ふるさとテレビの顧問を対象に、第1回セミナーが開催されると連絡をもらった時は偶々チベット旅行中だったが、すぐにチベットからメールで連絡し出席するつもりだった。ゲストスピーカーは軽妙なトークで人気の塩川正十郎元財務相である。実は塩川氏は挨拶されなかったが、昨夕の構想日本にも出席されていた。かつて文部大臣を務めておられたころ、大臣室でお会いしたことがある。
塩川氏の話を楽しみにしていたが、今朝起きたら喉が痛く食べ物を呑み込むと違和感があるので、事務局へキャンセルの連絡をしてかかりつけの森医院で診てもらった。大したことはないとのことで3日分の薬をもらって、血圧も診てもらった。血圧は大分安定してきたが、ここ数日外出し酒が入っただけで、簡単に風邪らしいものにとりつかれるとはいささか情ない。
昨日から作家・椎名誠へのインタビュー記事「人生の贈りもの」が朝日夕刊に連載されている。ところどころに思い当たることがあって興味深い。椎名家は私たちと同じころ千葉・幕張へ引っ越してきて、兄の研二くんが同じクラスに編入した。とはいっても研二くんの方が若干早かったので、彼の方が席順は前だった。野球好きで何となく家庭環境が似ているせいもあり親しくなった。
3年前のペンクラブ総会で誠さんと幕張について懐かしい話になり、共通の話題に笑ったものだ。あの当時度々椎名くんの家に遊びに行ったが、確かに彼の家にチビがいた。考えてみるとそのチビか椎名誠だったことになる。6歳年下である。誠さんも随分有名人になって、いまや売れっ子作家になった。研二くんは、26日のクラス会にも来なかった。以前はよく出席したのにどういうわけか最近はほとんど顔を見せない。60年前は私立ブームのはしりで、家庭的に余裕があれば誰も彼もが幕張小学校を卒業すると地元の幕張中学校(遠くて電車でなければ通学出来なかった)を敬遠して、私立中へ進学するのが流行りだった。クラスから市川学園へ進学したのが自分を含めて4人いた。研二くんは、どういうわけか千葉の先の四街道にある聖書農学園中学へ進学した。その後中央大学へ進み、今ではアパートを持って割合気楽な生活を送っているようだ。弟があれだけ世界中を旅行して冒険作家として名を売っているのに、兄は飛行機がまるきしダメだと言って遠方へは旅行しないと面白いことを言っていた。みんな懐かしい連中だが、もうあまり会うこともないのが寂しい。「人生の贈りもの」の続きを楽しみにしている。