444.2008年7月31日(木) 好漢・瀬下正幸さん逝く。

 毎日暑い日が続いているが、これに加えて最近は天候の急変がよくある。突然風雨が強くなったり、それが竜巻になったり、雷雨になったり、とにかく昔はこんなに戸惑わせるようなはた迷惑な気象はなかったような気がする。

 今日相武台で瀬下正幸さんの葬儀があり参列した。ご子息からメールでご連絡をいただいたものだが、父親とのご交誼をよく憶えていてくれて、わざわざ最後のお別れに立ち会わせてもらえた。葬儀前にご挨拶をしたが、案の定「癌」で亡くなられたとのお話だった。今年の年賀状に元気な言葉が書き連ねられていたが、奥様と2人のお孫さんと一緒に写っている写真を見て随分痩せたなと感じた。そのとき失礼ながら、「癌」に蝕まれているのではないかと秘かに心配していた。あまり詳しいことはお聞きできなかったが、瀬下さんなら思い切りのよい、悔いのない生涯を送られたのではないかと思っている。

 そもそも瀬下さんと親しくなったのは、昭和44年夏の最初のツアー添乗のときだった。今では考えられないような北海道一周の大型ツアー・シリーズだった。なにしろ東北自動車道開通前で、新宿からバス5台を連ねて国道4号線を北上し、下北半島の大間からフェリーで函館へ渡り、北海道を一周して、同じ道を新宿まで帰る1週間の旅だった。思い出が沢山詰まったツアーとなった。私の担当バスには作詩家の内村直也さんがご友人とともに参加され、北海道へ渡ってから気を利かせたガイドさんが、内村さんの作詩された「雪の降る町」を何度も何度も歌ってくれたことが昨日のことのように思い出されてくる。このツアーを起点にプロ添乗員としてのスタートを切った。瀬下さんに多くのことを教えてもらい指導してもらった。元気の良さ、行動力、お客さま・運転士・ガイドへの気配り、ツアー回し等、その後の添乗員実務で随分参考になった。その意味では瀬下さんに教えてもらった、添乗員としての心構えが旅行業稼業の原点になったとも言える。

 瀬下さんの添乗員としての存在感の大きさは、ずば抜けていた。少々普通の人とは違うなと感じたのが、小さな身体で元気よく1号車から5号車の間を、大きな声で叫びながら行ったり来たり走り回り、全体をまとめていた傑出した行動力が印象的である。

 ああいうタイプの人は今やあまりいないのではないか。海外旅行の添乗としては、疑問もあるかもしれないが、心がお客さまに届くような添乗員ぶりだった。もう一度ゆっくりお話ししたかった。いつまでも忘れない人である。最後のお別れをしたときのお顔は、実に安らかだった。心よりご冥福をお祈り致したい。     合掌

2008年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com