952.2009年12月21日(月) 野口聡一さん、ソユーズで宇宙へ

 ロシアの宇宙船「ソユーズ」がカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から射ち上げられた。どうも宇宙工学や技術面の専門的な知識がないので、詳しいことはコメント出来ないが、これに搭乗した日本人宇宙飛行士・野口聡一さんが国際宇宙ステーション(ISS)で5ヶ月間も長期滞在するらしい。これまでほとんどアメリカのスペース・シャトルで飛んで行ったが、今度はロシア製ロケットによる宇宙飛行である。 その理由はスペース・シャトルが老朽化したので、近いうちに退役するらしく、ISSへの往復はこれから「ソユーズ」が行うことになった。

 ロシアの宇宙船と言えば、思い出すのは人類最初の宇宙飛行をやってのけたソ連人宇宙飛行士、ユーリイ・ガガーリン少佐だ。1961年に初の宇宙飛行から戻ったガガーリン少佐は、宣伝旅行で世界中を巡った途次日本にも立ち寄った。丁度その時私はこの目でガガーリン少佐を見た。大学の授業に出るため、偶々JR田町駅前の国道1号線交差点で信号待ちをしていた時、オープンカーに乗ったガガーリンが、かなり早いスピードでわれわれの前を通り過ぎて行った。小柄なガガーリン少佐は軍人服に身を包み、にこやかに手を振っていた。私も沿道の人たちとともに手を振り返した。心に残る印象的なシーンだった。

 その後1992年に初めてシベリアのイルクーツクへ出張した時、ガガーリン通りに面したホテルに滞在した。通りの謂われを聞いてみると英雄ガガーリン少佐は、イルクーツク近郊の生まれだという。ガガーリンは国策上「農民」出身とされていたが、実際には両親ともにインテリだったと言われている。当時アメリカに対抗して世界を2分する力を誇示していたソ連邦社会主義国家は、国の威信を昂揚するためにソ連のロケット技術の優秀性を世界に宣伝するべく、ガガーリンを宣伝員として世界各国へ派遣した。ガガーリンは宇宙からの帰路ロケット内で空軍中尉から少佐へ昇進し、フルシチョフ首相の出迎えを受け、世界へPR旅行をさせられたのである。

 初の宇宙飛行の後のガガーリンは世界中から注目される英雄となったが、人知れぬ悩みを秘めるようになったらしく、情緒も不安定になり自殺未遂事件を起した挙句の果てに、1968年謎の飛行事故を起こし、不幸にして34歳の若さで亡くなった。ある意味で国に利用され、国の犠牲者となったと言ってもいい。そんなことを考えるとガガーリンが気の毒であり、学生時代に彼を実際に見ることが出来たことは、私にとってもエポック・メイクな出来事だったと思わざるを得ない。

 今では「ソユーズ」は信頼出来る機材となり、最近ではほとんど事故を起こしていないそうだが、初の宇宙飛行以来ほぼ半世紀にして、人類は宇宙圏外で長期に亘って居住出来るようになった。

 初の宇宙飛行士となったガガーリン少佐の薄幸の人生を想うと、ついセンチメンタルな気分に捉われるが、一昨日終ったCOP15とは異なり宇宙利用は、ぜひとも各国共有の平和利用をお願いしたいものである。

2009年12月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

951.2009年12月20日(日) 危険な冬山の富士登山

 一昨日富士山で随分無謀な登山があった。かつてF1レーサーとして知られた片山右京氏が惨めな姿で下山してきたのである。彼ひとりだけなら生還として喜ばしかったが、何と彼は二人のスタッフを連れて登山しながら、その2人を荒天下に置き去りにしたまま富士山から降りてきた。

 結局2人は昨日遺体で発見された。惨めな記者会見を行った片山氏は涙を見せながら、お詫びをすることになった。12月の富士山は完全に冬山である。片山氏の登山計画はあまりにも杜撰で無謀だった。

 私自身ある程度登山経験もあるし、学生時代には際どいこともあった。昭和35年11月のことだった。富士山冬山訓練に出かけようとして新宿駅まで来た時、偶々その直前に富士山・吉田大沢で雪崩が発生し、早大、東大、日大山岳部員らが遭難し、確か11名が亡くなった。あの衝撃的な事故の悩ましい記憶がどうしても思い出されて仕方がない。われわれの場合は、新宿駅までそのセンセーショナルな事故の情報を持って見送りに来てくれた先輩に出かけるのを止められて、そのまま解散して帰途についた。高校の同級生、熊切くんが早大パーティの一員として滑落して重傷を負ったと聞いたのもこの後だった。

 その後会社の山岳部時代に南アルプス・仙丈岳で冬山訓練をした。安全地帯で天幕を張っていたので、強風でテントを吹き飛ばされるような危険を感じたことはなかった。冬山の常識として片山氏らがテントを飛ばされたということがどうしても信じられない。3人で登り、強風の中で1人用テントの片山氏は大丈夫だったが、2人用のテントの2人はそのテントを吹き飛ばされ、そのまま凍死してしまった。

 最近のテントがどんな装備になっているのか詳しくは分からないが、それにしてもテントが飛ばされるという事態がすんなりとは理解出来ない。冬山用テントは床部分と屋根部分が一体化されている筈であるし、上部分だけが飛んでいくとはどうしても考えられない。簡単に屋根が吹き飛んだということは、2人は冬山用テントを利用していなかったのではないか。

 それにしても無駄死にしたものである。これも片山氏がカーレーサーを引退して、過去の名声を利用して別の分野(山岳界)で安易に生き延びようとした足掻きだろうか。冬山はそんなに簡単に征服出来るものではない。

 幸い学生時代から独身生活の最後まで、数多くの登山をして多くの山に登ることが出来た。時々懐かしくなり、登山したい気持ちは山々だが、膝を痛めてしまったので、今ではそれは難しいと思う。交通機関で近くまで行き眺めるだけの登山となってしまったことが、何とも辛く寂しい。

2009年12月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

950.2009年12月19日(土) 成果なし。COP15閉幕

 8日からコペンハーゲンで開催されていた国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)が、今日最終日となって政治合意案を大筋で了承して幕となった。

 しかし、まとめられた政治的合意には法的拘束力は伴わない。結局これだけ大掛かりな世界的会議を開催していながら、地球温暖化防止の動きはほとんど前進しなかったことになる。

 世界各国がそれぞれ自己本位に主張するばかりで、地球温暖化を食い止めるという大きなテーマは隅に追いやられて、肝心要の前向きの討論がおろそかにされ、2012年を期限とする京都議定書を超えた新しい取り決めが出来なかった。

 その最大のガンとなったのは、言うまでもなく中国であり、アメリカである。さらに言えば、インド、ブラジル、そして発展途上のアフリカ諸国である。前回の京都会議ではまだ影が薄かった中国が、今では世界最大のCO2排出国になっている。その中国が地球温暖化を引っ張り、途上国に悪知恵を授けている。地球を汚していることに反省も責任も感ずることなく、先進国へ排出規制を迫り、持論を展開して現在の地球温暖化は先進国に責任があり、中国は責任がないと主張している。中国は先進国の言う排出ガスの規制には応じられないというのが自分たちの考えであり、強く先進国にはCO2排出規制を促すという都合の良い論理を展開中である。

 この中国の身勝手な論理には、開いた口が塞がらない。この論理を堂々展開する交渉力には、日本はおろか普通の国も呆気にとられている。

 しかし、これだけ世界に迷惑をかけ自分たちだけ良ければよいと主張することは、将来生き残った自国民が世界中の人たちに対して、恥ずかしい気持ちを抱くことになるのではないかと懸念するがどんなものだろうか。

 とにかく法的拘束力の伴わない政治合意が歩み出すことになった。これで日本は鳩山首相が先の国連総会で世界へ向けて発信した「排出ガス25%削減」の公約も守らなくても非難されることはなくなったが、果たしてこんなことで将来地球環境は守られるのだろうか。核保有問題も同じ理屈である。このままでは、核と温室ガスで人類が地球を破壊していくことに付き合わされることになる。

2009年12月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

949.2009年12月18日(金) 今年度駒沢大学公開講座終了

 駒沢大学の最終2時限の講座があり、特にいつも考えさせられる清田義昭講師の「出版周辺」の授業ではビデオ放映はなく、過去30年の出版物の販売傾向と今年度の出版界10大ニュースについて話をされた。

 前者については、1976年から2008年までの出版点数と出版実売総金額、返品率について表を示して説明されたが、76年には販売金額が1兆円だったのが、ピーク時の96年には2兆7千億円にまで達した。それが08年には2兆円をやっと超えるところまで落ち、恐らく今年度は2兆円を割り込むだろうと悲観的な予測をされた。特に雑誌類の落ち込みが激しい。

 その原因のひとつとして、週刊誌等の取材に個人情報保護法施行、プライバシー侵害に対する訴訟問題等があると指摘されていた。個人的な事件やスキャンダルについて、取材側が突っ込んで記事に出来ないことが、興味を薄れさせ週刊誌等の売れ行き不振につながっている。かつての「チャタレイ夫人の恋人」「愛のコリーダ」の猥褻裁判騒ぎも時間が経つと、実際には容認されたかのように世間であまり騒がれなくなる。どこまで取材して書くか、この辺りのせめぎあいが勝負になると話された。

 後者については時間がなくあまり詳しく説明されなかったが、どんなニュースが話題になったのかと気になった。いただいた「出版ニュース」12月下旬号にその10項目が載っている。

 上位3つは、①「1Q84」224万部、発売前の予約でベストセラーに、②出版業界の再編加速、大日本印刷の主導で、③グーグル検索和解問題で論議、日本は対象外に、となっている。やはり、村上春樹は圧倒的である。ゼミの池田くんの務めている大日本印刷の出版業界における存在感も迫力がある。

 終ってから前回の授業で話があった懇親会ということになった。お世話役の女性が下見まで済ませて近くの居酒屋に予約をしておいてくれた。事務局の宮本女史にまで声をかけて参加させてくれた。彼女は調布市の自宅から毎日50分かけて自転車で通っているという。現役学生はひとりしか参加しなかったが、9人が参加して出版業界の内情や、清田講師の経歴なども聞かせてもらって懇親の実を深めることができた。清田講師は出版業界では、著名の方でマス・メディアにもしばしば登場される。元々宗教家だったが、「出版ニュース社」社長に就任して、16年目だそうだ。現在66歳だが、今の職業をやってきてまったく悔いはないと自信を込めて仰っていた。

 清田講師は後期から担当したので、前期担当の柴野京子講師と話し合いしながら、授業を進めてきたと話しておられた。これまで社会的な問題のビデオを放映してきたが、それが受講生に良かったのかどうかという点について、しきりに気にされていた。それほど気にされることはないと思うのだが・・・。個人的に私も尋ねられたが、私にとっては貴重なビデオを観ることが出来たし、改めて社会的な問題について関心を新たにしたので、授業としては良かったと思っている。カリキュラムの内容については、担当講師が検討されてご自分なりに思うようにやられればそれで良いのではないかと思う。

 千葉県職員の不正経理事件が明るみに出てからかなりの時間が経つが、総額30億円という巨額の不正事件に、在任中の責任を追及されかかっていた堂本暁子・前知事はいずれ自分の態度もはっきりさせねばいけないだろうと直後の記者会見で他人事のように語っていたが、その後何ら明確な対応もしなかった。どうなったのか、最も責任を負うべき立場の人間が逃げ回っているのではないかと疑っていたが、今日処分が発表され、新たに見つかった不正分を含めて、何と2,245人もの職員に処分を行った。その中に前知事に対する返還金も公表され、千葉県は前知事に対して1千万円を請求することになった。

 杜撰というかお粗末な経理処理である。最高責任者の知事が知らん顔でやり過ごそうとしていたところ、運悪く?見つかってしまった。当然の報いであるが、堂本氏の同義的責任は重い。こういうみっともない事件はなくしてもらわないと納税者は溜まったものではない。

2009年12月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

948.2009年12月17日(木) 「知の現場」見本を手に感激

 日本列島は寒気が押し寄せ、とりわけ日本海側は大雪が降っている。妻が新潟市内に住んでいる次男にメールしたところ、雪国・新潟でも近年にない大雪に驚いていると返信があった。更に普段は車なら20分ほどで会社へ到着するのに今日は2時間もかかったそうだ。地球温暖化とは直接関連していないが、そのためCOP15へ出席のため今日鳩山首相はコペンハーゲンへ出発した。

 そのCOP15もぐじゃぐじゃになって、先進国と途上国の対立が解けず、そこへ中国の存在が要らぬ対立を煽ることとなり、会議は暗礁に乗り上げ決裂寸前である。日本の突出した排気ガス削減と途上国への支援額供出が、圧倒的な数値であるにも関わらず、全面的に必ずしも好意的に捉えられているわけではない。これまでの交渉過程があまり評価されていない印象を受ける。いつもながらわが国は損な役回りをさせられている。

 最大の二酸化炭素排出国であるアメリカと中国が前向きの提案を出そうとしないことが、出席国の不信感を呼んでいる。ここで鳩山首相がどういう提案をするのか。9月に国連総会で二酸化炭素ガス25%削減を公表して喝采を浴びたが、各国は改めて首相の説得力のある提案を待ち望んでいる。果たして首相はそれに応えることが出来るか。

 今日東洋経済新報社の中村さんから、出来上がった「知の現場」を送ってこられた。ぱらぱらっとめくっただけだが、中々良いのではないかと感じた。表紙のデザインも洒落た感じがするし、内容も充実しているので、獲らぬ狸だったが結構売れそうな気がする。プロジェクト・メンバーとしてはやっと肩の荷が下りたような気持ちである。出版社としても宣伝・広告に積極的に取り組んでもらえるようだ。早速広告を発売日の翌25日に朝日に、来年1月4日には日経に載せてくれると聞いた。

 共著というのは初めてのことだったが、率直に言ってやはり難しいと感じることがある。その最大の原因はメンバーの年齢差が大き過ぎることだろう。お互いに遠慮している感じだし、年齢に最大で40歳近い差があると時代感覚が異なるので、考え方も違うし、合意するのが難しいと感じた。

 来年は先日打ち合わせしたばかりの共著を完成させなければいけないが、これは年齢差があまりないし、元々観光に関わってきた人ばかりで編集し、執筆するので、それほど違和感はないと思う。

 しかし、出来上がった新刊書を前にして、苦労が報われたと感じる。やっぱりやってみて良かったとしみじみ思う。成果を形として見ることが出来るのは、張り合いのあることだ。これからも出版については前向きに取り組んで行きたいと思う。

2009年12月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

947.2009年12月16日(水) 普天間基地移設の結論を早く

 案の定昨日鳩山政権が沖縄普天間米軍基地移設問題の結論を先送りしたことが、各方面に波紋を呼んでいる。最も困惑しているのが、当の沖縄県である。問題が先送りされ、そのうえこの先の結論がどうなるのか宙ぶらりんの状態でどこへ不満をぶちまけたら良いのか分からない。いずれ結論が出された時に、もしアメリカが望む現状維持、つまり普天間移設せず、とでもなったら普天間基地周辺では暴動が起きるかも知れない。

 一方、アメリカ政府や軍では、先送りの結論がどうしても納得できない。11月に首相がオバマ大統領と会見の際、首相が‘PLEASE TRUST ME’と大統領に約束したことが、アメリカの望む通りやるから任せてくれと理解されている。ところがアメリカが最も憂慮していた結論の先送りとなった。約束が違うのではないかという風に受け取られている。早速コンウェイ海兵隊総司令官が、米軍再編計画が遅れると懸念を示した。

 ひとり悦に入っているのは、社民党委員長で少子化担当相である福島瑞穂氏である。福島大臣は、県外移設を目指すと沖縄県仲井真知事と話し合っていたが、これも少し軽いのではないかと心配である。今の様子では県外移設、或いは海外移設の可能性はどのくらいあるのか。福島談話が県外移設のムードだけ盛り上げて、実際に可能性が消えた場合、自分は力を尽くしたが、民主党がアメリカに押し切られたという都合の良い論理にすり替えるのではないか。ちょっと気になる。

 とにかく先送りで山は越えたのではなく、益々追い詰められているという厳しい現状を民主党は直視して、充分心して真剣に取り組んでもらいたい。

 さて、今年も残すところあと半月となった。少し遅れたが、海外の知人・友人にクリスマス・カードを11通送った。以前現役のころは、毎年30通ほど送っていたが、仕事を離れると縁も徐々に切れて今連絡を取っているのは、親しい友人ばかりである。郵送先国がばらばらで郵便局員が目をぱちくりしていた。因みにアメリカ、ブラジル、ビルマ、スイス、ベルギー、イタリア、セルビアの7ヶ国へ宛てたものである。

 恒例の年賀状もぼちぼち書き出した。今年は年賀欠礼のハガキを30通以上もいただいている。親しかった人の家族からいただいたハガキを見ていると寂しい気持ちに捉われる。これも世の習いであるが、虚しい。年賀状は700枚購入したが、これから毎日少しずつ気持ちを込めて宛名書きをしようと思っている。

2009年12月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

946.2009年12月15日(火) 鳩山内閣の危なっかしい綱渡り

 このところ連日報道されている沖縄の普天間米軍基地移設問題が、とりあえず結論先延ばしということになった。アメリカという日米同盟の相手国との外交交渉がその先にあるだけに、日本だけの都合で落着というわけにはいかない。加えて基地のある沖縄県の事情もある。

 最大の問題は、スタートから関係筋それぞれの思惑にずれがあったことである。当初は現在の普天間基地を名護市の辺野古沖キャンプ・シュワーブへ移設することは日米間で合意していた。同時に、沖縄の米軍海兵隊員8,000人のグアム移転も決まっていた。にも拘らず、民主党は先の総選挙のマニフェストに、普天間は海外移設、少なくとも県外移設すると約束した。この約束実行について、鳩山民主党は事前にどの程度の自信があったのだろうか。それほどの成算はなかったのではないか。新政権発足後慌てて実行策を立てたような気がする。それは、海外・県外移設を前提に、あれもこれもとアイディアを練った。連立を組んだ国民新党と社民党からも、マニフェストの実行を責められ、結局可能性はどんどん狭められ行き詰ってしまった。それが今日の結論先延ばしではないか。

 しかし、この先延ばしだって極力早い結論を求められている。アメリカにしても辺野古への移設を前提に海兵隊を移動させる計画が狂うことで、来年度の連邦政府予算に移転費用を組み込めるかどうかの判断を迫られているらしい。アメリカから不信感を持たれ、現行の移設案以外は考えられないとまで言われ、挙句の果てには日米同盟にひびが入りかねないとまで言われている。

 この無様な国内対応と対外折衝は、鳩山政権のあやふやな政治哲学と決断力の欠如と言われても仕方あるまい。この行き着く先はどうなるのか。まさに鳩山首相と民主党にとって正念場である。

 鳩山政権が抱える新たな問題も浮上した。来日した中国の習近平・国家副主席が今日天皇陛下と会見したが、その決定に至る不透明な経緯が物議を醸している。天皇との接見には、少なくとも会見の1ヶ月前までに宮内庁に伺いを立てるしきたりになっているが、習副主席のケースはその後の申し出だった。それが、会見可能となった背景に、鳩山首相からぜひにとの希望が平野官房長官を通して宮内庁へ伝えられた。一旦は無理と見られた話がこれによって復活し、この経緯を不満に感じた羽毛田宮内庁長官が記者会見で不快感を表明した。

 この後がぐにゃぐにゃである。皇室の政治利用ではないかとメディアは喧しい。背後に小沢幹事長の強引なねじ込みがあったと噂されたが、小沢氏はむしろ羽毛田長官を憲法論まで持ち出し、内閣が決めたことを一役人が批判したと烈火の如く怒った。

 しかし、小沢氏の憲法論は根拠が薄いし、国民を納得させない。本人は復活に圧力をかけたことは否定しているが、直前に650人を引き連れ中国へ乗り込んで胡錦寿国家主席ら中国首脳陣と会談していた状況を考えると、小沢氏が会見を請け負った可能性は充分考えられる。真実は分からないが、天皇会見は政治主導でとか、宮内庁の専権事項などという問題ではなく、公平に考えても民主党のやり方に小沢氏の力が影響していると考えるのが普通ではないか。もし仮にそうだとするなら小沢氏は少々思いあがっていないだろうか。

 鳩山首相もこういう問題で躓いていると、内閣も倒産してしまう恐れがある。

2009年12月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

945.2009年12月14日(月) 経済学者ポール・サミュエルソン教授亡くなる。

 今日12月14日と言えば、元禄年間「忠臣蔵」吉良邸討ち入りの日である。当時は旧暦だったから今とは季節もずれていたが、それでも昔は映画でも、芝居でも12月と言えば「忠臣蔵」、或いは「赤穂浪士」の話題でもちきりだったものだ。ところが、今では古いものはどんどん忘れ去られる傾向にある。

 古いと言えば、MIT(マサチューセッツ工科大学)のポール・サミュエルソン名誉教授が亡くなられた。享年94歳である。「知の巨人」とも呼ばれたが、最近は高齢でもあり、あまり表舞台に立つことは少なかった。しかし、何と言っても20世紀を代表する経済学者であり、ノーベル経済学賞受賞者である。私自身大学経済学部に入った時、経済原論はこのサミュエルソン教授の「ECONOMICS」(経済学)を通して学ぶと聞いて、こんな難しい原書を教養課程の必修科目で使用するのかと最初はぞっとしたことを思い出す。朝日夕刊には「1948年に初版が発行された著書『経済学』は半世紀近くに亘って、経済を学ぶ学生の教科書の定番だった。日本語をはじめ約40の言語に翻訳され、これまでに約400万部が売れる世界的なベストセラーとなっている」と紹介されている。

 久しぶりに本棚から「経済学」を取り出して見てみると行間にかなり鉛筆で書き込みがしてある。しかし、古くはなっているが、印刷の色も当時のままだし、装丁も崩れていない。810頁のハードカバーが懐かしい。アジアの学生向き編集としてあって、マグロウーヒル社から向学社がパテントを獲得してアジア地域の学生のために日本で印刷したものである。私が所有しているのは、1958年発行第5版で裏表紙にアジアで販売されるすべての国名が書いてある、と同時に北米、中欧、イギリス、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドには再輸入禁止としてあることが面白い。

 教養課程の頃は、まだ経済学の本質が良く分からず、原書で読むことに苦戦した。翻訳本がなく、岩波書店から都留重人・一橋大教授の日本語訳が出版されたのが、すでに会社へ務めていた1966年で、早速購入した。因みに当時上巻は512頁の箱入りハードカバーで900円だった。翌年下巻が出版されたが、これは1212頁で1,100円だった。いずれもずしりとくる重量感のある書物だった。

 原書と日本語翻訳書のサイズが同じで、頁数は日本語がちょうど2倍もあるというのは日本語にはムダが多く、説明が多すぎるということなのか。

 しかし、原論とは言え、結構難しかった。私自身経済学部の学生としては、どちらかと言えばサミュエルソン教授の近代経済学というより、マルクス経済学へ関心が行き、あまりサミュエルソン教授さまさまとは行かなかったが、いずれにしても思い出は尽きない。そのサミュエルソン教授も逝った。学生時代は遠くなりにけりである。

 先日JN協会白澤照雄事務局長から電話があり、今日JN協会が発行する新刊書の最初の打ち合わせをするというので、海事センター会長室へお邪魔する。JN協会松尾道彦理事長、副理事長のJR東海相談役・須田寛氏、白澤事務局長と私の4人で、編集方針や目標などについて話し合った。何となく漠然としているが、私の担当する「観光」については、具体的な目次、或いは見出しをつけてもらうということで納得した。そうでないとあまりにもフィールドが広過ぎて、まとめようがない。まだまだ何度も打ち合わせをしないといけないと考えている。 その後松尾理事長に麹町の洒落たお店で食事をご馳走になる。4人でフリートーキングをしたが、須田さんの話題の豊富なこと、特に役人と政治家の経歴に詳しいのには驚いた。もうひとつの驚きは、今をときめく?亀井静香・郵政金融担当相が運輸大臣だった、当時の運輸事務次官が松尾理事長だったとは2度びっくりである。

2009年12月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

944.2009年12月13日(日) 現代人は本を読まなくなったのか。

 最近出版に関する話題に事欠かない。

 そのひとつが、朝の朝日1面に今年1年間の書籍・雑誌の推定販売金額が2兆円を割り込むことが確実になったとの出版科学研究所の分析が紹介されていた。1996年のピーク時から年々下がりっぱなしである。4日(金)のNHK「ニュース7」で駒沢大・清田昭義講師が「出版ニュース社」の編集者として今年の出版界の傾向についてインタビューに応えておられたが、どうも出版界はぱっとしない。村上春樹の「1Q84」だけが突出して売れ、全体として雑誌の売れ行きが減少傾向にあるようだ。雑誌で名前だけでも知っている「就職ジャーナル」「英語青年」「諸君!」「マリ・クレール」等を含めて10月発刊までで170誌が休刊だというからその数の多さには驚いた。

 同時に、朝日には専門的な三島由紀夫の研究文献総覧も紹介されていた。「三島由紀夫研究文献総覧」で、実はこれは清田講師の会社が刊行したもので、貴重な三島に関する研究を続けている神田の古書店主・山口基氏の資料をまとめたもので、分厚い790頁の大作で価格も1万500円で、限定500部だそうである。三島研究に事欠かない資料が網羅されているようなので、実は先日友人の呉忠士くんが生前三島から父親・呉茂一先生へ宛てた直筆文をメールで送ってくれたので、一昨日の講義の後、そのコピーを清田講師へ差し上げた。じっくり目を通されて、この文字は三島のものですと言って喜んでおられたので、研究家にとっては涙の出るような貴重な資料になるだろうと思う。来週は講義の後、清田講師を囲んで忘年会を行うので、この話題についてゆっくり話してみたいと思う。

 日経朝刊「文化」欄を読んでいて、作家で翻訳家でもある常盤新平氏のエッセイに島崎藤村の「破戒」を中学2年生の冬に読んだとの件がある。私は2年生の秋だった。やはり同じころに読んでいたのだと思うと、失礼ながら同志や同級生のような気になる。あの当時読んでいて「エタ」という部落民の存在が理解できず、意味が分からないまま何か特殊な人たちではないかなどと思いをめぐらせていた。あまりにも印象が強烈で社会性を含んでいたせいか、子ども心には些か刺激が強かったのではないかと思っている。しかし、そのお陰で「破戒」は、今でも愛読書のひとつとなっている。

 不思議な連鎖と言おうか、常盤氏のエッセイの下段に歌人・小池光氏が「蜘蛛」というエッセイを書いておられるが、蜘蛛というあまり好かれない奇怪な生き物に関した短文のエッセイで、これが中々面白い。芥川の短編「蜘蛛の糸」にまつわるもので、「カンダタ」がお釈迦さまに糸を切られ地獄へ落ちていく象徴的なシーンが有名だが、小学校6年生の頃担任の湯浅和先生がよく読んでくれ、そのお陰でクラスのほとんどがストーリーを覚えてしまったことが懐かしく思い出される。その時は、主人公は「カンガタ」ではなく、「蜘蛛の甚十郎」と呼ばれていたような記憶がある。

 やはり名作を若い頃に脳裏に刻むことは、後々想い出になったり何かの折に役立つがある。

 朝日「声」欄にこんな記事もあった。77歳の都内に住む方の投書「忘れてはいけない12月8日」である。「もはや12月8日は忘れられ、大きな意味を持たない日になって来たのか。それだけ平和になったわけなのだろうか。それが本当の平和を希求する日本国民の平和認識と見て良いだろうか。何かさびしい1日だった」とある。

 言わないこっちゃない。戦争を知っている世代の人たちにとっては、最近のマス・メディアが開戦記念日について何も報道しないことが不満なのだ。

2009年12月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

943.2009年12月12日(土) ライトアップされた原宿・表参道の賑わい

 原宿の表参道にある元同潤会アパートが「オモテサンドウ・ヒルズ」となって、東京の新名所のひとつになった。その表参道が最近夜になると並木をライトアップして注目を集めている。以前にもライトアップしていたが、11年前に電気のムダ、環境問題から中止した。それがどういう主旨でどんな要望があったのか、今年再びライトアップされ夜になると賑わっているとメディアが騒いでいたので、お上りさんよろしく妻と夜景見物に出かけた。

 土曜の夕べということもあり、JR原宿駅はプラットフォームから混雑していて入場者を制限して、下車客をさばいていた。話題の通りは黒山の人で前へ進むのも一苦労である。これが、公衆道路だからこの辺りの生活者にとっては随分ハタ迷惑なことだろう。表参道の両サイドのライトアップされた夜景は楽しむことが出来たが、ほとんどが若い人たちだった。話題の「オモテサンドウ・ヒルズ」の内部に入って洒落たショップをウィンドウ・ショッピングして見たが、この内部もすごい人混みだった。高級ブティックが並んでいて、これではリッチでないと楽しめないのではないかと感じた。

 路地に入り込んだら道が分からなくなり、タクシーに乗ったところドライバーが、ライトアップして道路が混んで、ゴミが散らかり良いことはまったくないとこぼしていた。どうしてこんなものを復活したのかと大分ご不満の様子だった。聞けば、商店会もそれほど売り上げが上がるわけではなく、町内は汚され、なぜライトアップ復活に賛同したのか分からないと、車を降りるまでぶつぶつ言っていた。車の渋滞の様子を見ていると何となく分かるような気がした。まあ私には話のタネにはなった。

 それよりシャクに触ったのは、東横線に乗った時、幌を被った車両の連結部分で小さい女の子が2人遊んでいて危ないので、そこから離れるように注意したら、何と傍に父親が黙って立っていた。一旦その場を離れた子どもが、再び同じ危険箇所に入り込んでも父親は頑として黙っている。呆れ果ててもう注意するのを止めたが、こどもが危険に晒されても無関心で、他人から注意されても知らん顔をしているのに出くわして、いよいよ世も末だと思った。周りを見たら周囲のシルバー・シートはみんな私より若そうな乗客に占領されていた。もう思いやりとか、親切心、常識とかを持たない連中が大きな顔をする世の中になってしまったのだ。こういう連中は年老いた時、自分たちは誰からも助けを必要としないとでも思っているのだろうか。

 昔に比べて嫌な奴がふえてきたなぁ。まったく不愉快である。

2009年12月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com