1039.2010年3月18日(木) 評伝執筆を引き受け「都会の憂鬱」

 昨年秋ごろ、私にとって上司だったご主人を数年前に亡くされた奥様から夫の評伝を書いて欲しいと頼まれた。プライバシーにあまり関わりたくないので、2度までも丁重にお断りした。

 しかし、その後再三に亘りどうしてもご主人を中心に息子家族、自分自身、夫と自分の両親・兄弟、特に関係深いご親戚について全体的な○○家の記録として残したいので、短くても良いからぜひ執筆してもらいたいと懇願された。そのうえお引き受けしないうちに、メモや写真、家系図などを一方的に送ってこられ、挙句の果てに書いてくれないとお迎えが来ても死に切れないとまで哀願されてしまった。そこまで頼られるなら私にとっては荷が重いが、無視することも出来ずお手伝い致しましょうとお引き受けすることを決めた。

 その後1度ご自宅を訪れたほかにも何度か手紙のやりとりをしたり、電話でもお話した。

 結論から言ってプライバシーを覗く家庭について、依頼者の気持ちを損ねないように評伝を書くのは相当難しい。今になって泣き言になってしまうが、やはりお引き受けすべきではなかったと後悔と反省の気持ちばかりが残る。相手が譲らない言い分と私の気持ちや書く手法、視点が大分違ううえに、後から後から新しい情報を提供され、段々お互いの考えがずれてきた。その都度書き直し、写真の貼り付け場所についても、当初とは違うご指示をいただくようなことになってしまった。

 依頼主はご高齢でそれほど健康状態も芳しくないので、あまりこちらの言い分を強く主張するわけにも行かず、ご機嫌を損ねないように気を遣いながらお話を伺うというスタンスに終始している。

 今朝はお電話で余計なことは書かなくて良いときつく言われてしまった。言われる通りにするなら現在までに書き上げた原稿を半分ぐらいにまで縮小せざるを得ない。さらに今まで書かなくても良いと言われた情報について、今度はやはり書いて欲しいと言い出された。構想を練り、時間をかけ、良かれと思って作業を始めても、完全にご自分の考えている通りでないと納得していただけない。気持ちも大きく揺れて、しばしば考えが変わる。しかも原稿は自分で書くことはされず、拙稿について細かい指摘や、注文をされるので、話がしばしば頓挫して次第に書こうという気持ちが萎えて行く。これまで豊かな生活を送られ、社会へ出て働かれたご経験がない方で、そのうえ少々わがままなご性格なので、あまりこちらの気持ちを斟酌されるようなことはない。

 今更愚痴を言っても始まらないが、最初に直感的に引き受けまいと思った時、やはりはっきりお断りすべきだった。まだ、完成まで時間がかかりそうで、ほかの仕事も抱えてしばらく憂鬱の時が続きそうである。何となく佐藤春夫書くところの「都会の憂鬱」である。

 深夜近くなって、ドーハで開催中のワシントン条約締約国会議の第1報が入ってきた。それによると悲観的に考えられていた、モナコの西大西洋と地中海におけるクロマグロの捕獲禁止の提案は、20対68で否決された。つまり日本などの反対派の考えが通ったようだ。圧倒的に不利と見られていたが、予想が覆ったのは、アフリカ諸国やアラブ諸国が日本案に回ったかららしい。

2010年3月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com