882.2009年10月12日(月) 広島・長崎オリンピック共同開催は本気か。

 今日は体育の日であるが、昨日突然広島市と長崎市が共同で2020年のオリンピック開催の意向を表明した。いささか唐突のきらいがあり、現時点では全面的に受け入れられ大賛成というわけではないようだ。確かに核廃絶を訴えたオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞して、核廃絶のムードが高まる中で、タイミングとしてはパンチが効いて大向こうを唸らせるものである。核廃絶の運動に勢いをつける意味でも効果的であるとの声が上がる一方で、少なからず疑問と不安がある。

 疑問点の中で①2016年大会に東京が落選したばかりで、まだ反省も総括も済んでいないこと、②IOC憲章によれば開催都市は1国1都市に限られていて、仮にIOCが特例で認めても両都市間の距離が離れすぎている、③厳粛な被爆地へお祭騒ぎのオリンピックは馴染まないとの被爆者の声、④大きな国際スポーツ大会に相応しいホテルなどの受け入れ施設不足(メインスタジアムの収容力不足、ホテル必要部屋数44,000に対して現在の供給部屋数は13,000)、⑤財政不足(1994年の広島アジア大会の負債がまだ積み残されている)、等々問題があり過ぎ、クリアすべき難題が山積している。

 東京開催が評価されなかった最大の課題は、開催に向けて都民の熱意が不足していたからだといわれている。その点被爆地で開催されるなら、ほとんどの国民は諸手を挙げて後押しするだろう。核廃絶への大きな声を世界中へ届けることも可能となる。多くの目が広島と長崎に注がれることによって被爆地の悲惨さを世界へ訴えることが出来る。これは大きなアピールである。気になるのは、原爆投下75年後の2020年では被爆者の数は極めて少なく、ほとんどの被爆者は亡くなってしまうのではないかとの心配である。

 東京が立候補に名乗りを挙げた時も、総意を得たうえで満を持して立候補宣言をしたのではなく、何となく抽象的な理由で手を上げた。つまり現在の若者には元気がない。夢とか目標がないからだ。若者に夢を与えるためにオリンピックを開催しようという流れだったと思う。このように積極的でなかったことが、今回立候補した4都市の中でムードが一番燃え上がらなかった原因である。

 広島・長崎の立候補なら、被爆地から世界へ向けて核廃絶のメッセージを発信するというはっきりした目的がある。環境整備が整わない内に見切り発車したとの感はあるが、逆に言えば、広島・長崎ほどアピール力を持った都市はない。田上長崎市長が、秋葉広島市長に引きずられたような印象もあることはあるが、前回東京と福岡が対立した構図の二の舞だけは避けて、ここはひとつ国を挙げて両都市を支え平和国家日本をPRしてみるのも、日本の力と存在感を訴える良いチャンスかも知れない。

 これからJOCの意向を勘案して、方向性が定まっていくと思うが、果たして広島・長崎におけるオリンピック開催は実現するだろうか。

2009年10月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

881.2009年10月11日(日) 恩師飯田先生のお元気な姿にホッと

 大学の飯田ゼミの例会が、例年通り九段会館で開かれた。3年生になり三田キャンパスで経済学部飯田鼎教授の謦咳に接して教えを受け、卒業後も先生を慕ってゼミ生が年に1度は集まる、アカデミックで温かい雰囲気が私は好きだ。飯田先生も毎年楽しみにしてわざわざ千葉県鎌ヶ谷市からお越しいただいている。

 今年は例年になく参加者が少なく、30名を若干オーバーする程度だった。いつもより10名程度少ない。幹事さんも交替した。新しい幹事は厚木市内で塾を経営している池浦達也さん。私から数えて4代目である。前幹事の伊藤暁さんは、麹町女学園の校長だったが、今年4月から金沢市内にある北陸大学の未来創造学部教授に就任した。「未来創造学部」という学部は初めて知ったが、いかにも未来志向の現代観を匂わせてくれる。不自由な単身赴任とのことだが、新任教授の活躍を祈念したいと思う。

 それにしても現役の後輩たちの集まりが少々悪い。忙しいということもあるだろうが、今年は連休の中日というのが出席率の低い一因であると思う。来年は出来るだけ、連休は避けようという声が聞かれた。

 いつも飯田先生に付き添って来られる奥様が生憎体調を崩されたということで、娘さんが車を運転して来られた。先生のご健康状態は、あまりお変わりないようなのでまずは安心した。やや元気のないように見えるのはお年のせいだから仕方があるまい。それにしても、かつては博愛的労働経済学者らしく、熱の入ったスピーチをなさったが、失礼ながら今日は通り一遍のご挨拶だけで勢いのあった論説を伺えなかったのが少々残念である。

 しかし、これもすでに大学を去られて時が経ち、先生のお年を考えれば止むを得ないのかも知れない。いつまでもこのままお元気でいていただきたいと願うばかりである。

 出席者はひとりひとりスピーチをされたが、思い出話の中で慶応義塾で学ぶことが出来て恵まれた学生生活を送れたということと、飯田先生のご薫陶を受けたことを有難いと感じ、素晴らしい学友に巡り合えたことを幸せに思っているとの言葉が何人かの会員の発言の中にあった。実際私自身も心からそう思っており、それは杉田士郎さんが創った「慶」第3号にも「飯田ゼミのアカデミックな伝統と仲間たち」と題して書いたほどである。今日はこれを全員分コピーして配布して読んでいただくことにした。拙著の宣伝も入れたので、少々ヤラセの感はあるが、私自身そのくらいゼミに愛着を抱いている。いつまでも学生時代の気持ちを持ち続けられ、頼りになる仲間同士で語り合える場があるということは有難いことである。

 11月には、赤松さんの所属する上野浅草フィルハーモニーの定期演奏会もある。このままいつまでもアトホームで、親しい友だち同士の関係を続けていけたらこれほど幸せなことはないと思っている。

 さて、日本の政治家の外遊には珍しく、岡田外務大臣が隠密行動で今日突然アフガニスタンへ降り立った。数日前に100名以上の死傷者を出した自爆テロもあり、いま尤も治安の悪化しているアフガンだけに事前に岡田外相のスケジュールが外部へ漏れるのを警戒して、マス・メディアへは一切知らせていなかった。そこで、カルザイ大統領と外相に会い、何らかの支援を約束して直ぐパキスタンのイスラマバードへ移動した。

 難題となっているインド洋上の海上自衛艦による給油活動継続が来年1月に失効することで、日米間で微妙に齟齬を来たしている。民主党としては、継続しないことをマニフェストに掲げた。民主党は給油活動に代わる支援として民生的な復興支援を強調していたが、それがどうも見えにくかった。アメリカの反応と出方が気になって、はっきり打ち出せなかったからである。今日の岡田外相の電撃的アフガン訪問は、日米関係に拘ることなく、アフガン首脳に直に民生援助を約束するというのが訪問目的だろう。

 まあアメリカに気兼ねすることなく、日本の立場に立って日本独自に動いたということは、これまでにはなかったことだと思う。アメリカに表向き異を唱えるということではなく、少しはアメリカに不満感を抱かせてもきちんと説明し、日本の立場を毅然として貫く姿勢を示したということは、独自外交へ踏み出した第1歩と言えるだろう。この岡田訪問を評価したいと思う。

2009年10月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

880.2009年10月10日(土) オバマ大統領ノーベル賞受賞の理由

 オバマ大統領のノーベル平和賞受賞に対して、ノーベル賞委員会は、「国際的な外交と諸国民の協力を強めることに対して並外れた努力をした。特に『核なき世界』を目指すとする理念と取り組みを重視する」とその受賞理由を公表した。更に、多国間外交、気候変動問題で国際政治の新しい状況を生み出したと評価している。とりわけ2つの力強いスピーチが世界に希望を与えた。ひとつは、今年4月にプラハで発信した「核兵器を使った唯一の国として核軍縮へ行動する道義的責任がある」と語ったものであり、これこそが受賞を決定的にしたものだと思う。もうひとつは、6月にカイロで発言した「世界のイスラム教徒とアメリカとの間の尊厳に基づく新たな始まり」である。同時多発テロで幕を開けた21世紀が、再び憎しみと争いの時代に陥ろうとした矢先に登場した対話主義の大統領のメッセージである。これが、世界中から推薦された200以上の団体、個人を押しのけて、オバマ大統領にノーベル賞受賞を決定させた。

 これに対してオバマ大統領は、「私の行為に対してではなく、すべての国の人々の希望を代表してアメリカの指導力に与えられたもの」「平和賞は目標達成への機運を高めるために贈られることもある。この賞を行動への呼びかけとして受け入れる」「核兵器がより多くの国々に拡散することを容認出来ない。大量破壊の脅威は、すべての人びとの問題」と語った。立場をわきまえた、それでいて謙虚なコメントである。今後オバマ大統領がどれほど実効的な政策を進めていくのか、目を逸らさずに注目していきたい。

 過去の平和賞受賞者や、国際社会で脚光を浴びている政治家も大方期待感を滲ませている。 オバマ大統領は、ノーベル賞の副賞である賞金約1億2千万円を一括慈善団体に寄付するという。これからも生活には困ることはないだろうが、この思い切りの良さと潔さがオバマの人気の秘密になっているのかも知れない。

 これからのオバマ大統領の行動に期待したいと思う。

 さて、NHKの夜のドキュメント番組「八ツ場ダム 解決の道はどこに」を観ていて複雑な思いに駆られた。民主党政権となって、マニフェストにはっきり宣言していた「ダム建設中止」が、実際に前原誠司・新国土建設大臣に代わってはっきり打ち出された。地元の再三の「建設続行」要望に対して明確に「建設中止」を伝えた。八ツ場ダム建設中止問題は、新政権のダム建設見直しの考えの下に、これから建設か、中止か検討されていく、その試金石となるダム建設である。すでに工事を始めた大掛かりなダム建設を本当に中止することが出来るのか。昭和27年に計画が持ち上がり、反対派との間ですったもんだの末に移転代替地の提供により、半分以上の住民が村を離れたり、代替地へ移転した。その挙句の工事中止である。

 村民もとても堪ったものではない。当初ダム建設に反対していた人たちの中でも、小の虫を殺して大の虫を生かす道を選び、建設に同意して、漸く移転した後の建設中止決定に、村民は翻弄され生活設計が立てられないと途方に暮れている。

 住民にこれほど悩ましい問題が、政権が代わり民意がダムに反対しているからと言って、自分たちが犠牲にされるのは堪らないというのが村民の本音であり、これから一体どこに落としどころを見つけるかという難しい問題となった。

 山口二郎・北大教授はマニフェストに盛られた政策を実行するのは、民主主義にもとるわけではないが、先に「建設中止」ありきの考えで、住民との話し合いもなしに一方的に中止行動を起こすのは民主主義ではないとコメントしていた。

 全国には建設中のダムが数多くあるが、少なくとも八ツ場ダム騒動を反面教師として、国が周辺住民に充分気を配って話し合いを進めて欲しいものである。

2009年10月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

879.2009年10月9日(金) オバマ大統領にノーベル平和賞

 駒沢大学の講習を受けて帰宅したのが、6時過ぎだった。妻が今年のノーベル平和賞受賞者は意外な人に決まったと言ったが、何とアメリカのオバマ大統領だという。6時に発表されたばかりのホットニュースに、ホワイトハウスではまだ明け方5時で公式の発表はない。

 率直に言って大統領就任9ヶ月ではまだ早いのではないかと思った。4月にプラハで核廃絶へ向けて行動しようと世界へ向かってアピールしたのは、確かに強烈なインパクトがあった。核廃絶の流れへ一気に向かうかとの幻想を抱かせたほどである。

 しかし、宣言はしたが、実質的な核廃絶へ向けての動き、況してやその効果のほどはまだ表れているわけではない。核廃絶は確かに人類にとって理想であり、実現したらそれこそノーベル平和賞ものだと思っていた。それが約束手形を発行したようなもので、先を読んだノルウェイのノーベル賞委員会がノーベル平和賞を授与することによって、オバマ大統領に核廃絶への期待を込めてノルマを課したのではないかと考えてしまう。

 街の声を聞いてみると割合好意的で、被爆地の長崎、広島の人は被爆者を含めて概してオバマ大統領のノーベル平和賞受賞を評価しており、核廃絶の方向へオバマ大統領が引っ張っていってくれることを期待しているとのコメントが多かった。折りも折り来月12日にオバマ大統領は初めて来日される。忙しいなどと言わずに、この際広島か、長崎を慰霊に訪れ、そこでもう一度プラハに負けず劣らずの核廃絶のためのラッパを吹いてもらいたいものである。そういう一里塚が最終的に核廃絶を実現することにつながると思う。明日の朝刊に発表されるであろう、オバマ大統領の受賞コメントを聞いてみたいものだ。

 今日駒沢大の「出版の周辺」講義で清田義昭講師が、前回に続いて冤罪を訴えたビデオを見せてくれた。今年毎日放送が制作した作品である。足利事件の冤罪事件と似た福岡・飯塚事件を取り上げたものである。いずれもDNA鑑定が決め手となって犯人を特定する結果となった。しかし、この2つの事件では、一方は被疑者だった菅家さんが免罪とされ名誉を回復しそうだが、他方は被疑者が無罪を主張していたにも拘わらず、死刑が確定し昨年10月に刑が執行された。飯塚事件の弁護団は再審を検討していたが、足利事件のDNA検査が本人のものではないと分かった現在、飯塚事件の被疑者も似たようなDNA検査の結果でもあるので、検察に対して言い知れぬ不信と憤りを感じている。

 DNA鑑定が正確だとの話ばかりが先走り、飯塚事件の被疑者は、DNAの「塩基」と呼ばれるファクターが事件の現場に残された犯人のDNAのそれに似ているというだけで、犯人のものと同じと決め付けられて犯人に仕立て上げられた疑いがある。

 ビデオは専門的で難しいDNA鑑定のシーンも見られたが、制作プロデューサーの最大の狙いと目的は、冤罪をなくすという1点にある。DNAによる証明のほかに、時により警察側に意図的な資料の隠匿が見られることも大きな問題である。いずれにせよ、極めて難しい裁判問題であることを教えられた。果たして始まったばかりの裁判員制度は現状のままで大丈夫だろうか。

2009年10月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

878.2009年10月8日(木) 台風18号日本列島を縦断

 南洋沖で発生した時から強大な台風と予想された18号は、予想通り暴風雨となり南大東島から北上して昨夜から今日にかけて日本各地に大きな被害をもたらした。午前5時に愛知県知多半島に上陸して青森県まであっという間に本州を縦断した。夜11時現在で死者2名、行方不明1名程度で納まっているが、風が強く竜巻となって、家屋の倒壊が頻発して、茨城県では家ごと吹き飛ばされたところがあった。とにかく午前中は風が強かった。交通機関にもかなり支障が出て、JRの如きはほぼ都内全線が影響を受け、運転中止と運転見合わせという状態だった。例によって私鉄が割合動いているのに、なぜJRばかり動かないのかという議論になっている。

 大学の公開講座を今年も受講しているが、春季講座は多摩大学と駒沢大学で受講した。秋は、引き続き駒沢大学を受講するほかに、多摩大学を止めて新しく多摩美術大学で6回に亘る美術の生涯学習講座を受けることにした。昨夕初めて多摩美大上野毛キャンパスで、「フランス『パリ』を歩く―永続的アート革命都市」と題して清水敏男・学習院女子大学教授がパワーポイントを使いながら、パリ市内の街角、ストリートと美術館を紹介してくれた。中々面白い趣向で、例えればグーグルのストリート・ビューと同じようなスタイルでパリ市内を紹介しながら、専門家の見方で講義してパリ市内のアートとアーチストの関わり具合を分かり易く説明してくれる。

 約30名の熱心な受講生は、男女取り混ぜいろいろな年代層に分かれているが、それぞれに美術に関心の深い人たちばかりで質問も的を射た、専門的なものだった。ほとんどの受講生がパリを訪れたことがあるようで、美術にも造詣が深く、知的レベルは相当高いとみた。ただ、7年間もパリに在住した講師が講義するだけに、細部に亘り街角を説明しても1~2回パリを訪れた程度では、シチュエーションをすんなりとは理解出来ないかも知れない。

 来週は別の講師がウィーンについて講義されるようだが、この様子なら今後期待が持てそうだ。

 さて、鳩山新政権で年金問題を切り札に役所へ乗り込んで行った、‘ミスター年金’長妻昭・厚生労働大臣が初めて「貧困率」という言葉を使い出した。

 経済協力開発機構(OECD)が貧困割合を示す指標として、所得の高い順に並べた時に真ん中の人の所得を基準にして、その半分に満たない人が占める割合を「相対的貧困率」としたものだ。

 日本政府はこれまで公式には貧困率を発表していないし、況してやそれを基準に貧困率を下げるような政策も採り入れていなかった。国が保障すべき最低限度の生活をどう考えるのかとか、いかに支援するのかとの長期的なビジョンが欠けてはあまり意味がない。しかし、遅かれとは言え、とかく目こぼれしていた貧困者の生活に、具体的な数値が加味されて俎上に上がったことは善しとすべきであろう。

 ところで、貧困率というのは一体どれほどの数値なのかと言えば、対象国が現状では極めて少なく僅か30カ国である点から世界のレベルを比較するのは難しいが、意外なのは日本がその30ヶ国の中で4番目に高い(14.9%)という実情である。対象国は高々30カ国ではあるが、OECDによれば、日本は貧困国ということだ。アメリカに至ってはもっと貧困国ということで、すんなり受け入れ難い数値ではある。一番高いのは、メキシコ(18.4%)、以下トルコ(17.5%)、アメリカ(17.1%)、日本、ドイツ、イギリス、オランダ、フランス、スェーデン、デンマークの順になっている。アジア・アフリカ諸国が一国も入っていないのは、統計がないからで、メキシコ、トルコは別にして先進諸国内での比較ということになる。

 それにしても中国、インド、ロシア、シンガポール、韓国、アジア・アフリカの発展途上国が入らなくては比較すること自体に格別意味があるようには思えない。指標として価値のある資料に肉付け出来るかどうかが、今後広く活用されるかどうかの生命線となるだろう。いずれにしろ、これまでどうして厚労省はこのような国際指標を発表しなかったのだろうか。

2009年10月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

877.2009年10月7日(水) 小中陽太郎さんと金大中氏とのツーショット写真

 年内に発行予定の共著「知の現場」で、小中陽太郎さんを取材させていただいたが、個人的には小中さんの「知の現場」以上に、小中さんの過去の幅広い社会的活動に強い関心があった。わが家からほど遠からぬご自宅における取材でも、話題と関心がつい「べ平連」や、米空母「イントレピッド」米水兵脱走事件に行ってしまう。その他にも小中さんからは公に報道されていない話も随分伺ったが、ポーランドのワレザ元連帯議長やチェコのハベル元大統領にもお会いしたということもあり、新刊書に「行動」をにじませたく何とかツーショット写真を添えてもらいたいと思っていた。幸い編集者から同意してもらったので、提供していただく写真をお願いしたところ快くお引き受けいただき、今年8月に亡くなった韓国の金大中元大統領と一緒に撮った写真をお預かりすることになった。昨日お願いしたところ早速メール添付で送っていただいた。金大中氏についてお話を伺ったところによれば、お会いしたのは、1973年10月24日、軟禁されていた金氏を解放してもらうべく韓国官邸を訪れた直後に金氏は釈放された。その足で金氏の自宅を突撃取材された。その時の貴重な写真である。それにしても金氏も小中さんもいかにもお若い。拉致されたのが、その年の8月8日で、偶々私はエジプトからスーダン、エチオピアを経て当時インドのボンベイに駐在していたアルペンクラブの廣瀬明夫くん宅を訪れていた時だった。そんなこととは露知らず、帰ってきて世間の蜂の巣をつついたような騒ぎに接して、ことの重大さに驚いたことが、昨日のことのように思い出されてくる。

 小中さんの凄いところは、厳戒体制下の金氏の自宅を取材に訪れたのは、何と小中さんが最初で、そのせいで翌日には国外退去の処分を受け強制的に出国させられたことである。小中さんは「イントレピッド」もそうであるが、率先してポジティブに行動する人というイメージが強い。

 その折りの金氏とのツーショットを新刊の中で見るのも違った意味で楽しみである。キャプションを付けて早速プロジェクト・リーダー経由で編集者へ送付した。

 そう言えば、先日私のブログを見て三島由紀夫のことが書いてあったからと言って、わざわざ三島由紀夫が書いた秘蔵の手紙をコピーして送ってくれた高校時代の友人がいる。ブログを読んでは時々建設的なコメントを寄せてくれる近所に住む友人、呉忠士くんである。

 三島が友人の父親へ宛てた私的な手紙である。友人の父は有名な古代ギリシャ文学の碩学・呉茂一元東大教授で、小田実の恩師でもあり、恐らく三島も学生時代に教えを受けたひとりであろう。手紙を読むと三島が意外に愉快な人物であることが分かり、微笑ましく親しみが湧いてくる。世上よく知られている三島のボディビル鍛錬を、三島は中止してその10年の鍛錬期間を浪費だったと反省し、その分ギリシャ語が10年遅れたと自戒していることや、執筆中の「金閣寺」を大岡昇平が「キンカクシ」と読んだことなど、世に知られていない内容で中々愉快である。

 周囲にこういう貴重な資料を抱えている人たちがいて、それを提供してもらい恩恵に浴していられることは有難いことで、感謝するばかりである。

2009年10月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

876.2009年10月6日(火) 外国語の日本語表記は、特性を考えて

 昨日の朝日朝刊の「声」欄に、中国に7年間駐在されて帰国した人が、中学生の子どもの地理の教科書を見て中国の地名の表記について疑問を呈していた。

 外国語の日本語表記は、現地語に則ることを原則とするにしても、よほど注意しないと実際の名称とはまったく別の言葉に変わってしまう恐れがある。文部科学省では、現在現地語表記を基準にして指導している。それがこの教科書のケースに当てはまるのかどうか。欧米の言葉の場合は日本語とは文字や発音がまったく異質だから、ある程度の発音のずれは止むを得ないと考えている。しかし、日本語と同じ漢字を使う中国語や朝鮮語の地名表記の場合は、よほどきめ細かく、あらゆる角度から検討しないとまったくかけ離れた言葉となって、相手国の人に理解されなかったり、誤解される場合が起こり得る。「声」で主張されていることは、件の教科書の中国地名に漢字を使うことなく、音読みのカタカナ表示をしている点で問題があり、誤解や間違いを生みやすいということを言っておられる。

 例えば、英語の「ジェネバ」「ベニス」「ネープルス」「ミラン」「アレキサンダー」を、近年はそれぞれ原語に近い「ジュネーブ」「ヴェネチア」「ナポリ」「ミラノ」「アレクサンドロス」と呼ぶようになったが、それが本来の現地風の発音により近いと分かれば、それで良いと思う。

 問題は、中国語や朝鮮語を日本語読みにした場合である。これまで毛沢東や、鄧小平を日本人が中国語で発音することはなく、日本語による音読みだった。地名でも北京は「ベイジン」と呼ばれることもあるが、普通は「ペキン」であり、西安や天津、広州などは漢字に表記される通りに音読みで発音している。それが「声」投書氏によれば、中学生の教科書には、漢字ではなく大連は「ターリェン」に、天津は「ティエンチン」、広州は「コワンチョウ」とカナで書かれているそうである。投書氏は「中国では今でも日本の地名や人名は漢字で表記、中国語の発音で読むことが主流である。日本も漢字で表記、日本語読みでよいのではないか」と素朴な疑問を投げかけている。その教科書は見ていないが、私も投書氏に同感である。

 こういうように素直に考えれば良いことを、こねくり回すから分からなくなる。先日来商品の取扱説明書の分かりにくさについて、万歩計メーカーのオムロン社へ問い合わせたが、オムロン社からは一向に明確な回答が得られない。一旦売ってしまえば後は購入者が考えろと言わんばかりの傲慢な会社の消費者軽視の姿勢や、言葉をこねくり回す悪弊が簡単なことを複雑化させるとの考え方に通じるものだと思う。

 中国の地名だけの問題ではなく、ことは自分たちさえ分かれば可とする姿勢こそ他人をボイコットする利己主義の表れではないか。

2009年10月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

875.2009年10月5日(月) 太宰治「斜陽」のタネ本は、太田静子の「斜陽日記」

 昨晩NHK・ETV特集の太宰治生誕百周年記念番組「太宰治‘斜陽’への旅」で「斜陽」が作品として完成する過程を人間模様を織り交ぜたドキュメントとして放映した。愛人・太田静子との間になした娘・太田治子が保管する日記等の資料、治子の津軽への旅、神奈川県下曽我の雄山荘の生活、治子へのインタビューや感想等を通して詳しく紹介して、興味深く観ることができた。1時間半のドキュメントであり、文学の裏世界の話でとかく敬遠されがちなモチーフであるが、当事者の心理面まで中々よく描けていたと思う。

 今まであまり世間に知られていないような秘話を太田治子が提供したということは、ある面で父の生誕100年を機に過去の太宰治像と決別しようと吹っ切ったのではないかと思える。実際62歳になって初めて父の実家である青森県金木の太宰記念館を訪れ、自分の揺れる気持ちに思いがけず戸惑う。母静子とともに暮らした下曽我の家は、誰も住まない廃屋同然のまま残されており、閉ざされた門から邸内へ入ることが叶わず、周囲を歩き、外からかつての自宅の思い出に耽る。「斜陽」では舞台は伊豆になっているが、実際はこの下曽我の雄山荘の出来事だった。

 「斜陽」が完成するためには、静子が書き続けていた「斜陽日記」がヒントとなり、推進力になったようで、太宰もそれをしきりに当てにしていた。「斜陽日記」は、太宰と静子の間で交わされたラブレターで、斜陽の言葉通り太宰の生き方も傾いて、気持ちは徐々に死へ向かっていく。一方、その過程で新しい時代の女であった静子は、治子の誕生から一転して幕引きを「死」から「生」へ昇華させていく。この静子の「生」への希望が、「斜陽」の最後は「死」と捉えていた太宰をして、静子との別離を決意させたようだ。静子は「斜陽」の完成を見て金木の実家近くに住んでいた太宰へ会いに行く。しかし、太宰はつれなく、これが2人の最後の逢瀬となった。「生」へ向かって力強く生きようとする静子と、「死」に執着する太宰との永遠の別れである。

 その僅か半年後、「死」を決意していた太宰は、もうひとりの愛人・山崎富栄を誘い入水自殺する。一方静子は太宰との思い出を胸に秘めて、女手ひとつで治子を育てながら69歳で亡くなる。

 胸に詰まらせられる愛憎ストーリーである。ノンフィクションであるが、これまでほとんど知らない内容だった。今年は太宰治関係のイベントが盛り上がり、随分遠い時代の人と考えられがちであるが、松本清張と同じ年齢だったとはとても思えない。先年93歳で亡くなった亡父より1歳若い。

 太宰に新しい興味も湧いてきたので、近い内に「斜陽」をもう一度読んでみようと思っている。

2009年10月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

874.2009年10月4日(日) 中川昭一元財務・金融担当大臣自殺か?

 今朝インターネットのWEBサイトを見ていて思いがけない訃報にあっと驚いた。あの元財政・金融担当大臣だった中川昭一氏が今朝自宅のベッドで亡くなっているのを奥さんが発見した。何となくミステリーじみている。ニュースを知って直感的に自殺だと思った。

 今年2月ローマで開かれた主要7ヶ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)の記者会見における酔っ払った無様な様子が国内外で報道され、日本国内ばかりでなく世界中からブーイングが上がり厳しく非難された。それほどお粗末なもうろう会見だった。一国の財務大臣ともあろうものが、世界注視の記者会見に酔っ払って出席するとはあきれ返った行状である。取り巻きもよくない。あの映像は確かに酷かった。目はうつろであらぬ方向を見据え、ろれつの回らない口調でそのだらしなく、惨めな姿は大臣の人格をさえ疑わせるもので、マス・メディアからも散々叩かれた。自業自得とは言え、帰国後直ちに大臣を辞任して、その挙句に父親から譲り受けた地盤の支援者からそっぽを向かれ、総選挙で落選し、比例区での復活当選もならなかった。ローマでの記者会見から奈落の底へまっしぐらで直行し、そのまま浮かび上がることはなかった。

 高校卒業後、浪人中は代々木ゼミへ通い、英語授業は小田実さんや小中陽太郎さんから教えられ、東大から旧興銀へ就職したくらいだから頭は良かった筈である。自殺した北海道のヒグマと言われた、父親中川一郎氏の死後地盤を継いで、北海道選出の自民党有力議員として徐々に存在感を示したが、人の上に立つ人物としては、酒乱による素行に見られる通り、周囲の人への配慮や態度に欠け問題があり過ぎた。父一郎氏が一派を成す有力議員だったためであろうか、取り巻きが何でもやってくれると思い違いしている内に、いつの間にか裸の王様になってしまった。数年前の駐日インド大使主催のレセプションでよろめきながら大使館へ到着した裏話は有名だ。

 自民党に他に人材がいなかったわけでもあるまいに、世襲議員として当選回数を重ねている間に、国会内でひとかどのうるさ型となっていった。一部では未来の総理候補と期待されていた節もある。その間実力をつける代わりに権謀術数や世渡りだけが身についたようだ。それにしても世襲議員特有の甘ちゃんに、かつてはわが国の農林行政を、最近では金融を一切任せていたとは情けない。結果はどういうことになったか。農業は疲弊し、金融は一向に立ち直りの気配が見えない。父親の七光りで連続8回の当選をしていながら、酒だけ力量を上げて、政治家としての力を磨くこともしてこなかったのではないか。人間的にはまったく子ども同然である。

 見栄を張り偶に威張る程度ならまだ許せるが、傲慢不遜そのものの態度で押し通した。選良の負託を受けて代議士になった以上、勉強して実力を培うことは当然であるが、精神的な強さも身につけなければ、他人の足を引っ張ろうと考えている輩が多い中ではとても太刀打ち出来ない。サンドバッグのように叩かれても叩かれても耐え抜く意思の強さがなければ、魑魅魍魎の政治の世界ではとても生き抜いていくことはできるものではない。

 まだ、自殺という結論が出たわけではない。司法解剖の結果で警察はその可能性が低いと発表したが、死因の断定には至っていない。病理検査を行うという。父親の自殺の際も当初は自殺とは発表せず、その後著名な医師による虚偽の死亡鑑定書が問題視され、結局自殺と断定された経緯がある。

 どうも地位に相応しい人間性と実力が伴わない人間が権力を持つとろくなことはない。それにしても麻生前首相は、選挙の大敗という堂々たる?理由で辞めることが出来て良かったのではないか。

2009年10月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

873.2009年10月3日(土) 次回オリンピック開催地、リオ・デ・ジャネイロに決定

 残念ながら東京は2016年夏季オリンピック開催都市に選出されなかった。開催地は南米で初めてリオ・デ・ジャネイロに決定した。リオは4候補都市の中で一番可能性が低いとみられていたが、南米大陸で初めてという目新しさが、治安問題やその2年前のサッカー・ワールドカップ開催のダブル不安を乗り越えて栄冠を射止めた。今回のIOC委員による投票の推移と結果をみていて意外なことが分かった。ひとつは、シカゴがオバマ大統領夫妻の圧倒的な人気を背景に支持を受けかなり決定の確立が高いと考えていたが、予想に反して第1回の投票で東京を下回る最下位で早々に姿を消したことである。アメリカが政治的な力だけで押しまくることに、IOC委員の間で反感を持たれたことがあるとの声がある。昨夕東京都の猪瀬副知事が、オバマのスピーチの内容には理念がなく、ただミッシェル夫人の故郷だから開催させてくれという次元の低い演説だったと酷評していた。尤もリオだって同じで、お祭好きのブラジル人らしく、大会開催を盛り上げたいとの一点張りだった。気の毒だったのは、マドリードで前回も立候補して破れ、今回も第1回の投票では最高票を得ていながら最後の決戦で、リオに大差で涙を呑んだ。

 東京は開催都市に立候補した時点に比べ、少しずつ追い上げて昨日の総会では、一番まともな主張と将来の環境問題を提起したが、ある新聞によればスポーツの祭典としての高揚感とか、ワクワク感に欠けるとあった。それに国民の支持が4都市の中で一番低かったことが評価を下げた。第1回の投票でシカゴを上回っていながら、人脈に欠ける点も第2回では逆に票が減った原因ではないかと指摘されている。

 リオの開催はある程度自然の流れだと思っているが、気にかかるのは、ブラジル政府に開催にかかる経費が、2014年開催のワールドカップと併せて負担出来るかどうかである。ルーラ大統領は、早速記者会見でインフラ整備に約32兆円を投資すると語ったが、そのほかにも開催自体にかかる費用がある。いくら経済が上昇機運のブラジルとはいえ、これだけの負担に耐えて国際的に大きなイベントを3年間に2つも実施可能だろうか。この点は今後も注目していたい。

 秋のお彼岸にお墓参りをしなかったので、今日長男家族とともに、近藤家の宝仙寺と妻の実家、川手家の多摩墓地へお参りした。今朝方は時折小雨がぱらついたが、幸い天候も回復してお役を済ませたような気持ちになった。すっきりした気分である。やはり1年に2度の墓参りは欠かせられないと感じた。

2009年10月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com