充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6793.2025年12月18日(木) 自治体首長の国政指図は是か非か?
高市自民党総裁が首相になって初めて開かれた臨時国会が、昨日閉会した。2025年度の巨額の防衛費を盛り込んだ18兆3千億円の補正予算を維新、国民民主、公明の賛同を得て成立させたことを、首相自身自画自賛している。ただ、この膨大な補正予算額は、コロナ期を除いて最多で、その財源の6割超を国債発行によって賄う。借金財政については幾分無頓着な高市政権によって、国家の累積赤字が益々増大することが懸念される。
ところで、当初連立相手の「日本維新の会」とともに公約した衆議院定数削減については、与党内の意見がまとまらず、先延ばしとなった。同時に野党から強く要求されていた団体献金問題の結論も先送りとなった。少数与党だった自民党単独政権も、その後日本維新の会との連立、更に一部の無所属議員が自民党会派に加わったことで衆議院議席の過半数を越え、その勢いで予算を通過させたものである。だが、多くの問題が積み残されており、年を越した来年1月開催の通常国会に持ち越されることになる。先延ばしとなった衆議院定数削減問題は、自民、維新の連立に絡む問題であり、申し出た維新としては何としても次期国会で実現しなければならないだろう。
ただ、最近テレビにしばしば顔を見せるようになった維新の共同代表、吉村洋文・大阪府知事が、高市首相と両党の国政共同運営について話し合っている。法的に許されてはいるが、国会議員でもない吉村氏が国の重要な政策を首相と話し合い、結論を出すことは、おかしいのではないかと思っている。国会で議決すべき問題を国会議員でもない吉村氏が強く関わることは、むしろ問題だと思う。もうひとりの共同代表である藤田文武衆議院議員に任せて、どうしても直接交渉したいなら、次回の衆議院選を経て国会議員になってから高市首相と対等の立場で議論し、結論を出すのが責務ではないかと思う。
さて、3年前に奈良市内の駅前で、安倍晋三元首相を銃撃し殺害したとして殺人罪の罪に問われていた山上徹也被告の最終審理である公判で、今日検察側は被告に無期懲役を求刑した。母親が旧統一教会の信者で、多額の資産を教会へ献金して家族が生活に困窮し、その恨みを被告は旧統一教会へ向けたが、機会が訪れず、安倍元首相が旧統一教会と関係が深いことから、安倍元首相に恨みはないが、選挙応援に駆け付けた安倍氏の応援演説中に安倍氏を狙撃したものである。安倍氏を狙うことは本筋ではなかったと安倍夫人にも詫びて、検察の言う通りに間違いはないと正直に告白していた。
極めて不幸な事件になってしまったが、旧統一教会日本支部はすでに解散を命じられ、本家のある韓国でも旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が、国会議員らに不正な金品を手渡していたと、警察の家宅捜索を受け、韓鶴子総裁も取り調べを受けている現状である。
被告は複数の身内が自死するほど家庭的に不幸な事情に同情が寄せられているが、検察は事件と家庭の事情とはこの際無関係であるとしている。これから、最終的な処分が決まるまで、かなり時間がかかることだろうが、元総理大臣が白昼堂々大勢の国民が注目する中で殺害されるとは、法治国家の日本としては珍しい事件である。この先どうなるか分からないが、ともかく司法に則って被告の処分は最終的に決められるであろう。
6792.2025年12月17日(水) 高市首相へ反戦を訴える沖縄の高校生
アメリカに気を遣っているせいか、アメリカに関係したニュースがあればメディアは挙って報道する。しかし、普段はあまり報道しない日米間の不平等を表す日米地位協定が、米軍基地が大きな地位を占める沖縄では殊更大きな問題となっている。分かり易く言えば、裁判権が日本になく、米軍人が基地の外で事件を起こしても日本の警察権が基地内までは及ばず、仮に犯人が基地内へ逃げ込めば日本の警察はお手上げとなる理不尽さにある。
米軍基地については、現在3点ほどクローズアップされている問題がある。ひとつは、都内立川基地内で発生した環境汚染とされた有機フッ素化合物(PFAS)が、基地周辺に漏れて環境汚染をもたらしているが、自治体が立ち入って調査することができないことである。2つ目は、ドイツやイタリアでは国内法を駐留米軍にも適用させているが、日本ではそれが出来ず、これこそ不平等、不公平な地位協定である。3番目は米兵が基地の外で凶悪犯罪を冒しても、身柄引き渡しを求められないことである。
上記の諸問題に加えて、昨今の高市首相に対する不満を現地沖縄の高校生がアピールした。先月23日に「高市首相発言に対する意見文」として、「沖縄高校生平和ゼミナール」が首相宛てに書状を提示した。
その意見文によると、まず今問題となっている台湾有事発言の結果、中国との外交が対立し始めたことについて、率直に、かつ厳しく「自分の立場をわきまえずに軽率な発言をしたが、日本という国を代表する立場だということを認識すべきである」、「非核3原則を見直してはいけない。沖縄が再び戦場となること、核の島となることを拒否する」、「アメリカの言いなりの政治を続け、国民を犠牲にするつもりか。私たちが欲しいのは、武力や戦争ではなく、人権と平和である」、「子どもが核反対、戦争反対と言えるのに、政府はなぜ戦争をそそのかすような発言をするのか。理解できない」、「もしも戦争が起きた時に、一番被害を受けるのは市民です。武力でなく、話し合いで平和を保とうと努力すべきです。もっと言葉に責任を持ち、国の代表なら私たちの人権や平和を守る外交をして下さい」と厳しいながらも真面な要旨をほぼ上記のように書き込まれたA4用紙1枚にびっしり書き込まれた意見文を提示した。
沖縄の人びとは、高校生でも戦争の危険、怖さというものがよく分かっている。これに対して首相サイドがどう対応したのか分からないが、首相もこの意見文に目を通して、それなりに不安を感じている沖縄の高校生たちに、真摯に返事を書くべきだと思う。今の首相の心境としては、このような批判的な声にいちいち応えている余裕はないとしても、これほど現実の危機を肌で感じ、戦争だけは避けて欲しいという純粋な若者の気持ちに応えるべきだと思う。
しかし、我々戦争に反対する立場から、こういう声を無視して戦争へ前進するが如き行動は絶対にやってはならないと思う。基地の街、沖縄の住民だからこそ危機感が身に染みているのだろうから、これからもどんどん発言して、内地の高校生から大学生にまで戦争危険論をアピールして欲しいと思うし、首相以下政府要人も真剣にこういう若者の純粋な気持ちを受け止めるべきである。
6791.2025年12月16日(火) パンダが日本からいなくなる。
上野動物園にいるジャイアントパンダのシャオシャオとレイレイが、来年1月に中国へ返還されることが決まり、その後日本にはパンダがいなくなる。上野の街では失望感が強い。今日上野動物園には大勢のお客さんがパンダを一目見ようと訪れたが、長い行列に待ち時間も相当かかったようだ。大人から子どもまで多くの人々に愛されていたパンダがいなくなることに、寂しいとか悲しいとの声が伝わって来る。パンダは中国だけにしかいない愛らしくも、絶滅危惧種動物だけに、欲しいから「はいどうぞ」と右から左へ譲れるものではないが、大好きな人にはぜひとも傍にいて欲しい愛らしい動物である。
外国にいるパンダもすべて中国からの借り物である。愛らしく、それでいて希少動物だけに各国から中国へ譲れないが期限付きで貸してほしいとの要望が絶えず、日本もこれまで中国から30頭以上が貸与された。
1972年日中国交正常化に伴い、中国政府から貸与されたカンカンとランランが初めて上野動物園にやって来て人気が沸騰し、観覧しようにも制約付きでやっとパンダを見られるような有様だった。現在中国は17カ国に53頭のパンダを貸与しているが、各国からの引き合いも強く、中国政府はパンダ貸与を利用して「パンダ外交」を試行している。最近訪中したフランスのマクロン大統領が、フランスへの接近を図る中国の思惑により、2頭のパンダを貸与されることになった。一方で昨年フィンランドの動物園は期限よりも8年以上早くパンダ2頭を中国に返還した。その背景には両国の緊張関係があると伝えられており、現在台湾有事問題から中国との外交関係が悪化した高市政権の日本とは、このまま対立関係が続くようだと当分パンダを見たい人は、中国の動物園を訪れて鑑賞するしか方法はない。そういえば、私がパンダを見たのは1回きりであるが、それは1971年に初めて上海を訪れた際上海動物園で見た時だった。
愛されるパンダが日本にいることは望ましいことではあるが、それより「パンダ外交」などに惑わされることなく、現在の対立状態を何とか以前のような国交正常化状態に戻す努力をしてもらいたいものである。
今の高市首相の右翼志向には、以前から不安に駆られていた。それが台湾有事発言となったが、似たようなもっと危機感を伴った事態が起きる危険性を抱えている。さりとて首相を取り巻く閣僚陣の中に首相を諫めるような人物はいそうもない。
他方、中国政府の非民主化政策は、益々強圧性が増長され、2019年に香港で起きた反政府デモを香港国家安全維持法(国安法)施行により力づくで香港市民を屈服させ、21年には選挙制度を改変し、立候補予定者には政府に忠誠を誓う「愛国者」であるかどうかを求める有様だった。先ごろ香港で中国国内唯一の選挙が実施されたが、当選者は当然全員「愛国者」ばかりだった。
そこへ昨日長らく香港の民主化をリードしていた「リンゴ日報」創業者・黎智英氏を国安法違反で有罪判決(量刑未定)を下した。今年78歳の黎智英氏の健康が優れず、欧米の政府は早期釈放を望んでいた。昨日の有罪判決を知ったトランプ大統領ですら、中国政府に不満を述べている。選挙の結果を受けて香港では、前途を悲観したのか、民主派主要政党である民主党が党の解散を決めた。これによって中国政府は、一層非民主化の道を突き進み、それが高市政権との衝突事態を引き起こさないかという懸念である。
怖いのは、人の意見を一切受け入れず、唯我独尊ですべての権力を行使する独裁国家体制であり、習近平中国は、その道をひた走り、中国国民は揃って習近平の顔色を覗っている状態である。
昨日こともあろうに国連安保理事会で、中国の国連大使が議論のテーマとは場違いな日本批判をぶったそうである。国力はついてもいつまでも中国は子どもだなぁと慨嘆せざるを得ない。
6790.2025年12月15日(月) 市政混乱の末に新伊東市長選出
一昨日行われた伊東市長選の結果、学歴詐称などで就任半年足らずの間に2度までも、市長不信任案可決により失職した田久保真紀・前市長が性懲りもなくまたも立候補したが、予想通り落選した。この市長選には、過去最多の9人が立候補して競われたが、結局当選したのは無所属で、国民民主党推薦の杉本憲也・元市議会議員だった。公職選法では、市長当選には最低でも全有効投票の4分の1以上を獲得することが必要で、立候補者が多いだけに票が分散してその可能性が懸念されていたが、幸い杉本新市長は、40%の得票率で堂々当選した。杉本氏は43歳で最年少だった。今年5月に田久保前市長が新市長になってから、前市長の疑惑発覚から伊東市は混乱し、市政は滞り伊東市民も些かうんざりしていたであろう。この市長選と前市長の市議会解散による市議選と合わせて、計1億円が無駄に消費されたという。観光都市である伊東市にとっては、市のイメージは明るく清潔であることが求められる。今後杉本新市長がこれまで田久保前市長が与えた悪いイメージをどう払拭することができるか、鼎の軽重を問われることにもなる。
市長選はマイナス・イメージばかりではない。市民の関心が高かったため投票率は、大分上がって60.54%となり、前回5月の投票率を10.89%も上回った。前回田久保氏に敗れた元市長の小野達也氏は、自民党の推薦を得ながらも、前回は新人田久保氏に敗れ、今回は杉本氏に及ばなかった。田久保氏は前回は現職市長だった小野氏を破ることに成功したが、今回は大きく引き離された3位だった。やはり学歴詐称のマイナス・イメージは致命的だった。それにしても田久保氏は、絶対当選は疑わしいと見られていたにも拘らず、費用もかかる出直し選に、よくぞ立候補したものだと思う。
さて、こんなことが今更というか、漸く判明したという原爆被災者にお気の毒という言葉しか言うべき言葉がない。被爆して亡くなってから80年も経過して漸く身元が判明する不幸に遭った人が、今更いると知ってあまりにもかわいそうである。その女性は13歳で原爆に遭遇し、亡くなったが、今日まで身元が分からなかった。当時13歳で広島女子高等師範学校附属高等女学校生だった。広島市内で祖母と一緒に暮らしていた。両親、きょうだいは1945年春満州へ渡ったが、少女だけは広島で勉強を続けたいということで親、きょうだいと別れ、祖母と暮らしていた。被曝死したが、身元不明のまま安置されていた遺骨がDNA鑑定の結果、80年ぶりにやっと遺族のもとに帰ることになったという。80年も経ってこのような稀なケースが現れるというのは、まだまだ同じように 信じられない悲劇がこれからも明かされることがあるということでもある。
6789.2025年12月14日(日) 浅草でクラシック・コンサートを鑑賞
恒例の上野浅草フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会がいつも通り、今日第79回が浅草公会堂で行われた。1年に2度開かれるので、平常心で公演を期待して待っている。そもそもこれは大学ゼミ仲間のひとりが、チェリストとして演奏活動に当たっていることから、都合のつくゼミ仲間が毎回楽しみに鑑賞に来るようになった。今日は10人ほどが来られた。
このコンサートでは、オーケストラは普段我々があまり馴染みのない曲目を演奏することが多いが、今日はそうではなかった。オッフェンバッハの♪天国と地獄・序曲♪、ドビュッシーの♪小組曲♪、ビゼーの♪カルメン♪と、アンコールに同じビゼーの♪アルルの女♪を演奏した。比較的聴き慣れた曲目だったので、つい演奏が進むに連れて首で音頭を取っているほど気持ちが好い。チェリストの仲間がわざわざ作ってくれた演奏曲目の紹介文が中々よくできていて、分かり易く、今まで知らないことまで知ることになった。終わってから皆気分良く、近くのホテルの最上階カフェに場所を代えて諸々近況について話し合った。久しぶりに楽しい会話のひとときを持つことができた。次回は来年7月である。皆再会を期して家路に就いた。
さて、今日NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」が最終回を迎えた。江戸期に吉原で書店を経営し、その名を高めた蔦屋重三郎が主人公である。今年1月から1年間毎週欠かさず観ていたが、こう言っては失礼だと思うが、今までこれほどつまらない大河ドラマはあまりなかったと思う。出演者もそれなりの俳優が出ているし、ストーリー上にも江戸時代の松平定信公、厳しくも著名な老中田沼意次や、文化人として平賀源内、本居宣長、山東京伝、十返舎一九、喜多川歌麿、東洲斎写楽ら多士済々の有名人が登場する。その割にストーリーは新聞連載小説と同様につまらない。その理由は、筋書きが分かりにくいことだと思う。毎回どうしてこうなるのだろうと疑問を抱くような内容である。戯作者は当然大作を仕上げるのだから、それなりの覚悟で取り組んでいることだろう。だが、結果的には、前週のテレビ視聴率ベスト20が公表されるが、知る限りこの大河ドラマが1度として顔を出したことがない。これでは主役の横浜流星も張り合いがないだろう。
不思議に思えるのは、NHKが低視聴率について視聴率向上のための改善策を練っているようには見えないことである。NHKの大河ドラマとなれば、NHKとしてもある程度の視聴率を上げることを使命としているのではないかと思う。脚本がダメだったのか。大河ドラマ・ファンとしても残念である。来年の大河ドラマは秀吉と秀長の豊臣兄弟が主役のようであるが、今年の様に期待外れにならないことを願っている。