昨晩NHK・ETV特集の太宰治生誕百周年記念番組「太宰治‘斜陽’への旅」で「斜陽」が作品として完成する過程を人間模様を織り交ぜたドキュメントとして放映した。愛人・太田静子との間になした娘・太田治子が保管する日記等の資料、治子の津軽への旅、神奈川県下曽我の雄山荘の生活、治子へのインタビューや感想等を通して詳しく紹介して、興味深く観ることができた。1時間半のドキュメントであり、文学の裏世界の話でとかく敬遠されがちなモチーフであるが、当事者の心理面まで中々よく描けていたと思う。
今まであまり世間に知られていないような秘話を太田治子が提供したということは、ある面で父の生誕100年を機に過去の太宰治像と決別しようと吹っ切ったのではないかと思える。実際62歳になって初めて父の実家である青森県金木の太宰記念館を訪れ、自分の揺れる気持ちに思いがけず戸惑う。母静子とともに暮らした下曽我の家は、誰も住まない廃屋同然のまま残されており、閉ざされた門から邸内へ入ることが叶わず、周囲を歩き、外からかつての自宅の思い出に耽る。「斜陽」では舞台は伊豆になっているが、実際はこの下曽我の雄山荘の出来事だった。
「斜陽」が完成するためには、静子が書き続けていた「斜陽日記」がヒントとなり、推進力になったようで、太宰もそれをしきりに当てにしていた。「斜陽日記」は、太宰と静子の間で交わされたラブレターで、斜陽の言葉通り太宰の生き方も傾いて、気持ちは徐々に死へ向かっていく。一方、その過程で新しい時代の女であった静子は、治子の誕生から一転して幕引きを「死」から「生」へ昇華させていく。この静子の「生」への希望が、「斜陽」の最後は「死」と捉えていた太宰をして、静子との別離を決意させたようだ。静子は「斜陽」の完成を見て金木の実家近くに住んでいた太宰へ会いに行く。しかし、太宰はつれなく、これが2人の最後の逢瀬となった。「生」へ向かって力強く生きようとする静子と、「死」に執着する太宰との永遠の別れである。
その僅か半年後、「死」を決意していた太宰は、もうひとりの愛人・山崎富栄を誘い入水自殺する。一方静子は太宰との思い出を胸に秘めて、女手ひとつで治子を育てながら69歳で亡くなる。
胸に詰まらせられる愛憎ストーリーである。ノンフィクションであるが、これまでほとんど知らない内容だった。今年は太宰治関係のイベントが盛り上がり、随分遠い時代の人と考えられがちであるが、松本清張と同じ年齢だったとはとても思えない。先年93歳で亡くなった亡父より1歳若い。
太宰に新しい興味も湧いてきたので、近い内に「斜陽」をもう一度読んでみようと思っている。