大学の飯田ゼミの例会が、例年通り九段会館で開かれた。3年生になり三田キャンパスで経済学部飯田鼎教授の謦咳に接して教えを受け、卒業後も先生を慕ってゼミ生が年に1度は集まる、アカデミックで温かい雰囲気が私は好きだ。飯田先生も毎年楽しみにしてわざわざ千葉県鎌ヶ谷市からお越しいただいている。
今年は例年になく参加者が少なく、30名を若干オーバーする程度だった。いつもより10名程度少ない。幹事さんも交替した。新しい幹事は厚木市内で塾を経営している池浦達也さん。私から数えて4代目である。前幹事の伊藤暁さんは、麹町女学園の校長だったが、今年4月から金沢市内にある北陸大学の未来創造学部教授に就任した。「未来創造学部」という学部は初めて知ったが、いかにも未来志向の現代観を匂わせてくれる。不自由な単身赴任とのことだが、新任教授の活躍を祈念したいと思う。
それにしても現役の後輩たちの集まりが少々悪い。忙しいということもあるだろうが、今年は連休の中日というのが出席率の低い一因であると思う。来年は出来るだけ、連休は避けようという声が聞かれた。
いつも飯田先生に付き添って来られる奥様が生憎体調を崩されたということで、娘さんが車を運転して来られた。先生のご健康状態は、あまりお変わりないようなのでまずは安心した。やや元気のないように見えるのはお年のせいだから仕方があるまい。それにしても、かつては博愛的労働経済学者らしく、熱の入ったスピーチをなさったが、失礼ながら今日は通り一遍のご挨拶だけで勢いのあった論説を伺えなかったのが少々残念である。
しかし、これもすでに大学を去られて時が経ち、先生のお年を考えれば止むを得ないのかも知れない。いつまでもこのままお元気でいていただきたいと願うばかりである。
出席者はひとりひとりスピーチをされたが、思い出話の中で慶応義塾で学ぶことが出来て恵まれた学生生活を送れたということと、飯田先生のご薫陶を受けたことを有難いと感じ、素晴らしい学友に巡り合えたことを幸せに思っているとの言葉が何人かの会員の発言の中にあった。実際私自身も心からそう思っており、それは杉田士郎さんが創った「慶」第3号にも「飯田ゼミのアカデミックな伝統と仲間たち」と題して書いたほどである。今日はこれを全員分コピーして配布して読んでいただくことにした。拙著の宣伝も入れたので、少々ヤラセの感はあるが、私自身そのくらいゼミに愛着を抱いている。いつまでも学生時代の気持ちを持ち続けられ、頼りになる仲間同士で語り合える場があるということは有難いことである。
11月には、赤松さんの所属する上野浅草フィルハーモニーの定期演奏会もある。このままいつまでもアトホームで、親しい友だち同士の関係を続けていけたらこれほど幸せなことはないと思っている。
さて、日本の政治家の外遊には珍しく、岡田外務大臣が隠密行動で今日突然アフガニスタンへ降り立った。数日前に100名以上の死傷者を出した自爆テロもあり、いま尤も治安の悪化しているアフガンだけに事前に岡田外相のスケジュールが外部へ漏れるのを警戒して、マス・メディアへは一切知らせていなかった。そこで、カルザイ大統領と外相に会い、何らかの支援を約束して直ぐパキスタンのイスラマバードへ移動した。
難題となっているインド洋上の海上自衛艦による給油活動継続が来年1月に失効することで、日米間で微妙に齟齬を来たしている。民主党としては、継続しないことをマニフェストに掲げた。民主党は給油活動に代わる支援として民生的な復興支援を強調していたが、それがどうも見えにくかった。アメリカの反応と出方が気になって、はっきり打ち出せなかったからである。今日の岡田外相の電撃的アフガン訪問は、日米関係に拘ることなく、アフガン首脳に直に民生援助を約束するというのが訪問目的だろう。
まあアメリカに気兼ねすることなく、日本の立場に立って日本独自に動いたということは、これまでにはなかったことだと思う。アメリカに表向き異を唱えるということではなく、少しはアメリカに不満感を抱かせてもきちんと説明し、日本の立場を毅然として貫く姿勢を示したということは、独自外交へ踏み出した第1歩と言えるだろう。この岡田訪問を評価したいと思う。