充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6732.2025年10月18日(土) 今年の文化勲章受章者に王貞治氏ら8人
昨日第81代総理大臣だった村山富市氏が老衰により亡くなられた。享年101歳だった。首相を辞められても、良きにつけ悪しきにつけ話題になる元首相だった。何と言っても首相としての成立基盤が弱かった。今から30年前の1994年から96年初頭にかけて、自民党、社会党、新党さきがけの保守、革新寄り合い所帯の苦肉の策で担がれて「好まざる首相の座」に就いた。自民党政権の宮澤喜一首相の後に、細川護熙、羽田孜、村山富市、橋本龍太郎と4人続いて保守・革新連立政権を成立させた。しかし、所詮自民党の橋本以外は、いずれも短命に終わった。
村山首相の評価は功罪相半ばして、社会党出身であるにも拘らず、平和憲法を守る従来の社会党の「平和・護憲」路線を大きく転換し、剰え「自衛隊合憲、日米安保条約の堅持」を打ち出し、我々学生時代に六十年安保闘争に参加した者にとっては、あまりの変貌ぶりに開いた口が塞がらなかった。評価出来るとすれば、戦後50年の終戦記念日に発表した、俗に「村山談話」と言われた「首相談話」だろう。それは過去に国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって多くの国々、特にアジア諸国国民に多大な損害と苦痛を与えたとして、痛切に反省し、初めて首相として心より侵略した国に対してお詫びの気持ちを表明したことである。この「村山談話」が、その後10年毎に公表される「首相談話」に少なからず影響を与えている。心よりご長命を全うされた元首相のご冥福をお祈りしたい。
ところで、村山元首相の死亡とは関係ないが、こんな悲しい死亡事故があった。一昨日の本ブログに最近のクマの出没により、岩手県北上市瀬美温泉の従業員が露天風呂清掃中に、クマに襲撃されたらしくその場に血痕が残り、行方が分からなくなったことについて取り上げた。昨日その従業員が近くの山中で遺体となって発見されたという痛ましい悲劇である。クマに襲撃されたとして、幸いにも猟銃会の人によってクマは駆除された。今日もクマ出没のニュースが伝えられている。
さて、私の誕生日でもある「文化の日」が近づいてくると毎年文化勲章受章者が発表されるが、昨日公表された今年の受賞者は、「世界のホームラン王」王貞治さん以下8人である。2人のノーベル賞受賞者の内、どういうわけか1人しか文化勲章を授与されないのが釈然としないが、いずれにせよめでたいことである。昨年は、高校の同級生で環境学者の中西準子さんが授賞して、文化勲章を身近に感じたものである。王さんとは、お兄さんの王鉄城医師ご夫妻と我々夫婦と一緒にヨーロッパを旅行したりしながら長らくお付き合いをしていたが、残念なことに15年前に他界された。葬儀の場でつかの間ではあったが、王さんと初めて会話を交わした。王さんは受賞を、すでに受賞者となった故長嶋茂雄氏も喜んでくれると思うと素直に喜んでおられた。
あと半月でその「文化の日」が来れば、私も87歳を迎えることになる。来年は米寿を迎える。しかし、毎号執筆している新雑誌「イコール」(アクティブ・シニア革命版)仲間の間では、我々の年齢層は「熟年期」に相当する。近々出版される拙著「八十冒険爺の言いたい放題」英語翻訳版も抱えて、まだまだやらなければならないことがいっぱいある。高齢者だからとのんびりばかりしてはいられない。
6731.2025年10月17日(金) 日本維新の会、自己制御して自民党と連携
昨日自民党高市総裁と日本維新の会の吉村及び藤田両共同代表が会談し、連立政権のために両者が協力することで合意した。今日改めて話し合いをするという。吉村代表は何を考えたのか、自民党との連立次第では維新が消滅する可能性まで認めていた。一方で、これにより野党間を動き、主導権を取ったかのような印象を与えていた玉木国民党代表は、首相になれる可能性がほぼなくなり、野党の間でも主導的な立場には立ちにくい形になった。腹立たしく思った玉木代表は、維新に対して二枚舌だと嫌みを述べる有様である。
ところで、維新の要望を受け入れることになり、自民党は維新と合わせて過半数には2議席足りないが、21日開会の臨時国会の首相指名選挙で、高市首相選出への大きなステップとなる。両党の連携により国会運営のメドも何とか立つのではないだろうか。維新は、自民党との政策協議で「副都心構想」や、「社会保障改革」を求めた。全体で12項目を要望したが、その中に「企業・団体献金の禁止」があり、この点は自民党としては「禁止よりも明確化」を主張しており、まだ自民・維新の間に意見の隔たりがある。更に、維新が国会議員の大幅削減の実施を提案したことは自民にとっても厄介である。また、これまで連携していた公明党に対して国土交通大臣の要職を提供していたので、維新にも当然閣僚ポストを宛がうことになると思う。
大事なことだが、維新の地盤は大阪にあり、自民党大阪選出国会議員は衆参各1名の計2名に対して、維新は衆院19、参院3名の計22名で、大阪では維新が自民に対して圧倒的優位にある。知事、市長も維新党員である。しかし、それだけに早くも大阪府の党員など維新関係者からは、自民党と手を結ぶことに拒絶反応が現れている。明らかに大阪府の国政選挙で自民党との調整が難しくなり、従来のような独り勝ちは難しくなるからである。更に維新にとって頭が痛いのは、党の創設者であり、今以て発言力が強く院政と言われるほどの橋下徹弁護士が、外部から維新の言動について原点に返るよういろいろ注文をつけるような発言が聞かれることである。
一方、野党連合の話し合い如何によっては、総理大臣への道が開かれていた玉木国民民主党代表にとっては、自民・維新連携は思いがけないどんでん返しであり、前記のように維新に対して恨みつらみをぶちまけている。立憲民主党との話し合いで、基本政策が異なると連携の可能性には否定していたが、それも大きなマイナスとなった。現状では、高市首相の可能性が高まり、野党間でも玉木代表が主導権を握るには、国民の少数の議員から考えても難しい。首相指名選挙1位高市氏、2位野田立憲代表となり、決選投票も接戦の末に高市氏が初の女性首相に選出される可能性が高まった。
国内はもとより、海外でも紛争や国内の政情が不安定な中で、トランプ大統領ら外国との交渉の難しさが懸念される。果たして国内志向や、視点からばかり話し合いを進めているように感じられるが、果たして高市?内閣の閣僚や政府要人らは、世界の流れに付いて行けるだろうか。
6730.2025年10月16日(木) クマ、クマ、熊・・・熊が出たぞ~。
今年はクマの出没が目立ち、以前は北海道か、東北地方の一部にしか見られなかったが、近年は本州にも広域的に姿を現すようになった。特に今年は出没情報が連日のように伝えられ、東京都内でも奥多摩地方でクマが見られ、かつては考えられないような事態になってきた。今朝も岩手県北上市の瀬見温泉で、温泉宿の従業員が温泉風呂を掃除していたが、扉を壊され血痕が残り、従業員の姿が見られない。クマに襲われたようで、遂にそのまま従業員の姿が見えないままである。
クマも動物園の檻の中で愛らしい生態を見せたり、人間に危害を与えないようなら愛される動物だが元来猛獣であり、人間社会に近づくと余りにも攻撃性が強く危険なため警戒され、クマが出没するエリアではうっかり外出も出来ない。
2024年度上半期のクマ出没件数は、全国でも過去最多の15,741件もあった。今年は更にペースが上がり、4~7月だけでも12,067件で悠々昨年の出没数を追い越す勢いである。テレビでもしばしばカメラ画像が写されるが、数日前に秋田県大仙市内でひとり歩いていた82歳の女性が、1頭のクマに襲われる映像が流された。幸い顔面に傷を負いながらも逃れたが、ぞっとするシーンだった。今年は人身被害が多いらしく、4~8月の間にクマの襲撃によって死亡した人が5人もいる。クマ出没の大きな原因は、猛暑のためクマの主食であるブナの実が凶作で、餌を求めたクマが人里に下りて来るようになったかららしい。今後晩秋から冬にかけて、特に東北地方などでは人災が懸念されている。
学生時代に山岳クラブの仲間とよく山へ入っていたが、もしクマに出会ったらどうするか、などと面白半分に話し合ったことが昨日のことのように思い出されてくる。その時の結論は、極力近くの木によじ登るということだった。もう70年近くも昔の話である。
私自身も野生のクマを目撃したことはある。もう40年ぐらい昔のことであるが、バスでカナディアン・ロッキー山麓のカルガリー駅構内に近づいた時に、駅の中へ入って行こうとする1頭の大きなクマを見つけた。しばらくバスの車内に潜んでいたことがある。
凶暴な野生動物に突然対面することになったら、普通ではどう行動したら良いか分からない。こんなケースもあった。ブラジルで捕獲されたワニが突然飛び上がり向きを一回転し逆になって頭を私の目の前に突き出されて驚いたことがあった。南アフリカでは、サファリ公園内でジープの最前席に座って最後部のガードマンに、もしライオンに嚙みつかれたらどうしたら良いかと尋ねたところ、そのままじっとしていれば俺がこの銃で撃ち殺してやると言われ、思いも寄らない返答に驚いたことがある。しかし、現実に一番びっくりして怖いと思ったのは、京都市内に住んでいた当時、中学校卒業直後の春休みに仲の良かった友人と2人で嵐山近くの松尾山中で、不意に猟師に追われた手負いのイノシシに追いかけられた時である。一本道を夢中で逃げる途中で友人がここ(擁壁のような土手)を昇れとの大声に、咄嗟に擁壁をよじ登って難を逃れたことである。「猪突猛進」の言葉通り、イノシシはそのまままっすぐ走り去った。
都市で滅多に獰猛な動物などに出会うことはないが、今それが現実になりつつあるというから怖い。仮に歩行者天国の銀座に、突然クマが出没したらどんな狂乱状態になるだろう。とにかく猛獣は怖い。自治体もクマ被害防止対策に頭を痛めているようだ。
6729.2025年10月15日(水) 野党連携不十分では、野党首相は無理か?
政界が騒がしい。当初は辞任表明した石破首相の後継者には、自民党総裁に選出された高市早苗氏がなるものと考えられた。ところが、26年間も自公連立政権を組んでいた公明党が連立離脱を公言したことから、首相選びは漂流することになった。公明党が保守派の高市総裁に裏金問題の原因でもある企業・団体からの献金制限を求めたが、高市総裁がこれを拒否したことによって、公明党は連立から離脱することを決断した。これにより衆議院議席の過半数である233議席に自民党の196議席ではまったく手が届かなくなってしまった。もとより自民196、公明24議席では、他の手段を考えないと過半数には13議席届かないが、過半数獲得のためにあの手この手を考えざるを得なくなった。その一方で、野党にも立憲民主党148議席に他党の協力なくしては、太刀打ちできない。日本維新の会35、国民民主党27議席の野党連合を巡り、各野党間の駆け引きが活発に行われている。この機に乗じて有力になってきたのが、国民民主党である。議席数は維新に引けを取るが、玉木代表も首相になる気満々で率先して動いている。玉木代表は自民党にまで色目を使っている。自民に次ぐ数を誇る立憲は他の野党からリベラル志向が敬遠され、主導権を取れず、野党がまとまるなら野田代表は首相には拘らないと語っている。
一方で、玉木国民代表は、立憲とは安全保障やエネルギー政策で隔たりがあり、基本政策が違い、現時点では立憲と組めないとすげない言い方である。しかし、そういう本人自身の首相への意欲、こだわりは相当なものだ。首相になりたいだけでは説得力に欠ける。そもそも立憲も国民も元は民進党で同じメシを食っていた仲間で、8年前に袂を分ったばかりである。その基本政策や、考え方は立憲の方がより引き継いでいると思う。
例えば、憲法改正論である。自民、公明、維新は賛成であるが、リベラルな民進党時代は、立憲と国民は憲法改正には反対だった。それが、国民はいつのまにやら条件付きながら賛成し、今基本政策が異なると立憲を突き放すようなことを言っても、異なったのは国民の方ではないか。原点に戻ると言うが、それなら国民が立憲に歩み寄るべきだと思う。
今自民党内で完全な信頼を勝ち得られない高市新総裁については、このままなら石破首相と総理総裁を分離して石破首相、高市総裁で乗り切るとの案まで出ている。公明党も好き好んで連携離脱をしたのではなく、高市氏の保守志向では認めがたいが、石破総裁なら自公連立から離脱しなかったと斎藤代表が語る始末である。
21日に臨時国会で首班選挙を行い新首相が決まるが、残された時間内にどういう形でまとまるのか。このまま高市新首相就任を見守るのか、混乱した野党の中で何とかまとめて首相となる事が出来るのか、失礼ながら外から見ていても中々興味深い。
6728.2025年10月14日(火) 想い出のあるカイバル峠周辺で国境紛争
昨日パレスチナ・ガザ地区の戦闘停止が実行された。その見返りとしてイスラエル、ハマスが互いに人質の解放を行った。開戦と同時に拘束された人質は2年間厳しい監視の下に自由を奪われていた。ハマスは20人を解放したが、他に拉致されていた28人はすでに死亡したと伝えられており、イスラエルは遺体の返還を求めている。イスラエルに拘留されている人質は、パレスチナ人受刑者250人と2年間に拘束されたガザ住民1,700人である。すでに戦闘開始以来パレスチナ人の死者は、6万7千人超にもなった。ガザの街も破壊されて難民、飢餓が充満しており、これ以上は戦争を続けるべきではない。だが、人質が解放されて停戦第2段階に入り、今後の停戦へ向けた問題は一層複雑となり終戦に持ち込むのは中々難しいと見られている。
ついては、11日夜アフガニスタンとパキスタンの国境添いで、タリバン支配のアフガニスタンとパキスタン軍との間で国境紛争があり、タリバンは戦闘員9人を含む200人以上、パキスタン軍では58人が亡くなった。アフガニスタンは今だに女性に教育不要などの差別を主張する非民主的なタリバンが権力を握り、自由・平等を抑圧する独裁国家で世界中のどの国も、公式に国家として認めていない。その中で、かつてアフガンを侵略し世界中から非難された旧ソ連のロシアが、今年7月にイスラム主義勢力タリバンの暫定政権を、世界で最初に正式に承認した。ロシアもアフガニスタンと同じような国だということを自白したようなものである。
私が15年前に国境通行路カイバル峠を訪れた当時は、両国間に紛争の空気は感じられなかったが、それでもパキスタン側の集落で、銃砲類の売買を行っていた状況から緊張感を味わったことをしっかり覚えている。そしてその緊張感から1年半後に勃発したNY9.11同時多発テロの予知らしきものを感じ取った。不思議なことにその経緯などについて著した拙著「八十冒険爺の言いたい放題」が、アメリカ人に興味を抱かれたようで、日本語の分かるアメリカ人何人かが出版社に掛け合い、拙著の英語翻訳書の出版を交渉し、私もこれを引き受けることになり、英語翻訳書と英語電子書籍が近々発行されることになった。何が端緒でゴールへ向かうのか、予測もつかないことが多いが、わが身にアフガニスタン・パキスタン国境の緊張感が書籍発行と言う形で残ることになったとは思いがけないことである。
ところで、今日10月14日は亡き母の誕生日である。明治44(1911)年東京・中野区に生まれたが、この翌年明治天皇が崩御され、年号が明治から大正へ変わった。つまり母が生まれたのは、明治最後の年ということになる。生きていれば、満114歳だった。母は心筋梗塞のため、意外に早く73歳で亡くなった。残念ながら孝行して報いることは何ひとつ出来なかった。もう少し長生きして欲しかった。
実は、現在日本人の最年長の女性が、亡母と同じ明治44年生まれだと知った。奈良県大和郡山市在住の賀川滋子さんと仰る方で、医師として地域を支えて今も元気らしく、19日夜NHKテレビ「最後の明治人」として紹介されるというので、母が生きた時代を想像出来るのではないかと今から楽しみにしている。
夜になって嬉しい大ニュースがあった。何とサッカーの日本代表チームが、世界最強国のブラジルに初めて勝ったのである。しかも逆転勝ちである。来年カナダ、アメリカ、メキシコで開催されるワールド・カップの前哨戦としてキリン・チャレンジカップと名付けられた親善試合で、ブラジルを相手に前半0-2で押されていたが、後半に入って日本は立て続けに3ゴールを得て、3ー2で逆転勝ちという離れ業をやって強豪ブラジルを降したのである。ブラジルとは、過去に13戦して、2引き分け11敗という完敗ぶりだったが、やっと勝てた。これをきっかけに来年ワールド・カップで活躍して欲しいものである。とにかくアッパレである。