945.2009年12月14日(月) 経済学者ポール・サミュエルソン教授亡くなる。

 今日12月14日と言えば、元禄年間「忠臣蔵」吉良邸討ち入りの日である。当時は旧暦だったから今とは季節もずれていたが、それでも昔は映画でも、芝居でも12月と言えば「忠臣蔵」、或いは「赤穂浪士」の話題でもちきりだったものだ。ところが、今では古いものはどんどん忘れ去られる傾向にある。

 古いと言えば、MIT(マサチューセッツ工科大学)のポール・サミュエルソン名誉教授が亡くなられた。享年94歳である。「知の巨人」とも呼ばれたが、最近は高齢でもあり、あまり表舞台に立つことは少なかった。しかし、何と言っても20世紀を代表する経済学者であり、ノーベル経済学賞受賞者である。私自身大学経済学部に入った時、経済原論はこのサミュエルソン教授の「ECONOMICS」(経済学)を通して学ぶと聞いて、こんな難しい原書を教養課程の必修科目で使用するのかと最初はぞっとしたことを思い出す。朝日夕刊には「1948年に初版が発行された著書『経済学』は半世紀近くに亘って、経済を学ぶ学生の教科書の定番だった。日本語をはじめ約40の言語に翻訳され、これまでに約400万部が売れる世界的なベストセラーとなっている」と紹介されている。

 久しぶりに本棚から「経済学」を取り出して見てみると行間にかなり鉛筆で書き込みがしてある。しかし、古くはなっているが、印刷の色も当時のままだし、装丁も崩れていない。810頁のハードカバーが懐かしい。アジアの学生向き編集としてあって、マグロウーヒル社から向学社がパテントを獲得してアジア地域の学生のために日本で印刷したものである。私が所有しているのは、1958年発行第5版で裏表紙にアジアで販売されるすべての国名が書いてある、と同時に北米、中欧、イギリス、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドには再輸入禁止としてあることが面白い。

 教養課程の頃は、まだ経済学の本質が良く分からず、原書で読むことに苦戦した。翻訳本がなく、岩波書店から都留重人・一橋大教授の日本語訳が出版されたのが、すでに会社へ務めていた1966年で、早速購入した。因みに当時上巻は512頁の箱入りハードカバーで900円だった。翌年下巻が出版されたが、これは1212頁で1,100円だった。いずれもずしりとくる重量感のある書物だった。

 原書と日本語翻訳書のサイズが同じで、頁数は日本語がちょうど2倍もあるというのは日本語にはムダが多く、説明が多すぎるということなのか。

 しかし、原論とは言え、結構難しかった。私自身経済学部の学生としては、どちらかと言えばサミュエルソン教授の近代経済学というより、マルクス経済学へ関心が行き、あまりサミュエルソン教授さまさまとは行かなかったが、いずれにしても思い出は尽きない。そのサミュエルソン教授も逝った。学生時代は遠くなりにけりである。

 先日JN協会白澤照雄事務局長から電話があり、今日JN協会が発行する新刊書の最初の打ち合わせをするというので、海事センター会長室へお邪魔する。JN協会松尾道彦理事長、副理事長のJR東海相談役・須田寛氏、白澤事務局長と私の4人で、編集方針や目標などについて話し合った。何となく漠然としているが、私の担当する「観光」については、具体的な目次、或いは見出しをつけてもらうということで納得した。そうでないとあまりにもフィールドが広過ぎて、まとめようがない。まだまだ何度も打ち合わせをしないといけないと考えている。 その後松尾理事長に麹町の洒落たお店で食事をご馳走になる。4人でフリートーキングをしたが、須田さんの話題の豊富なこと、特に役人と政治家の経歴に詳しいのには驚いた。もうひとつの驚きは、今をときめく?亀井静香・郵政金融担当相が運輸大臣だった、当時の運輸事務次官が松尾理事長だったとは2度びっくりである。

2009年12月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com