5500.2022年6月4日(土) 天安門事件から33年

 33年前の1989年の今日、北京の天安門広場で民主化を求める学生、若者の抗議デモに対して軍隊が武力を行使して弾圧を行い多数の死傷者を出した「天安門事件」が発生した。いつもながら中国政府は治安を守るためとのきれいごとばかり述べて、弾圧を行い今以て事件の詳細を詳らかにしない。今日もデモ騒ぎを警戒した当局は天安門広場で厳しい警戒をしていた。習近平国家主席が自らの3期目政権発足を視野に今秋の共産党大会を控えて、民主化を求め反政府デモによる抗議活動の発生を防ぐために、北京市中央部に多数の警察官を配置し厳重な警戒態勢を敷いた。

 中国共産党の公式発表では、天安門事件で319名が死亡したことになっているが、その信憑性は怪しいものだ。一部には死者の数は、数百名から数万人に及ぶとまで言われて共産党の数字は信用されていない。1999年に公表されたアメリカの外交文書では、天安門広場で1万人が死亡したと記されているし、イギリス政府の公文書には、最低でも一般市民の死者は1万人以上が中国軍により殺害されたと報告されている。遺族は中国政府に対して対話を求めていながら政府から何の反応もないと批判しているが、政府は遺族の訴えへの対応について、これまで通りとっくに結論を出していると遺族を突き放している。昨日も共同記者会見の場で、報道官はNHK記者が批判のある現状をどう考えているのかとの質問に対して、かなり長考の末、質問をはぐらかして、次の質問に移ってしまった。これではいつまで経っても中国国民の不審感は沈潜し消えないだろう。

 先月28日に、中国政府に対して少数民族への弾圧が民主化抑圧との非難がある中で、バチェレ国連人権高等弁務官が新疆ウィグル自治区を視察したが、中国政府が自治区内の行動を制約したことから視察には限界があったと言われている。新疆ではイスラム教徒を中心とするウィグル人ら少数民族百万人以上が、収容所や刑務所に収容されていたが、これに対しても中国政府は、施設を職業訓練所として使い強制収容の事実はないと説明した。

 中国の人権抑圧、規制強化などに対して各国から不満が燻っている折だが、アメリカのブリンケン国務長官は、一昨日新疆ウィグル自治区の状況をめぐり「中国がジェノサイド(集団殺害)や弾圧を続けている」と改めて非難した。いくら中国政府が言い逃れをしようとも、すぐ新たな中国への批判的材料が聞こえてくる。

 さて、60年前単身アメリカへ向け無寄港で太平洋をヨット「マーメイド号」で横断した、あの海洋冒険家の堀江謙一さんが、今度はサンフランシスコから太平洋を横断して無寄港で今朝3時前にゴールの和歌山に帰って来た。航行距離は実に8,500㎞、69日間をかけた長旅だった。今回は前回1962年の時とは逆コースを辿ったが、前回は私がまだ大学生時代だったが、私にはとても真似の出来るような冒険ではなかった。その勇気と行動力に心を打たれ、心から羨ましく感じたことを覚えている。前回日本からサンフランシスコへ向かった時は、旅券もビザもなく所謂密出入国だったが、その勇気に心を打たれたアメリカ人から歓待され、それが日本で法的な処分を回避されることになった一因となった。その行動をお祝いし、心よりお疲れさまと申し上げたい。

2022年6月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5499.2022年6月3日(金) 国費支出の不備で悪事が増える。

 梅雨期の6月から消費者物価をはじめ、約3千品目の値上げが始まると伝えられ、今後家計へ及ぼす影響は計り知れない。その反面コロナ禍も漸く下火に向かい、日本でもマスク着用について議論が始まっている。一昨日コロナ禍対策で市内を封鎖していた中国の上海では、2か月ぶりに封鎖を解除した。日本政府も外国人の入国者を1日1万人制限から、2万人にまで拡大して、漸く鎖国状態を解くことになった。海外旅行も隣国韓国へ行こうという若者の人気が高いようで、かつてはノー・ビザだった韓国への入国に対して韓国政府は、日本人観光客にビザ取得を入国条件にしたため、韓国大使館領事部へビザ申請する日本人の長蛇の列が人目を惹いた。今日もその傾向は変わらず、長い列が続いていた。

 意に反して日本政府は、コロナ禍によりこの2年間海外出入国を制限したため観光業、交通業を中心に日本経済に大きな打撃を与えていたが、これから徐々に解消に向かうことを期待したい。コロナ前には観光業は大きな外貨収入を期待され、国家財政にとっても今ではドル箱と考えられている。コロナ前の2019年に外国人の来日者は、3,200万人だったが、昨年21年には、僅か25万人にまで減少してしまった。特に2015年からは、入国者が出国者を上回るほどの日本ブームを示してきたのに実に不本意である。インバウンド業界もホクホクだった。この勢いをもう一度取り戻し、旅行・観光業力世界一の日本の素晴らしさを世界の人びとに再び訴えたいものである。

 さて、このところ政府の思いやり支援のひとつ、コロナ対策に関して国の中小企業に対する持続化給付金支給に絡んで、これを悪用した不正受給が相次いでいる。特に、悪質だと思うのは、国税庁職員が勝手知ったる手口で元証券会社員や、学生らをグループ化して不正を指図して、総額約2億円を不正に受給したことである。この他にもこの道のプロと思える税務署員や税理士が関わり、持続化給付金に関する詐欺容疑で逮捕された不正は2020年以降全国で多数に上る。これらの他にも、家族4人で10億円近くも騙し取り、首謀者は海外へ脱出してしまった。

 どうしてこれだけ多くの不正が安易に行われてしまうのか、これは支払い制度に問題があると考えられる。支払い側にその原資は国民から取り立てた税金であるとの認識が甘く、手続きが安易に行われた杜撰さにあると思う。そこへ支払いのカラクリを知った内部の人間がじっくり調べれば、弱点や曖昧さを見抜けるのではないか。支払い側のチェックにも問題があると思う。複数で不正申告をチェックしていないのではないか。

 ある程度経済が安定すると、費用の支出にそれほど抵抗がなくなる傾向はある。話は大分飛躍するが、与党自民党内には財政健全化に対して必ずしも積極的でない政治家が大分いるようだ。その中でも最近声高に財政健全化推進本部に対して発言するようになったのは、アベノミクスを推進して借金を大幅に増やした安倍晋三元首相である。今や1,026兆円の国債残高(借金)を抱えるほどにまでなった日本の債務は、1975年から増え、アベノミクスが始まった2012年から国債発行高は急増した。安定した経済に財政支出積極論者が乗っかるといくらお金があっても足りなくなる。このところアベノミクスを批判する人物をいびっている安倍元首相がその典型とならないことを願う。

2022年6月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5498.2022年6月2日(木) エリザベス英女王在位70年記念式典

 今日イギリスのエリザベス女王が在位70周年を迎えられ、今日から4日間イギリス全土で「プラチナ・ジュビリー」と呼ばれる記念行事が行われる。今晩7時半から1時間半に亘りNHK・BSの生中継で放映されるのを興味深く最後まで観ていた。予定のパレードには、女王は健康上の理由から参加されなかった。軍楽隊によるタイプの異なるパレードや、最後にバッキンガム宮殿上空を通過した英空軍による70機の空中パレードも見事だった。流石にやることすべてが旧大英帝国らしくスマートてある。

 1952年王位継承の戴冠式が行われた時、まだテレビもなく中学生になったばかりだった私は、ラジオ中継を耳にして一種の興奮と憧れのような気持ちを抱いていた。日本から当時皇太子だった現上皇陛下が出席された戴冠式が、その後カラー化されて記録映画となり、映画館で鑑賞したことを懐かしく思い出す。

 父君のジョージ6世が崩御された時、女王はケニアを旅行されていてアバーディア国立公園内のツリートップホテルに泊まっておられたということから、この異色のホテルが一躍有名になり、女王が宿泊されてから20年ほど後に単身訪れたことがある。樹上のホテルから目の下を眺めると猪豚や他の野生動物が近くを彷徨っているのが見えた。まあ日本では考えられない場所のホテルによくぞ高貴な方が泊まられたものだと思う。

 アメリカの女優マリリン・モンローと同じ年で、今年96歳になられた寅年生まれの女王は、近年皇室内でさまざまな事件やスキャンダルに見舞われ、決して幸せな気持ちに満たされたわけではないと思う。それでもイギリス国民には、敬愛され、慕われ、国民の間では憧れと絆の象徴でもある。だが、今最も注視されているのは、国民からはやや敬遠気味のアメリカに住んでいる孫のヘンリー王子とメーガン妃の動向である。王妃がアフリカ系の家系で離婚歴があるとの理由で、英王室の一員としてはそぐわないとのイギリスのメディア攻勢から逃れるためにイギリスを脱出したことが、更に評価を下げた。それでも今回ヘンリー王子はメーガン妃と2人の子どもとともにイギリスへ帰ってきた。

 高齢の女王はバッキング宮殿のバルコニーでチャールス皇太子ら皇族方とともにパレードを見守っておられたが、そこにヘンリー王子の母ダイアナ妃の死の遠因でもあるカミラ夫人はおられたが、ヘンリー王子一家の姿は見られなかった。かつては次男坊らしい無邪気な行動が好意的に見られていたが、結婚後ヘンリー王子一家は、皇室に波風を立てるようになってしまった。女王の心労にならなければ良いがと思う。

 今日は久しぶりにイギリス王室の豪華なパレードをじっくり鑑賞することが出来た。

2022年6月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5497.2022年6月1日(水) 亡命中の日本赤軍・岡本公三が姿を現す。

 先月27日の本ブログに50年前イスラエル・テルアビブ空港銃乱射事件に、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と事件を共謀した日本赤軍について書いた。日本人3人の内、2人は亡くなったが、ひとり岡本公三だけが逃げて、その後身柄を捕捉された。しかし、日本赤軍はPFLPがイスラエルに対して仕掛けたテロに同調して、パレスチナ難民に協力的だったことを理由に、レバノン政府は岡本に亡命を認め、PFLPの保護管理下に消息不明のままレバノン国内で生活しているとされていた。これまで岡本の行方について日本ではまったく知られていなかった。

 ところが、唐突にその岡本が世間に姿を現したのである。奇しくも一昨日は、テルアビブ空港で銃乱射事件が勃発してからちょうど50年になり、レバノンの首都ベイルートで記念集会が開かれた。そこへ亡命中の岡本公三が、支援者に付き添われて姿を現した。日本でちょうど日本赤軍元最高幹部だった重信房子が、収監されていた都内の収容所から刑期満了で出所したタイミングに合わせたかのようである。今朝の朝日新聞国際版には、全面のほぼ1/4を占めるほどのスペースに支援者に取り巻かれ、しゃがみこんでいる笑顔の岡本の姿が映っている。更に夕刊にも第一面のトップ記事として大きく報道されていた。國際手配して身柄を追っている警視庁をあざ笑うかのようにあの亡命中の岡本が堂々と顔を見せたのである。

 まるで2年前の9月、高校ラグビー部の1年上級生だった元全学連書記長で中核派リーダーだった清水丈夫さんが、同じように50年ぶりに地下活動から公の場に姿を現し、メディアでも大きく取り上げられた時と似た構図である。

 今や国内ではかつてのような学生運動や、過激的な反政府運動がすっかり影を潜めた。そのせいで世の中は幾分静かになり、過激なデモは姿を消したように思える。ただ、騒がしく街に異様な雰囲気を漂わせ、一部には危険な気配も感じさせた学生を主とする若者たちの民主化運動が消えると同時に、社会からエネルギーやバイタリティ、活力が失われたように感じるようになったのも事実である。そして、少しずつ保守層が勢力を伸ばし、今では自民党支持率が過半数を超えるようになった。それは憲法改正の声を徐々に高めているようだ。いずれこの状態が続くなら、自衛隊を軍隊にして、恐ろしいことだが、核兵器まで保有して、軍事大国日本となる日もそう遠くないことだろう。

 重信や岡本は何が故に革命思想に捉われ、海外で国際的テロ組織過激派に身を投じて危険でリスクの高い生涯を送ることになったのだろうか。2人とも残念ながら今日まで本心を明かしてくれない。私自身60年安保闘争に没入していた頃は、真剣に日米安保条約の基本である基地問題や日米不平等協定に反対し、ベトナム反戦運動ではベトナムにおける戦争を1日も早く終息させることを願ってデモ行進をしていたものである。その頃の熱気は、今や街には感じられない。これが平和国家日本?なのだろうか。

2022年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5497.2022年5月31日(火) 5月最後の日にうぐいすの啼き声

 今朝食事をしていた時、驚いたことにわが庭へ鶯が飛んで来ていきなり大きな声で「ホーホケキョ」と啼いた。今年は梅の花が咲いた2月の最盛期にも鶯は我が家へ立ち寄らず啼いてくれないと今年は諦めていたところへシーズン外れの5月末になって突然大きな声でさえずってくれた。他にも別の「ホーホケキョ」が聴こえた。更にミソサザイの鳴き声まで聞こえてきた。間もなく飛び去ってしまったが、今年は鶯の声が聞かれないと思っていただけに、鶯の啼き声が聞かれないオフシーズンになって「ホーホケキョ」に一瞬癒された気になった。

 昨日のブログに戦没者遺骨収集団のことを書いたところ、今朝の新聞に、今年はロシアのウクライナ侵攻もあり、シベリアの元日本兵の遺骨収集の見通しが暗いとの記事があった。

 実は昨日千鳥ヶ淵の戦没者墓苑で、身元が明らかにならない戦没者の遺骨を納める拝礼式が秋篠宮ご夫妻ご出席の下に行われた。私も1度だけ旧厚生省課長からこの拝礼式に出席するよう話があり、出席したことがある。拝礼式が行われたのは、コロナ禍の影響により実に3年ぶりのことである。

 毎年自然の風化もあり戦跡地でも遺骨取集は難しくなっている。太平洋戦争下に海外で尊い命を落とされた日本人兵を含む日本人の数は、約240万人になるが、その内半数近い約112万柱が戦没地に取り残されたままである。前記の通りロシア国内での遺骨収集が難しくなったが、旧ソ連では約5万4千人の戦没者がいて、その内約3万2千柱の遺骨が未だ収集されていない。1992年にシベリアとサハリンへ調査に出かけた時、ロシアでは比較的日本人墓地が整備されているとの印象を抱いた。ただ、それは遺骨が発見されたからそのように埋葬されたのであり、山野に放置された遺骨はそれこそそのまま晒されて自然になくなってしまったのかも知れない。

 2年間中止していた他の戦地の遺骨収集事業も、今年は中部太平洋地域については復活したようだ。まだまだ多くの英霊が戦地で眠っている。コロナ禍が収束したら1人でも多く、1日でも早く母国へ亡骸を帰還さ、懇ろに葬ってあげたいものである。

 さて、未だに燻っている安倍晋三元首相後援会が開いた「桜を見る会」の会計処理がまたキナ臭くなってきた。夕食会は2013~19年に開かれたが、世間で問題になってからコロナ禍もあって会は中止なっている。しかし、ホテルで開かれたその後の夕食会に参加した後援会有権者に対して後援会が補助金を出したことが問題になウヤムヤに決着をつけたが、政治資金規制法違反に問われて秘書が罰金刑に問われた。それでも安倍氏にはまったく傷がつかない。それが、ここへ来て2016~19年に夕食会参加者に参加費補填の他に、酒類を提供していたことが新たに判明した。しかもそれらの酒は、サントリー㈱が無償提供していたことが分った。安倍氏関連団体の収支報告書にはいつも通り寄付の記載はない。関連団体は安倍氏の後援会にあたり違法な寄付に該当する可能性がある。公職選挙法違反に当たる会費の補填、酒類の提供隠蔽など、これからひと悶着あるだろう。

 それにしても安倍氏は首相を辞めても、麻生太郎氏の財政健全化に対して、積極財政や軍備拡張を訴えるなど今も政界に隠然たる力を発揮するとは、何と世の中、世の人びとを騙す名人であることか。これこそ稀代の世襲政治家として身に着けた特技と言えよう。

2022年5月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5495.2022年5月30日(月) 戦没者遺骨収集の印象的な場面

 最近本ブログに50年前の1972年の話題を取り上げたが、中でも沖縄日本本土復帰や、パレスチナ解放戦線と日本赤軍によるイスラエル・テルアビブ空港銃乱射事件などが注目を集めた事件である。そこへ数日前の朝刊記事の片隅にグアム島で戦後長らくジャングル内に潜伏して発見された元日本兵の故横井庄一さんの未亡人が、一昨日亡くなられたとの訃報が載っていた。横井夫妻にお会いしたことはなかったが、横井さんがグアム島の洞窟から出て保護された1972年当時、毎年旧厚生省主宰の中部太平洋における太平洋戦争戦没者遺骨収集派遣団派遣に関わり同島を訪れた。旧厚生省の担当課長らから横井さんや、小野田寛郎さんのプライベートな話、また横井さんが夫人と結婚するに至った経緯や裏話をよく聞かされたものである。夫妻が結ばれた蔭にはいくつも意外なエピソードがあったようだった。あれからもう半世紀が経過した。そこにはいろいろな思い出がある。

 当時はまだ、中部太平洋諸島、特にトラック諸島(現チューク諸島)やパラオ諸島はアメリカの信託統治領だった。サイパン島には、そのアメリカ信託統治領高等弁務官事務所があり、遺骨収集団がお世話になっていたこともあり、厚生省が高等弁務官ご夫妻を日本に招待したことがあった。私はその世話役を任され、都内の観光案内から箱根へ1泊2日の旅行まで行動をともにしたことがある。

 また、パラオ諸島の調査で、激戦地だったペリリュー島から同じく戦火に晒されたアンガウル島へ島の案内人と2人で小さなエンジン付きボートで向かった。だが、その途中で海が荒れ出し飛沫を全身に被り、ボートが上下に大きく揺れて前方が見えないほどだった。アンガウル島の突端には、連絡しておいたエンドー村長が出迎えてくれていたが、村長から海がこれから荒れそうだから、直ぐ引き返した方が安全だとアドバイスされ、アンガウル島へは上陸せず暴風の中を命からがらペリリュー島へ舞い戻ったことがある。

 他にも中部太平洋から更に南下して、ソロモン諸島の調査に出かけたことがある。激戦の島・ニューギニアや、ガダルカナル島、ブーゲンビル島、さらにニューブリテン島のラバウルを訪れ、ラバウルでは海中に素潜りして海底に沈む旧日本海軍艇の中に潜り込んだこともある。

 特に印象に残っているひとつは、ラバウルの食堂でひとり夕食を食べていたところへ突然数人の日本人がドカドカと入ってきて全員が野菜類をムシャムシャ食べ始めたことである。その食べ方が妙に気になり、どうして野菜ばかり食べているのか尋ねてみたら、日本から遠洋航海に出て3か月以上生野菜を全く食べてないので、生ものに飢えているのだと言った。彼らは、私の皿の上にある刺身を見て、魚なら船に来れば丸ごと1匹あげるよとまで言われた。偶々遠洋航海中にラバウルへ寄港した漁船員たちだったのである。青物を長い間食べないと我慢出来ないのだということを思い知ったことである。

 もうひとつ印象的だったのは、遺骨収集団最後の日に収集した戦没者の遺骨を全部積み上げて焼骨したが、木材に火を点け遺骨が焼け落ちると煙の周囲をどこからともなくやって来た蝶々が再び空へ飛び立っていくシーンだった。それを見たあるご遺族の方が、「アッ! お父さんが空へ飛んで行った」と涙を流しながら叫んだ光景が忘れられず、心に残っている。

 あれもこれも今や懐かしい想い出となった。

2022年5月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5494.2022年5月29日(日) 国会議員の半数を削減せよ!

 最近細田博之・衆議院議長の周辺が騒がしい。特に国権の最高権力者としての人格や、その資質に問題ありとされるようなセクハラ事件の如きは、週刊文春に2週に亘って取り上げられ、議長も裁判に事実無根だと訴えるという怪しい雲行きである。その他に、議長が国民から疑問を寄せられたのは、国会議員の特別待遇費とも言うべき毎月百万円支給の「調査研究広報滞在費」(略:文通費)について、議長になっても毎月たった百万円にしかならないと不満をぶちまける有様で、一般国民を馬鹿にしたような発言をしたことである。それでも議長職を辞めることはないし、自民党内からも辞任の声は出てこない。国会の機能不全を象徴している。

 間もなく国会は閉会となる。その後は次回開会までお休みとなり、その間毎月このいわくつきの文通費を黙って受け取ることが出来て、使い道の報告や領収書の呈示も必要とされない。こんな実情だから国会議員は甘えて、法ぎりぎりに許される範囲で私利私欲を満喫するのだ。しかも一切税金はかからない。

 そもそも国会議員には当然給料に該当する歳費というものが支給される。毎月129万4千円である。この歳費に上乗せして文通費が支払われるのだ。これも一時は、1日だけ議員でいただけでも月額支払われることに疑問が呈せられ、現実にそんなケースが発生し問題になり、その点は、日割りで月額払いという形に改定されたが、支払いに伴う報告や、領収書の提出、残金の返金などは結局手が付けられないままウヤムヤになってしまった。

 この一件だけでは、国会議員の狡さと欲深さはとても言いきれない。彼らは、金儲けのために政治家になったのであり、はっきり言って国民のために尽くすというような殊勝な志があるわけではない。だから一旦甘い汁を吸ったら、国会議員のポストを絶対他人に渡す気持ちがない。それが、世襲政治家が蔓延る最大の原因でもある。

 因みに、国会議員の文通費とサラリーマンとの公金扱いについて比較するなら、議員は前記の通り領収書提出、残金の返却、出張報告はすべて不要であり、一方サラリーマンはすべて必要である。このように国会議員を甘やかすから、彼らは仕事をしようとしないのだ。まるで世間知らずのお坊ちゃまと同じなのだ。国会議員の数も現状はあまりにも多過ぎる。アメリカの上下院議員数は、533人であるのに対して、日本の国会議員は衆参合わせて707人もいる。10増10減などと言わずに、全国会議員数の半減を求めたい。

 さて、今日は全国的に暑い1日となった。最高気温は北関東の高崎市と佐野市の35.2℃だった。都内でも31.2℃を記録して今年最初の真夏日となった。外気が生ぬるく、ガラス戸を開けていて吹き込んでくる風も生暖かい。これから夏に向かうにつれ徐々に暑さが増してくると思うと些かうんざりである。この暑い中で各種の屋外スポーツが活発に行われ、大勢の観客を沸かせていたようだが、要注意!熱中症!

2022年5月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5493.2022年5月28日(土) 原爆平和式典にロシアは招かず

 今年8月に被爆77年を迎える広島市と長崎市は、例年通り犠牲者を慰霊して平和式典を開催する予定であるが、両市とも今年はいつもと異なり、ウクライナへ侵攻したロシア、及びそれを支援したベラルーシを招待しないことに決定した。被爆の日に平和を祈念するための記念式典であるために、従来通り世界中の国々を招いた方が理に適うとは言え、軍事力で強引に他国へ侵攻し、今も戦争が続いて多くの犠牲者を生んでいる実態を考えると侵攻国とその支援国を式典に招待するのは、憚られるところでもあろう。

 実際広島、長崎両市とも内部に賛否の声があったようで、悩みに悩んだ末の苦渋の結論となった。広島市は政府にも相談したようで、外務省からは招待すれば誤解されかねないとして一貫して見送ることを要請されたという。この決定に対してロシアのガルージン駐日大使は、恥ずべき措置であり、平和式典の主催者は「拒絶」を選んだと強く非難した。被爆者代表者の中でも意見は分裂しているようで、国際政治学者の間でも意見は割れている。

 ただ、一般論としては、平和の式典であり、多くの人びとから慰霊の気持ちを捧げて欲しいというところだが、招待すればウクライナ侵略を平和のためと強弁するロシアに政治利用される恐れがあるとの懸念があるのも事実である。

 ともかく今年はロシアを招待しないことに決定した。来年以降どうなるかはウクライナ情勢の推移もあるだろうし、ロシアの対応もあるだろうから、しっかり見定めて対応することしかないだろう。

 さて、実戦で、またテレビでさえも暫く見たことがなかった東京六大学野球春季リーグ戦の早慶戦を久しぶりにTV観戦した。すでに明治の優勝が決まっており、早稲田は5位が確定、慶應は勝ち点を上げれば2位、勝ち点を落せば4位となる。今では学生野球がCM付の民間テレビで放映されるのも珍しい。早慶戦だからこそであろう。結局今日の1回戦は7x-2で慶應が勝った。これで明日勝てば、明治に次いで今季は2位になる。

 早慶戦と言えば、想い出すのは何といっても一世を風靡した早慶6連戦である。60年安保闘争が終わった年の1960年の秋季リーグ戦で、慶應は早稲田に勝てばすんなり完全優勝だったが、リーグ戦で1勝2敗で勝ち点を取れず、勝率も早稲田と同率となり、早稲田と優勝決定戦が決まり、第1戦、第2戦とも同点引き分けの末、第3戦に持ち込まれ3-0で早稲田が勝ち、慶應は戦前優位だった優勝を逸した悔しい早慶6連戦となった。慶應には湘南高の投手で同級生だった村木博くんが一塁手で6番を打っていた。私は全6試合を連日山仲間たちと外野席で観戦、応援したが及ばなかった。慶應OBと野球の話になると必ずこの話題になる。62年前のノスタルジアである。

 それにしても今日気づいたのだが、早稲田の応援団長は男子学生だったが、慶應の応援団長が男子用詰襟服を着た女子学生だったのには驚いた。60年以上も経つとここまで変わるとは、世の中の変転は目まぐるしい。これではのんびりしてもいられない。

2022年5月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5523.2022年5月27日(金) 人間はどうしてすぐ戦いを始めるのか。

 一昨日北朝鮮がミサイルを発射したことに対して国連安全保障理事会が、北朝鮮に対する石油製製品年間輸出上限の削減や、たばこの輸出禁止などの制裁強化決議案を提案し15理事国の内、13カ国が賛成したが、常任理事国であるロシアと中国が拒否権を行使して否決された。2006年以来実に10回に亘って北朝鮮への制裁決議案が提案されたが、その時ロ中両国は拒否権を発動しなかった。ロ中にとってこれが初めての否決権の行使である。恐らくロシアと中国も対北朝鮮対策で苦渋の選択をしたのではないか。直ちに日米韓の国連大使は、これは北朝鮮の更なる挑発行為を助長するものだとして、ロシアと中国の対応を厳しく非難した。

 実は、このところウクライナ問題などでロシアのウクライナ侵攻に対するロシアの非人道的行為とそれを支援する中国の拒否権行使により、国連の機能が低下、或いは機能不全が懸念され、国連改革が叫ばれている。先月には国連総会で拒否権を発動した常任理事国に、国連での説明を求める決議を採択しており、今後10日位内にロシアと中国は、北朝鮮制裁に拒否権を行使した理由を説明する責任がある。ただ、これにはまだ甘い抜け道があるようで、説明が任意であるという点だ。この辺りの国連の緩い改革が毅然としなければ、いつまで経っても改革は程遠いと言っておきたい。

 さて、沖縄が日本へ復帰してから早や50周年を迎えて過日祝典が行われたことは記憶に新しいが、50年前と言えば、他に想い出すのもぞっとする生々しい事件があった。それは50年前の1972年5月30日にイスラエルの首都テルアビブ空港でパレスチナ解放人民戦線(PFLP)が、銃乱射事件を引き起こしたことである。しかもその中に日本人3人も加わって、その内ひとりはその場で殺害され、もうひとりは自爆死した。たが、3人目の岡本公三だけは逃れていたが、5年後にレバノンで仲間4人とともに身柄拘束され、その4人は日本に送還されて逮捕されたが、岡本だけは政治亡命が認められ、今も同地で暮らしている。殺害されたひとり、日本赤軍の幹部だった奥平剛士と一時結婚して、自身も最高幹部だった日本の魔女、こと重信房子が、1974年オランダ・ハーグで発生した日本赤軍フランス大使館立て籠もり・人質事件の容疑で拘束され収監されていたが、明日20年間の刑期を終えて出獄するとのニュースが伝えられたが、警視庁は今後も重信の監視を続けるという。

 1970年代と言えば、70年安保闘争の後で、まだ日本には社会的不安と経済的不安がいっぱいだった。私にとっては、新しい海外企画の話がいくつかあり、海外へしばしば出かけていた時代だった。その海外でテルアビブ空港乱射事件を耳にして、驚いたものである。あれから実に半世紀が経過したと思うと感慨も一入である。

 1975年には漸くベトナム戦争が終わり、あれから社会は発展し世の中は落ち着いてきたように思えたが、その安心感も束の間今やウクライナ情勢次第では、核が使用され、第3次世界大戦勃発の可能性さえある。

 つくづく人間社会は人間同士の戦いの歴史だったと思わせられる。それは好むと好まざるに拘わらず、いつの間にか身の回りに押し寄せてくるものである。戦争を呼び込むような軍事費の大幅増加を黙って見ていられるご仁は、よほど戦争が好みなのだろう。

2022年5月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5522.2022年5月26日(木) 銃乱射社会から抜け出せないアメリカ

 昨日アメリカ・テキサス州の小学校で、18歳になったばかりの地元の高校生が銃を持ち込んで乱射して生徒19人を含む21人を殺害した。アメリカ社会の最大の闇であり、悩みでもある銃乱射事件がまた発生したのだ。

 日韓訪問から帰国したばかりのバイデン大統領は、衝撃を受け「いったいいつになったら我々は、銃ロビーに立ち向かうのか」と嘆き、「こんな乱射事件は世界のほかの場所ではない」と落胆したスピーチを行った。実際アメリカでは銃乱射事件が当たり前となり、昨年だけでも26件も発生した。大統領が述べたように、これほど乱暴な世界はアメリカ以外にはない。事件の原因は、誰もが承知しているが、成人になれば簡単に銃を手に出来ることが最大の原因である。この銃の自由販売を禁止する以外に事件の再発を防ぐことは出来ないと思う。いずこの国でも、銃所持には厳しい規制がある。ところが、アメリカだけは西部開拓時代からの伝統があり、自分の身を護るのは自分だとの信念がある。しかし、この現代社会で警察機構も整備された時代にあって、今以て銃で自分の身を護ることを信念としているのは、時代錯誤ではないか。結果的に自分の身を自ら守れず、他人から殺害されるという悲劇に遭遇している。

 そんな自らの身を自ら護るとの一見潔さが、社会に殺人事件を蔓延らせて危険な世相を招来しているのは、国家にとってもマイナスではないだろうか。

 実は、法律による銃規制が一向に進められない大きな原因は、我利我欲の政治家たちの銃規制に対する後ろ向きの姿勢が強いからである。彼らは、銃砲製造会社から政治資金を恵んでもらい銃の法制化を防止しているのだ。過去においても同じような銃乱射事件が起きる都度、法制化の声が上がるが、これを抑圧するのが銃社会をバックに政界へ乗り出した私欲たっぷりの政治家たちである。

 実際この度のテキサス州小学校の事件では、共和党のアボット州知事は早速記者会見したが、法規制についてはまったく言及しなかった。一般的に共和党議員の間に銃規制に後ろ向きの議員が多い。

 しかし、このまま放っておいて良いものだろうか。もっと自浄作用が働いても良さそうなものだ。今やアメリカ国民の人口より、銃の数の方が多いという実情がある。

 民主党のバイデン大統領は、法規制を匂わせる発言をしているが、果たしてどこまでアメリカ世論を巻き込み、悪の根源を断ち切る行動を起こし、広げていくことが出来るだろうか。いつまでもこの悪循環を絶てなければ、21世紀アメリカ社会はヒトゴロシが自由奔放に暴れ回った無軌道社会だったと後世の人たちから笑い者になるだろう。

2022年5月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com