数年前から「湘南125回生会」と勝手に名乗り、昭和31年卒業の湘南高31回生OB3人と32回生の私の4人の卒業年数を足し算して気ままな同窓食事会を持っている。コロナ渦のためしばらくぶりだったので、今日の開催を楽しみにしていた。今日は、我々4人の外に早大客員教授の元校長にも加わっていただき、5人で横浜元町の中華街で中華をいただいた。中華街も久しぶりだったが、小雨の降る中を袖触れ合いそうなほど多くの観光客道路を歩いていて前にも進めない混雑だった。「湘南125回生会」食事会も2019年12月に会って以来コロナ渦のために会合を伸ばし伸ばしにして3年数か月ぶりである。4人の年齢を加算すれば、339歳でありお互いに余生もそう長くはない。以前から会えるうちに会いましょうと約束していたので、久しぶりの顔合わせにお互い活発に話し合って日ごろのうっ憤を晴らした。気持ちとして、2019年に上梓した共著「新世代の観光立国」を4人の方々に差し上げた。
ひとりは度々南極探検隊員として南極に出かけた地球物理学の権威であり、一番元気そうだった。その一方、海外駐在も度々で功成り名遂げて、横浜市内のタワーマンに住む先輩がやや元気がないのが気になった。割合最近になって奥さんが軽い認知症で施設に入ったと聞いていたが、やもめ暮らしになってお疲れのようだった。これまで使用していなかった杖をついていたのが、ちょっと気になった。兄については健康状態を気にしていたが、あまり変わった様子がなかったのでホッとした。血圧は平均的で夜なかにトイレに行くことはないと言う話に驚いたほどである。22日に娘家族と台湾旅行から帰ったばかりである。姪が自宅に引きこもり勝ちの兄を元気づけるために2人の子どもとともに旅行に案内してくれたのである。
そもそも兄は8年前に妻を喪った時に、かなり落ち込んでいるように感じたので、兄を元気づけるために高校時代に仲の良かった地球物理学者にお願いして3人で食事会をしたのが、この「湘南125回生会」の始まりだった。その後、3~4か月ごとに新宿のホテルで会食を重ねていた。一服の清涼剤のようなもので、幸い3人から心待ちされるようになった。それがコロナ渦のために1度もともに食事をしていない。今日はそれぞれに盟友に会えたことで、気も晴れたことだと思う。
学生生活という青春時代をともに学び、遊んだ思い出ほど懐かしく思い出に残ることはない。時が経つにつれ、同窓会やクラス会なども段々開催の機会が失われている。年齢的に参加しなくなったり、まとめ役の幹事さんが退いたり、開催の間隔を開けたりして、残念ながら出席する機会が減ってきた。小学校のクラス会は、熱心な幹事が今ではやや健康を害しているのでこれから先が気がかりである。中学校は、京都なのでそう気軽には出席できないが、それでも5年ごとの学年会には出席している。高校も割合、クラス会、学年会ともにコロナ期間を別にすれば、毎年開催し、参加している。大学はゼミの仲間とは一番親しく交流している。いつまでも参加して精神的に若帰りしたいと思っている。今日の「湘南125回生会」の食事会を堪能することが出来た。