5393.2022年5月27日(金) 人間はどうしてすぐ戦いを始めるのか。

 一昨日北朝鮮がミサイルを発射したことに対して国連安全保障理事会が、北朝鮮に対する石油製製品年間輸出上限の削減や、たばこの輸出禁止などの制裁強化決議案を提案し15理事国の内、13カ国が賛成したが、常任理事国であるロシアと中国が拒否権を行使して否決された。2006年以来実に10回に亘って北朝鮮への制裁決議案が提案されたが、その時ロ中両国は拒否権を発動しなかった。ロ中にとってこれが初めての否決権の行使である。恐らくロシアと中国も対北朝鮮対策で苦渋の選択をしたのではないか。直ちに日米韓の国連大使は、これは北朝鮮の更なる挑発行為を助長するものだとして、ロシアと中国の対応を厳しく非難した。

 実は、このところウクライナ問題などでロシアのウクライナ侵攻に対するロシアの非人道的行為とそれを支援する中国の拒否権行使により、国連の機能が低下、或いは機能不全が懸念され、国連改革が叫ばれている。先月には国連総会で拒否権を発動した常任理事国に、国連での説明を求める決議を採択しており、今後10日位内にロシアと中国は、北朝鮮制裁に拒否権を行使した理由を説明する責任がある。ただ、これにはまだ甘い抜け道があるようで、説明が任意であるという点だ。この辺りの国連の緩い改革が毅然としなければ、いつまで経っても改革は程遠いと言っておきたい。

 さて、沖縄が日本へ復帰してから早や50周年を迎えて過日祝典が行われたことは記憶に新しいが、50年前と言えば、他に想い出すのもぞっとする生々しい事件があった。それは50年前の1972年5月30日にイスラエルの首都テルアビブ空港でパレスチナ解放人民戦線(PFLP)が、銃乱射事件を引き起こしたことである。しかもその中に日本人3人も加わって、その内ひとりはその場で殺害され、もうひとりは自爆死した。たが、3人目の岡本公三だけは逃れていたが、5年後にレバノンで仲間4人とともに身柄拘束され、その4人は日本に送還されて逮捕されたが、岡本だけは政治亡命が認められ、今も同地で暮らしている。殺害されたひとり、日本赤軍の幹部だった奥平剛士と一時結婚して、自身も最高幹部だった日本の魔女、こと重信房子が、1974年オランダ・ハーグで発生した日本赤軍フランス大使館立て籠もり・人質事件の容疑で拘束され収監されていたが、明日20年間の刑期を終えて出獄するとのニュースが伝えられたが、警視庁は今後も重信の監視を続けるという。

 1970年代と言えば、70年安保闘争の後で、まだ日本には社会的不安と経済的不安がいっぱいだった。私にとっては、新しい海外企画の話がいくつかあり、海外へしばしば出かけていた時代だった。その海外でテルアビブ空港乱射事件を耳にして、驚いたものである。あれから実に半世紀が経過したと思うと感慨も一入である。

 1975年には漸くベトナム戦争が終わり、あれから社会は発展し世の中は落ち着いてきたように思えたが、その安心感も束の間今やウクライナ情勢次第では、核が使用され、第3次世界大戦勃発の可能性さえある。

 つくづく人間社会は人間同士の戦いの歴史だったと思わせられる。それは好むと好まざるに拘わらず、いつの間にか身の回りに押し寄せてくるものである。戦争を呼び込むような軍事費の大幅増加を黙って見ていられるご仁は、よほど戦争が好みなのだろう。

2022年5月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com