充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6633.2025年7月11日(金) 支離滅裂な静岡県伊東市長の言動
参議院選挙もたけなわであるが、先日来世間を騒がせている伊東市の田久保真紀市長の学歴詐称問題は、まだ収束されたわけではない。5月の市長選で初めて市長に選出された時の公報には、東洋大学卆と紹介されていたが、事実は大学除籍だった。その間の市長の説明もあやふやで極めて説得力に欠けるものだった。7日の市議会で、市長辞職勧告決議案と地方自治法に基づく百条委員会設置を全会一致で可決した。市長は、辞任して改めて市民に信を問うと市長選に出馬する意向を語ったが、これから終結するまでに市長選の他に裁判沙汰もあり、相当時間がかかるだろう。
市長の卒業の正否については、市長自身が大学に確認したところ「卒業」ではなく「除籍」だったと判明した。しかし、自分が大学を卒業したかどうかが分からないなんて普通の常識では考えられない。このように自治体の長が自己の経歴、特に学歴を偽る行為は、明らかに公職選挙法に違反し議会の決定とは関係なく、職務を解かれるものである。
この件に関連して舛添要一・元東京都知事が小池百合子・現知事の学歴詐称について、よほど小池知事に対して腹が立ったのだろうか、SNSで次のように言及した。「伊東市長は学歴詐称で辞職を迫られている。同じことをしても咎められない東京都知事」と小池知事を引き合いに出し、不公平だと漏らした。続く投稿では「小池百合子都知事の学歴詐称について、側近が2020年に不正隠しの裏工作を行ったことを暴露した」ことに言及した。小池氏の学歴詐称疑惑について「カイロ大学を『首席で卒業した』ことについて、40年前に彼女は私に嘘をついた。2018年6月15日の都知事記者会見で、私への説明とは全く異なる説明をした。虚飾の政治家だ」と改めて厳しく訴えた。
同じことは、タレント 古館伊知郎氏も自身のYou Tubeで、田久保市長の学歴詐称に触れつつ、小池都知事のカイロ大学卒業問題について、元カイロ大学同級生らの証言がありながら、疑惑が消えないまま都知事として活動していることが、おかしいと批判している。伊東市長なら連日徹底的にテレビ番組で批判されながらも、その一方で小池知事に対しては卒業の証拠が明確でないにも拘わらず、メディアが追求しないのは問題であると小池知事の態度と同時に、それを追求、報道しないメディアの姿勢をも非難している。
今日開かれた伊東市の百条委員会に対して、市の公報担当部長と課長は広報誌作成の際、市長から卒業証書を見せてもらったと証言したことから、1週間後の18日までに市長の卒業証書の提出を求める決議を行った。市長は部下に対して卒業証書のチラ見せをして、2人は見たと証言したのであろうが、大学を卒業していないことがはっきりした今では、この卒業証書とやらがある筈はなく、18日に市長はいかなる返答をするだろうか。
伊東市民が、市長の学歴詐称などという不祥事について、市民として恥ずかしいと語っていたように、市長はもとより市自体が、日本でも有数の温泉都市・伊東市の不名誉を世間に曝け出すことになった。
市長や市会議員に立候補する人は、市民のために誠実に市政に取り組む覚悟で、常に自分自身は市民のために貢献しているだろうかと自問自答して、真摯に職務にまい進する気持ちがなければ、最初から立候補なんてするべきではない。伊東市長のスキャンダルによって行政の長はどうあるべきかと言う点について教えてもらったように思う。
6632.2025年7月10日(木) 自民党国会議員に伝染した不祥事
今日は妻の80歳の誕生日である。お祝いに外で食事でもしようと言ったところ、内科と皮膚科に予約してあるというので、明日にHappy Birthday を延期することにした。
このところ連日猛暑が続き、今日も暑いと予想されたが、梅雨前線の南下により関東地方に大雨が襲来すると気象予報があった。東京都内は午後遅くなってから雨が降り、夜間になって激しい雨と予想された。テレビを見ていると、渋谷、新宿方面では雨が降り始めたので、いずれ世田谷地区にも雨が降るだろうと思っていた。このまま涼しくなる夕刻までウォーキング開始を待っていたのでは、降雨により出来なくなるかも知れないとまだ暑い時間帯にいつものコースを歩いた。その内に空が曇り出し、夕方の6時ごろに激しく雨が降り出したが。都内23区に大雨警報が出され、目黒川も氾濫寸前だった。
さて、最近参議院選挙が決まったことから、各党の動きが慌ただしいが、本部から候補者を応援に来る幹部が応援スピーチで候補者に泥を塗るような発言をするケースが見られる。自民党の鶴保庸介・参議院予算委員長が和歌山県選挙区の応援演説で、考えられないような失言をして、発言を陳謝し撤回し、反省するという不手際を演じてしまった。能登半島地震を例に挙げて話をして「運のいいことに能登で地震があった」と、能登地震の被災者の神経を逆なでするような言葉を述べた。この言葉を耳にした能登の人びとは、怒りを抑えきれないでいる。当然である。あの地震に遭い被災した人にとってはとても許す気持ちにはなれないだろう。
自民党のそれなりの地位にある議員の軽薄な発言が頻発している。5月には米価が高騰し国民が中々買えない時に、選りによって江藤拓・農林水産大臣が、5月18日の講演で「私はコメは買ったことがない。支援者の方々がたくさんコメをくださり、売るほどある」などと軽薄な発言をして、顰蹙を買った。大臣は発言に責任を取るとして大臣を辞職し、後任に小泉進次郎氏が就任した。そして、同じ5月に自民党西田昌司参議院議員が、沖縄戦の慰霊碑「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)の展示説明について「歴史の書き換え」だなどと軽々しい発言をしたことによって、沖縄県民の怒りを買った。初めは考えを訂正する気もなく、謝罪もしなかったが、自民党本部から注意を受け、後日発言を撤回した。その西田議員は、20日の参議院選に京都地方区から立候補しているが、果たして選挙民の支持を得られるだろうか。そして、今回の鶴保議員、3人目の軽々しい発言である。今回の参議院選では自民党は、石破政権の支持率の低下もあり、現有勢力を保持出来るか、疑問に思われている。そんな火急の時に、後から後から所属議員の不祥事が生まれては自民党支持率の向上は、益々厳しいものとなるだろう。
それにしても、前記3人の議員は、あまり反省を深く受け止めているような態度ではない。また、同じようなミスを冒すのではないかということと、この党内の空気が他の議員に伝染病のような影響を与えるのではないか。国会議員もどうも落ちぶれたものである。
6631.2025年7月9日(水) 天皇・皇后両陛下、モンゴルへ公式訪問
去る6日から天皇・皇后両陛下が、初めてお揃いでモンゴル人民共和国を国賓として公式訪問されている。昨日は、雨の中を広大な沃野の小高い丘の上に、2001年日本政府が建設した立派な「日本人死亡者慰霊碑」に慰霊参拝され、亡くなられた方々のご冥福をお祈りになった。その場で父親を亡くされた88歳の女性と見慣れた懐かしい男性が両陛下のお言葉を聞いておられたが、その男性こそ水落敏栄・日本遺族会会長で、ほぼ半世紀前に厚生省の戦没者遺骨収集事業に関わっていて、20年以上も毎年のようにともにサイパン島へ渡って収骨作業に関わった遺族会のスタッフだった。敗戦によりソ連領シベリアに強制的に抑留され、多くの日本兵や民間人が強制労働と飢え、寒さのために犠牲になった。約60万人が抑留され、その内5万6千人が死亡したとされている。とかく目がシベリア方面にばかり向くが、モンゴルでもシベリアから移送された抑留者が約1万4千人いて、その内1,700人が亡くなられた。
モンゴル大統領ご夫妻による歓迎式典では、天皇はモンゴル語を交えて挨拶されたり、国交35周年記念コンサートでは、天皇はステージに上がり馬頭琴オーケストラとともにビオラを演奏されて、とても和やかな雰囲気の中を万雷の拍手を受けられていた。今回は8日間と比較的長い滞在であるが、両国の友好関係が一層緊密になるよう努めておられる。
さて、数日前の新聞に航空会社と鉄道会社が、現場で動きやすいようにと現場の作業員が革靴やハイヒール以外に、スニーカーを履くことを認めると書かれていた。一般的にオフィスの服装としては、とりわけ営業関係では、相手に失礼でなく、見苦しくない服装を心掛けるよう求められている。私の場合は、新入社員として鉄道会社へ入社後見習い駅員を1年半務めた時、会社や駅から制服を貸与され革靴については、特に注意されるようなことはなかった。ただ、当時改札係を務めながら降車客から使用済みの切符を受け取っていたところ、不正乗車客が結構いることが分かった。中には、それらしいと目を付け乗客に問い質すと、しばらくして、「ばれた!」と思ったか、不意に逃げるお客がいた。そこで、追いかけやすいようにそれまで履いていた革靴をスニーカーに代えて改札口に立っていた。不正乗車の降車客もまさか駅員が追っかけてくるとは思ってもいなかった。ところが、逃げる途中で追いかけて来る私の姿に一瞬驚き懸命に走った。それを追いかけ、観念させて不正乗車客として扱ったものである。
大体駅員が追いかけるのを見れば、大人しく非を認め謝罪するものだ。だが、それでも若い男の中には、捕まったら大変だという意識と逃げ切れるという自信があったのだろうか、その駅員時代に3件ばかりスニーカーを履いて不正乗車客を追いかけ捕まえたことがある。
一つ目は、交番の前を走って逃げたが、大きな声で「ドロボー!ドロボー!」と連呼しながら追いかけたせいで、交番からおまわりさんも飛び出し一緒に追っかけた。これには不正乗車客も諦めて、大人しく降参した。残りの2件は、いずれも大学生だった。2人とも改札口から追いかけて背後から得意のタックルで倒した。やはりスニーカーは軽く動きやすいので、業務上もあまり気を遣わないで済んだ。
久しぶりに新入社員時代の駅員を懐かしく想い出した。
ただ、天皇・皇后の公式行事中に少々非礼なエピソードを書くことになってしまって、若干後ろめたい気分である。
6630.2025年7月8日(火) トランプ大統領のやりたい放題
持って回ったような口の利き方をするトランプ流の関税に関する書状を、トランプ大統領が石破首相に宛てて送った。従来の10%の対米輸出関税について有無を言わせず25%に引き上げるというもので、書状では日本が関税政策や、トランプ氏の誤解に基づく貿易障壁のせいでアメリカが大きな対日貿易赤字を抱えることになり、25%の関税ではまだ不十分だと言い日本に対して不満を漏らしている。仮に日本がアメリカに対して関税を引き上げるなら、アメリカはそれに25%を上乗せするという高圧的な要求である。書状の中で韓国と日本は、アメリカの同盟国の中で別格であるようなお世辞を言いながらも、日韓両国に対して容赦なく25%を突き付けている。
日本がこれまでアメリカの要求や言いなりになって貿易外でも大分協力してきたが、その点を配慮することもなく、己の主張を押し付けるばかりである。これは明らかにこれまでアメリカに追随し、賛成出来かねる言動に対しても渋々賛成させられ、それがアメリカにとって大きな救いとなったお陰で、日本は常にアメリカの要求に従ってくれると都合よく考えているようだ。これまでの日本の外交姿勢が問われるところでもある。
この対米関税問題が仮に終結しても、日本を従属国と見てアメリカは今後も次々と「アメリカ・ファースト」の過大な要求を突き付けてくるだろう。その最大の関心事は防衛費である。すでにNATO諸国に無理やり2029年までに国防費のGDP比5%を受け入れさせた。それを日本にも要求する可能性が強い。取り敢えず、防衛費のGDP比3.5%を求めてくるだろう。その後に日本の米軍駐留費の負担増額を申し出てくる。この米軍の費用なんてアメリカ軍の駐留兵士の数を減らせば、済むことである。彼らの戦略上の机上のプランを修正すれば、事足れることである。それを自らは負担せず、増える経費を日本に押し付けようとしている。これは日米安保条約以来、日本政府が日米同盟関係で言うべきことを言わず、アメリカの言い分だけを飲まされてきたからである。
アメリカの臆面もなく図々しいところは、他人のふんどしで相撲と取ろうとする点である。アメリカ政府の対アジア戦略に基づいてアメリカが計画した作戦にかかる経費は、本来ならすべてアメリカが負担すべきである。それを日本の防衛のためであると都合の好いことを言いながら日本に負担を求め、それが漸進的に増額させている。ドイツや、イタリアにおけるアメリカ軍の駐留費用は、日本のそれに比べれば遥かに低額で、制約も少ない。それに比べて日本はアメリカの言いなりにさせられているのである。日米地位協定などという日米平等の考えを言いながら、その実態はアメリカ軍の日本国内における行動はかなり一方的で羽目を外している。特に、基地外の米軍兵士の行動、女性への性暴力問題などで基地周辺の日本人が多くの迷惑を被り、同時に基地からPFASという無色のガスを無断放出され、地域の住民の安全な生活まで脅かしている。
日本政府は、次の土俵では関税問題と切り離して、じっくり日米問題について対等に話し合うべきではないだろうか。現状はあまりにもアメリカ側の言い分を受け入れ過ぎだと思う。今日愚かなトランプ・シンパのネタニヤフ・イスラエル首相が訪米し、トランプ大統領に今年のノーベル平和賞に推薦したと持ち上げたところ、本人ももう平和賞は4,5回もらっても好いくらいだと満更でもないようだった。日本はトランプ氏に対して、我が儘を言わせず、率直に日本人のアメリカ、及びアメリカ人に対する感情、印象を伝えて、対等の日米関係にすべきである。もし、それがだめなら小さなことから日米関係の絆を細めることも考えた方が良いのではないかと思う。
今日も暑い。東京都内では昨日35.6℃を記録して今年初めての猛暑日となったが、今日はそれを凌ぐ35.8℃で連日の猛暑日となった。これもトランプ旋風のせいだろう。
6629.2025年7月7日(月) 七夕は、おとぎ話と戦争と関係あり
今日は七夕である。1年に一度7月7日の今日、織姫と彦星が天の川を渡ると出会える特別な夜のことである。中国から伝わった風習も取り入れられた日中合作のおとぎ話になっている。本来旧暦に則っていて、現代なら8月7日に当たり、夜空には天の川が良く見える日であるが、残念ながら新暦ではまだこの天の川は見ることは出来ない。
今日は、令和7年7月7日というラッキーセブンが3つも重なるトリプル・ラッキーセブンの日であり、きっと何かラッキーなことに見舞われるかも知れないとつい期待したくなる。
ところが、歴史を振り返ってみると、7月7日は決してラッキーセブンではなく、むしろ歴史的には忌まわしい1日だった。私が生まれる前年の1937年の今日、あの盧溝橋事件が起き、旧日本軍は中国大陸へ進駐し日中戦争が始まった。そして大日本帝国は太平洋戦争へのめり込んで行った。日本の暗黒時代に入った日とも言えよう。海外では他にも忌まわしい事件があった。戦火が拡大し、8月15日の終戦1か月前の1945年の今日、帝国陸軍が進駐していたビルマ(現ミヤンマー)のインド人集落カラゴン村で陸軍第33師団歩兵第215連隊による住民大虐殺事件が発生した。日本軍とビルマ憲兵隊が、村民を英印軍と通じたスパイと判断し、彼らを拷問して637人を殺害したとされる。戦後ラングーン(現ヤンゴン)で開かれたイギリス軍によるBC級戦犯裁判で、首謀者らは絞首刑など厳しい判決を下された。
ビルマには30年間に30回近く訪れ地方の旧戦跡地へも出かけ、ビルマの人たちとも楽しい交友関係を続けていたが、このカラゴン村事件や、その土地についてはまったく知らなかった。数回訪れたことがあるモールメンから50㎞ほどの土地のようだが、現地でこの事件については耳にしても良さそうなものだが、ついぞ聞いたことがなかった。この事件については、第215連隊が群馬県高崎市で編成されたせいであろうか、地元高崎市内では事件について地道な研究が行われているという。
今年は終戦80年という記念史的な年でもあり、今朝の新聞にも全面広告で日本原水協より意見広告が掲載され「被爆80年 私たち被爆者は日本政府に核兵器禁止条約への参加を求めます」と、長崎被爆者で被団協の田中熙己氏と広島被爆者のサーロー節子氏が被爆者の立場からごく当然の意見を述べている。
終戦の年は、アメリカ軍の本土攻撃が大分激しくなったが、七夕の今日は「七夕空襲」があり、千葉市、甲府市、清水市、明石市にかなりの焼夷弾が投下され、一晩で2千人以上の人が亡くなった。その残り火のせいか、今日も暑く、都内では35.6℃で今年初めての猛暑日となった。全国的にも岐阜県多治見市で38.8℃を記録し、これは今年国内の最高気温である。
いずれにせよ、七夕が戦争との呪わしい関係で思い出されては残念で、折角子どもたちにとって童謡に唄われた「たなばたさま」のイメージが台無しである。このカラゴン村事件を忘れるために、子どもたちが愛唱する歌詞を書いておこう。
♪ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎんすなご
ごしきのたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる♪