877.2009年10月7日(水) 小中陽太郎さんと金大中氏とのツーショット写真

 年内に発行予定の共著「知の現場」で、小中陽太郎さんを取材させていただいたが、個人的には小中さんの「知の現場」以上に、小中さんの過去の幅広い社会的活動に強い関心があった。わが家からほど遠からぬご自宅における取材でも、話題と関心がつい「べ平連」や、米空母「イントレピッド」米水兵脱走事件に行ってしまう。その他にも小中さんからは公に報道されていない話も随分伺ったが、ポーランドのワレザ元連帯議長やチェコのハベル元大統領にもお会いしたということもあり、新刊書に「行動」をにじませたく何とかツーショット写真を添えてもらいたいと思っていた。幸い編集者から同意してもらったので、提供していただく写真をお願いしたところ快くお引き受けいただき、今年8月に亡くなった韓国の金大中元大統領と一緒に撮った写真をお預かりすることになった。昨日お願いしたところ早速メール添付で送っていただいた。金大中氏についてお話を伺ったところによれば、お会いしたのは、1973年10月24日、軟禁されていた金氏を解放してもらうべく韓国官邸を訪れた直後に金氏は釈放された。その足で金氏の自宅を突撃取材された。その時の貴重な写真である。それにしても金氏も小中さんもいかにもお若い。拉致されたのが、その年の8月8日で、偶々私はエジプトからスーダン、エチオピアを経て当時インドのボンベイに駐在していたアルペンクラブの廣瀬明夫くん宅を訪れていた時だった。そんなこととは露知らず、帰ってきて世間の蜂の巣をつついたような騒ぎに接して、ことの重大さに驚いたことが、昨日のことのように思い出されてくる。

 小中さんの凄いところは、厳戒体制下の金氏の自宅を取材に訪れたのは、何と小中さんが最初で、そのせいで翌日には国外退去の処分を受け強制的に出国させられたことである。小中さんは「イントレピッド」もそうであるが、率先してポジティブに行動する人というイメージが強い。

 その折りの金氏とのツーショットを新刊の中で見るのも違った意味で楽しみである。キャプションを付けて早速プロジェクト・リーダー経由で編集者へ送付した。

 そう言えば、先日私のブログを見て三島由紀夫のことが書いてあったからと言って、わざわざ三島由紀夫が書いた秘蔵の手紙をコピーして送ってくれた高校時代の友人がいる。ブログを読んでは時々建設的なコメントを寄せてくれる近所に住む友人、呉忠士くんである。

 三島が友人の父親へ宛てた私的な手紙である。友人の父は有名な古代ギリシャ文学の碩学・呉茂一元東大教授で、小田実の恩師でもあり、恐らく三島も学生時代に教えを受けたひとりであろう。手紙を読むと三島が意外に愉快な人物であることが分かり、微笑ましく親しみが湧いてくる。世上よく知られている三島のボディビル鍛錬を、三島は中止してその10年の鍛錬期間を浪費だったと反省し、その分ギリシャ語が10年遅れたと自戒していることや、執筆中の「金閣寺」を大岡昇平が「キンカクシ」と読んだことなど、世に知られていない内容で中々愉快である。

 周囲にこういう貴重な資料を抱えている人たちがいて、それを提供してもらい恩恵に浴していられることは有難いことで、感謝するばかりである。

2009年10月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com