602.2009年1月5日(月) 第5次中東戦争へ発展するか。

 ガザ地区に対するイスラエルの攻撃は、今日も益々熾烈になり、空爆に加えて地上攻撃も開始され、ガザ地区の死者は民間人を含めてついに500人を超えた。イスラエルはガザ地区への攻撃を続行することによってガザを南北に二分した。

 国連安保委員会が3度に亘って両陣営に停戦を訴えたが、まるで暖簾に腕押しである。むしろ攻撃は日々激化している。かつて私が中東を訪れた第3次中東戦争のころは、アラファト議長率いるパレスチナ解放機構(PLO)だけがイスラエルと対決していた。今ではパレスチナ暫定自治政府は穏健派のファタハが主導し、過激派でイスラム原理主義組織のハマス、北部のヒズボラがガザ地区内に分散して活動している。当初サルコジ仏大統領が仲介に乗り出そうとしたが、両陣営から相手にされず1度は退いた。しかし、サルコジのスッポン作戦は、ならばと明日イスラエルに入って直にオルメルト首相の説得工作に当るという。イスラエルとファタハに電話で自制を促したという麻生首相もお体裁だけではなく、この果断にしてアグレッシブなサルコジの行動力を少しは見習ったらどうか。戦火はエスカレートするばかりである。目立ちがりやのロシアと、地上の様子を眺めているモグラ中国は渦中の栗を拾う様子もなく、じっとアメリカの出方を見守っている。そのアメリカは、攻撃を続けているハマスこそ戦争をたきつけているとして、ハマスを非難してイスラエルに対しては攻撃を停止させようとの素振りも見せない。これでは難題が解決する筈もない。アメリカはニューヨークに6百万人もの裕福なユダヤ人が居住して、彼らからの見返りが多い。平和とか、人類愛とか、生命の大切さなんかより、ユダヤ人から得られる金銭勘定ばかり考えている。

 サルコジがイスラエル入りして果たしてどんな交渉力と説得力を示すことが出来るか。仮にサルコジに成果があった場合、アメリカの地位と信頼は急速に低下するだろう。

 もしこのままの戦闘状態が続けば、パレスチナが焦土と化すことは間違いない。ユダヤ人国家アメリカ、パレスチナ紛争の火種を作ったイギリス、覇権争いの常連ロシア、モグラのおっちゃん中国はこのまま放っておいて良いと思っているのだろうか。

 さて、今日から日本も再起動である。早速大発会で日経平均は9,000円を超えた。円安傾向も示した。このままこのトレンドが維持されればよいが、専門家の予測でも今年中には景気は元に戻らない。

 通常国会が今日召集された。まずは、人気のない定額給付金を盛り込んだ来年度一般会計予算を成立させようとの政府の目論見である。政策論争よりも常に政局にらみである。政治家の無為無策にはまったく呆れ果てる。

2009年1月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

601.2009年1月4日(日) 「カティンの森」を考える。

 昨晩NHKのアーカイブスで放映された、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダがメガホンを取った「カティンの森」の製作意図の紹介を通して、初めて「カティンの森」事件の真相を知った。

 第2次大戦前のポーランドはドイツと旧ソ連に挟まれて複雑な立場にあった。1939年ポーランドはドイツとソ連に侵略され降伏した。1943年ソ連領内へ進撃したドイツ軍はソ連領内カティンの森で、ポーランド将兵及び民間人、併せて4,000人の残忍な殺戮手段による遺体を発見した。ドイツはソ連が虐殺したと主張したが、ソ連はドイツ軍によって殺戮されたと反論し、お互いが対戦国に罪を被せようとした。第2次大戦中、更に戦後になっても双方が罪をなすりつけようとして真実は解明されなかった。ポーランド統一労働者党ですら、同じ社会主義のリーダーであり、同盟国であるソ連に気兼ねして真相の解明に及び腰だった。しかし、カティンの森だけに止まらず犠牲者の数は益々増え、その数は実に22,000人が加えられた。

 1952年アメリカ議会では、虐殺はソ連内務省によって計画され、赤軍が処刑を実行したものと断定した。しかし、ソ連が公式にその残虐行為を認めたのは、社会主義体制が崩壊した1989年になってからだった。スターリンの命によって実行されたと公表されたが、すでに殺人鬼スターリンはこの世にいない。それでもなお、ソ連政府は隠し通そうと試みたようだが、すでに証拠が明白となり、1990年になって漸くゴルバチョフ大統領が対外的にその大量虐殺を認めた。あまりにも遅く、極悪非道の振る舞いは長きに亘って表沙汰にされることはなかった。しかも敗戦国ドイツに罪と責任を被せようとした。許しがたい反道徳的蛮行である。

 ワイダ監督の父親もその犠牲者のひとりである。社会主義体制内のポーランドにあっては、身内の死、行方について疑問を抱いても、体制を批判する行為は許されず、苦悩の時代を送ったようである。

 冷静に考えてみると、戦争中とは言え蛮行を計画し、それを実行する風潮に対して、阻止しようとの声は抑止されたのであろう。だが、それでもなお一片の良心と人間としての誠実さでその行為を止めることは出来なかったのか。今世界各地で繰り返されている人間性無視の流れには、同じように空恐ろしさを感じることがしばしばである。文明は進歩しても人間の行為の野蛮性は、むしろ原始狩猟時代よりも進んでいるのかも知れない。

 力で権力を奪い取った者たちの所業には、そういう残忍さと怖さが隠されている。絶対的に強大な力は、ともすると良い面より道を誤らす方へ向かう傾向があることを心配する。

 寡聞にして知らなかった「カティンの森」の大虐殺であるが、戦争がもたらす非人間的行為について深く考えさせられた。

2009年1月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

600.2009年1月3日(土) 故加藤周一氏1968年を語る。

 今年の関東大学箱根駅伝では、去年のように途中で3校も棄権するようなことはなかった。終盤になって城西大が唯一リタイアした。しかし、2区で22人抜きのような記録はあったが、全般的にハップニングのない平板なレースだった。今年は85回目の記念大会とあって、出場チームも例年より多い23チームだった。

 今年のレースで特に面白いと思ったのは、予想の外れ方だった。優勝候補の駒沢大は、選手全員揃って一級品と予想されていたが、蓋を開けてみると揃って二級品だったことである。選手が誰ひとりとしてブレーキを起こしたわけでもないのに、ダントツの優勝候補が優勝に1度もからむことなく、力を発揮せずに選外の13位に落ち、来年度のシード権すら獲れなかったことである。あれだけ前宣伝で華やかに書きたてられていながら、この結果には唖然とするばかりである。監督は淡々と全体の力がなかったと悔しさをおくびにも出さない。昨年の正月は堂々逆転優勝し、11月に伊勢で行われた全日本大学駅伝でも優勝して優勝候補の筆頭だった駒沢大学だが、トラブルもないのに最初からぱっとせずにすべてのランナーが2日間何の存在感も示せないままに終った。過去10年間に6回の優勝を誇る強豪が、かくも脆いとは意外だった。マス・メディアの予想もまったく外れてしまった。こうなると記者の取材能力にも疑問符が付く。とにかく駒沢大の予想外の不振がなんとも腑に落ちない。

 さて、静かな正月休みを利用して、12月14日にNHK・ETV特集で放映された「加藤周一、1968年を語る」DVD録画を妻とともに観る。1時間25分の少々肩の凝る作品だった。同月5日89歳で亡くなられた加藤氏に関する文献は、「羊の歌」を始め、主に学生時代に岩波の月刊誌「世界」を通して読んでいたが、このビデオに関する限り加藤氏は「1968年」という年に、格別のこだわりを抱き、世界的なエネルギーの爆発と圧倒するようなうねりを感じたように受け止めた。実際世界的な動きを見てもその年はエポックメイクな1年だった。まず5月にパリでゼネストが起き、パリ市内は機能麻痺に陥った。8月「プラハの春」事件発生、そして同じころシカゴでベトナム反戦デモが勃発して警官隊が無抵抗の市民に暴力を振るった。日本では東大篭城を始めとする全共闘紛争等があったが、当時のフィルムを振り返りながら加藤氏は解説された。懐かしいフィルムがかなりあった。その中でも「プラハの春」には私自身格別の思いがあり、大きな影響を受けた。フィルムが映し出すソ連軍侵攻当時の光景は、強く印象に残っている。地下放送によって事件を外国へ伝えた当時の放送関係者の話は貴重な資料である。私自身この事件によってチェコへの留学を諦めたし、その後3度訪れたチェコへの郷愁を募らせてくれたきっかけとなった。

 それにしても晩年の加藤氏の記憶力と鋭い観察眼には感嘆するばかりである。平凡社で出された加藤周一著作集の「言葉と戦車」は、氏が実体験した「プラハの春」から感じたことを書いたものだ。パリのゼネストのあとオーストリアからプラハへ車で出かけ、周囲の雰囲気が怪しいと感じてウィーンへ帰り、そこでチェコのテレビ(地下放送)でソ連軍の戦車による侵攻を知ったという。書斎に閉じこもっただけの人とはやはり違う。それが著書「言葉と戦車」に書かれている。リベラルな方で、核心を突く論考にはいつも頷かされていたものだった。こNHKの番組も良かった。

2009年1月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

599.2009年1月2日(金) 正月2日の過ごし方

 正月2日のわが年中行事は、毎年決まっていて関東大学箱根駅伝と全国大学ラグビー準決勝をテレビ観戦することである。生放送は時間的に一部ダブルが、お熱を上げるのはやはりラグビーだ。リーグ戦グループでは優勝した東海大だったが、対抗戦グループの2位早稲田にディフェンス面で完全に押さえ込まれ、完敗だった。やはり伝統の力というのは、いざという時大きな力を発揮する。もう一試合は、対抗戦グループ優勝の帝京大がリーグ戦グループ2位の法政大を文句なく破って、結局決勝戦は対抗戦グループの1位と2位の決戦と決まった。あまり新鮮味のない対戦であるが、身体的に優れ今シーズン全勝の帝京大と、伝統校の良さを発揮してチーム戦力を整備しつつある早大の対決は、質の高い玄人好みの試合になるかも知れない。

 さて、今年は西暦で2009年であるが、9年というのは過去世界史上においてエポックメーキングというより、ショッキングな事件がしばしば起きている。古くは1929年10月にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落を起こした。世界大恐慌の始まりである。1989年になってベルリンの壁が崩壊した。アフガニスタンからソ連軍が撤退した。同じく天安門事件が起きた。これがきっかけとなって東西冷戦時代が終結し、社会主義国家が崩壊して民主国家・アメリカの一極集中に拍車がかかった。1999年にはヨーロッパの単一通貨「ユーロ」が産声を上げた。これにより従来のドルの機軸通貨化に風穴を開けた。必ずしもドルだけが機軸通貨ではないが、ドルの圧倒的な価値観は何と言おうと比類ないものである。

 果たして今年2009年には、内外にどんな政治的、経済的な事件が待っているだろうか。

 それから今日2日にも年賀状が配達された。これは小泉元首相の郵政民営化のおかげではないだろうか。

2009年1月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

598.2009年1月1日(木) 多事多難な中に新年を迎える。

 新しい年、2009年(平成21年)の幕開けである。いつものように7時30分ごろ起床して、同じようにお雑煮と簡単なおせち料理をいただくが、お屠蘇はいただかない。これは毎年元日になると母校・湘南高校ラグビー祭へ車で出かけるので酒抜きはやむを得ない。

 郵便受けに今年最初の新聞を受け取りに行ったら、もう年賀状が届いていた。こんなことは初めてだ。更に驚いたのは、母校から帰ってみると午後の配達分として第2便の年賀状が届いていたことである。これは遅ればせながら郵政民営化の効果が良い面で表れた結果だろうか。そうだとしたら国民が恩恵に浴したことになる。だが、果たして明日は年賀状が配達されるだろうか。

 空を見上げると真っ青に晴れ、無風快晴の素晴らしい天候である。ラグビー祭はOB会(SRC)総会の後、グランドでOB対現役戦、OB紅白戦で出場者は気持ちのよい汗を流したようだ。同期生の大島くんは、今も茅ヶ崎ラグビースクール校長で相変わらず若者に負けずにグランドを走り回っている。脱帽である。一年先輩の武智さんも、ジャージーを着てお子さんやお孫さんの声援を受けながらプレイする熱心ぶりである。こうしていつまでもラグビーを楽しむ習慣が健康にも、家族融和にも効果がある。武智さんは今年年男で、大島くんは去年古希だった。

 懇親会ではいつもながら現役部員の保護者が、食事の手配をしてくれる。現役とOBが一体となって立食で交流を深める。時代が移り変わり親がこういう場で、子供たちのために献身的に協力してくれるようなことは、我々の時代にはまるで考えられなかったことである。OBの中には酒が提供されないからと不満を漏らすものもいるが、こればかりは場所柄我慢してもらうより仕方あるまい。自画自賛するようだが、こういう試みはきっと子供たちにとっても将来忘れられない高校時代のグラフィティとなることだろう。

 夜は妻といつも通り毎年恒例のNHK「ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサート」をテレビで楽しむ。今年の指揮者、アルゼンチン生まれのイスラエル人、ダニエル・バレンボイヤ氏は元々ピアニストであるが、生誕200年に当るハイドンの「告別」ではコミカルに演奏してオーケストラがいなくなるカラオケ?状態となった。こんなところにも、演奏者のみならず観客の間にもゆとりというものが感じられた。格調の高い芸術は、本当はじっくり生で味わうに限る。その意味では物足りないとも言えるが、それでも新年早々に芸術の一端に触れることができるニューイヤー・コンサートは、定番の愉しみのひとつである。

 今年は昨年よりもう一歩質的にグレードアップの一年間を送りたいと思っている。

2009年1月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com