一昨日から冬山で遭難騒ぎが連続している。もう7人全員が遭難だろうと悲観的に見られていた広島のケースは、今日になって全員無事だったことが確認された。まずは、ほっとしたところだが、全員が厳しい冬山の気象を舐めていたことは明らかで、相当きついお灸をすえる必要がありそうだ。だが、2日間雪山を食料なし、装備不十分、避難箇所なしで彷徨えば、まず遭難するだろうと考えるのが普通である。幸い彼らが助かったのは、山中にある廃屋に避難したおかげだった。しかし、マス・メディアはそんな決定的なアイテムを見逃していた。調べれば分かりそうなものを、廃屋の存在すら知らなかったのか報道していなかった。マス・メディアの調査力もこんな程度でお粗末に過ぎる。
ところが、この遭難騒ぎより程度の低い事故があった。愛知大学生の体育実習で二人の女子学生が雪崩により栂池スキー場で遭難死したことである。大学当局もあまり深刻に捉えている様子が見えないが、非常任講師の引率者が禁止された地域へ、禁止を承知のうえで無謀にも入って行ったというのだから呆れた。地元の人たちもこの「掟破り」には一部では憤慨し、とても理解できないようだ。これが大学の授業の一環だというのだから、いまの大学というのは何を教えているのだろうか。授業以前にルールとか法の精神を教えた方がよい。学生のレベルも相当落ちているが、教授や講師陣の思考停止ぶりも似たり寄ったりだ。
この愛知大学というのは、冬山遭難に関しては前科がある。私が学生時代の昭和38年1月、北アルプス・薬師岳で同大山岳部パーティ13名が集団遭難して世間を騒がせたことがある。頂上付近の太郎小屋に避難しているのではないかと、生存に一縷の望みを賭けていたが、捜索隊が辿り着いた時、小屋には誰もいなかった。朝日新聞社・藤木高嶺カメラマンが「太郎小屋には誰もいなかった」というノンフィクション小説を出版した。当時も大騒ぎだったが、いままた半世紀ぶりに大学の悪しき体質を露呈した。同じ過ちを繰り返すというのは、自分たちの行為を反省していないことと、ルールを犯しても他人の目にさえ触れなければかまわないと考える体質が学内に巣食っているからである。こういう体質を「救いようがない」という。
この愛知大学というのは、戦前上海にあった東亜同文書院の流れと伝統を継承する大学で、中国関係ではなかなか良い資料を保管している点で一目置かれていた名門校だった。さぞや先駆者や大先輩はがっかりしていることだろう。
それにしても今冬、性懲りもなく同じような無反省な事故が他の大学でも起きなければ良いが・・・。