・ニーチェの言葉」の中で、ニーチェは若者についてこう言っている。「若い人が傲慢でうぬぼれているのは、まだ何者にもなっていないくせに、いかにもひとかどの者のように見せたがっている同程度の連中と仲間になっているからだ」。流石はニーチェだ。ズバリ言い当てている。

2010年3月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1043.2010年3月22日(月) 非常識な若者が増えてきた。

 昨年11月34年ぶりにインドを旅行して、念願の世界遺産150ヶ所訪問を達成した。手持ちの「旅のギネス」にも早速書き込み友人たちにも上げている。先日も酒のペンクラブで、「旅のギネス」についてスピーチをした。ある友人はそれだけでは、どこの世界遺産を訪れて、どんな珍しい世界遺産へ行ったのか分からないので、誰でもが分かるようにしたら案外面白いのではないかと言ってくれた。

 世界に890ヶ所もある世界遺産の中で、高々150ヶ所訪れたからと言って大騒ぎすることもないとも思うが、ほとんどの人は世界遺産をそう多くは訪れていないので興味のあるトピックではないかと思う。結局あれこれ考えた末に、試しにホームページ上に「訪問世界遺産」欄を載せてみることにした。どういう反応があるか分からないが、とりあえず友人らにHPへアップしたことを知らせた。併せて、HP上の「リンク集」に小中陽太郎さんから了承を得て公式サイトを掲載した。今後少しでもアクセスしてくれる人が、面白いと思ってくれるようなHPにしていきたい。

 妻が一昨日学生時代の友人と日光方面へ旅行した帰りの東横線車内で、疲れていたのでシルバーシートに座ったところ、両隣と向かいの3席は若い人が占領していた。途中駅で妻より若そうだが、大きな荷物を抱えていた女性が乗車してきて気の毒なので席を譲ったという。その女性は自分より年配者に席を譲られ当惑したようだったが、疲れていて座りたかったのだろう、結局妻が譲った席へ座った。妻が言うには、その時周囲のシルバーシートに座っていた5人の若者のうち、誰ひとり高齢者に席を譲る気持ちがなかったようで、眠ったり、携帯に夢中だったりとちょっとばかり憤慨していた。

 同じ日、外出した帰りに近くの私立女子学園傍を通ったら、道路上にテニスボールが2つ転がっていたので、校庭から飛び出したものだろうと考え、拾って構内へ投げ返してやったところそれを受け取った生徒は、一言の言葉もなく走り去った。

 今日駒沢公園へ散歩しようと道路へ出た途端、一方通行なのに正面から逆走してくる乗用車があり、慌てて大きく手を振って違反走行だと教えてやった。ところがそのまま車はこちらへ走ってきて、手前の交差点で急遽左折した。その場は事故にはならなかったが、もし対向車が来たらと考えるとぞっとする。その車は左折した直後対向車から怒鳴りつけられていたが、私もつい「気をつけろ!」と興奮して叫んでしまった。運転していたのは、小さな子ども2人を乗せた若い母親だった。

 どうも近頃は、モラルに欠ける若い人が目につくようになった。自分勝手で楽な方向ばかり向いている。常識を欠き恥ずかしさも感じない程度の低いノータリンが増えてきた。こういう連中にどうやって世の中の条理、道徳、常識を教えたらよいのだろうか。先を考えると暗い気分になる。

2010年3月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1042.2010年3月21日(日) 普天間基地移設問題はどう解決するのか。

 情景だけ見ると春爛漫と行きたいところだが、夕べから全国的に東向きの強風が吹きまくり、北九州市内では駐車場内の駐車場屋根に女性が落ちてきて死亡したり、自衛隊東富士演習地では、野焼きの最中に火の方向が急に変わって3人が焼死したり、思いがけない事故が頻発している。北海道・旭川では92年ぶりの突風が吹いた。暴風警報も発令された。そこへ中国大陸から毎年やってくる黄砂が日本列島を覆い出した。

 今日から始まった甲子園の選抜高校野球開会式でも空がどんよりと曇っていたが、あれも黄砂の影響ではないだろうか。

 高校野球開幕とほぼ歩調を合わせて、昨日プロ野球パ・リーグが開幕した。桜も大分咲いて春を感じさせてくれる。来週と再来週には、それぞれお花見に誘われている。お彼岸の中日なのでお墓参りをしたいが、道路が混んでいるので一寸時期をずらせてお墓参りをしたいと思っている。

 さて、懸案の沖縄普天間米軍基地移設問題の政府決定の期限が迫っているが、相変わらず結論が出そうもない。今月中に政府案を決定しアメリカと交渉して5月内に日本としての最終案を決定するというスキームだった。それが、今月中の政府案、5月内の日米間の決定というスケジュールがまとまりそうにない。最初から確たる腹案があったわけではなく、交渉の過程で一番無難な案にまとめようと思っていたようだ。しかも、昨夏の衆議院選挙を見据えて当初よりアドバルーン的なアイディアだった節もある。可能性が薄いにも拘わらず、基地移設先を沖縄県外とか、海外移設とか、普段から沖縄基地問題をまったく考えていないような提案だった。政府はあれだけ沖縄でも反対の強い米軍基地を、簡単に受け入れる自治体が沖縄以外にあると思っているのだろうか。

 いま政府は一週間後に渡米する岡田外相に、ホワイトハウス、国務省、国防総省と非公式に意見交換させ、感触を得てアメリカの出方を探り出す予定である。しかし、まず日本案を提案しなければ、交渉にはならない。その日本案はこの期に及んで万策尽きて2つの案に絞られたようだ。ひとつは、日米間の合意事項である、辺野古のキャンプ・シュワーブへの移設であり、もうひとつは、現在の普天間基地を継続使用するというもののようである。これならアメリカにとって失うものはない。何と応えるか分からないが、内心大歓迎だろう。

 連立を組んでいる国民新党はすでにキャンプ・シュワーブ陸上案を提案し、社民党は今も県外移設か海外移設に拘っている。前者は、沖縄県、名護市が強硬に反対している。後者はまったく見込みが立っていない。

 この基地移設問題をよく考えてみると、民主党政権が基地問題、とりわけ沖縄住民の心情をまったく考えていないことがよく分かる。そして、決定的なことは政府が事案の解決のための順序、交渉、国民への説明等について、まったく無知、未熟であることが鮮明になった。政治手法と統治能力に欠けているのである。心配しながら見守っていたが、この状態では解決出来そうもない。当事者能力がまったくないのである。こういう人たちの集団に政治を任せてしまったことが、残念でならないし、国民のひとりとして情けない。沖縄県民にとっては、もしこのまま政府案通りに決定してしまうなら、はらわたが煮えくり返る思いだろう。

 今更どうやってもこの基地移設問題の解決は難しそうだ。それにしても現政権が示すのは、稚拙な政治行動力だと思う。

2010年3月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1041.2010年3月20日(土) イラク戦争開戦から7年

 今日は忌まわしいあの事件が起きて15年目である。事件とは、地下鉄霞ヶ関駅におけるオウム・サリン事件のことで、その当時はまだ会社勤めだったが、事件はあまりにも衝撃的で第1報を耳にした時は、事件がどういうものなのか状況がよく呑み込めなかった。今も被害者の間で後遺症が尾を引いている。

 その後8年を経て、2003年の今日はイラク戦争勃発の日である。これも鮮明に覚えている。シベリア鉄道に乗ってモスクワに行き、その帰りにモスクワから空路ウラジオストックへやって来てトランジット・ルームのテレビで開戦のニュースを知った。

 旅行出発前、日1日と高まっていくイラクの緊迫した状況と、相変わらずイラクのフセイン大統領の強気の姿勢から推して、戦争を回避することは最早不可能だと判断し、まもなく戦争状態に突入するだろうと内心予想していたので、ニュースを聞いても「ついに来るものが来た」と感じて、それほどの驚きはなかった。新潟駅前で地元のテレビ取材班にインタビューされた時も冷静に応えることが出来た。だが、とうとう始まったかと感慨深い気持ちに捉われたことをよく覚えている。

 ところが、15年前に起きたサリン事件については数日前からマス・メディアでも大きく報道されていたが、7年前に勃発したイラク戦争についてはほとんど断片的な報道だけで、切実感が伴ったニュースとして伝えられていない。報道量が少ないというのは、やはり現段階で現実に日本が直接戦争に拘わっていないことが影響しているのではないか。つまりイラク戦争は日本人にとってあくまで他人事であって、身内の事件ではないということなのだ。この点は、マス・メディアが世界的な大事件として8年目に入ったイラク戦争という観点から、もっと取り上げて公平に取り扱い報道するべきではないかと思う。

 さて、昨日の衆議院外務委員会で密約文書について参考人招致が行われたが、証言した東郷和彦・元外務省条約局長が引き継いだと証言した書類が見つからないことについて、現状では破棄されたと看做され、また当事者がそのように聞いているとまで語っている以上、まず隠蔽され、廃棄されたことは間違いないだろう。実際そういう結論に至った。誰がなぜそのような不届きな行為を行ったのだろうか。

 不可解なのは、東郷氏がはっきり引き継いだと証言した当の被引継ぎ者の藤崎一郎・元条約局長(その後駐米大使)が、記憶が不明だと語り、この対応は今後外務本省に任せるべきだと言っていることである。今更自ら火の粉を降りかぶるような厄介な事柄には巻き込まれたくないということなのだろう。

 今日の朝刊には意図的に国民の知的所有権を廃棄した罪は重いと書かれている。外務官僚の内々の論理で、勝手なことをやっておいて国のために行ったという言い分だけは聞きたくない。国家にとっての機密事項を個人の判断で右から左へ捨て去るという悪質で軽率な行動は許し難い。こういう倫理観のない悪辣な国家公務員には、お仕置きとして法的罰則を課したうえで、国家・国民のためにマイナスで職責を全うしていなかったと捉えて年金も減額すべきだと考えるが如何だろうか。

2010年3月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1040.2010年3月19日(金) クロマグロの国際取引禁止案否決

 夕べ遅くなって日本に伝えられたドーハからの第1報は、予想外の結果だった。日本にとっては朗報とも呼べるものだった。取り敢えず日本には危機回避となった。会議開催前は、ほとんど日本のモナコ提案反対の立場が支持されるような空気ではなかった。これで今後はマグロのトロを食することは難しくなると考えられた。世界でも初めて成功した近畿大学のマグロ養殖がメディアで大きく取り上げられ、今後はこういう資源保護派を納得させるような技術の開発を進めるべきだとの声も高まっていた。

 ワシントン条約締約国第1委員会の投票は、予想とはまったく反対の結果となり、モナコ提案は完敗とも云えるほどの大差で否決された。その背景には、相変わらず欧米先進国の自分たちだけの権益だけは守ろうとの保守的な考えが表れた反面、沿岸漁業国のアフリカ、中東、アジアの国々の間ではこの提案がひとつのきっかけとなり、今後他の漁業権まで禁止へ向かうとの危機感が生まれてきたことである。

 開会前はモナコ案に反対を表明していた国は、日本のほかには韓国とニュージーランドだけだった。それが蓋を開けてみたら、投票は無記名とは言え中国、ロシア、アイスランドのほかに、前記の国々が反対票を投じたようだ。中国のアフリカ諸国への説得工作が効いたとも云われている。EUは賛成と言っていたが、必ずしも一枚岩ではなく27ヶ国のEU諸国が参加していながら、賛成票のトータルが高々20だった。

 ただ、これで1件落着とは行かず、漁業資源の枯渇は世界的な問題であり、魚類の最大消費国である日本としては、世界中から厳しい目を注がれる中で今後どのように資源保護対策を主導的に進めていくかが問われている。

 さて、今月9日に外務省密約問題を公表して、密約ありと政府は認めた。今日衆議院外務委員会は、西山太吉氏と当時の外務省関係者の参考人質疑を行った。肝心の密約資料を破棄したことが明らかになった。証言した元条約局長が後任者に引き継いだ核持ち込み密約に関する文書のうち、最重要資料の半数8点が発表されていないと証言した。つまり紛失したのである。否、破棄したのである。外務省の機密書類保管に関する対応は、まったく無責任極まる。

 朝日夕刊には西山太吉氏の証言を載せている。「言いたいのは公平な裁きだ。裁かれてしかるべきものが裁かれぬまま今日に至った。まったく追求がされなかった」と証言した。その通りであり、事件を闇に葬ろうとした当該者に対して何らかの処罰を科すべきであろう。西山氏に関連して知人の北岡和義さんについて紹介している。北岡さんは先日の最高裁西山裁判の際も、TV画面に大きく写っていた。西山さんと同じ記者仲間として当初から西山さんを支援する活動を献身的に行っている。偉いなぁと思わず頭が下がる。

2010年3月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1039.2010年3月18日(木) 評伝執筆を引き受け「都会の憂鬱」

 昨年秋ごろ、私にとって上司だったご主人を数年前に亡くされた奥様から夫の評伝を書いて欲しいと頼まれた。プライバシーにあまり関わりたくないので、2度までも丁重にお断りした。

 しかし、その後再三に亘りどうしてもご主人を中心に息子家族、自分自身、夫と自分の両親・兄弟、特に関係深いご親戚について全体的な○○家の記録として残したいので、短くても良いからぜひ執筆してもらいたいと懇願された。そのうえお引き受けしないうちに、メモや写真、家系図などを一方的に送ってこられ、挙句の果てに書いてくれないとお迎えが来ても死に切れないとまで哀願されてしまった。そこまで頼られるなら私にとっては荷が重いが、無視することも出来ずお手伝い致しましょうとお引き受けすることを決めた。

 その後1度ご自宅を訪れたほかにも何度か手紙のやりとりをしたり、電話でもお話した。

 結論から言ってプライバシーを覗く家庭について、依頼者の気持ちを損ねないように評伝を書くのは相当難しい。今になって泣き言になってしまうが、やはりお引き受けすべきではなかったと後悔と反省の気持ちばかりが残る。相手が譲らない言い分と私の気持ちや書く手法、視点が大分違ううえに、後から後から新しい情報を提供され、段々お互いの考えがずれてきた。その都度書き直し、写真の貼り付け場所についても、当初とは違うご指示をいただくようなことになってしまった。

 依頼主はご高齢でそれほど健康状態も芳しくないので、あまりこちらの言い分を強く主張するわけにも行かず、ご機嫌を損ねないように気を遣いながらお話を伺うというスタンスに終始している。

 今朝はお電話で余計なことは書かなくて良いときつく言われてしまった。言われる通りにするなら現在までに書き上げた原稿を半分ぐらいにまで縮小せざるを得ない。さらに今まで書かなくても良いと言われた情報について、今度はやはり書いて欲しいと言い出された。構想を練り、時間をかけ、良かれと思って作業を始めても、完全にご自分の考えている通りでないと納得していただけない。気持ちも大きく揺れて、しばしば考えが変わる。しかも原稿は自分で書くことはされず、拙稿について細かい指摘や、注文をされるので、話がしばしば頓挫して次第に書こうという気持ちが萎えて行く。これまで豊かな生活を送られ、社会へ出て働かれたご経験がない方で、そのうえ少々わがままなご性格なので、あまりこちらの気持ちを斟酌されるようなことはない。

 今更愚痴を言っても始まらないが、最初に直感的に引き受けまいと思った時、やはりはっきりお断りすべきだった。まだ、完成まで時間がかかりそうで、ほかの仕事も抱えてしばらく憂鬱の時が続きそうである。何となく佐藤春夫書くところの「都会の憂鬱」である。

 深夜近くなって、ドーハで開催中のワシントン条約締約国会議の第1報が入ってきた。それによると悲観的に考えられていた、モナコの西大西洋と地中海におけるクロマグロの捕獲禁止の提案は、20対68で否決された。つまり日本などの反対派の考えが通ったようだ。圧倒的に不利と見られていたが、予想が覆ったのは、アフリカ諸国やアラブ諸国が日本案に回ったかららしい。

2010年3月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com