一昨日富士山で随分無謀な登山があった。かつてF1レーサーとして知られた片山右京氏が惨めな姿で下山してきたのである。彼ひとりだけなら生還として喜ばしかったが、何と彼は二人のスタッフを連れて登山しながら、その2人を荒天下に置き去りにしたまま富士山から降りてきた。
結局2人は昨日遺体で発見された。惨めな記者会見を行った片山氏は涙を見せながら、お詫びをすることになった。12月の富士山は完全に冬山である。片山氏の登山計画はあまりにも杜撰で無謀だった。
私自身ある程度登山経験もあるし、学生時代には際どいこともあった。昭和35年11月のことだった。富士山冬山訓練に出かけようとして新宿駅まで来た時、偶々その直前に富士山・吉田大沢で雪崩が発生し、早大、東大、日大山岳部員らが遭難し、確か11名が亡くなった。あの衝撃的な事故の悩ましい記憶がどうしても思い出されて仕方がない。われわれの場合は、新宿駅までそのセンセーショナルな事故の情報を持って見送りに来てくれた先輩に出かけるのを止められて、そのまま解散して帰途についた。高校の同級生、熊切くんが早大パーティの一員として滑落して重傷を負ったと聞いたのもこの後だった。
その後会社の山岳部時代に南アルプス・仙丈岳で冬山訓練をした。安全地帯で天幕を張っていたので、強風でテントを吹き飛ばされるような危険を感じたことはなかった。冬山の常識として片山氏らがテントを飛ばされたということがどうしても信じられない。3人で登り、強風の中で1人用テントの片山氏は大丈夫だったが、2人用のテントの2人はそのテントを吹き飛ばされ、そのまま凍死してしまった。
最近のテントがどんな装備になっているのか詳しくは分からないが、それにしてもテントが飛ばされるという事態がすんなりとは理解出来ない。冬山用テントは床部分と屋根部分が一体化されている筈であるし、上部分だけが飛んでいくとはどうしても考えられない。簡単に屋根が吹き飛んだということは、2人は冬山用テントを利用していなかったのではないか。
それにしても無駄死にしたものである。これも片山氏がカーレーサーを引退して、過去の名声を利用して別の分野(山岳界)で安易に生き延びようとした足掻きだろうか。冬山はそんなに簡単に征服出来るものではない。
幸い学生時代から独身生活の最後まで、数多くの登山をして多くの山に登ることが出来た。時々懐かしくなり、登山したい気持ちは山々だが、膝を痛めてしまったので、今ではそれは難しいと思う。交通機関で近くまで行き眺めるだけの登山となってしまったことが、何とも辛く寂しい。