昨晩NHKのアーカイブスで放映された、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダがメガホンを取った「カティンの森」の製作意図の紹介を通して、初めて「カティンの森」事件の真相を知った。
第2次大戦前のポーランドはドイツと旧ソ連に挟まれて複雑な立場にあった。1939年ポーランドはドイツとソ連に侵略され降伏した。1943年ソ連領内へ進撃したドイツ軍はソ連領内カティンの森で、ポーランド将兵及び民間人、併せて4,000人の残忍な殺戮手段による遺体を発見した。ドイツはソ連が虐殺したと主張したが、ソ連はドイツ軍によって殺戮されたと反論し、お互いが対戦国に罪を被せようとした。第2次大戦中、更に戦後になっても双方が罪をなすりつけようとして真実は解明されなかった。ポーランド統一労働者党ですら、同じ社会主義のリーダーであり、同盟国であるソ連に気兼ねして真相の解明に及び腰だった。しかし、カティンの森だけに止まらず犠牲者の数は益々増え、その数は実に22,000人が加えられた。
1952年アメリカ議会では、虐殺はソ連内務省によって計画され、赤軍が処刑を実行したものと断定した。しかし、ソ連が公式にその残虐行為を認めたのは、社会主義体制が崩壊した1989年になってからだった。スターリンの命によって実行されたと公表されたが、すでに殺人鬼スターリンはこの世にいない。それでもなお、ソ連政府は隠し通そうと試みたようだが、すでに証拠が明白となり、1990年になって漸くゴルバチョフ大統領が対外的にその大量虐殺を認めた。あまりにも遅く、極悪非道の振る舞いは長きに亘って表沙汰にされることはなかった。しかも敗戦国ドイツに罪と責任を被せようとした。許しがたい反道徳的蛮行である。
ワイダ監督の父親もその犠牲者のひとりである。社会主義体制内のポーランドにあっては、身内の死、行方について疑問を抱いても、体制を批判する行為は許されず、苦悩の時代を送ったようである。
冷静に考えてみると、戦争中とは言え蛮行を計画し、それを実行する風潮に対して、阻止しようとの声は抑止されたのであろう。だが、それでもなお一片の良心と人間としての誠実さでその行為を止めることは出来なかったのか。今世界各地で繰り返されている人間性無視の流れには、同じように空恐ろしさを感じることがしばしばである。文明は進歩しても人間の行為の野蛮性は、むしろ原始狩猟時代よりも進んでいるのかも知れない。
力で権力を奪い取った者たちの所業には、そういう残忍さと怖さが隠されている。絶対的に強大な力は、ともすると良い面より道を誤らす方へ向かう傾向があることを心配する。
寡聞にして知らなかった「カティンの森」の大虐殺であるが、戦争がもたらす非人間的行為について深く考えさせられた。