447.2008年8月3日(日) 「源氏物語」国際フォーラム

 ある国際フォーラムが、10月から11月にかけて東京と京都で開かれる。内外17カ国から41人が参加して研究成果を発表する。国際会議であるにも関わらず、公用語は日本語というのも珍しい。種を明かせば何のことはない。源氏物語の文化史的意義を探るフォーラムである。最近幻の写本が発見されてとかく話題が一杯の源氏物語の魅力的なところである。最近著名な学者の話を聞いていると、文学のテーマでないにも関わらず不意に源氏物語の話題に触れることが多くなったと感じる。世界最初の女性文学にして、しかも質が高く、千年前にこんな恋愛秘話が日本の慎み深い宮廷女性によって著されていたということもそもそも話題を呼ぶ理由のひとつだろう。

 源氏物語は、英語訳はもちろんであるが、仏、ロ、蘭、伊語訳も出ていて、参加者も非英語圏から多いという。どのくらいマス・メディアが採り上げてくれるか分らないが、今秋このフォーラムを注目してみたい。

 やっと「知的生産の技術研究会」八木哲郎会長と連絡がとれた。今月末に初めて岩手県の気仙広域連合の図解講師を担当することになっているが、まだ講義内容の打ち合わせをしていない。中でも、私にとって初めて講義する「合意術」を、2日間の中の半日を充てることになる。テキストの内容についても話し合っていないので、明日から福島県研修を終えて翌7日にじっくり話し合いすることになった。

 その前に福島県の今年2回目の職員研修が5日、6日の2日間行われる。福島県の研修講師は今回が10回目になるが、自分自身としても毎回味付けをして受講者により分りやすく仕事面で役立つ講義をしたいものだと思う。

 さて、北京五輪開幕がいよいよ目前に迫ってきた。日本式に言うと縁起を担いで「末広がり」を意味する数字「8」にあやかり、開会式も8月8日8時8分にスタートする。北京市内は熱気が溢れ大騒ぎである。テロ警戒も厳しいようだ。報道が過熱しているように感じていたが、これでも中国政府がかなり規制を加えているらしい。中国社会の光と影の部分が報道されているが、影の部分では大分強引な「臭い物に蓋」式隠蔽がなされているらしい。最近の中国の経済発展が目覚しいことは誰しも疑わないところだが、いろいろ現象面で不愉快に感じるようなことがしばしば報道される。どうしてこうも自己主張が激しく、些細なことに大きな声でガーガー騒ぎ立てるのだろうか。これも中国の愛国主義と愛国心の発露だろうか。尤も最近の日本の若者も似たような点がある。かつての静かだった中国の人々が懐かしい。

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446.2008年8月2日(土) 内臓は問題ないのだが・・・。

 森内科医院でもう一度胆嚢に異常がないかどうか確認してもらうよう、月曜日に松本整形医に言われたので、森先生に昨日もう一度処方を仰いでみた。結局今日エコー(超短波)をやってみましょうということになり、エコー診察を受けた。

 結論から言えば、超短波検査結果では100%ではないにしてもまず内蔵は問題ないということになった。肝臓、胆嚢、膵臓、脾臓、腎臓等の内臓器官を一通り調べた結果、問題ないだろうということになり、相変わらずなぜ炎症度合いを示すCRPが下がらないのだろうと首を傾げながら、今日の結果をまた松本整形医院に伝えることになる。

 昨日福田首相は内閣改造を行ったが、これがどうもあまり評判が良くない。人気浮揚策と総選挙対策として改造したのだが、目玉やサプライズがなく改革という言葉が、小泉首相のいう「構造改革」と裏腹だったり、今ひとつ軌道に乗らない感じである。しかし、最後のチャンスが近づいている麻生太郎氏を約束がらみで幹事長に就ける、捨て身の目玉もあった。

 さて、驚いたことに、7月のアメリカ市場で日本車のシェアが初めてアメリカ車のそれを上回った。年々アメ車と日本車の差が狭まってきてはいたが、実際にこんな逆転現象になるとはかつて想像もしていなかった。戦後数年間に見たアメリカ車の豪華さは、戦時中から続く日本の惨めな戦後生活とは遥かにかけ離れたものだった。初めて見たアメリカ車の豪華さには、目を丸くしたものだった。小学生のころには、アメリカ車の名前を覚えるのが流行ったこともあった。それが安保闘争ころから日本の自動車産業のアメリカ進出が、日本の戦後経済の復興とともに大きくクローズアップされてきた。アメリカお訪問する度に日本車が目立つようになり、ホンダが良いというアメリカ人もいたくらいである。

 アメリカ車ビッグ3のシェアは、42.7%と過去最低に落ち込み、日本車8社合計43.0%と僅かの差だったが、それでも日本車がトップに立った。だが、問題はこれからだと思う。アメリカ車が本気になって、日本車を目の仇にし始めたら今後の展開は予断を許さない。かつて、日本車が進出してアメリカ自動車業界が大打撃を受けたころ、アメリカの自動車産業労働者が日本車を打ち壊している写真を何度も見ている。アメリカ人は常に自分たちが№1だと思っている。それまでは支援の手を差し伸べても自分たちが天下を取られたら、急に態度を改め相手に報復することがある。実際には、アメリカ経済全般の景気が下降して、シェアは増えたが販売実績は日本車も下がっている。問題は日本車販売にとってもこれから正念場だが、アメリカ人のプライドに傷をつけないように、アメリカ経済とうまく調和をとり、日本車のシェアを維持していくという点を考えていかなければならない。難しい舵取りを迫られている。とにかく、根っこに複雑な事情があることは忘れない方がいい。

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445.2008年8月1日(金) 福田首相内閣改造を断行

 六本木にある国立新美術館に初めて行ってみた。岡村進さんの奥さま、岡村桂鳳さんが毎日新聞社主催の毎日書道展に作品を出品されておられ、招待券をいただいたからである。書道展は流石に最高級の書ばかりなので、とても足元にも及ばない傑作ばかりで、かなり力強い揮毫を揮った作品もある。甲乙つけがたい多くの作品の中に、「RO」「念」「阿」のような文字を筆にした作品があった。素人が論評するのは口幅ったいが、まるで一枚の絵に見えた。確かに、考え抜いて時間をかけて仕上げたのだろうが、抽象画のように思えた。こういう作品も書というのだろうか。文化作品というものは、レベルが上がれば上がるほど唸るようなものと、さっぱり分らないものに二極分解するように思えるが、うがった見方だろうか。

 国立新美術館は、建物自体が斬新で内部は分りやすい構造になっていた。ロビーはガラスで吹き抜け構造になり、今流行りの外観が格好いいデザインだと思う。これが、一時東大の研究所に使用されていたようだが、その前は帝国陸軍第1師団の建物があったところだという。

 それにしてもレベルの高い書道展と新しい六本木の建物を見られたのは、まあ良かった。

 今日福田内閣初めての内閣改造が発表された。今のどん詰まり政府が、人気底上げを狙って打った博打のようなものだ。WTOで何の存在感も示せなかった甘利明・経済産業大臣と若林正俊・農業水産大臣は予想通りお払い箱となった。内閣閣僚の平均年齢も2歳上がったそうで、何の目玉も期待もできない内閣改造となった。

 それにペースを合わせるかのように、厚労省が日本人の平均寿命を発表した。男が79.19歳で世界3位、女が85.99歳で世界1位だった。65歳以上の人は全人口の21.57%、75歳以上が10.04%で後期高齢者が1割を超えることになる。一方で15歳以下のこどもの割合が全人口のうち、13.62%というのだから、少子高齢化現象は明らかで、今後日本社会にいろいろな形で負担が浸透してくる。その最たるものが医者不足であり、医療費の増大であり、年金問題である。この厚労省のトップが変わらなかったことは良かった。こんな火事場で代えられたのではたまらない。この点だけは、一安心したところである。

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444.2008年7月31日(木) 好漢・瀬下正幸さん逝く。

 毎日暑い日が続いているが、これに加えて最近は天候の急変がよくある。突然風雨が強くなったり、それが竜巻になったり、雷雨になったり、とにかく昔はこんなに戸惑わせるようなはた迷惑な気象はなかったような気がする。

 今日相武台で瀬下正幸さんの葬儀があり参列した。ご子息からメールでご連絡をいただいたものだが、父親とのご交誼をよく憶えていてくれて、わざわざ最後のお別れに立ち会わせてもらえた。葬儀前にご挨拶をしたが、案の定「癌」で亡くなられたとのお話だった。今年の年賀状に元気な言葉が書き連ねられていたが、奥様と2人のお孫さんと一緒に写っている写真を見て随分痩せたなと感じた。そのとき失礼ながら、「癌」に蝕まれているのではないかと秘かに心配していた。あまり詳しいことはお聞きできなかったが、瀬下さんなら思い切りのよい、悔いのない生涯を送られたのではないかと思っている。

 そもそも瀬下さんと親しくなったのは、昭和44年夏の最初のツアー添乗のときだった。今では考えられないような北海道一周の大型ツアー・シリーズだった。なにしろ東北自動車道開通前で、新宿からバス5台を連ねて国道4号線を北上し、下北半島の大間からフェリーで函館へ渡り、北海道を一周して、同じ道を新宿まで帰る1週間の旅だった。思い出が沢山詰まったツアーとなった。私の担当バスには作詩家の内村直也さんがご友人とともに参加され、北海道へ渡ってから気を利かせたガイドさんが、内村さんの作詩された「雪の降る町」を何度も何度も歌ってくれたことが昨日のことのように思い出されてくる。このツアーを起点にプロ添乗員としてのスタートを切った。瀬下さんに多くのことを教えてもらい指導してもらった。元気の良さ、行動力、お客さま・運転士・ガイドへの気配り、ツアー回し等、その後の添乗員実務で随分参考になった。その意味では瀬下さんに教えてもらった、添乗員としての心構えが旅行業稼業の原点になったとも言える。

 瀬下さんの添乗員としての存在感の大きさは、ずば抜けていた。少々普通の人とは違うなと感じたのが、小さな身体で元気よく1号車から5号車の間を、大きな声で叫びながら行ったり来たり走り回り、全体をまとめていた傑出した行動力が印象的である。

 ああいうタイプの人は今やあまりいないのではないか。海外旅行の添乗としては、疑問もあるかもしれないが、心がお客さまに届くような添乗員ぶりだった。もう一度ゆっくりお話ししたかった。いつまでも忘れない人である。最後のお別れをしたときのお顔は、実に安らかだった。心よりご冥福をお祈り致したい。     合掌

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443.2008年7月30日(水) イチロー3,000本安打、WTOは決裂

 やった! マリナーズのイチロー選手が日米野球界で積み重ねたヒット数が、今日遂に大台3,000本に達した。どうあろうと素晴らしい記録であることに間違いなく、アメリカのファンも祝福し、イチロー選手の栄誉を称えている。

 イチローは並みの選手とは違って別格官幣大社の天才である。日本人野手最初のメジャーリーガーで、日本で7年連続首位打者を獲得していたが、入団前はシアトルでそれほど期待されていたわけではなかった。怪我さえなければ、2割7~8分は打てるのではないか、程度のものだった。しかし、入団1年目から大活躍で、新人王とリーグMVPを獲得してアメリカ人ファンをあっと言わせた。

 では、日米を通じて一番ヒットを打った選手は誰かというと、ピート・ローズ(元フィリーズ、レッズほか)選手で計4,256本を打った。

 文部省教員海外派遣団の添乗員として、1980年9月にフィラデルフィアを訪れたとき、自由時間内に何人かの先生とともに、当時地元のフィリーズの有名なローズ選手を観に行った。そのころのローズは、特技のヘッドスライディングをセールスポイントにして人気があった。ローズ選手が塁上に出ると、周囲のファンが「ピー、ピー、ピー・・・」と叫ぶ大歓声が耳に煩かったのが、強く印象に残っている。その後ローズ選手は脱税とか、覚せい剤とかで社会的制裁を受け、名声も地に堕ちた。晩節を汚した格好になった。イチロー選手がこんな末路を辿ることはあるまいが、「好事魔多し」と言われるように油断と傲慢が忍び寄ることがないとは言えず、好漢なお一層の自重を望むこと切なるものがある。

 さて、ジュネーブで開かれていた世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉は決裂した。前日までは何とか合意しそうな流れだったが、土壇場でインドとアメリカの対立が極度にこじれ、交渉決裂という最悪の結果になった。

 究極の目標は世界の貿易の壁を取り払い、各国が自由に制限なしに取引をしようとの理念を実現することである。しかし、地球温暖化の二酸化炭素排出削減の駆け引きでも見られる通り、どうしても先進国と発展途上国との間には、考え方において大きな落差がある。インドの代表がアメリカは自国の農業利益のために奔走しているが、インドは国内農家を守らなければいけない現状であると主張している。ある程度話がつきそうな空気だったが、そうは問屋が卸さなかった。今回のドーハ・ラウンドでは、途上国を対象にした農産物輸入急増への「特別緊急輸入制限(セーフガード)措置」が議論された。インドに中国が後押しして、アメリカを孤立させ、日米欧が受け入れを考えていたWTO事務局長の裁定案を蹴ってしまった。7年間も揉んで揉んで漸く決着と考えていた事務局長は、怒り心頭である。これからアメリカ大統領が交代することから、具体的な目標を以て会議の再開は難しく、当分途上国は高い関税をかけ、いささか世界貿易の発展にブレーキをかけることになる。日本は事務局長裁定案に、失うものが多いが世界の流れから止むを得ず同調の考えだった。農業分野ではマイナス、工業分野ではプラスのスタンスだった。これが流れ、農家は喜んでいるが、一時的なもので、世界の目は日本農業に厳しい。日本農業の復活を今後どう考えるのか。暢気な父さん、若林正俊農水相にポジティブなアイディアや秘策ありや?

 いかに超大国といえども、すさまじい勢いで発展してくる途上国を今や無視できず、かといって話がまとめられる可能性も高いわけではない。これから、世界の舞台で交渉する場合、よほどの知識、理論、哲学、交渉力がないとタフな交渉で筋を通して言い分を説得することはできないのではないか。難しい時代になったものである。

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442.2008年7月29日(火) 徐々に崩壊する日本社会の秩序

 明日30日は、小田実さんの一周忌である。早いものだ。今朝未明NHKのTV番組「小田実・遺す言葉」がリバイバル放映された。1時間半の番組だが、また最後まで観てしまった。昨年放映されたばかりなので、まだ生々しい記憶として頭の中に残っている。番組の冒頭8月4日告別式後の追悼デモ行進が写った。よく見てみたが、私自身はその画面に登場しなかった。朝日新聞社会面に掲載された私が写っている写真は、行進の中で前へ出てきたデモ後半のものなのだろう。

 小田さんについては、一周忌が過ぎて小田さんを知る人から小田さんを取り上げた書物がかなり書かれるようだ。誰がどんなものを書かれるのか、楽しみに待ちたいと思う。

 高校時代の同級生・呉忠士くんと自由が丘で昼食をともにした。彼はブラジルに11年間も駐在して、三井アルミニウムのブラジルにおけるアルミ事業のレール敷設のために頑張っていたようだ。ブラジル時代の話をいろいろ聞いたが、意外だったのはバブル当時の日本人のマナーは酷かったと感じたそうだ。それは本来日本人が持っているはずのエチケットを一時的に忘れているのではないかと、乗り物内の日本人の行動を見て思ったそうだ。われわれ日本国内に住んでいると気がつかない。また、日本人の他人を気遣う思いやりが、ブラジル人に比べてもとても足りないと感じた。特に、交差点で信号待ちの老人が横断するときに、誰も支えてあげようとする若い人を見ないことは、ブラジルだったら考えられないとも言っていた。

 今やバブルを引き摺ったまま世の中が殺伐として、他人にお構いなし、傍若無人、他人迷惑などが当たり前のようになっている。もうどうにもならないと諦めの空気さえある。しかし、現実に突然何の縁も所縁もない他人からナイフを突きつけられる可能性がないわけではない。ならば、やはり対策を講じて、できるだけ未然にに悲惨な事件を防ぐように考えなければならない。

 昨日JR平塚駅構内で、わめきながらナイフを振り回し、男性7人を怪我させた女性が捕まったと思ったら、今日は愛知県内の中学校内に卒業生がナイフを持って押しかけ、元担任教師を刺して重傷を負わせたという殺伐とした社会になってきた。連鎖反応であるかも知れないが、日本の社会としてどうすれば、こういう事件を防止することができるのかを、そろそろ国を挙げて、真剣に考えるべきときが来ているのではないだろうか。

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441.2008年7月28日(月) 明るい笑顔のベトナムの子どもたち

 NHK・月曜日のゴールデンアワーの定番「鶴瓶の家族に乾杯」を毎回楽しみにしている。今日は久しぶりの海外取材でベトナムのホイアンだった。ベトナムはベトナム戦争中に当時の首都サイゴン(現ホー・チ・ミン)を訪れてから、戦後33年ぶりに再びホー・チ・ミンを訪れたが、戦争中はいつ砲弾が飛んでくるか分らない状態でてんやわんやだったので、落ち着いた市民の姿というものにはお目にかかれなかった。今日元横綱・大乃国(現芝田山親方)とともに訪れたホイアンは、世界文化遺産の町で古い町並みが心を落ち着かせてくれる。

 それより何より、一番印象的だったのは、人々の笑顔である。とりわけ子どもの笑顔が素敵だ。どうしてこうも明るい笑顔がいとも簡単に出てくるのだろう。ベトナムに限らず、発展途上国の人々、特に子どもたちの笑顔は無邪気で素朴、加えて簡単に顔に出てくることである。屈託がないというか、いつもニコニコしてじっと見ている。人懐こいこともある。

 ところで日本の子どもたちはどうだろう? 日本の子どもだって笑顔を見せてくれる。しかし、やはりどこか違うような気がするのである。先入観があるかもしれない。特筆したいのは、アジアやアラブの子どもたちたちは、見知らぬ人に対しても全員が同じように屈託なく笑顔を見せてくれることである。日本の子どもたちは、見知らぬ人に対する警戒心が働くのか、全員が笑顔を見せるということはあまりないと思う。全員がニコニコするのと、半分がニコニコするのでは見た印象がまったく違う。アジアやアラブの子どもたちを見ると人懐こくみんな笑顔が素敵だと感じるのは、こういう点だと思うのだが、どうだろうか?

 今晩の特別番組はベトナム人の素朴な心温まる人柄を引き出してくれたと思う。また、いつかベトナムへ行ってみようと思う。

 TV朝日の「報道ステーション」で、最近のチベットの様子を特派員が10数分にわたって伝えていたが、ラサ市内は武装警官、軍隊、監視カメラによって完全に自由を規制している。加えて、特派員に私服監視員が附いているのでは真実が伝えられるわけがない。インタビューしたおばあさんも監視員を見ながら、遠慮しがちに応えてくれていた。特派員が語ってくれた現状の中で、ラサの人々に笑顔がなくなったことと、僧侶の姿が目につかなくなったことが異常に感じられたということが印象に残っている。あの素朴だったチベットの人々からも笑顔が消えつつあるのだ。

 今日は、気象でも驚くような現象があった。関西と北陸地方に鉄砲水のような豪雨が降り、河川で犠牲者が出た。今年の特徴は、雲が細長く局地的に大雨をもたらすということになるようだ。特に、神戸市の都賀川と金沢市の浅野川が鉄砲水のような濁流がどっと溢れ、まるで氾濫に近い状態だった。東京には、いまのところ大きな自然災害は襲ってこないが、いつやってこないとも限らない。やってくるのは、避けられない。肝心なのは、災害に襲われたときにどう対応するかということだ。さぁ自分にできるかなぁ。

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440.2008年7月27日(日) どうして危ない若者が多いのか?

 小中学校の夏休みが短縮傾向にあるという。理由は授業数を増やすためだそうだ。普段から塾通いの子どもたちは、夏休みを削られ勉強、補習づけでストレスも溜るのではないだろうか。われわれのように、小中学校のころはほとんど勉強らしいことをやったことがなかった世代からすると、正に隔世の感がする。勉強し過ぎた子は、それは知識が身についてもちろん結構ではあるが、戸外での遊び方を忘れ、友だちとのコミュニケーションを忘れ、親から大事にされ、限られた時間の中でちまちまとゲームに勤しみ、目を悪くして人間らしい会話を忘れる。こういう子どもが成長していくと、いま流行のように冷めた無機質の若者になる。そして、彼らの何人かが無差別殺人予備軍入りする。

 最近残酷な殺人鬼が生まれる背景とか、その理由について多くの精神医科学者ら専門家がコメントを述べているが、これといって具体的な予防対策を耳にしたことがない。偏見になるかも知れないが、社会全体で駄目なことは駄目だということをことあるごとに周囲が教えてやることが、不気味な殺人鬼を産まないことになる。もちろんそのためには山積する社会問題を少しでも解決していかなければいけないが、現状は善悪の判断、他人への迷惑を考えないまま大人になるために、自分の稚拙な善悪の判断力が他にも大きな影響を及ぼしている。他人のことはどうでもいいという手前勝手な考えは、自分の思い通りにやるということで、心理的に悪魔のささやきがあると、一気に人殺しでも何でもやってしまうということになる。

 例えば、公共の場である電車内の若い人のお行儀の悪さは、もう行き着くところまで行ってしまったという感じがする。まったくお手上げである。個人的に注意すると今どきの若者にはすぐ逆上され、暴行され殺されかねないので、別の機関、例えば鉄道会社が注意する。社会の協力が必要なのである。電車内のエチケットには、車内放送で何度もアナウンスする。そして、シルバーシート脇に「このシートは65歳以下の人はご遠慮ください」と具体的に書く。若い人が何の躊躇もなくシルバーシートに一目散というのは、思いやりがないことと、シルバーシートの目的がまったく分っていないからだ。彼らに誰も教えないからであり、一方で彼らにはその理解力もないからである。言い出したらきりがないくらい、危ない症候群の若者は危険がいっぱいだ。社会全体で総合的に危ない若者を押さえつける方法を具体的に徹底して考えないと、これからも似たような事件は頻発し、悲しむ人が増えるだけだ。

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439.2008年7月26日(土) 新町さんから推薦文辞退のお申し出

 あ~参った。銀座の「ライオン」でゼミの仲間と暑気払いをやって楽しい気分で帰ってきたところ、次の拙著の推薦文をお願いした新町光示さんから電話があり、できれば辞退したいとの申し出だった。がっくりだ。新町さんのお気持ちは理解できないことはない。JATA会長を先月辞められたので、前会長としてJATAの名を使用することにひっかかるということだった。個人的には約束したことであるし、推薦文を書いてあげたい気は充分だが、会長を辞めたので、どうしても前職をタイトルとして使用することに拘りがあると仰っていた。あまり強引にお願いするのも失礼だと思うので、とりあえず今日はこのまま引き取って、ヨーロッパから帰られた後にもう一度お願いすることにした。

 しかし、あまり気が進まないのに押し付けるのも私自身本意ではない。少し考えてそれほどJATAのタイトルに拘るようだったら、他の人にお願いすることも選択肢として考えなければならないかなとも思う。急に別の人と言ってもそう簡単に適当な人が見つかるわけでもないので、頭が痛い。それにしてもまるで考えていなかった事態に、しばらくは気が重い。

 さて、ゼミの仲間との会合では、自由に話し合って思いのたけをぶつける。今日は隅田川の花火があるせいか、地下鉄銀座駅でも浴衣姿の男女を幾人か見たが、歩行者天国を「ライオン」まで歩いて行くとその前は人だかりで、「ライオン」の店内は混雑して大勢の人が群れ、外まで行列が並んでいるほどである、一部の人たちは歩道まで溢れている。そっとその脇を通り抜け2階へ上がる。銀座辺りで手頃な値で宴会?をできるのは、ここ「ライオン」ぐらいしかないのだろうか。外はそれほどでもないのに、中は熱い。

 4月にゼミお祝い会を開いて以来、まだ飯田先生のお宅へご挨拶に伺っていないので、近々伺おうということになった。

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438.2008年7月25日(金) 言葉の意味を間違えて憶える。

 次のドキュメント作品「停年オヤジの海外武者修行」のゲラを早稲田出版㈱へ持参した。しばらく時間をかけ読んでもらい嬉しい結論を出してもらいたい。もし、内容を気に入ってもらえれば、何とか出版してもらいたいものである。前著「新・現代海外武者修行のすすめ」も文芸社に引き受けてもらい再販が決定したので、それとこれでセットにして「海外武者修行シリーズ」としてともどもパッと売れればこんなに嬉しいことはない。これからトルコ、カイバル峠、シベリアの写真を整理して内容にフィットした写真と地図を載せて、臨場感を盛り込たいと考えている。

 朝日朝刊の「国語に関する世論調査」の結果に意外な感じを持った。「意味を間違えて理解している人が多い」言葉の中で、「憮然として立ち去った」の正確な意味をこれまで間違えて使っていたことが分った。「腹を立てている様子」だとばかり思っていたが、正確には「失望してぼんやりしている様子」だそうである。分っていた人は僅か17.1%で、間違えて理解していた人の割合が70.8%だそうだから、われわれはどこでどう間違えて憶え、これまで大きな恥をかかないで済ましたのか。こちらが意味を間違えて使い、相手が意味を間違えて理解すれば、問題になることもないということになる。何か落語で聞いたような話である。まあ、ここで正しい使い方を知ったので、今後は正確な意味で使えると思うが、どうしてこんな慣用語を間違えて憶えたのか、気になってしようがない。

2008年7月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com