充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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5745.2023年2月4日(土) アメリカへ飛来した中国製気球の不審
2年前の2月2日にミヤンマーで軍事クーデターが起き、アウンサンスーチー国家顧問以下政府首脳陣が軒並み身柄を拘束され、国軍が政権を掌握した。その後昨年2月にロシア軍のウクライナ侵攻が始まり、世界の目はそちらに移って行った。ミヤンマーについてはあまり報道されることもなく、派手な戦闘のウクライナの方が世界の注目を集めることになり、報道されないミヤンマーでは民主化への圧力が増幅されて、あまり芳しいことではないと懸念していた。この実態を国連も心配して、グテーレス事務総長は、今年8月までに国軍が総選挙を実施すると語っていたが、その信憑性を懸念している。そこへ国軍は、1日非常事態宣言を6か月間延長すると公表し、更にその適用範囲を拡大するとも述べた。国軍による民主化弾圧の勢いは止む気配がない。ミヤンマーに対する国連決議を行っても中ロなどが反対してミヤンマー国軍も受け入れる気持ちはなく、このままの状態が一体いつまで続くのだろうか。
さて、米中間の冷却化が懸念され、昨年11月バイデン大統領と習近平国家主席、両首脳が電話会談をした折に、米中間の緊張が不測の事態に発展することを回避するために、お互いに意思疎通の維持により開かれた外交を確認したばかりである。ところが、この2、3日雲行きが怪しくなってきた。発端は中国製気球がアメリカ本土モンタナ州に飛来したことである。これをアメリカが偵察飛行ではないかと非難したところ、中国はアメリカの言いがかりのような反論だった。ところが昨3日夜になってアメリカ本土で見つかった気球は中国から飛来したものだと認め、民間のもので気象などの科学研究に役立てるもので、不可抗力でアメリカに誤って入ったと遺憾の意を表明した。アメリカは現在この気球を追跡しているところだが、訪中予定だったブリンケン国務長官は、気球飛来をアメリカの主権と国際法の明白な侵害と述べ、延期を決断した。中国外務省は、両国外交関係者の責務は予想外の状況に冷静に対処することだとのコメントを発表したが、どこか他人事のような感覚である。
そこへまた新たな気球情報がもたらされた。別の中国の偵察気球が、中南米の上空を飛行していると国防総省が発表した。本当のところは偵察気球なのか、単なる科学気球が迷い込んだものなのか、現時点でははっきりしていない。それにしても中国はどうしてこんな怪しげな気球をアメリカへ向けて飛行させたのだろうか。偵察気球なのか、或いは中国政府が述べる科学的なものなのかは、実物を捕捉してみれば一気に解決するのではないか。中国政府が科学的な気球というのなら、実物をアメリカに提示し納得してもらってはどうだろうか。こんなことで米中間の対立が進み関係がこじれることの方が余程心配である。
この中国政府の言い訳三昧のコメントに比べて、珍しく岸田首相が今日首相秘書官を更迭した一刀両断の方がよほどすっきりする。更迭の理由は、荒井勝喜秘書官の性的少数者や、同性婚を巡る発言を言語道断と厳しく断罪したものである。
5744.2023年2月3日(金) ミクロネシア大使館新築祝賀式典に出席
ミクロネシア連邦大使館が、目黒区内に新築され近日現在の六本木から移転することになった。詳細は、まだHP上にも明かされていないが、節分の今夕渋谷のセルリアンタワー東急ホテルで新築移転記念祝賀レセプションが開かれ、正式にその存在が公表された。私たち夫婦も、ジョン・フリッツ大使ご夫妻からご招待をいただき、出席させてもらった。
2014年に上梓した「南太平洋の剛腕投手」の中で、主人公役だったアイザワ・ススム酋長の甥にあたるフリッツ大使を、副主人公役の森喜朗元首相からご紹介いただき、以来何度かお会いしている。特に、ミクロネシア独立記念、及び日本とミクロネシア外交締約記念パーティが、コロナ禍以前には毎年11月に開催されていたので、その都度ご招待をいただき、出席していた。大使とお会いするのは、4年ぶりになるだろうか。
前記拙著の出版記念パーティを新宿で開いた時には、大使は四国へ出かけておられ、出席していただけず、代理に大使秘書に出席していただいた。従って妻は、秘書にはお会いしているが、大使にお会いするのは初めてである。
会場は多くの招待客で溢れていた。入口に私が寄贈した花輪が一番目立つ場所に置かれていた。あまりにも多くの招待客が訪れたので、会場入り口前で出迎えていた大使ご夫妻に挨拶する前に時間が来て大使は会場へ入られた。今日の招待客は500人は下らないのではないだろうか。
冒頭来日中のパニュエロ大統領が約30分に亘って感謝のご挨拶をされた。その途中不意に岸田首相がSPに護衛されて登場された。大統領の挨拶に続いて岸田首相もスピーチをされた。首相夫人も別途来られた。まさか両国の首脳がスピーチされるとは思ってもいなかった。しかし、ミクロネシアは戦前の日本統治時代を含めて、長い間日本とは友好的な関係にあった。国民の約20%が日系人と言われているくらいである。実際に私自身何度もミクロネシアを訪れたことがあり、現地の日本人に対する親しみと優しい気持ちをしばしば実感したものである。正式な外交関係が締結されて今年で35年になる。これからも両国間の関係は、強まることこそあれ、弱まることはあるまい。
残念だったのは、今日会えると思っていた人たちがまったく現れず、結局妻とともに大使への簡単な挨拶程度と秘書に挨拶しただけで終わってしまったことである。森喜朗元首相と水落敏栄日本遺族会会長は、ご都合が合わなかったのだろうが、一番期待していたフリッツ大使の親戚筋に当たり、大使が東海大学に留学していた当時の身寄り先だった、辻堂の相澤重男氏ご夫妻が来られなかったことである。体調が悪いとはかねがね承知していたので、何とか会えることを楽しみにしていると手紙に書いて拙著を送ったりもしたが、余程具合が悪かったのだろう。
中小87個の貝を結んだ首飾りをそれぞれ首にかけてもらい、帰りがけには2人分の花束とお土産までいただいた。随分気持ちが行き届いていると感じたものである。考えてみれば、アルコールを飲んだのもお正月以来1か月ぶりのことである。
新大使館は、目黒通りに面した場所のようだから、我が家からは一本道で近い。いずれ新大使館を見学がてら一度訪れてみようと思っている。
5743.2023年2月2日(木) 2022年分税務確定申告書類を提出
朝9時のやや早い約束時間に合わせて確定申告書の作成用資料を抱えて、玉川青色申告会に出かけた。1年間の領収書を貼り付けたノートや、医療費分の領収書綴り、現金・預金の入出金をすべて記入した金銭元帳など、昨年とほぼ同じ資料を揃え、それは手提げカバン一杯になるほどのかなりの分量になった。青色申告会で担当してくれた係員から、これらの資料はこの数年ほぼ必要なくなったと言われて唖然としてしまった。あれほど気持ちを籠めて作り上げた資料でもあり、海の藻屑のようなことになるとはがっかりだった。
しかし、昨年は確か医療費の領収書綴りを税務署へ提出したような記憶がある。とにかく昨年までに比べて随分簡易になったようだ。すべてがデジタル化されたせいでもある。それでも申告科目別・月別統計表はじっくり時間をかけて精密に作成しただけに、係員が税務署宛の「所得税及び復興特別所得税の確定申告書」、「公益法人等寄付金特別控除額の計算明細書」、及び「所得税青色申告決算書」を作成・記入するに際して随分役立ったようで良かった。簡単に係員から説明を聞いた後で、青色申告会ビルの真裏にある玉川税務署へ立ち寄り、それらの書類を提出し受け付けてもらった。一般的に税務署では、確定申告書類の受付は2月半ばから3月半ばまでの1か月間と言われているが、必ずしもそうではなく、昨年初めて期限前に申告して受領してもらい、今年も期限前に提出することが出来た。これで約3週間集中して資料作りに当たっていたが、とにかく私にとって1年の恒例行事のひとつをやり終えてホッとしたところである。これで明日から別の仕事に取り掛かれる。
さて、昨日東京医療センター膠原病内科へ3か月振りの受診に出かけた。血糖値を示すHbA1cは、最近ほぼ安定して5.9で、最近7回検査した結果では、すべて測定値は5.8か、5.9である。糖尿病は最早あまり心配する必要がないようなことを医師は言っておられた。一方、高齢者に特有の変形性膝関節症は、毎日リハビリをしているが一向に良くならないとお話したところ、これは治る見込みはほとんどないとまたもや断言されてしまった。ただ、日常生活で困るようなところがなければ、リハビリさえ続けていればこれ以上悪化することはないと妙な宥め方をされた。その後、通いつけの松本整形外科へ報告がてら松本医師に実情を説明に行った。松本医師は両手指の不自由は確かに治らないかも知れないが、毎日リハビリを続けることは大事だと仰り、数頁の図入り「変形性手指関節症と日常生活の工夫」なるビジュアルなガイドブックをいただいた。
確かに致命的ではないにせよ、ちょっとした動作にも力が入らないこともあり、日ごろ不自由を感じて厄介ではある。しかし、加齢による症状で治る期待は抱けないということでもあり、ここは開き直って現実を受け入れるしかないように思う。あと何年生きられるのか分からないが、これが我が運命だと割り切るしかないようだ。
5742.2023年2月1日(水) 変わりつつある街の様相
物価の値上げがすさまじい。つい最近電気料金3割の値上げが発表されたばかりである。ほとんどの生活必需品が値上げされているが、今月は食料品を主に5,500品目の値上げが予定されている。言うまでもなくその発端は、ロシアによるウクライナ侵攻による原油価格の高騰にあるが、最近の鳥インフルエンザによる卵の値上がりなども大きな値上げ要因である。日本人の卵好きは昔から知られ、その消費量は世界でも2位で、年間1人当たり337個を消費するそうだ。1年間ほとんど毎日卵ひとつを食べていることになる。それが13%もアップするとあっては家庭の経済も大変である。物価の値上げに連動して収入が増えれば救われるが、それは掛け声こそ勇ましいが、勤め人にはことはそうはうまく運ばないだろう。
今年は大学を卒業してちょうど60年になる。初任給は当時平均的な18,000円だった。それが、今朝テレビである企業の学卒者の初任給は195,000円と紹介されていたが、我々も入社後最初のベースアップで6月から19,500円となった。ちょうど今の初任給の1/10である。その中から親へ幾ばくかの現金を手渡していたが、父親がまだバリバリ働いていた当時だったので、格別生活が苦しかったこともなく、自らにとって物価とか生活が厳しく感じられることはなかった。
だが、考えてみるとその当時に比べて、今日国の一般会計予算は約100倍に膨れ上がっている。国家が国民のために防衛費は別にして相当支出していることになる。だから、普通に考えれば、国民の生活にはゆとりがある筈である。それがさほど感じられないということは、公共的な社会施設が充足されつつある一方で、無駄な支出が多いということでもある。
その前年1962年に新宿西口に小田急百貨店が開業した。当時国鉄、営団地下鉄、小田急3社が共同ビルとして坂倉準三建築事務所肝いりの新宿のランドマークとなるビルを西口に建設して脚光を浴びた。そのビルが昨年から手仕舞いを始め、いずれ超高層ビルに生まれ変わることになるが、これも60年の歴史だった。小田急百貨店は一時的に規模を縮小するが、いずれ新ビルになった時、どんな姿でデビューするだろうか。
その一方で、寂しいことであるが、渋谷区立大向小学校の跡地に建てられた大手デパートの東急百貨店が、昨日55年の歴史のある渋谷の本店を閉店した。思い出すことと言えば、1977年に文部省教員海外派遣団のお供でアメリカを訪問した時の団長が、大向小学校校長だった。1977年に大向小は閉校となったが、団長から伝統ある学校の歴史を随分伺ったものである。
昨年8月ニューヨークから本場のブロードウェイ・ミュージカル「コーラスライン」がやって来てオーチャードホールで公演した時鑑賞したが、会場に一足早く着き隣の東急本店内で時間つぶしをしたことがある。スーパーもコンビニもなかったひと昔前には、やや高級ではあったが、ちょっと気の利いたお買い物と言えば、百貨店だった。生前母もお買い物と言えば、わざわざ1時間以上もかけて湘南の地鵠沼から三越本店へ出かけていたものだ。現代のショッピングとは大分変った。これも時代の趨勢だろうか。
なお、高島屋も立川店を昨日限りで名残惜しくも閉店することになった。有名なドラマの一言がある。「忘却とは忘れ去ること成り」
5741.2023年1月31日(火) プリンター問題解決とミャンマー風前の灯
昨日パソコンのプリンターが不具合だということで、今朝ITコンサルタントのK氏にわざわざ車で来宅してもらった。黒インクがプリントされないということから、インクも用意され、ある程度不具合に解決の腹積もりがあるようだった。案の定PC画面と黒色の現れない画像を見て見当がついたようだった。早速画面とにらめっこされ勘所を掴んだようで、プリントされた画像とPC画面を見ながら、解決の手づかみを掴んでいるようだった。しばらくしてテスト画像をプリントして、もう解決だった。やはりプロはプロだなぁと感心するばかりである。我が家におられたのは、ほんの30分足らずだった。これですっきりした。
さて、ロシア軍がウクライナへ侵攻してから2月末には1年となり、最前線におけるウクライナ軍へ兵器供与を巡って各国それぞれの思惑があるのか、送られる兵器は、戦車にしてもそれぞれ異なるタイプで使用方も異なり、兵士は前線で苦労しているのではないかと推察される。
このウクライナが脚光を浴びている陰で、2年前の明日2月1日に軍事クーデターによりアウンサンスーチー国家顧問率いる国民民主連盟(NLD)による民主派政権が追放されたミヤンマーでは、この2年間に経済と治安が大分悪化したと言われているが、今世界のメディアの取材はやや足を退いている印象を受ける。クーデターの4か月前2020年10月に行われた総選挙でNLDは圧勝した。国軍は選挙に不正があったと文句をつけ、その実内心では民主派政権にはとても対抗出来ないと悟った軍部は、クーデターを計画し、国民の間で圧倒的な人気を誇るスーチー氏を貶め、クーデター発生と同時にスーチー氏の身柄を拘束し、軍事裁判でスーチー氏に汚職などいくつもの罪状を押し付け、33年の刑期を押し付けた。こうして半永久的に彼女を選挙から排除するつもりのようだ。
今年8月までには総選挙を実施すると国軍はアピールしているが、スーチー氏は解放される望みはなく、3年前の選挙ではあれほど圧倒したNLDが勝てる見込みはなく、国民の間にはしらけた気分が横溢しているようだ。当初は国軍に抵抗していた若者層も国軍の弾圧にちりぢりとなり、相対的にその力は弱まった。若者は麻薬に手を出し、あくまで抵抗しようとする若者は、国外へ脱出している。全体に国内外で難民となった国民の数は、150万人を超えたと言われている。強気のミンアウンフライン国軍最高司令官は、欧米諸国とは交渉する気はなく、ロシアと中国だけにしか踏み込んだ外交ルートを歩もうとせず、世界から孤立しつつある。民主派勢力を駆逐した非道な国軍を国際社会がこのままのさばらせたままにしておいて良いものだろうか。
真のミヤンマー人は、優しく、人当たりが良く、親切で誰からも好かれる国民性である。しかし、それも戦争となると一変するようだ。これまで多くのミャンマー人と交流してきたが、高齢となった彼らはほとんど旅立ってしまったが、あの当時若かった彼らは今どんな気持ちで国軍が統治する国を見ているのだろうか。