5580.2022年8月23日(火) うまくすると眼鏡は要らないかも・・・。

 9月16日に東京医療センターで右眼の白内障手術を受ける予定であるが、その前に手術を受けるに当たって説明と検査があり、今日2度目の検査のために医療センターへ出かけた。2週間前に最初の検査があった。ちょうど2年前に左眼の白内障の手術を済ませて視力は随分向上し、前回と同じ担当医であり、左眼同様に右眼の手術も成功するなら今後眼鏡を必要としないのではないかと思っている。元来視力は良かった。高校時代は両眼とも1.5の視力だった。それが浪人生活1年目に受験勉強に無理をし過ぎたのか予備校に通っていた時、日に日に黒板の字が見難くなり、父の知人の紹介で自衛隊中央病院で検査してもらったところ仮性近視と診断された。医師から自宅が海に近いのなら、毎日遠くの海を見続けていれば自然に治ると言われた。ところが、浪人生活の一番大事な受験勉強の最中に毎日悠長に海ばかり眺めているわけには行かず、「四当五落」を自らに言い聞かせていたこともあり、医師の折角のアドバイスではあったが、聞き入れることなく受験勉強に力を注ぎ、以後視力は元へ戻らなくなってしまった。あれからもう65年が経過した。うまく行けば、秋には無垢だった青春時代と同じ眼鏡なしの生活を取り戻せるのではないかと密かに期待している

 いま眼鏡を使用しているが、絶対必要というほどの重要性はなくなった。むしろ両耳に眼鏡の縁、補聴器、マスクを着けると煩わしいこと夥しい。そのうえ、マスクを常時着用するようになってから眼鏡のレンズが曇りがちになり、面倒である。眼鏡を不必要ということなら正に願ったり叶ったりである。
 さて、
連日炎暑続きで些か閉口しているが、最近の傾向として南国の沖縄が今年ばかりは、猛暑日がほとんどなく気温も関東ほど高くはなく、沖縄は「避暑地」とのジョークまで聞かれる。東京都心では今年猛暑日がすでに14日もあって過去最多である。一方、沖縄では7月に1度猛暑日があったが、8月に入ってからは1度も猛暑日がない。那覇市内の過去最高気温は、2001年8月9日に記録された35.6℃というから、東京の暑さに比べると「避暑地」という言葉が出てくるのは無理もない。因みに北海道の最高気温は、音更町で2014年6月4日に記録された37.8℃だそうだが、最低気温は-41℃でその寒暖差、78.8℃日本記録である。それにしても那覇市の最高気温より、北海道の最高気温の方が高いというのは、どうにも信じがたい気がする。

 ともかく先入観というのは中々頭から消えないものだが、「南国沖縄は暑い」との思い込みが決してそうでないということを今年の異常気象が教えてくれる。

2022年8月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5579.2022年8月22日(月) 仙台育英高、東北勢甲子園初優勝

 今日夏の全国高校野球決勝戦が行われた。かつては甲子園は憧れだった。今日も決勝戦をずっと見続けた。中学3年時には開会式から3日間連日甲子園に通いつめた。2人の子どもが小学生の頃は夏休みになると彼らを甲子園に連れて行くのが恒例となった。高校3年時の昭和31年夏の大会で平安高校が優勝した時、優勝パレードでグランドを行進していたのは、平安中学校の同級生たちだった。母校湘南高校も今から遠い昔の73年前に初出場・初優勝を果たした。どれもこれも懐かしい想い出である。

 戦前の全国中等学校野球大会(現全国高校野球大会)では、臨戦体制の影響を受け、開戦時の昭和16年から終戦の昭和20年まで大会は中止された。それが今日では、年々ハード面はもとよりソフト面でも大会実施面、及び選手の健康面で理想に近い配慮がされるようになった。今では、全体の日程を連戦のないように組み、準々決勝と準決勝戦、準決勝と決勝戦の中1日を休息日にしている。1人の投手が1週間以内に500球以上投げてはいけないルールまである。他にもかつては、ベンチ入りの選手を9人から14人に増やしたが、今では18人で戦う態勢になった。このために最後まで1人の投手が投げ切る完投は大分少なくなった。

 それが、戦時下ではかなり制約があった。「選手」ではなく「選士」と呼ぶことや、「打者は投手の球をよけてはならない」なんてナンセンスで危険なルールもあった。途中交代禁止なんて乱暴なルールもあった。これでは1人でも負傷者が出た場合には8人で試合に臨まなければならなかった。我々がラグビーをやっていた高校時代は、試合途中での選手交代は認められなかったものだ。1人ケガをすれば、14人で戦わなければならなかった。あまりにも選手の健康を気遣わない前近代的なルールだったと言えよう。今では選手交代を作戦上有効に活用したり、交替が当たり前になった。

 さて、今日の決勝戦であるが、宮城県代表の仙台育英高が、山口県代表の下関国際高を8-1で破り、東北勢として初めて優勝を遂げた。越すに越されぬ「白河の関を越えた」優勝と言われている。過去に東北代表校は決勝戦に11度進出したが、いずれも惜敗して栄冠を勝ち取ることが出来なかった。全国3,547校の頂点を極めた仙台育英高の栄誉を心より祝福したい。これまで高校球界では弱小エリアと考えられていた東北地方からベスト4に2校も進出するとは思いも寄らないことだった。それほど東北勢は力をつけてきたと言える。過疎地域の高校が強くなるよう、つい人情的に応援したくなるものだ。若干気がかりなのは、それらの強豪私立校選手の中に、地元の選手が果たして何人いるかということである。強豪校ほど全国から優秀選手をスカウトして地元出身選手がいなくなる傾向がある。

 1984年夏の大会で茨城県立取手二高が、PL学園を破って優勝した時、偶々茨城県教育庁で教員海外派遣団の事前研修会を行っていた県職員、先生方の取手二高への熱の入れ方がすごかった。優勝が決まるや、直ちに県庁にプラカードと横断幕が掲げられた。その時ある先生からこれが私立校だったらこれほど盛り上がらないと伺った。地元の選手、特に公立校出身選手の活躍が期待されていたのだ。果たして優勝した仙台育英高校選手の中には、どのくらい地元出身の選手がいるだろうか。優勝に水を差す気持ちは毛頭ないが、それでもやはり気にはなる。

2022年8月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5578.2022年8月21日(日) 悪徳商法の旧統一教会にズブズブの自民党

 カルト集団の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)について、NHKを除いてメディアでもかなり詳細に報道するようになった。更にそれをネットや週刊誌で調べてみると、さほど裕福ではない日本人信者が徹底的に資産を絞り取られ、そのうえ思考力まで奪われていたくらい、しつこく悪質なものであることが徐々に分かって来た。

 決して許されることではないが、安倍元首相が山上徹也容疑者に暗殺された背景には、彼の母親の旧統一教会への多額の献金によって容疑者の家庭が破壊されたことがあり、それが容疑者への同情を誘っている。偶々不幸な事件が、今日の悪質なカルト集団、及び自民党との抜き差しならぬ関係を公に晒すことになったのは、ケガの功名である。旧統一教会が、設立当初から日本を金づるとして目をつけていたことがはっきりした。それ自民党が手を貸していたとも言える。その自民党、旧統一教会との関係はないと逃げるばかりで、多くの国民が不幸のどん底に突き落とされたことに、知らぬ存ぜぬで反省をしようともしない。

 朝鮮戦争後旧統一教会を設立した創立者の文鮮明会長は、妻の韓鶴子現会長とともにアメリカへ渡り多くのビジネスを手掛けた。その資金源は日本からの献金で、実に4,700億円が持ち出された。文夫妻は、これら多額の献金により日本信者の家庭をつぶした資金をアメリカで投資したり、豪邸を建てたり、カジノで遊び回っていたという。仮にも宗教家を名乗る人物が賭博にうつつを抜かしていたとは笑止である。

 設立当時韓国国内では、スパイ機関の中央情報部(KCIA)と信頼関係を築き、その後首相になった金鐘泌局長の紹介で国内に信者を増やして行った。

 実は、文鮮明氏はアメリカで事業を行った時、脱税により有罪判決を受け収監されている。それを知った安倍元首相の祖父岸信介元首相が、当時のレーガン大統領に頼んで釈放してもらったとの噂もある。その文氏が1992年に来日した際、入管法の規定では入国が認められないのを超法規措置で入国を認めた。それに関わったのが金丸信自民党副総裁であり、岸元首相以来自民党と旧統一教会の関係はズブズブだったのである。安倍元首相の度重なる旧統一教会への賛辞は、とても一夜漬けで出来ることではなく長期に亘る強い信頼関係に基づいた行為だった。自民党は、旧統一教会を選挙の道具に利用し、小選挙区制になってからは票読みまでして、旧統一教会を差配していた。こんな悪質な疑似宗教団体を利用しながら、選挙でも有利に手配して非道なことを行ってきた自民党の悪質さも止めどもない。

 これほど非難されているカルト集団との長きに亘る懇ろな関係を、どうして自民党は世間に、また国民に対して今後一切手を切ると約束出来ないのだろうか。人の意見をよく聞くと自ら得意気に語った岸田首相が、「検討する」との言葉一辺倒で一向に思い切って断交を言えないのか。そのせいもあり、このところ岸田首相、及び岸田内閣に対する支持率が急激に低下している。毎日新聞社の世論調査によると直近の支持率は36%で1か月前の52%から16%も下がり、発足以来最低であるのに対して、不支持率は37%から54%に上がっている。岸田首相は、「検討」ばかりして、決断しないからで、一部には岸田内閣は「検討(遣唐)使」と皮肉られている。その岸田首相も今日まで夏休みを取っていたが、その間にコロナに感染したというおまけまでついた。昨日のブログに、日本人には「集団腐敗体質」が潜んでいると書いたように、総理大臣を筆頭に、特に政治家にその疫病が取り付いているようだ。

2022年8月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5577.2022年8月20日(土) 日本人に沁み込んでいる「集団腐敗体質」

 このところ連日あれこれ報道されているのが、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)、及び旧統一教会と関係のある国会議員である。先日共同通信が全衆参国会議員にアンケート調査した結果、旧統一教会関連団体のイベントに出席したり、選挙協力を受けた議員が、実に106人もいることが分った。中でもこの数日注目されているのは、萩生田光一・自民党政調会長である。萩生田氏自身都内八王子市出身で、市議会議員当時から旧統一教会八王子家庭教会に顔を出していながら具体的な関係を語らず、明確に説明をしないことから旧統一教会と深い関係があると見られている

 岸田首相は、去る9日長崎原爆慰霊追悼式典に出席の折、「政治家としての責任において旧統一教会との関係を点検し、厳正に見直すよう指示した。そうすることが新閣僚や党役員などにおいても前提となる」と語ったが、その後の役員人事を見ると、そうだろうかと疑念が湧いてくる。どうして岸田首相は、そこまで言っておきながら人事で疑いのある議員を重要ポストに登用したのか首を傾げざるを得ない。

 そこには、日本人特有の「集団腐敗体質」があり、ある程度の集団になると日本人に沁み込んでいる腐敗が現れることのようだ。実は、「選択」8月号巻頭に新谷尚紀・国立歴史民俗博物館名誉教授へのインタビューが掲載されている。日本人の体質について新谷教授は次のように分析している。日本人が誕生したころは、個人で狩りを行う狩猟民族と異なり、農耕民族として集団で稲作を行ったことから、集団で稲作をやれば収穫後に楽しいことが待っていると知っていた。総合的な経営、集団的な行動が第一であると身体で知ったのである。集団の中で生きてきたために、日本人には個人としての危機感がなく誰も責任を取らない。太平洋戦争で負けても一億総懺悔と誤魔化し、原爆慰霊碑にも「過ちは繰り返しません」と書いてあるが、誰の過ちなのか分からない。組織の中の役割分担でやっていたのだからと誰が悪いのかを特定しない。世の中で責任を追及しないし、させない社会システムが完成しているという。過去に他人の責任を追及する人間がいたら、むしろ彼をいろいろなレッテルを貼って社会から排除してきた。これは、一般社会でも企業の不祥事などでも原因を明らかにしない傾向がある。

 翻って今日の政治家の行動を見てみれば、明らかである。先日殺害された安倍元首相は、森友学園、加計学園問題で国家資産を利己的に処理し、国家に損害を与え、その関連から近畿財務局職員を自死に追い込んだ。かくまでして一向に反省の色がなく、疚しいことがあれば国会議員を辞めるとまで公言した。更に「桜を見る会」の公私混同と公職選挙法違反、所得税法違反など、数々の問題行動を起こしている。それでも国会議員を辞める気はない。それでも亡くなるまで政界で大きな力を揮っていた。当時総理大臣だった人物の犯した罪に、周囲は何も逆らうこともなく、厳しい非難を浴びせることもなかった。上に立つ人間に追従する人ばかり増え、日本人集団は付和雷同的な民族だと言える。

 新谷教授は、自立心も自覚もない日本人は、選挙をやっても無自覚な投票者ばかりで意味がないと語っている。選挙が機能していないとまで述べている。100%その通りとは言ないが、かなり教授の言うことは理解出来る。ただ、これでは今の日本で生きていくには、何に希望を抱いて生きていくのか、少々先が暗くなる。せめて自立心と自覚を持ち、ことに当たっては是々非々をはっきりさせることが大事だと思う。

2022年8月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5576.2022年8月19日(金) コロナ感染者数、4週連続世界最多

 コロナ禍が第7波に突入してから一向に勢いが衰えない状態に、イライラしていたところ、昨今微増微減を繰り返していた新規感染者数が、昨日全国で一気に255,534人を数え、7月28日に233,094人を記録して以来8日ぶりに過去最多を記録した。ところが、それに追い打ちをかけるように、今日も261,029人が感染し、2日連続で過去最多となった。

 世界保健機関(WHO)がまとめた14日までの1週間の感染状況によれば、何と日本の新規感染者数は4週連続で世界最多という高水準レベルにいる加えて死者数も1,600人を超え、アメリカに次ぐ世界で2番目の多さとなった。この好ましくない不名誉なニュースについては、日本のメディアはほとんど報道することはない。日本はワクチン接種も比較的行き届き、衛生面でも安心と思われているが、何故に世界で最悪という情けない感染状況になるのだろうか。現実にこの厳しい数字を突き付けられると対策としてどうしたら良いのか中々思いつかない。あの北朝鮮が、あっという間にコロナ・ゼロと発表したが、真偽のほどはともかく、あのファットマン金正恩さんにその極意を教えてもらいたいものである。所轄の厚生労働省は、一応出来ることには手を尽くしているように見えるが、この数字を見ると日本の防止対策はまだ甘いと言わざるを得ない。

 ただ、気になるのはこのままいつまでもコロナ禍現象が停滞していると、観光業を主に経済的なダメージが大きく、その厳しい防止対策と経済対策のバランスをどのように取るかが問われると言えよう。

 ひとつの例として、打撃を受けた観光業界の中でも、その影響が計数的にはっきり表れるインバウンド業界を見てみると、外国人観光客が日本にやって来なくなった現実が計数的にはっきりしている。かつて数多く訪れていた外国人観光客が今では減少したまま戻らない。ある程度予測していたが、予測以上に観光客が戻って来なかった。

 政府は6月に海外からの観光客の受け入れを条件付きで一部再開したが、思うようには入国者は伸びない。翌7月には、受け入れ再開の影響が反映されると見られていたが、コロナ前の2019年7月に比べると95.2%減っている。インバウンド業界は、2011年には外国人観光客は622万人だったが、以降右肩上がりに増え、19年には実に3,188万人にまで伸長した。それが昨21年は想像もしていなかった25万人にまで落ち込んだ。国交省は2030年には6千万人まで伸ばせると大きな期待を寄せていたが、それが暫く待てばその通り実現するのか、何とも言えない。

 旅行先として日本を選択してくれた外国人には、その夢を壊さずに何とかかつての期待を実現させてあげたいものである。今では取らぬ狸となってしまったかのように思えるが、日本のマーケット市場は、日本人の「おもてなし」の心とともに観光地には魅力が溢れており、必ず外国人にアピールするものと考えている。日本マーケットは外国人にも人気があり、今後コロナのような想定外の不運な事象さえなければ、旅行需要が衰えることはないと思うので、コロナ前の環境さえ取り戻せれば昔の夢を追うことは、必ずしも非現実的とは思えない。期して待ちたいと思う。

2022年8月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5575.2022年8月18日(木) 森英恵さんの死に「スパイ・ゾルゲ」を想う。

 日本のファッション界をリードし、パリで世界的ファッション・デザイナーとして活躍された森英恵さんが、去る11日96歳で亡くなられた。つい先日同じくパリのファッション界で活躍されていた三宅一生氏が亡くなられたばかりである。

 実は、私には森さんに縁のような小さな想い出がある。2003年篠田正浩監督の映画監督引退作品「スパイ・ゾルゲ」が公開された折、ゾルゲの仲間だったブランコ・ド・ヴケリッチの妻、山崎淑子さんと遺児である友人洋さん母子が試写会に招かれた。友人はわざわざベオグラードから一時帰国して試写会に出席した。試写会の数日後洋さんと会った時、彼から思いがけない話を聞かされた。映画では母親は和服を着ていたが、実際に母が結婚前の父と初めて出会った時は洋装だったと聞いた。彼にはそれがどうも納得がいかないようだった。

 その数日後、篠田監督をよくご存じの小中陽太郎氏に、その事実をお話しした。すると小中さんは早速篠田氏へ連絡を取られて事実関係の疑問について尋ねられた。その疑問に対して篠田氏はこう応えてくれたという。事実はそうだったかも知れないが、映画の衣装担当だった森英恵さんが、それを承知のうえでこの場はヴケリッチの恋人は、和服の方がストーリーの流れや雰囲気上しっくりいくと主張された。森さんからは、恋人役には和服を着せて欲しいと要望され、母親淑子役の女優小雪に和服を着てもらうことになったという説明だった。小中さんから伺った和服に替えた真意を山崎洋さんに伝えたところ、彼も納得してくれた。舞台裏ではそんな経緯もあったのだが、映画でより一層効果を狙えば、時には事実を歪めることあるということである。

 その後この映画を鑑賞したが、戦時中のスパイ事件で気持ちが暗くなりがちだったが、大筋はフィクションではないので、歴史上ゾルゲ事件の理解にも参考になった。

 この服装変更の件については、ネットのWikipedia「スパイ・ゾルゲ」項に次のように説明されている。「ヴケリッチの妻である山崎淑子(2006年死去)は当時存命で、子息である山崎洋(彼も生誕間もない姿で本作に登場する場面がある)とともに試写会に招かれている。ヴケリッチと淑子が出会う場面で淑子は和装であるが、史実では洋装であった。これに関しては衣装担当の森英恵がそれを知った上で和装にするよう篠田に勧めたという」と明確に解説されている。

 さて、連日のようにアメリカ大リーグ(MLB)・エンジェルスの大谷翔平選手の活躍が、スポーツ番組だけに留まらず、その日のニュース番組でも大きく取り上げられるほどである。このところ不振なチームの中で大谷選手の活躍だけが目立ち、スポーツ記者から大谷以外のチームメートは大谷に付いていけないとまで酷評されている。大谷は先日ベーブ・ルース以来104年ぶりとなる二刀流として2桁勝利、2桁本塁打を記録し、最近の5試合では18打数で2本の本塁打を含む10安打の打率0.526の活躍だったが、チームは最近3試合で25失点を喫している有様で、とても勝てるチーム状態ではない。今や大谷選手は、イチロー、松井喜を凌駕する活躍ぶりだとして、大リーグ記者の間からも絶賛の声が上がっている。

 かつて、MLBで史上最多の4,256安打を記録したピート・ローズが、イチローが日米通算3千本安打を記録した時、日本のプロ野球は中学生レベルなので、とてもMLBと同等には扱えないと辛辣な感想を述べたが、今では、中学生レベルの方がプロを上回ったのではないか。随分日本人選手も活躍するようになったものである。大谷選手の活躍を、今ピート・ローズはどう見ているだろうか。ハッハッハ!実に愉快である。

2022年8月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5574.2022年8月17日(水) 知事にはどんな人物が相応しいか。

 タレントの東国原英夫氏が、今年12月に行われる宮崎県知事選に再出馬すると発表したのに少々驚いている。また出るのか、というのが率直な感想である。2007年の県知事選に出て初当選したが、惜しまれながらも1期だけで辞め、その後日本維新の会から衆議院比例区近畿ブロックで当選したが、1年務めただけで翌年辞任してしまった。政治家としての力量は未知数であるが、県知事当時はかなり活躍し、知事に一目会いたいと県庁を訪れる人が多かった。中でも知事在任中に乳牛の伝染病が流行り、蔓延防止のために大量の乳牛を殺処分することに苦渋の選択をしたことを思い出す。それにしても多くの県民から支持を得ながら、1期で知事を辞め、衆院議員も1年で辞め、東京都知事選にまで出て落選した経歴は、政治家として本当に県民、国民のために仕事をしたいと願ってのことだったのだろうかと疑問に思っていた。またお山の大将になりたいとの幻想が蘇って来たのではないだろうか。

 タレント稼業に手を染めながら、政治にも色気があり、それでいま再び政治に挑戦してみようとの気持ちが生れたのだろうか。自己本位が過ぎて、宮崎県民を軽く見ているところがあるのではないだろうか。多分タレントとしてある程度の知名度を得た、思い上がりと甘さ、そして世間知らずだろう。

 問題は東国原氏の後を継いだ総務省OBの現職河野俊嗣知事が、すでに4選を目指して立候補を宣言しており、東国原、河野両氏が揃って同じく自民党県連へ推薦申請を出していて、両者のガチンコ勝負になりそうだ。

 それにしても河野宮崎県知事のように、どうして自治体の長は、中央官庁、地元自治体の出身者が多いのだろう。全都道府県の知事は、元官僚、自治体幹部、や大臣経験者がほぼ75%を占めるというから驚異的である。これには、地方財政は中央政府からの援助がなければ成り立たないという現実がある。その点で中央官庁と太いパイプのある知事が望ましいということらしい。しかし、それでは地方行政が中央によって左右される事態があり得るのではないか。

 東京都の小池百合子知事や、大阪府の吉村洋文知事が、国に対して物怖じせずに発言出来るのは、官僚出身でないからであり、その意味では、宮崎県はどちらの候補者が知事になった方が、県にとってはプラスになるのか。派手なパフォーマンスの前知事か、はたまた堅実な行政官の現職か、12月の結果が待ち遠しい。

 ところで先の参院選でも多くのタレントが立候補し、国会議員になったが、押し並べて国政に携わるには少々力が足りないと思う。勉強不足の議員が多いし、世の中を知らな過ぎる。例えば、当選して嬉しかったのだろうか、陸上長距離選手として活躍した松野明美議員の如きは、取材されても現役選手時代と同じように早口でベチャベチャ喋るだけで中身がまったくないという印象だった。国会議員として海千山千の議員に交じって国民のために尽くすべく自説を主張し、考えを実現するようなことが出来るだろうか。

 また、もうひとりのタレント、生稲晃子新人議員のように、協力団体の支援がなければ、当選が覚束ないと思い、当時の萩生田経産相とともに、今話題になっている旧統一教会の支援を受けるべく関連施設を訪れたことが昨日明らかになった。当人もそうだが、彼らを支援する政党がもう少し立候補者の資質を知り適格性を充分調べたうえで、推薦してもらいたいものだと思う。

2022年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5573.2022年8月16日(火) つまらない新聞連載小説

 一昨日朝日新聞朝刊の連載小説「白鶴亮翅(はっかくりょうし)」が最終回を迎えた。作者の多和田葉子氏には申し訳ないが、この半年間の連載小説は読んでいて高揚感がなくつまらない内容の小説だった。読んでいて一向に興味が湧いて来ないので、2か月ほど前に疑問を抱いた。朝日ともあろうものが、どうしてこんなつまらない小説を毎日載せなければいけないのかと・・・。芥川賞作家でもある多和田氏は、この小説で一体何を書こうとしているのか、まったく見当がつかなかった。父親もハンブルク大学院の修士課程を修了したようにドイツに関する専門家で、ドイツに長年居住している作家だけに、ドイツ事情に詳しくドイツらしいお国柄を窺わせる個性的な生活面の著者独自の見解、描写や、ドイツ人らしい思索的、かつ哲学的な人間関係でも書いてくれるかなと期待していた。しかし、最後まで意図が不明のまま最終回に至り、失望感が残った。

 この小説が興味を与えてくれなかった大きな理由として、主人公は夫が帰国するに当たってドイツへ残り翻訳家としてひとりで生活しながら、普段は自宅周辺から大きく足を伸ばさず、交友関係もごく限られた数人ほどしかおらず、動きが自宅周辺から広がらなかったことである。従って自分から離れた外の描写がはっきりしていなかった。小説に登場する男性は、お隣の独身男Mだけで、いつのまにやらMの男性パートナーが入れ替わって住んでいる。とにかく世間が狭い場面の連続だった

 朝日の連載小説というのは、過去にも吉田修一の「悪人」を途中で読むのを諦めたことがある。当時吉田は乗りに乗っていた作家だったが、その割にこれもつまらなかった。朝日では2017年に在日コリアン作家・柳美里氏どういう内々のトラブルがあったのか、連載中だった「沈黙の町で」を連載途中で中止するという前代未聞の不祥事があった。その点では、昨日から連載を始めた直木賞作家・今村翔吾の「人よ、花よ」は、スタートから馬にまたがった多聞丸、楠木正行が田んぼのあぜ道を走り去るようにスピード感に溢れているので、期待したいと思っている。

 そもそも新聞連載小説は、小説を読むことが第一の目的ではなく、新聞記事を読んだ序でに毎日読み続けるものだ。失礼ながら、必ずしも読みたいと願って読むものではなく、読まされて気がついたら面白く引き込まれていたというような小説が望ましい。近年あまりを読まなくなった人が多くなったせいか、今では、朝日の夕刊から小説はなくなり、朝刊だけになってしまった。

 初めて新聞連載小説を続けて読んだのは、中学3年時に読売新聞朝刊に連載された、子母澤寛著「父子鷹」だった。勝海舟父子の生活や海舟の成長過程が良く描けていて感銘を受けたものである。

 さて、今日も暑かった。相変わらず東北地方や北陸地方には激しい雨が襲っているが、東京は晴れ上がり、今日も36.4℃の6日ぶりの猛暑日となった。全国で最高気温は、栃木県佐野市の38.8℃だった。明日以降は、降雨があるようなので、暫くは猛暑から逃れられるようだが、まだまだ爽やかな風が吹くのは先のことのようだ。

2022年8月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5572.2022年8月15日(月) 77年目の終戦の日に想うこと

 310万人もの犠牲者を生んだ太平洋戦争が終わって今日77年目の終戦記念日を迎えた。日本武道館では天皇・皇后両陛下ご臨席の下に戦没者追悼式が行われた。正午に黙祷が行われたが、私もテレビの前で1分間の黙祷を捧げて哀悼の気持ちを捧げた。年々遺族が少なくなり、参列者は昨年よりは増えたが、遺族の高齢化の傾向ははっきりしている。

 終戦時は小学校1年生(当時の国民学校初等科1年生)だった。まだ戦争が終わったとの実感はなかったが、その後母から戦争が終わったと聞いた。そんな幼い1年生時に怖いことに何度か出逢った。疎開先の房総半島の2階建て住宅に住んでいて、終戦直前に自宅の2階で突然飛来した米軍機が内房線列車を機銃掃射し列車が燃え上がる恐ろしい場面を目撃したことがあった。もうひとつ怖いことがあった。校外学習だっただろうか、青木先生という優しかったお母さん先生に連れられ、クラスで揃って学校から校外へ出てしばらくして、不意に米軍戦闘機集団が低空飛行で我々に向かって襲ってきた。先生が「皆さん!伏せなさい!」と大きな声で必死に両手を上下に振って生徒たちを地面に伏せさせた。すると戦闘機編隊は、急上昇して遠くへ飛び去って行った。泥んこになったまま立ち上がった時、どうして戦闘機は飛び去ったのだろうかと不思議に思った。戦闘機の機長は、恐らく子どもたちが逃げているのに気が付いて攻撃を止めたのだと、夢物語のようだが、後になって思ったものである。終戦によりその日から嫌な空襲警報のサイレンの音は聞かれなくなったし、近くの山の横穴式防空壕に退避しなくてもよくなり、戦争を怖がる必要もなくなった。あれから77年も経ったのかと思うと昔日の思いである。

 ついては、この日に合わせて大臣クラスの国会議員らが靖国神社へ参拝する姿が目につく。申し合わせたように口に出す言葉は、「お国のために尊い生命を犠牲にされた御英霊に対し、哀悼の誠を捧げ、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈り致しました」という決まり文句である。その気持ちは国民の誰もが抱いているが、参拝した国会議員は本当にそう思っているのだろうか。彼らには右翼、保守の人びとの支持層を得たいとの邪な思惑が潜んでいるのではないか。中には国会議員としてではなく、個人としてお参りすると言い訳のようなことを言いながら、○○大臣◎◎◎◎と職位を記帳し、私的に自費を献上すると言っている。こんなところにも言うことと行うことの分別がついていない。

 それにしても、今日に限らず、戦争ばかりはいつでも誰もが避けたい、止めたいと願いながら、どこかで、誰かによって火が点けられるものだ。戦争好きなプーチン・ロシア大統領にしても、戦争を止めようと言い出すのは、恐らく自らの生命が危うくなって逃げ場を失った時だけであろう。

 さて、原爆や終戦がクローズアップされてから、迂闊なことに初めて「被爆」と「被曝」の違いを知った。これまであまり意識していなかったが、「被爆」と「被曝」は若干意味するところが違うようだ。一般的に「被爆」とは、爆発によって被害を受けることであり、他方「被曝」は、放射能に曝されることだそうである。従って広島、長崎の原爆被災者は「被爆」であり、放射能に曝されたビキニ水爆実験被災者は「被曝」だということになる。いずれもこの世から絶対なくすべく努めるべきである。これ以上「被爆」と「被曝」を追放しなければ、未来永劫に「平和」はやって来ない。

2022年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5571.2022年8月14日(日) 戦時報道とNHKの恣意的報道

 明日の終戦記念日を控えて、テレビ各局は太平洋戦争について様々なドキュメンタリー番組を放映している。昨晩NHKで過去のドキュメンタリーの内人気の高かった番組を再放映していた。戦争の優劣を分けたと言われる1942年ミッドウェイ海戦の日本軍の惨敗に視点を当てていた。開戦2年目で日本が太平洋とアジア戦線に進軍を続けていた当時の壊滅的打撃について取り上げた番組である。この戦闘で日本海軍はどん底に突き落とされたが、当時大本営では、その事実を国民にどう伝えるか、内部で対立があり異論があった。結局国民の戦意を削がないとの理由をつけて、敗戦の事実をひた隠しにして戦果を誇大に発表したのだ。

 今日午後TBSでも「戦争と嘘=フェイク」と題して、ロシア最大の嘘を暴く、原爆隠された真実、そして太平洋戦争のフェイクと称して昨晩と同じミッドウェイ海戦惨敗の隠蔽、などについて放映していた。昨年までにもこの種のドキュメンタリーはあったと思うが、今年になって立て続けに軍事作戦隠蔽を取り上げたのは、何ごとかを意図した恣意的なアピールがあるような気がしてならない。戦時中国民に対する大本営の真実隠蔽作戦は、戦果を6倍にし、戦禍を1/5にして報告し、公表したと言われている。しかし、騙された国民の意気は喪失することなく、一層国民の気持ちを戦地へ向けた。大本営は戦力とはそぐわない偽装報道に一層力を入れることになった。軍部の偽装も酷いが、これに同調した報道機関の軍部べったりとも言える偽装工作報道も些か良識を欠いている。当然メディアも責任を伴うことになる。

 メディアが報道の倫理感に基づいて報道しようとするのを当局が許さないのは、当時の軍部の絶対体制から考えれば理解出来ないこともないが、メディアにもメディアの本旨と立場を考えれば、間違った事実を報道するのは、容認出来ることではない。況してや軍部の言い分をすべて鵜呑みにするようなことは、許されることではない。

 ところが、いま世間で批判を浴びている旧統一教会の悪しき慣習について、NHKが通り一遍のニュースは伝えるが、民放のように掘り下げた報道をしていないとの批判的な声が広範に出ている。NHKが旧統一教会と政治の闇の関係を知っていながら、岸田政権への忖度で報道するのをセーブしていると非難の声が高まっている。最近の各民放の報道によれば、献金、霊感商法、自民党議員と教会の密接な関係、昨日韓国で行われた教会創設者・文鮮明会長の没後10年記念式典で、映像による安倍元首相への高い評価などは、教会と自民党との後ろめたい関係が強いことを伺わせる。これをNHKだけが報道しないという不条理に、視聴者無視ではないかとクレームをつけたい。明らかに自民党がNHKに対して圧力をかけていることを想像させるものだ。戦時中の軍部による偽装報道とは別だが、言論統制、抑圧と相似している。

 亡くなった安倍元首相が率いていた安倍派には、35人もの衆参議員が旧統一教会と、イベントに参加したり、講演したり、会費を支払ったり、またほとんどが選挙の際支援を受けていた。安倍派は最大派閥であり、取材上政治的な圧力がかけられたり、またNHK記者が彼らに気を遣ったことは間違いない。そして民放テレビを通してしばしば観る安倍元首相の旧統一教会における式典への関わり方の報道を見れば、NHK記者が自民党、旧統一教会取材にしり込みして十分な取材をしていないことも明らかである。それは、前田晃伸NHK会長が、記者になって何年かしたら営業など他の部署を経験させるという発言が、NHK記者に思いも寄らぬ圧力となっていた可能性もある。

 NHKが現状のまま、視聴者が知りたい話題を取材せず、報道しないとしたら、公共放送であるNHK番組を観る視聴者はどんどん減って行くことだろう。図らずも表面化した公共放送のNHKの弱点が、視聴者の声によって今後真面な報道機関として立ち直れるかどうか、注目したいと思う。

2022年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com