802.2009年7月24日(金) 外部へのPR文書に身内の敬称をつけるか?

 どうも天候がすっきりしないが、3日前に大雨による大きな被害を出した山口県防府市では今日も激しい雨が降り続き全員の行方不明者がまだ見つかってはいない。今日までに死者14名、行方不明者3名の被災者を出している。雨の中で懸命に捜索活動を行っているが、追い討ちをかけるように一層激しい雨が降り出し、2次災害の可能性も出てきたので様子を見守っている状態だという。今回は市の避難勧告の連絡が遅れたことにも大きな被害をもたらした原因がある。まあ考えることは、どうしてこれだけのゲリラ豪雨になったのか。かつてはこんな大雨が連続的に襲うことはそうざらにはなかったと思う。それがいつごろからか、全国的に局地的なゲリラ豪雨というケースが目立つようになってきた。ありきたりだが、ひとつの原因として、これも地球温暖化の影響がないとは言えないのではないか。

 昨日の日経朝刊に多摩大学の1頁全面広告が掲載された。大学創立20周年事業のひとつとして開かれたシンポジウム「現代の志塾・多摩大学の挑戦」の内容を日経紙が紹介したものである。

 これは完全なる多摩大学の全面PR広告である。冒頭に寺島実郎・新学長の講演の概要、そして、シンポジウムのパネリストである野田一夫・初代学長、グレゴリー・クラーク・3代目学長、コーディネーターの学長室長である久恒啓一教授のシンポジウムにおける発言内容、特に大学の考えが紹介されていて、内容的にも結構興味を惹いて面白い。ところが、ちょっと気になったのは、寺島学長以下全員の名前に敬称の「氏」がついていることだ。あれっと奇妙な感じがした。普通の感覚では、世間に対して自分たちの広告掲載をする場合「氏」のような敬称はつけない。

 放っておいてもよかったが、この敬称、「氏」の使い方はどうもおかしい。気になってしようがないので、久恒教授へそれとなく違和感を抱いたとメールを送ったところ、すぐ次のような返事をいただいた。「ありがとうございました。この記事はパブと広告の間なので、日経が『記事風』につくっています。タイトルなどはこちらでつけました。こういう場合は『氏』をつけるようですね」という内容だった。でもそうかなぁ。広告の主体は大学だから、やはりおかしいと思う。民間会社なら自分の会社の社長だろうが部下だろうが、社内の人間を外部に紹介する際、絶対に敬称では呼ばないものだ。大学と民間会社では感覚的に意識のずれがあるのだろうか。私にはやはり大学の感覚は少しおかしいと思えるのだが・・・。

2009年7月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

801.2009年7月23日(木) 国道工事凍結解除は元の木阿弥

 知研「出版プロジェクト」の定期会合があった。前回まで集まっていた新宿のレストランが閉店となったので、今日から東京駅近くのビル内のレストランで行うことになった。いつも通り常連メンバー9人が集結した。現役で働いている人ばかりだから、遅れて来る人や早く引き上げる人もいる。こればかりは致し方ない。

 原稿作成が遅れているメンバーもいて他のメンバーで手伝うことになった。原稿の書き手のことでもめたり、私自身も年甲斐もなく興奮して、若い人と口論に近い話し合いになったり、目的はひとつなのだが、それぞれの考えの違いや、過去に編集に関わっていた経験等で意見が分かれる。私も明日には野村さんの取材原稿を書き上げて事務局へ送ろうと思っている。早く立派な書籍として世に出したいものだ。

 いつものことと言って笑って済ませられない国道工事の再開である。今年3月に国土交通省は建設効果が費用に見合わないとして工事を凍結した国道18路線のうち、17路線で工事再開が決まった。まったく役所は何を考えているのか。これは国交省が地方の要求と、道路族国会議員の圧力に屈した図式である。いつもながらの日本的風景である。一旦は工事中止を決めておきながら、たった3ヶ月で元の木阿弥である。

 大体話がおかしい。建設効果が費用に見合わないと言っておきながら、計算の仕方次第ではすぐ建設費を下方修正出来るというマジックを操りだす。工事再開の判断は、専門家による監視委員会に委ねるということだったが、何のことはない。委員の人選は国交省の各地方整備局長に任されている。出来レース以外の何者でもない。

 役所には都合の良い数字というものがあるらしい。自分たちの思惑通りにことを進めようとするなら、それを使えばよい。こうして、国の税金は無駄に使われ、役人はでかい面して威張りまくるのだ。日本は倫理や道徳なんて、叩いても出てこない情けない国になったものである。

2009年7月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

800.2009年7月22日(水) 皆既日食を見た!

 代々木の歯科へ行く手前のビルの広場で大勢の人たちが空を見上げ、携帯カメラや観測用黒メガネを空に向けていた。11時15分頃だった。同じ方向を見上げると欠けた太陽が見えた。直前まで皆既日食のことを忘れていたが、薄い雲の中に下部が黒く、上部が三日月のような皆既日食が確かに見えた。天候はぱっとせず、小雨さえ降っていたが、それが反って目を保護することなく自然に空を見る姿勢になれたのだと思う。東京都内は70%の部分日食と言われていたので、全体的に周辺は明るくそれが曇りの中でも日食がはっきり見えた原因である。勿怪の幸いと言うべきだろうか、運良く日食を鑑賞することが出来て感動した。敢えて言えば、偶々日食に遭遇したと言える。ついてもいた。

 それにしても、全国的な皆既日食フィーバーとなったが、その中心地・悪石島では風雨が強く目では見られなかったようだ。こう言っては悪いが、やはり島の名前も良くなかったのではないか。期待していた観測者には気の毒だったが、それでも10時53分には島周辺は夜のように暗くなったので、日食の感覚は些かなりとも味わうことが出来たのではないだろうか。

 構想日本から、日本青年会議所が総選挙に際し、各党、各候補者へマニフェスト討論会を仕掛ける「第45回総選挙全国一斉マニフェスト型公開討論会」記者会見の案内をもらったので、どんなものか後学のために見学させてもらおうと平河町の青年会議所会館へ出かけた。

 30分程度の普通の記者会見だったが、出席者は安里繁信・日本青年会議所会頭、北川正恭・早大教授、加藤秀樹・構想日本代表、そして友人で前鎌倉市長だった、竹内謙・日本インターネット新聞社長だった。

 要は総選挙の300小選挙区の立候補者へ公開討論会に参加を呼びかけるものである。すでに193選挙区から受け入れるとの連絡があり、今後も参加は増えるだろうとの話だった。各社から質問があったが、初歩的なものとしてマニフェストがまだ決まらない現状を指摘していたが、そのマニフェスト採用に道を開いた北川氏は、やはり発表の遅れを酷評していた。各党が他党のマニフェストを参考にしようと様子を窺っている点をついて、今後は早めにマニフェストを発表すべきだと厳しく応えていた。マニフェストとは別問題だが、公示後に候補者がHPのHPを変更することは公職選挙法に抵触するとは知らなかった。

 これからはマニフェストをじっくり注目してみようと思う。

 竹内氏から「またこんなところに出没している」と冷やかされたが、「どこにも出没するよ」と応えておいた。開始前に彼と新聞社の最近の経営について話をしたが、コスト高が足を引っ張っている点で意見が一致した。給料カットは難しいらしい。

 鉄道作家の野村正樹氏から、先日の取材内容の件につき今朝メールで問い合わせたところ、夕方になってわざわざ電話があり、親切に回答していただいた。これで行き詰まっていた疑問が解消され原稿が仕上げられる。野村さんは親切だなぁ。

2009年7月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

799.2009年7月21日(火) 衆議院解散

 衆議院が解散された。数日前から噂に上がっていたが、政権発足以来のらりくらりしていた麻生首相も遂に腹を固めた。解散とは言っても9月に任期満了なので、ほとんど任期を全うしたようなものである。自民党が4年前の小泉郵政選挙で圧勝したおかげで、現在議席の過半数を自民党が占めているが、今度の選挙は極めて旗色が悪い。地方選挙で連戦連敗の挙句の衆議院選挙で民主党も波に乗っているだけに、今度は民主党が過半数を獲得するかどうかが総選挙の焦点である。投票日は8月30日と決まった。

 皆既日食が明日に迫り、一番見やすい悪石島、クルージングで海上から見る観光客、上海で見ようとする人、等々46年ぶりの皆既日食に国をあげての大フィーバーである。46年前の皆既日食を調べてみたら、1963年7月に北海道地方で見られたらしいが、まったく記憶にない。当時は、まだほかほかの新入社員として玉川学園前駅に勤務していたころのことで、昼間は先輩とたった2人で小さな駅の大忙しの駅務掛として動き回っていたか、或いは明け番となり解放されて前夜の睡眠不足を自宅で補っていたか、のどちらかでいずれにしろ皆既日食どころではなかった。

 気になるのは空模様で、どうも快晴は期待出来そうもない。少しでも雲が切れて半世紀に1度の皆既日食を楽しみにしている人々を失望させないで欲しいと祈らざるを得ない。時恰も西日本で豪雨が襲い、山口県防府市を中心に鉄砲水が流れ込み、老人ホームにも土砂が入り込み死者も出た。テレビ画面に映る崩れ落ちて凄惨な光景には言葉もない。

 妻はコーラス仲間と伊豆方面へ1泊旅行に出かけた。

2009年7月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

798.2009年7月20日(月) 新聞業界の落日

 今日は連休最後の祭日であるが、「海の記念日」であることはあまり知られていないようだ。ましてや雨でも降っていれば祭日が海とリンクしているなんて想像外だろう。

 それより今日をもって早くもアメリカのオバマ大統領は就任半年になる。若さと行動力が好感を与えて支持率は60%前後と人気は上々のようだが、アメリカ経済に一向に回復傾向が見えず、失業者も益々増え経済対策に少しずつ不満がわだかまってきている。

 そんな折NHKで「マネー資本主義」というドキュメント放映が、アメリカの金融工学について説明していたが、アメリカ政府の経済対策が充分功を奏していないことを厳しく突いていた。自由主義経済は法律に触れない限り、いかなる利益活動にも責任を負わなくてもよいという市場主義優先的な考えがある一方で、FRBが取った長期低金利政策によりバブルがもたらされた責任を負うべきだとする意見が対立している。それより意外だったのは金融界へ優秀な人材が流れた結果、数学、物理学の科学者まで金融部門へ流れていたそうだ。金にさえなれば何でも許されるというのは、科学学会にも共通しているのだろうか。

 経済不況のとばっちりを受け、近年新聞業界が低迷してきている。駒沢大学・岩崎宇雄講師の現代広告論でも、新聞とテレビ界の広告減少、経営不安について話があった。

 今年2月には、コロラド州デンバーで2ヶ月後に創立150年記念事業を控えていた‘ROCKY MOUNTAINS NEWS’が倒産した。同社は伝統あるメディアで、2000年のコロンバン高校銃乱射事件の報道や、2005年には「最後の敬礼」と称して、イラク戦争の最後の犠牲米兵士を報じた記事、2008年核施設の汚染を追求した「致命的な否定」ドキュメントでピューリッツァー賞を受賞した。それより驚くのは、創立の1859年4月23日号には日本の開国に関する記事が掲載されたそうである。最終号は創刊号と同じスタイルだったというのが泣かせる。デンバー市内には、ライバル社‘THE DENVER POST’もあったが、こちらは一足先に倒産している。倒産の原因はいずれもインターネットによる新聞ばなれであることは明確である。読者が減り、広告も減っていながら真剣に再生への対策が成されなかったことに忸怩たるものがあると思う。これでついにデンバー市内には地元新聞社がなくなった。今後この「インターネットが新聞を駆逐する」傾向は日本にも及んで来ることだろう。私にとっては、新聞のない日常なんてとても考えられないが、若い人たちが増えてくるとその傾向に拍車がかかるのだろうか。

2009年7月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

797.2009年7月19日(日) 旧社会主義国の深刻な失業問題

 このところ全国的に天候が荒れている。北海道トムラウシ山の遭難事件の際の悪天候を始め、今日は全国的に雨が降っていたようで、悪天候による水死者も出ている。そんな中で22日に46年ぶりの皆既日食が見られるというので、最良の観測点、トカラ列島の悪石島では今日早くもツアー客が上陸してきた。島民人口68人の島にツアー客だけで220人も押し寄せては、とてもインフラ整備が間に合わず、緊急の必要品を事前にツアー客に負担してもらう形で入島を認めるという異例の対応をした。飲料水が不足しているので、給水、食料手配、仮説シャワー設置、簡易トイレ設置、電源配備等、相当な準備がなされたようである。

 それにしても「悪石(アクセキ)島」とは、よくも名づけたものである。学生時代に南アルプス全山を縦走した折に、静岡県側の悪沢岳(3141m)を登頂したが、これは「ワルサワ」と呼称されている。名前が良くないのか、今では東岳と呼ばれることが多くなった。悪石島には、それなりに伝説や民話でもあるのだろうが、「良石島」とはならなかったのだろうか。

 今日入島したツアー客を島サイドで歓迎する小学校行事は、素朴だがTVで見る限りおもてなしの雰囲気が表れていて、ツアー客の評判も上々のようだった。皆既日食は僅か6分余のショーだが、天候に恵まれることを願う。46年前の記憶はほとんどないが、皆既日食といえば、むしろ1999年に皆既日食直後のトルコを訪れ、そこでM7のトルコ大地震に遭遇した印象の方がよほど強い。

 今日午後、NHK衛星1で東欧革命20周年を記念した「1989年から出発」を約4時間興味を持ったり、退屈しながら観た。4つのドキュメンタリーを50分ずつ見せてくれたが、1989年という社会主義が崩壊した時の東欧諸国の悩める内実を国ごとに紹介してくれた。

 4部作は「ポーランド大国支配からの脱出」「ルーマニア民主国家への苦闘」「ふたつの道・チェコとスロバキア」「旧東ドイツ・英雄都市」に分かれていて、それぞれに面白かった。押しなべて言えることは、ソ連の社会主義体制の強い締め付けによって民主化を押さえ込まれていた、東欧各国が自らの強固な意志と団結で体制派を打ち破り、ソ連の楔から抜け出た、社会主義体制の崩壊を時系列で映し出したが、新たな問題が表出して今日も社会問題化していることをドキュメントは描いていた。

 共通したその新たな問題とは他ならぬ失業問題である。ある中高年者のごときは、社会主義時代にはなかったことだと昔を懐かしんでいた。私自身あの時代にルーマニアにも、チェコスロバキアにも、そして英雄都市・東ドイツのライプチッヒをも訪れたことがあるだけに、何とも言えずもどかしく気の毒に思う。今や雇用問題と福祉問題、老人問題は想像も出来ないくらいゆるがせにできなくなった。どうしたら、国民がかつてより良い生活を送ることが出来るだろうか。人々が解決しなければならない永遠の課題だろうが、深く考えさせられた。

2009年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

796.2009年7月18日(金) ピラミッド建設にまつわる新説

 先日取材した野村正樹氏の原稿起こしをしているが、騒音が聞こえる忙しないロマンスカー内での会話のやりとりを正確に言葉として拾い上げることの難しさを思い知らされた。また、度々話題を変えたり、会話を途中で一時中止したこともあり、全体的な会話の流れという点でもまとめることは中々難しい。締め切りまで少し余裕を持ってもらっているが、正確性を期するために、改めて野村氏へ照会する必要があるかも知れない。

 NHK・BS「ピラミッド発掘」でピラミッド建設方法について、建築家の視点から最近になって内部トンネル説を公表したフランス人建築家・ジャン・ピエール・ウーダン氏の説を紹介していた。何せ4700年前の話である。

 ギザのピラミッドは、私自身世界文化遺産の中でも最も価値ある建造物であると考えている。最近の鎌倉と小金井の「世界遺産を訪ねて」講演でもギザのピラミッドを最も価値があり、最も好きな文化遺産として紹介した。今までは大きな石を外から傾斜路の上をロープで引き上げ、それを上で積み重ねていくものだとばかり理解していた。今日のTVはその常識を覆す新説である。TV画面を見ながら何となく納得したような気になったが、あれほど大きな石積みがウーダン説のようにそう上手くいくだろうか。しかもトンネル内をトロッコのようなものに60トンの石を乗せ、上から人力によって引き上げていた。公開しているピラミッドのトンネル内に2度ばかり入ったことがあるので、感覚的には理解出来るが、実際にこの内部を数多くの大きな石をトロッコで引き上げるには相当のエネルギーを要したことだろう。

 6月にインタビューしたドイツ証券副会長・武者陵司氏から、古代エジプトのピラミッド建設目標とメリットを伺ったが、雇用の創出であり、拡大であると仰っていた。武者氏は現代でも雇用創出のために現代ピラミッドの建設の必要性を力説しておられた。このピラミッド解明プロジェクトでも、当時近くに労働者たちが集って住んでいたことをCGが写し出していた。

 CGにより分かり易く説明してくれたので、理解し易く中々興味深い力作番組だった。フランスでは国民的話題を呼んでいるらしい。

 ところで、ベトナム戦争中毎日のようにCBSキャスターとして、TVで独特な語り口と鋭い観察眼で個性的な存在感を示していたウォルター・クロンカイト氏が亡くなった。92歳だった。昨年亡くなられたTBSの筑紫哲也氏が、番組「ニュース23」の最後にいつも「では、今日はこんなところです」と言ってフェードアウトしていたが、これはクロンカイト氏の最後の言葉‘That’s the way it is.’の受け売りだったとはまったく気がつかなかった。

2009年7月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

795.2009年7月17日(金) 北海道で中高年登山者が大量遭難死

 駒沢大学春季公開講座は今日が最終日である。大学はすでに夏休みに入っている。そのため元々出席者が少なかった現役駒大聴講生は誰も出席しなかった。柴野京子講師は、出版周辺の現状について今日まで話を続けられたが、秋には他の講師と交代するということで最後の講義になった。普段あまり意識しないテーマについて出版界内部から現状をじっくり説明された。今日のテーマも「書棚と平台」という珍しい内容だった。今日までの講義で、とりわけわが国の出版業界における岩波書店の大きい存在感が印象に残った。

 さて、北海道大雪山系のトムラウシ山(2141m)周辺を登山中のツアー参加者の中高年者が遭難して、近くで亡くなった別の登山者を合わせ計10人が亡くなった。強風雨による天候悪化で体力を消耗し、バタバタと倒れたらしい。ツアーで全国から参加した人たちは、その死者の出身地をみても広島、岡山、愛知、静岡からの参加者で、普段はお互いに知らない人たちが、まちまちに北海道の山登りのために集まってきた。

 これは東京のアミューズトラベルという旅行会社が主催したもので、以前からかなり登山ツアーを企画、販売していたようだ。根本的な原因は今後明らかにされるだろうが、天候判断を誤ったとか、引き返す決断がなかったとか、今にして思えば反省点はたくさんあるだろう。 

 しかし、遭難原因以前の疑問点として、お互いに知らない者同士が一緒にパーティを組んで登山することに問題はなかったかどうか。トムラウシは作家・深田久弥が「日本百名山」の中で「威厳があって、超俗のおもむきがある。あれに登らねばならぬ」と畏敬の気持ちを抱いた名山である。日帰りのハイキングならともかく、北海道最高峰の残雪の大雪山山中の山小屋に2泊もするというハードスケジュールである。よほどチームワークがないと他人のことまで気が廻らないだろう。遭難した人も数箇所に分れて亡くなっている。普通ならパーティから離れること自体がおかしい。普段から一緒に行動を共にしているパーティなら、絶対取らない行動である。厳しいことを言うようだが、1人ひとりがバラバラでお互いを助け合う気持ちがなかったようだ。登山は気持ちが通じる仲間とともに登ってこそ、頼りになり楽しい思い出となる。

 登山ブーム、特に高齢者登山ブームといわれているが、実際には高齢者の登山による遭難者の数は年々増えている。この辺りで浮かれることなく、高齢者登山について真正面から問題点を探し出し、真剣に検証する必要があるのではないだろうか。

2009年7月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

794.2009 年7月16日(木) 暑い中を日本ペンクラブ例会に出席

 中国の外貨準備高が2兆ドルを超えたそうだ。日本円にしてざっと200兆円である。あれよあれよと言う間の貯蓄ぶりにはただ唖然とするばかりである。ドル備蓄は人口が多く経済的な奥行きの深さが寄与しているのだろう。4月~6月のGDPの伸び率は7.9%と回復基調に向かった。その他の先進経済諸国が軒並み停滞しているのに引き換え、中国の立ち直りは他国に対して無言のプレッシャーである。中国は2006年2月に日本を抜いて世界一のドル保有国になった。今や日本の2倍超に達したうえに、アメリカ国債の保有額も日本を上回り世界一になった。あまり国際社会から評判の良くない低い人民元相場を保つために、人民元売りとドル買いの市場介入を続けた結果、ドルが積み上がったという側面もある。これらのドルを背負って、これから中国はサミットや、国際協議の場、国際金融市場で一段と存在感を強めそうである。

 直近の日本人平均寿命が発表された。男79.29歳、女86.05歳だそうである。寿命が延びること自体は、慶賀すべき事柄である。誰しも長生きして人生をもっと楽しみたいというのは究極の願いである。にも拘わらず、現実はそう単純に喜ぶべき状況にはない。テレビで街中のインタビューを見ていても、健康なら良い、年金で生活が保証されるなら歓迎とか、全面的にWELCOMEというわけではない。それにしても男の平均寿命が80歳となると、健康、生活費のほかに、生きがいがなくては楽しい人生というわけにはいかない。高齢者医療、年金問題がつまずいている中で、不安は益々募るばかりである。今のままだとやはり個人で身を守るしかないのではないか。このことは突き詰めれば、厚労省職員は必要ないということになる。彼らにかかる諸々の経費分を税金から差し引いてもらいたいものである。

 いつも通り日本ペンクラブ例会が東京會舘で開かれた。昨日開高健についてお話をしてくれた事務局長・吉澤一成氏に挨拶したところ、昨日開高について話をしたことは、すでに吉澤氏の浦和高校先輩の轡田隆史さんから聴いたそうである。何のことはない轡田さんには私が話した。もう1人、常務理事で国際関係担当の堀武昭氏は慶応同期生雑誌「慶38・39」の冒頭に「この頃になって考えること―戦争と平和」なる文章を書いてくれた。堀さんは慶応の1年後輩である。その点を話したところ、飯田ゼミに関する拙稿もよくご存知だった。海外出張も多いので、山崎洋さんとも面識があるとの話だった。ベオグラードで山崎さんにお会いしたとのことだったので、山崎さんが次回来日の際に一緒に会おうということになった。須藤甚一郎さんが新入会員のひとりとして壇上で紹介されたが、流石にかつて芸能レポーターとして活躍していただけあって多くの会員がご存知のようで引っ張りだこだった。

 瀧澤洋子さんの旦那さんも新入会員として紹介されていた。中川五郎さんに昨日の会合に長老山中さんが脳梗塞で来られなかったとお話したところ、驚いておられた。西山貢さんから2次会に誘われたが、他に相棒がいなくて止めた。名古屋へ出張中の小中陽太郎さんはご欠席だったが、今日は北岡忠義さん、野村正樹さん、穂高健一さんもお見えではなかった。暑いせいだろうか、今日は国際ペンのゲストが多く出席された一方で、日本ペンの出席者はやや少なかったようだった。

2009年7月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

793.2009年7月15日(水) 開高健の思い出話を聞く。

 4月以来の「酒のペンクラブ」例会出席である。浅草の「鍋茶屋」は私にとって初めての会場だったが、中々料理も良く気に入った。この次の飯田ゼミの会合に使えそうなので、その旨女将に話をしておいた。

 今日はいつものメンバーの中で会長格の長老山中さんが来られなかったのが、些か寂しかった。脳梗塞で体調が悪いとのことだった。お人柄も良く存在感もあった方なので、やはり柱が欠けたような寂しい気分である。1日も早いご回復をお祈りしたい。

 初めて参加された方の中に、須藤甚一郎さんと北岡和義さんがおられた。冒頭に日本ペンクラブ事務局長・吉澤一成氏が「開高健と酒」と題して30分ばかりお話をされた。現在茅ヶ崎にある開高健記念館の館長職を務められ、生前は特別に親しい関係だっただけにエピソードを交え、他人が窺い知ることが出来ないような話をされた。最近アラスカへ仲間と釣りにもでかけ、生前開高が面倒をみたネイティブとともに大きな鮭を釣り上げたことを話された。他にもベトナム戦争に関わった開高についても分かり易く説明された。

 お開きになってから、小中陽太郎さんと須藤さん、北岡さんと近くの飲み屋の2次会へ流れた。小中さんが北岡さんをもっとテレビ局へ売り込んで出演してもらおうと言い出された。皆さんそれぞれに個性派で、話を聞いていても中々面白い。

 小田実さんが亡くなられて間もなく3回忌を迎える。べ平連のこと、小田さんのこと、外務省外交機密文書漏洩事件のこと、西山太吉記者のこと、話は止め処もない。結局今の政治家の世襲制による劣化現象と役人の横暴に話が行き着いた。

 今の状態に誰も満足しているわけではない。愚痴になるが、なぜか倦怠感が感じられてならない。

 渋谷・紀伊国屋書店でNATIONAL GEOGRAPHIC社の「世界を変えた100日」という分厚な書を購入する。過去150年間における歴史的事件となった瞬間を捉えた100のストーリーを紹介したものである。100の中でも、私自身が影響を受けたり、現場に近いところで聞いたニュースがいくつかある。ベトナム戦争終結、第3次中東戦争、ソ連軍のプラハ侵攻、ダイアナ妃の死、9.11テロ事件、イラク戦争勃発、等々は思い込みもあるが、自分にとっても大きな影響を受けた。今後はもう個人的にこういうことはまずなくなると思うが、若かりしころの些かはみ出た行動がノスタルジアのように懐かしい。

2009年7月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com