7035.2026年8月17日(月) 予想外だった千葉豪雨による被害

 13日に千葉県内を襲った豪雨がこれまで考えられもしなかったような甚大な被害を与えている。道路上に動かなくなった車が約2,700台も放置されており、交通障害にもなるので、県は取り除く方針のようだ。被災した住宅も床上浸水、床下浸水を合わせて2,000軒もある。専門家の話では、台地と低地が隣り合わせにあって台地が水没するとすべてが水没したように見える。千葉市周辺は海岸を埋め立てした土地が多く、元々土地自体が低いところにあるので、水が流れ込んでくる。驚いたのは大網白里市が上空から見下ろすと水の中に孤立した家屋が残っているようだ。実は、この市にはまだ町だったころに3度ほど講師を引き受け出かけたことがある。上空からの鳥観図で知る市街地の様子は分からなかったので、このような低い市街地であることに思わずため息が出る。

 また、千葉市内で最も東京寄りの花見川区幕張町は、小学生時代を過ごしていた旧幕張町で今のビル街の沿岸は潮干狩りが出来るような場所だった。それが知らない数十年の間に高層ビルが建ち、JR京葉線も新たに敷設され、当時のイメージはまったく変わってしまったようだ。幸いこの度の豪雨による被害が伝えられていないので、卒業した創立155年の伝統校・幕張小学校も被災せずに無事であることを願っている。

 その後熊本地震は、連日のように余震が続いている。海外でも先日ベネズエラ地震に続いて、隣国コロンビアでも大きな地震が起きたばかりだが、昨日インドネシア東部でもM7.7 の巨大地震が起きた。その内地球上は自然災害で住める場所が亡くなるのではないかとも思える。

 余震の続く熊本では、酷暑の中で復興作業に懸命のようだが、明るいニュースもある。昨日甲子園で開催中の高校野球大会で、県代表として初出場の有明高校が3試合連続して逆転勝ちで3回戦を勝ち上がりベスト8へ進出した。救護施設などに避難している高齢者らも感激して涙を流していた。それほど高校生の真剣な戦いぶりが被災した人々を精神的に慰め力を与えているのである。

2026年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

7034.2026年8月16日(日) 戦争の反省が感じられない高市内閣

 予想されていた通り昨日の終戦記念日に関連した話題がメディアでかなり取り上げられている。高市首相が全国戦没者追悼式で述べた式辞の中に「反省」という言葉がなかったことが、特に批判されている。「我が国の平和と繁栄は、戦没者の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものであることを私たちは決して忘れない」と述べたが、かつて村山富市首相が、先の戦争について日本の言動を「反省する」と語って以来、歴代の首相は「反省する」ことに触れなかった。昨年13年ぶりに石破茂・前首相が式辞で述べたが、その他の首相らの胸中には反省する気持ちがなかったようである。

 自民党内には、「戦争を反省する」気持ちが薄いようで、小泉防衛相以下数人の閣僚が続々靖国神社へ参拝している。案の定、直ちに中国と韓国両政府が彼らの行動を非難する声明を発表した。

 原水爆禁止へ向けて行動している日本国民にとって、唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約を批准しようともしない日本政府の姿勢には、国民はもとより、核兵器反対の多くの国々が失望している。日本政府は戦争に関する行動には前向きであるが、反戦的な行動には背を向けている。これでは毎年行っている広島、長崎の平和と原爆廃絶を願う主催者らの気持ちに水を注すものである。

 先の対戦に外地で亡くなった日本人の遺骨収集が以前から行われているが、国際関係もあり、日本の思うようには中々進まない。海外における戦没者の数は、約240万人といわれている。これまで127万人の遺骨が帰還したが、まだ約112万柱の遺骨が現地に残されたままである。私も厚生省主管の太平洋戦争戦没者遺骨収集事業に、20年近く関わり、毎年のように中部太平洋方面の事業に下働きとして参加した。お陰で日本軍が進出した国々には、訪れる機会が多かった。あまり普通の観光客が訪れないような、パラオ、ミクロネシア、ニューギニア、ガダルカナル、ラバウル、インドネシア、フィリピン、ビルマ、ベトナム、中国、シベリア、サハリン、などの国々を遺族の方々と、或いはひとりで訪れる機会を得た。

 今当時に比べて遺骨収集事業自体はあまり大きな規模では行われていないようだ。こういう戦争によって家族との結びつきを無為に切り離された故人の御霊を、母国、実家へ帰してあげる計画に取り組むのは政治家らの責務ではないだろうか。靖国神社への参拝ばかりを優先させ、それが本音かどうかは分からないまま、戦争で犠牲になった方々への面倒を見ることには熱意が感じられない。小泉進次郎防衛大臣のように親の七光りで、閣僚にまでなっていながら遺族や国民の信頼を裏切り、靖国神社に参拝してまでA級戦犯に誠を捧げつつ、軍備の拡張に邁進しようとしていうのはいかなる料簡であろうか。国民は信頼感を抱くことは出来ない。

 高市内閣閣僚らは戦後処理が終わったと考えているようだが、遺骨収集は道半ばで、核兵器廃絶についてはソッポを向き、防衛予算を毎年膨らませているようでは、もう戦争は繰り返しませんと誓ったふりをしても信用できない。

2026年8月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

7033.2026年8月15日(土) 戦争再発懸念の中、終戦記念日を迎える。

 今日は81年目の太平洋戦争終戦記念日である。正午には日本武道館で天皇、皇后両陛下をお迎えして「全国戦没者追悼式」が行われた。こんな時午前中に右翼的な小泉進次郎・防衛相は靖国神社に参拝した。昨年まで毎年参拝していた高市首相に代わって、鈴木俊一自民党幹事長が首相の代理として、有村治子総務会長、西村康稔選対委員長とともに玉ぐし料を収めた。高市首相は、首相就任前は毎年恒例の春秋例大祭と合わせ、終戦記念日にも欠かさず参拝しており、首相になっても参拝し続けると語っていたが、流石に険悪な日中関係や韓国との外交関係を考え、本人としては不本意ながら今年は参拝を差し控えた。

 81年前と言えば、湘南鵠沼から千葉県勝山町(現鋸南町)へ疎開も考えて転居し、勝山国民学校(現小学校)へ入学してまだ日も浅かった。鋸山方面からしばしば米軍航空機が飛来し、その都度自宅近くの山に掘られた横穴式防空壕へ逃げ込んだ。日本の形勢も日に日に悪くなり、校外学習で先生に連れられクラス仲間揃って校門を出てからしばらくして、米軍戦闘機編隊に襲われかかったこともあった。それでも暑い夏休み中は、昼間は港の近くの浜辺で海水浴をしていた。そして8月15日からしばらくして父親から、怖い戦争は終わったから安心しろ、もう防空壕に隠れることもないと言われた。それが終戦だった。主要道路を戦車が走行することもあったが、終戦となってからしばらくして米軍兵士の姿を見て彼らの眼が青いことに驚き、母親に話したこともあった。

 とにかく怖かった戦争が終わったことで、周囲は明るくなったような気がした。その後、小学校5年生時に朝鮮戦争が始まり、教師から度々朝鮮戦争について講義をしてもらった。戦争に首を突っ込みだしたのは、60年安保闘争終了後にベトナム戦争反対運動に参加してからである。戦争の実態を知ろうとひとりで1967年ベトナム戦争が激しい中を南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチーミン)へ出かけ、何度か怖い思いをした。それから第3次中東戦争、アデン独立戦争、9.11テロなどと少しずつ戦争を臨場感を通して知るようになった。そして、その過程で戦争の残酷さと恐怖を知り、一層戦争に反対する意思を強く持ったのである。戦地で危険な目に遭ったこともあり、また戦友会の戦跡巡拝団とともに戦地を訪れ、戦友の方々の辛い気持ちをお察しすると反戦の気持ちは益々強まった。

 その点では、自民党政権が年々戦争へ近づきつつある政策には、絶対反対である。自民党政権はもとより、国民の生命を預かっている国会議員の間には、戦争体験がなく戦争の怖さを実感で分からず、戦争を世間話のように捉えているのが許せない。彼らが、戦争は酷いもので残酷であり、社会も個人の人生も壊してしまうということを知らないのが心配でならない。

 宮城県柴田町のホームページに、「~正午になりましたら、戦没者を追悼し、平和を祈念して、それぞれのご家庭や職場で1分間の黙祷をお願いします」と訴えていた。NHK・TVで中継された「全国戦没者追悼式」に合わせて1分間黙祷をした。もう戦争とは永遠におさらばしたい。

2026年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

7032.2026年8月14日(金) ルパング島帰りの小野田寛郎元少尉

 逆行した台風15号の置き土産だろうか、昨日千葉県を中心に関東地方を襲った大雨は、雷雨を伴う豪雨となって各地に大きな爪痕を残した。県内では、南房総地方を除いて道路の冠水、道路遮断、鉄道運行停止などで県民ばかりでなく千葉を訪れた多くの人々を戸惑わせた。その典型は、最高のレベル5「大雨特別警報」や、同じくレベル5「土砂災害危険警報」が発せられ、東京~成田間の鉄道や、定期バスが運休したこともあり、海外から到着した内外の搭乗客が、空港から出かけられず、7千人もの人たちが空港ロビーに寝泊まりする事態となった。都内23区にも警報が出されたが、地域によって、また時間によって降雨の激しい度合は異なった。

 実は、昨晩も南房総方面以外は、広域的に豪雨に襲われ上空から見るとどこの市町村も道路が冠水していた。特に千葉市内の幕張小学校は母校であり、元々幕張は土地が低いだけに校庭も水浸しではないかと気をもんでいる。

 気象庁は、千葉県の昨日の記録的大雨を「令和8年8月千葉豪雨」と名付けることにした。このように豪雨に名称を定めるのは、「平成29年7月九州北部豪雨」以来のことである。

 今日も千葉県には大雨が降っているようだから、県民の気持ちも落ち着かないだろう。とんだお盆休みとなってしまった。

 さて、一昨日夜NHK・BSで「小野田少尉帰還」が放映された。フィリピン・ルパング島ジャングル内で戦後29年間も終戦を知らずに生き抜いてきた小野田寛郎元少尉のドキュメンタリーである。実際には、小野田は終戦を知ってはいたが、根っからの職業軍人だったので、上官の命令がなければ終戦を認めないと考えたようである。偶々日本人青年とジャングル内で出くわしたことが帰国への道を開いたが、上官から軍務解除の命令がない以上公に姿を現さないということから、元上官をフィリピンに派遣し、目の前で上官が終戦と命令解除を通達して軍人から一般人に戻った。

 小野田が帰国したのは1974年3月12日であるが、その日私は偶々ミヤンマーへ向かう陸軍航空飛行第12戦隊の第一次南方基地慰霊団とともに羽田空港にいた。その時、小野田と鉢合わせした。翌朝のスポーツ紙に「往く人、帰る人」の見出しで紹介された。

 ひとりの軍人として小野田は、予備士官学校、中野学校などを経た生粋の軍人だけに、戦後もフィリピンの山中で現地人とは接触せず、食糧用に彼らの家畜を殺害したことなどが、現地の人からは厳しく非難されていた。しかし、誰の援助も支援もなくひとり野外で生き延びるには、彼のような破天荒な意志と行動力がないと難しいだろう。いろいろ批判も受けたようだが、帰国しても当時の日本で生きて行くために自力では難しいと判断し、僅か半年後にはブラジルに渡り、自ら牧場を経営しながら、その後しばらくして日本で1年の半分を過ごし、その時間を日本の子どもたちにキャンピング生活を指導した。普通の日本人の生き方とは、考え方もスケールも大きく異なる。

 厚生省の太平洋戦争戦没者遺骨収集事業に関わっていた当時、サイパンで救われた横井庄一とは軍人として、また人間として大分違うということを団長だった厚生省課長から随分聞かされたことを想い出す。戦争によって得をした国、人はほとんどいない。むしろ悲しみを味わった国や、人がその何倍も多いかということを考えるといつも戦争に顔を向けている人間がいるのが不思議なくらいである。

 明日は81回目の終戦記念日を迎えることになる。

2026年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

7031.2026年8月13日(木) ヨーロッパで27年ぶりに皆既日食

 今日日本時間の未明にヨーロッパで27年ぶりに皆既日食が見られたそうである。27年前の皆既日食と言えば、1999年8月11日にヨーロッパから中近東にかけて見られた20世紀最後の皆既日食として知られる。この年の皆既日食は、6月29日にイギリスで、7月22日にはヨーロッパ大陸で見られ、そして8月11日にも中近東で見られた。人口過密地帯を通過したため、人類史上最も多くの人々に観測された皆既日食とも言われている。ドイツの高速道路では、これを見るために道路上に停車した車の列が、数百㎞になったというから大変なものである。

 私はその時ちょうどトルコへ出かける準備をしていて17日にイスタンブールへ着いた。その夜のことである。ホテルで疲れを癒して寝ていた最初の晩に、何と20世紀最後の大地震と言われる震度7.6のイズミット地震が勃発したのである。犠牲者は1万7千人だったが、どうしてこのような自然現象が重なって起きるのだろう。

 今年のヨーロッパは40℃を越える地域や、酷暑の日が格別目立つ。ただ、皆既日食のように気持ちが涼しくなる現象なら由として、エアコン設備のある家庭はほんの僅かであると聞くので、暑さ対策を考えなければいけない。。

 今世界では、南米のベネズエラに続いて、隣国コロンビアでも大地震が起きたばかりで両国ともに復旧作業に懸命である。日本でも熊本地震の復旧に忙殺されている。

 その一方で、日本には同時に熱波と台風が襲っている。熊本では復旧作業に当たっている人たちの頭上から太陽の光が降り注ぎ、連日猛暑である。熊本市では、観測史上最高の40.3℃を記録した日もある。

 今朝の「天声人語」に信じられない話が現実味を帯びて書かれていた。地球温暖化対策の「気候工学」の分野の話題である。二酸化炭素の削減が思うように進んでいない。地球の温暖化が止められないのなら、直接地球を冷やしてしまう研究が東大で進んで一部ではすでに実証実験が行われていると知り、目をパチクリさせられた。その実験というのは、成層圏に微粒子を撒き、人工的に薄い雲を作って太陽の光を反射させる。また、下層の雲の粒子を増やし、より白くすることで反射率を上げ、地球の温度を下げる手法もあるそうである。ただ、問題は山積みのようで、一部の地域を冷やすために作った雲が、別の場所で熱波を増やす恐れもある。これでは現実的ではない。

 折角のアイディアではあるが、こんなことを考えるなら、一部の国が反対している二酸化炭素を生み出す排出ガスを削減する方が、問題が少なく簡素であると思う。自然現象が人類を悩ませているというより、人類が出来ることをやらずに難しいことを試行できるよう考えることに軸足を置いている。これこそ余程馬鹿げていると思う。結局人間は愚か者だということになる。

2026年8月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

7030.2026年8月12日(水) 日航機御巣鷹山墜落事故から41年

 昨晩茨城県南部に上陸した台風15号は、本州を真西へ進み今朝福井県敦賀市を通過して日本海へ抜けた。これまでなかった逆走という変則ルートで走り抜けたのである。台風15号は関東各地に激しい豪雨をもたらした。一難去ってまた一難とも言えるだろうか、今熱帯性低気圧が南方洋上に蠢いている。次の台風として16号の襲来が一時予想されたが、次第に東へ逸れて熱帯性低気圧に変わってしまった。だが、もうひとつ隠れた熱帯性低気圧が南に発生し、台風17号に変わった。これも現在小笠原諸島の東を北上し、その後進路を北西に変え、16日(日)には関東沖へ達すると見込まれている。元々8月は台風の発生が多いが、今年は特に大きな台風が日本各地を荒らしまわっている。

 実は、お盆の時期でもあり、各地で花火大会や、お祭りなどの行事が予定されているが、当日になって中止になるケースが多く、関係者は事後処理やら予想外の出費に頭を痛めている。

 さて、8月と言えば、太平洋戦争関連のニュースが多く聞かれるが、特に大きな航空事故があった。41年前1985年の今日、日本航空ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹山中に墜落し、お盆の帰省客など520人が犠牲となり、単独機の航空事故としては世界史上最悪の犠牲者数となった。乗客の中には♪上を向いて歩こう♪のような世界的ヒット曲を飛ばした歌手の坂本九さんが犠牲になり、いつまでもその悲しみは後を引いた。幸い後部座席にいた女性4人だけが重傷を負いながらも助かった。

 この時間に別の会社の蘭の展示会に関する会議で、関係の会社の人たちと打ち合わせていたところに、その会社の係員から事件を知らされ、帰社後にテレビで大きなニュースになっていることを知った。

 その後遺体収容とか、遺物の捜索や遺族との対応などで日航では、勇退したOBらにも応援を頼み込んで人海戦術で作業に携わってもらっていたが、すでに退職した日航のパイロットで元陸軍航空隊隼戦闘機の操縦士だった知り合いも、日航から頼まれ捜索に当たっていたが、現場で随分多くの人から酷いことを言われたと嘆いていたことが印象に残っている。

 日航機の墜落事故として忘れられないのは、日本の航空会社が海外で起こした初の墜落事故で、乗員乗客89名中86名が死亡した1972年年6月インド・ニューデリー空港で羽田発ロンドン行航空機が、夜間に砂塵で視界不良の中を堤防に激突した「日航機ニューデリー墜落事故」である。亡くなった日本人の中にインドでは知らぬ人もいないほど、インド人のためにライ病患者病院を建設し、多くのインド人の生命を救って知られたハンセン病専門医の宮崎松記医師がいた。今もアグラのタージ・マハールへ向かうストリートは、「マツキ・ミヤザキ通り」と名付けられ、大きく立派な案内板が道路脇に掲げられ、その突然の死が惜しまれている。

 太平洋戦争犠牲者、航空事故犠牲者の方々のご冥福をお祈りしたい。

2026年8月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

7029.2026年8月11日(火) 「山の日」に東方より台風襲来

 今日は、最も新しい国民の祝日「山の日」である。丁度10年前にスタートした。その趣旨は、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」だそうである。どうして今日が祝日「山の日」に決まったのかと言えば、「八」の字が山の形に見えることや、「11」は木が立ち並ぶイメージを連想させることから、今日「8月11日」に決まったそうである。

 大学で山岳クラブ、会社でも山岳部に所属して随分長い間多くの山を登り、登山を愛するようになった。健康にも良かったと思う。一番印象に残っている登山は、大学2学年時にリーダーで4学年の先輩と同級生の3人で南アルプス全山を縦走したことで、今もその縦走と想い出は私にとって大切で得難い宝物である。その入口は東海道線金谷駅から大井川鉄道で寸又峡近くのキャンプだった。降り口は甲斐駒ヶ岳から辿り着いた中央線韮崎駅だった。東海道線から中央線まで3千m級の高山を上り下りしながら歩き続けて、テントに泊まり実に21日間を要した。その時大きな話題として覚えているのは、まだ登り出して間もなかった時に携帯ラジオで、2か月前に幼い慶應幼稚舎1年生を殺害した殺人犯が逮捕された「雅樹ちゃん事件」を知ったことだった。

 残念ながら海外の山は、時間的にも登ることはなかったが、アルプス3大北壁の麓に宿泊して、スイスの素晴らしい山々を間近に眺め、その新鮮な空気をたっぷり味わえたことである。

 ところで、また地震が起きた。気候もそうだが、地球の地殻もおかしい。実は、昨日南米のコロンビアでM7.4 の大地震が発生した。6月に隣国ベネズエラで起きたM7.2より大きく、ベネズエラでは死者が6.300人以上も出ていることを考えると、昨日の地震では現在死者111人以上が出ていることから、一層多くの死者が出るのは時間の問題だろう。テレビ画像を観ていると、ベネズエラ地震と同じような光景が写し出され、ビルがパンケーキ・クラッシュとなった倒壊の様子もよく似ている。「令和8年熊本地震」も発生以来丁度2週間が経った。相変わらず余震が止まず、停電は解決したが、断水は複数の市町で数万戸単位の状態が今も回復せず、熱波の厳しい中で今月いっぱい解決しないとの見通しである。コロンビアの復興もこれから一苦労であろう。

 その他にも自然災害が襲ってくる。珍しく太平洋上から西方へ向かって進む台風15号は今日関東・東北地方を襲うようで、今夕には茨城県を中心に関東に上陸すると警戒を促している。都内も午前中は暑い陽気だったが、午後遅くなって降雨になるとのことで、午後直ぐウォーキングに出かけたら、案の定4時過ぎに雨が降り出してきた。このような太平洋から西へ移動する台風が辿るルートは珍しく、日本では1951年に統計を取ってから初めてだそうである。

 さて、このところアメリカとイランのやり取りの応酬、それもトランプ大統領の要求は朝令暮改でくるくる変わっている。今注目を集めているのは、イランが停戦条件としてアメリカに突き付けた、アメリカの攻撃によって破壊された物損の保障を求める賠償金の請求である。これに対してトランプ氏は開戦以来亡くなった米兵全員に対する補償金の支払いを求めると言い、今協議はストップしている。

 一方、イラン戦争の陰で目が逸らされているウクライナ侵攻は、ウクライナがロシア軍の攻撃を受けながらも、ドローンでロシア領内を攻撃し、また、ロシアも戦士の疲弊、減少からやや情勢は不利になってきた。プーチン大統領も外人部隊として北朝鮮兵士を受け入れているが、流石強気のプーチン氏の最近はやや精彩を欠いている。世論調査の結果、ロシア軍のウクライナでの軍事行動を支持するロシア人の割合は66%だった。まだ、支持者が多いが、開戦以来これは最低の水準であり、政府のウクライナ侵攻が少しずつ支持を失っているようで、プーチン大統領も思案投げ首のようである。プーチン大統領への国際世論の支持は元々低く、それに加えてロシア人からの支持も減るようでは、プーチン大統領の地盤も弛緩しつつあるということになる。

 

2026年8月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

7028.2026年8月10日(月) ビルマ独立の父・アウンサン将軍像撤去

 今朝の朝刊を見て驚いた。ビルマ(現ミヤンマー)建国の父とも言われ国民の間で広く尊敬されているアウンサン将軍の立像が、国中で相次いで撤去されているというニュースである。前国家最高顧問でノーベル平和賞受賞者であるアウンサンスーチー女史の父親でもある。第2次世界大戦までイギリスの植民地だったビルマは、進駐していた日本軍の協力を得てイギリスに対して独立闘争を戦い、その後支配していた日本軍から独立を勝ち取った。アウンサン将軍は戦時中日本にも滞在していたことがある。旧首都だったヤンゴンの大きな市場は、アウンサン・マーケットと呼ばれるくらいアウンサン将軍は人間的にも、その社会的行動も全ビルマ人の憧れであり、尊敬の的だった。

 その娘スーチー氏も父親に負けず劣らずビルマ国民に敬愛され、常に民主化運動の先頭に立ち民主社会主義者として国のリーダーとなった。5年前まで国家最高顧問の座にいて、ミヤンマー民主社会主義国家の統治に当たっていたが、強権的軍部による軍事クーデターにより、政権は崩壊させられスーチー氏は身柄を拘束され、その後は・所在すら不明となった。国民の間にはスーチー氏の復活を望む声が強いが、絶対的権力を誇る軍事政権が国民の「アウンサン」家の高名と敬愛ぶりを許さず、スーチー氏再登場の期待は薄れつつあった。

 今回のアウンサン将軍像撤去の背景には、アウンサンの名が国民から渇望されることを恐れた軍事政権が、一気に英雄一家の排斥を決意したのであろう。ヤンゴン市内と地方都市でアウンサン将軍像を見たことがあるが、それがなくなるとミヤンマーの人々の魂が腑抜けになるのではないかと懸念している。

 先月19日、79年前のその日にアウンサン将軍が暗殺され、その日をビルマでは「殉難者の日」と呼ぶ祭日で、ヤンゴンではアウンサン将軍追悼式典を行い、ミンアウンフライン大統領・国軍総司令官も参列した。しかし、その場に娘のスーチー氏の参加を許さず、どうも軍の気持ちは軍部にとっても先覚者であるアウンサン将軍への対応がチグハグである。

 それにしてもミンアウンフライン大統領が権力を握る軍事政権は、よほどアウンサン家の人々が煙たいのだろうが、「独立の父」を葬ろうとはあまりにも国民の気持ちを蔑ろにしていると思わざるを得ない。

 さて、今熱波と台風の襲来で日本中が戸惑っている。九州地震ではまだ当分の間断水が解決せず、住民と避難している人々も酷暑の下で四苦八苦である。一方台風15号が発生したのは大分前だが、今頃になって東北地方の東方海上に居座って、珍しくも西方へ移動を初めた。このため東北、北陸地方が15号の影響を受けている。台風と言えば、マリアナ諸島周辺か、フィリピンなど南方洋上に発生することがほとんどだったが、15号のように太平洋上から日本本土の東北地方へ上陸するとは極めて珍しい。これも気候温暖化の影響だろうか?

 ところで、今日甲子園の高校野球は、1回戦で優勝候補同士による対決となった。昨年夏優勝した沖縄尚学高対昨年春の選抜優勝校・横浜高校戦で、昨日まで閑散としていたスタンドも今日の好カードにほぼ満員と言っても好いくらいの人気ぶりだった。流石実力校同士の対決である。結果的には7-2で横浜が勝った。このまま横浜が優勝まで行くのではないだろうか。

2026年8月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

7027.2026年8月9日(日) 81回目の長崎原爆平和祈念式典

 3日前の広島に次いで、史上2番目の原爆が投下された長崎市内の平和公園で、今日午前10時45分から約1時間「長崎平和祈念式典」が開かれた。出席者は広島よりやや少ないが、世界98カ国と地域、及びEUと台湾の代表が出席した。長崎への原爆投下による犠牲者の数は、1945年末までに約7万人、その後の死者を合わせて約20万2千人である。

 式典で挨拶された高市首相は、「我が国は、『非核3原則』を堅持しており、『長崎を最後の被爆地に』という誓いの下、『唯一の戦争被爆国』の使命として『核兵器のない世界』の実現に向けた現実的、かつ実践的な取り組みを推進しています。先般の『核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議』は、厳しい国際安全保障環境の下での開催となりましたが、我が国は、被爆地の方々の思いを伝えながら、NPTの維持・強化に向けた結束を各国に呼びかけました」と述べたが、相変わらず「非核3原則」を堅持していると本音ではない発言をしている。危ういものである。

 2018年に国連総長として初めて出席したグテーレス国連総長が発したメッセージを、中満泉事務次長が代読した。メッセージは、「核実験禁止という国際規範も脅かされている。世界の軍事費は昨年2兆9千億㌦に達した。年々戦争のリスクが高まっている。例え、激しい対立の時代でも協力、進歩が可能であることは歴史が示している。長崎が示した核戦争の真の恐ろしさについての教訓に耳を傾ける必要がある。この81周年の記念日に、被爆者の勇気を言葉だけではなく、行動で称えようではありませんか。国連はこの目的を達成するため、皆さまとともに歩むパートナーとなることを切に願ってやみません」という内容だった。

 鈴木史朗・長崎市長は、「長崎平和宣言」で「大国による力の支配が横行し、核軍縮に逆行する動きが加速していると危機感を表明し、『長崎を最後の被爆地に』するため、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、歩み続ける」と語った。

 広島でもそうだったが、原爆を投下してこのような慰霊祭を毎年開催するようになったのは、アメリカのせいであり、平和を前向きに希求しようとしないアメリカは、グテーレス国連事務総長とは考えが異なり、今日も罪の意識は表さず、メッセージすら送って来なかった。

 広島市のケースと同じように、2度と原爆は投下しないとか、核兵器は使用しないとか当然のメッセージは発せられるが、現実問題としては核兵器使用の一歩手前にまで追い詰められている。それは、核を保有国がなくす意図がないことが昨今の国際情勢から推察できる。国連の安保理事会5大常任理事国のアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国がすべて核保有国であり、核放棄を考えない以上核廃絶は残念ながら「夢のまた夢」と考えざるを得ない。被爆者も年々年を重ねて、平均年齢は86歳となった。式典には出席しているが、今年も高市首相と被爆者団体は会うことになっているが、被爆者から首相への発言は止められ、握手だけという決まりだそうだが、これではお互いに会う意味がないのではないだろうか。

 このような状況から察すると、悲しいことであるが、再び核は遠からず使用され、広島、長崎以上の災禍が地球上のどこかで現実化するのではないかと思うとゾッとする。

2026年8月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

7026.2026年8月8日(土) 高齢者には健康が一番気がかり

 暑くなってくると間もなくやって来るお盆を思う。今年のお盆は、13日(木)から16日(日)までの4日間であるが、11日(火)が祝祭日「山の日」なので、10日、12日の平日に休みを取って今日8日(土)から16日(日)までを9連休とするサラリーマンが結構いるようだ。

 8月というと、15日の太平洋戦争終戦記念日の他に6日広島原爆記念日、9日長崎原爆記念日があり、否が応でも残忍な戦争と関係のある日が思い出される。

 炎天下に甲子園では夏の高校野球が行われている。実は、昨日地震で被災した熊本県代表校の有明高校が、春夏を通じて初めて出場した。同校は1961年に荒尾市に創立された私立校である。大地震の直後だけに熊本県民はもとより、日本各地から熊本県を代表する高校への応援の声が聞かれた。試合は京都代表校の立命館宇治高校と対戦し、終盤ファンを熱狂させた。試合は最後まで有明が2-3と劣勢だったが、9回表に2死満塁から一気に4点を獲得し逆転して、そのまま逃げ切り逆転勝ちを勝ち取った。これには避難所でテレビ観戦していた被災者も涙を流して感激していたというから、正にドラマと言えよう。有明高はこのままどこまで勝ち抜けるだろうか。応援する被災者にとってはこれからも大きな希望である。

 さて、先月末に整形外科医に左膝と両足ふくらはぎが最近痛むという話を聞いてもらったうえで、その時まで毎日1日平均6千歩以上を歩いていたウォーキングについて、今後これをどうしたら良いか伺ったところ、年齢的にも無理するのは良くないし、膝が痛いなら歩行数を減らしてはどうかと言われ、そうすることにした。また、痛みを和らげるために膝とふくらはぎに湿布をすることにした。そして今月に入ってからそれまでの1日6千歩をペースダウンして、4千歩以上にした。今は暑い盛りでもあるので、夕陽が落ちた6時前後に出かけているが、時間的にもこれまで35分程度を費やしていたが、30分以内にして、歩くコースも1ブロック分減らした。また、両足のふくらはぎ周囲にそれぞれ湿布を貼り付けている。これによってどれほどの健康面の効果が出て来るか、2~3カ月間様子を見てみようと思っている。

 年齢を重ねるに連れて年々健康面で痛みとか、気になる点が表れて来る。定期的に毎年人間ドック検査を受けているので、大病や発見し難い症状は事前に何とかチェック出来るが、小さな痛みとか、高齢者が罹りやすい症状はどうしようもない。食事はカロリーとか、野菜類を取るよう妻が気を付けてくれているし、牛乳とヨーグルトは毎日欠かさず飲んでいる。幸い睡眠は若いころと変わらず1日7時間は取れているし、床に就けばすぐ眠れる習性は以前と変わらない。せめて、認知症には近づかないよう気を付けて極力新聞、雑誌を読み、文章を書き続けて活字から目を離さないよう気を付けている。

 友人の中にはひとり、ふたりと年々天国へ旅立つ仲間が増えてきた。そうでなくても同い年の友人が2人、今脊柱管狭窄症になっている。ひとりはもう10年ぐらいになるが、もうひとりはつい最近のことである。若いころは、私も健康体だったので、あまり健康には注意を払わなかったが、今では健康体こそが最も大切な自己資産だと思っている。これからも無理せず、アドバイスされた健康管理、そして認知症防止のために文章を書き続けることを年寄りの習慣としてしっかり守っていきたい。

2026年8月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com