1960年代日本のジャーナリズムに大きな影響を与えた元毎日新聞外信部長の大森実氏がアメリカ・カリフォルニア州で亡くなられた。88歳という高齢だった。1960年にボーン国際記念賞を授与され、65年ベトナム戦争中に戦場特派員としてベトナムへ派遣され、戦況や惨状のリアルな報道によって、日本新聞協会賞も受賞した。同時に、米軍による民間施設爆破を批判的に報道して、当時のライシャワー駐日大使から、北の宣伝に乗った不公正な報道と非難されてその翌年毎日新聞社を退社した。その後自前の「東京オブザーバー」という新聞を発行し、学生アルバイトを使って街頭で立ち売りさせるユニークな商法が鮮烈な印象として残っている。
同紙の売り上げは必ずしも芳しくなかったようで、残念ながら間もなく廃刊して表舞台からその姿を消した。その後活動の拠点をアメリカに移して地道に報道を続け、最終的にアメリカのベトナム戦争を非難した、その地で生涯を終えたのは、いかにも暗示的である。同じ毎日の西山太吉氏と並んで記憶に残るジャーナリストのひとりである。
それにしても毎日新聞社は、西山氏といい、大森氏といい、どうしてこうも優秀なジャーナリストを退社へ追い込んでしまうのだろうか。2人とも高く評価される記事を書き、政府の隠蔽を暴き、毎日魂というものを存分に発揮した功績があるにも拘わらず、彼らの存在が次第に政治に擦り寄っていった毎日の姿勢にはマイナスと判断されたからだろう。こんなことを続けると読者も信用しなくなるのではないかと考えていたが、現在の毎日新聞社の凋落ぶりを見ていると、さもありなむという気がしてくる。
もうひとり別の意味で世間を騒がせた人物が韓国で亡くなった。自分の犯した殺人という悪質な行為を、日本人による朝鮮人差別問題に論理をすり替え、当時のメディアに対して、自分の幼少時代から大人になるまで周囲の日本人に理不尽にいじめつづけられた差別という持論を滔々と述べ、日本政府、日本の官憲を非難した殺人犯・金嬉老である。南アルプス山麓の寸又峡の旅館で宿泊客を人質に立てこもった凶悪事件の犯人である。この事件は一世を風靡した。無期懲役の刑に服していたが、仮釈放されて韓国へ帰った。10年前には韓国でも事件を起して逮捕された。所詮ろくな人物ではなかったが、一時は英雄気取りで振る舞い、とにかく当時は大変な騒ぎだった。
同じ韓国人でも、ハルビン駅で初代朝鮮統監・伊藤博文枢密院議長を暗殺した犯人・安重根が処刑されて今日でちょうど100年になる。今年日本が朝鮮を併合して100年目を迎え、韓国はこの期に日本に対して植民地時代のツケの支払い、教科書歴史教育記述訂正などの要求をしている。日韓関係は年々友好的になっているが、双方の認識のズレは大きく、古いキズは簡単には修復することは出来ない。お互いが納得するまでには、まだ相当時間がかかりそうだ。