5473.2022年8月15日(月) 77年目の終戦の日に想うこと

 310万人もの犠牲者を生んだ太平洋戦争が終わって今日77年目の終戦記念日を迎えた。日本武道館では天皇・皇后両陛下ご臨席の下に戦没者追悼式が行われた。正午に黙祷が行われたが、私もテレビの前で1分間の黙祷を捧げて哀悼の気持ちを捧げた。年々遺族が少なくなり、参列者は昨年よりは増えたが、遺族の高齢化の傾向ははっきりしている。

 終戦時は小学校1年生(当時の国民学校初等科1年生)だった。まだ戦争が終わったとの実感はなかったが、その後母から戦争が終わったと聞いた。そんな幼い1年生時に怖いことに何度か出逢った。疎開先の房総半島の2階建て住宅に住んでいて、終戦直前に自宅の2階で突然飛来した米軍機が内房線列車を機銃掃射し列車が燃え上がる恐ろしい場面を目撃したことがあった。もうひとつ怖いことがあった。校外学習だっただろうか、青木先生という優しかったお母さん先生に連れられ、クラスで揃って学校から校外へ出てしばらくして、不意に米軍戦闘機集団が低空飛行で我々に向かって襲ってきた。先生が「皆さん!伏せなさい!」と大きな声で必死に両手を上下に振って生徒たちを地面に伏せさせた。すると戦闘機編隊は、急上昇して遠くへ飛び去って行った。泥んこになったまま立ち上がった時、どうして戦闘機は飛び去ったのだろうかと不思議に思った。戦闘機の機長は、恐らく子どもたちが逃げているのに気が付いて攻撃を止めたのだと、夢物語のようだが、後になって思ったものである。終戦によりその日から嫌な空襲警報のサイレンの音は聞かれなくなったし、近くの山の横穴式防空壕に退避しなくてもよくなり、戦争を怖がる必要もなくなった。あれから77年も経ったのかと思うと昔日の思いである。

 ついては、この日に合わせて大臣クラスの国会議員らが靖国神社へ参拝する姿が目につく。申し合わせたように口に出す言葉は、「お国のために尊い生命を犠牲にされた御英霊に対し、哀悼の誠を捧げ、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈り致しました」という決まり文句である。その気持ちは国民の誰もが抱いているが、参拝した国会議員は本当にそう思っているのだろうか。彼らには右翼、保守の人びとの支持層を得たいとの邪な思惑が潜んでいるのではないか。中には国会議員としてではなく、個人としてお参りすると言い訳のようなことを言いながら、○○大臣◎◎◎◎と職位を記帳し、私的に自費を献上すると言っている。こんなところにも言うことと行うことの分別がついていない。

 それにしても、今日に限らず、戦争ばかりはいつでも誰もが避けたい、止めたいと願いながら、どこかで、誰かによって火が点けられるものだ。戦争好きなプーチン・ロシア大統領にしても、戦争を止めようと言い出すのは、恐らく自らの生命が危うくなって逃げ場を失った時だけであろう。

 さて、原爆や終戦がクローズアップされてから、迂闊なことに初めて「被爆」と「被曝」の違いを知った。これまであまり意識していなかったが、「被爆」と「被曝」は若干意味するところが違うようだ。一般的に「被爆」とは、爆発によって被害を受けることであり、他方「被曝」は、放射能に曝されることだそうである。従って広島、長崎の原爆被災者は「被爆」であり、放射能に曝されたビキニ水爆実験被災者は「被曝」だということになる。いずれもこの世から絶対なくすべく努めるべきである。これ以上「被爆」と「被曝」を追放しなければ、未来永劫に「平和」はやって来ない。

2022年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com