ロシアの宇宙船「ソユーズ」がカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から射ち上げられた。どうも宇宙工学や技術面の専門的な知識がないので、詳しいことはコメント出来ないが、これに搭乗した日本人宇宙飛行士・野口聡一さんが国際宇宙ステーション(ISS)で5ヶ月間も長期滞在するらしい。これまでほとんどアメリカのスペース・シャトルで飛んで行ったが、今度はロシア製ロケットによる宇宙飛行である。 その理由はスペース・シャトルが老朽化したので、近いうちに退役するらしく、ISSへの往復はこれから「ソユーズ」が行うことになった。
ロシアの宇宙船と言えば、思い出すのは人類最初の宇宙飛行をやってのけたソ連人宇宙飛行士、ユーリイ・ガガーリン少佐だ。1961年に初の宇宙飛行から戻ったガガーリン少佐は、宣伝旅行で世界中を巡った途次日本にも立ち寄った。丁度その時私はこの目でガガーリン少佐を見た。大学の授業に出るため、偶々JR田町駅前の国道1号線交差点で信号待ちをしていた時、オープンカーに乗ったガガーリンが、かなり早いスピードでわれわれの前を通り過ぎて行った。小柄なガガーリン少佐は軍人服に身を包み、にこやかに手を振っていた。私も沿道の人たちとともに手を振り返した。心に残る印象的なシーンだった。
その後1992年に初めてシベリアのイルクーツクへ出張した時、ガガーリン通りに面したホテルに滞在した。通りの謂われを聞いてみると英雄ガガーリン少佐は、イルクーツク近郊の生まれだという。ガガーリンは国策上「農民」出身とされていたが、実際には両親ともにインテリだったと言われている。当時アメリカに対抗して世界を2分する力を誇示していたソ連邦社会主義国家は、国の威信を昂揚するためにソ連のロケット技術の優秀性を世界に宣伝するべく、ガガーリンを宣伝員として世界各国へ派遣した。ガガーリンは宇宙からの帰路ロケット内で空軍中尉から少佐へ昇進し、フルシチョフ首相の出迎えを受け、世界へPR旅行をさせられたのである。
初の宇宙飛行の後のガガーリンは世界中から注目される英雄となったが、人知れぬ悩みを秘めるようになったらしく、情緒も不安定になり自殺未遂事件を起した挙句の果てに、1968年謎の飛行事故を起こし、不幸にして34歳の若さで亡くなった。ある意味で国に利用され、国の犠牲者となったと言ってもいい。そんなことを考えるとガガーリンが気の毒であり、学生時代に彼を実際に見ることが出来たことは、私にとってもエポック・メイクな出来事だったと思わざるを得ない。
今では「ソユーズ」は信頼出来る機材となり、最近ではほとんど事故を起こしていないそうだが、初の宇宙飛行以来ほぼ半世紀にして、人類は宇宙圏外で長期に亘って居住出来るようになった。
初の宇宙飛行士となったガガーリン少佐の薄幸の人生を想うと、ついセンチメンタルな気分に捉われるが、一昨日終ったCOP15とは異なり宇宙利用は、ぜひとも各国共有の平和利用をお願いしたいものである。